彼女の呪いが解けるとき 2




(あいつが、リチャードの孫だって!?)


 柱の上からジャニとセイレーンを見下ろしていたクックは、今聞いた話が信じられず、動揺を隠せなかった。

 呆然とジャニを見つめる。助けた時はやせ細った頼りない子供だったのに、今毅然きぜんとセイレーンに向き合う姿は、まるで別人のようだ。


 ジャニとセイレーンに気を取られていたクックは、ゲイルが自分よりセイレーンの涙に近づいていることに気づき、慌てて後を追った。


(とにかく、今はあれをゲイルより先に手に入れることに集中しよう。“涙”は二つしかない。俺とジャニの呪いを解くために、絶対にあれは渡せない)


 柱を登り進めながら、ゲイルの背後ににじり寄っていく。彼を追い抜きつつ、ファルシオンを抜き放って切り付けると、ゲイルは即座に反応してサーベルで迎え討った。

 そこからは、クックとゲイルは激しく刃を交えながら上に登る速さを競い合う形となった。


「どうしてお前があれを欲しがるんだ!? 売れるような代物じゃねぇぞ!」


 同じ水晶の柱に登り、心もとない足場で打ち合いながら、クックが叫ぶ。しかしゲイルは答えず、クックの剣を弾き返すと、迷いなく頭上の柱に手をかけて登っていった。クックもすかさずその後を追う。

 二人がしばらく登り、セイレーンの涙まであとわずかという距離になった時だった。

 頭上の水晶の柱を掴み、体を引き上げようとしたゲイルの右手が滑り、危うく落ちそうになった。ゲイルは苛立ったように舌打ちをすると、右手の手袋を口でくわえて勢いよく脱ぎ捨て、素手で水晶に手をかけて登りきった。

 横で同じタイミングで柱に登っていたクックは、ゲイルのあらわになった右手を見て目を見開いた。


「なんだよ、それ!?」


 ゲイルの右手は、肩の上の方まで黒く染まっていた。心なしか、右手が痛みをこらえるように震えている。

 ゲイルは自分の右手を見下ろして、ふっと煩わしそうに笑った。


「そうか、これはお前の島の人間の呪いではないのか」

「・・・・・・どういうことだ?」


 訝しげに、クックが尋ねる。ゲイルは見せつけるように、黒く染まった右腕を掲げた。


「このシミは数年前、急に現れた。最初は指先から。気づくと毎日このシミは私の腕を蝕んでいった。染まった部分には骨をえぐるような痛みがある。だんだんとシミが広がる速度は増し、痛みも深くなっていった。

 きっとこれは、神が私に与えた試練なのだ」


 ゲイルの右目は魅せられたように輝いていた。


「これはきっと、私が今までほふってきた異教徒どもの“呪い”なのだ。神にそむいた罰を、死をもって償えという私の声を聞かず、悪魔に身を捧げたものどものな」


 ゲイルの紅の瞳は、クックを見ていなかった。

 今まで自分が殺してきたものたちの幻影を追っていた。

 炎にあぶられながら、ゲイルを罵り、『呪ってやる!』と叫ぶものたちの声。

 恨みのこもった数え切れないほどの目。

 彼らの怨恨の念を浴び続けてきたゲイルは、このシミが現れた時、即座にこれは彼らの“呪い”だと思った。そして、その呪いを解くことが新たに自分に課せられた使命なのだと感じたのだった。


「ある船乗りから、全ての呪いを解く“セイレーンの涙”の話を聞いた。それが、デイヴィッド・グレイの宝と共に眠っているということも。それからずっと、行方を探していた。見つけたからには、必ず手に入れる。お前に渡すわけにはいかない」


 ゲイルはそう言い、サーベルをクックに突きつけた。二人睨み合い、再び剣を交えようとした、その時だった。


「それは“呪い”なんかじゃない!」


 ロンの叫ぶ声がした。ゲイルの右目が、自分を見上げるロンに注がれる。


「なんだと?」


 ロンはゲイルの目を見返し、声を張った。


「マハリシュにもらった医学書に書いてあったんだ。お前のような赤い目、銀の髪をもって生まれる人間が、一定数いるということを。数が極めて少ないため、その存在はあまり知られていない。その者たちは生まれつき、色素を持たないため、透けるような白い肌、銀の髪、赤い目を持つ。そして色素を持たないが故に、皮膚の病を発症しやすい」


 ロンは、ゲイルの右手を指差した。


「その黒いシミは、おそらくその皮膚の病だ。残念だが、お前の寿命はあとわずかだろう。“セイレーンの涙”では、それは治せない」

「・・・・・・何を、言って」


 ゲイルの動揺は激しかった。サーベルを持つ手が止まる。そしてその動揺をあおるように、セイレーンが突如ゲイルの背後に現れ、哄笑を響かせた。


『その通りさ! お前のそれは呪いなんかではない。不治の病さ。何をもってしてもそのシミや痛みを消すことはできない。そのシミは刻々とお前を蝕み、最後には命を奪うだろう』


 ゲイルの顔に、初めて絶望が広がった。セイレーンはその顔を楽しむように眺め、言葉を重ねる。


『お前は死ぬ運命なのさ。今まで散々人を殺してきたじゃないか。使い切れぬほどの財宝を手に入れてきたじゃないか。それなのに、最後の最後でお前は死を恐れて悪あがきするんだねぇ。人間というのは本当に哀れで愚かな生き物だ』


 セイレーンの笑い声が、無情に響き渡る。ゲイルの目は、何も見ていなかった。


「嘘だ。私は、神に選ばれた人間なのだ・・・・・・病などで死ぬわけがない」


 震える声で呟く。


「ジャーマの神の遣い・・・・・・そうではなかったのか?」


 ゲイルは首にかかっている首飾りを手にとった。その手には“セントカバジェロ教”の象徴である、十字の剣の飾りが握られている。

 クックは、ゲイルが首飾りを取り出したときに、一緒に首に下がっていた宝石が彼の胸元に出てきたのを見て目を見開いた。それがルーベルの探し求めていた宝石だと気づいたのだ。

 ゲイルはそのことにも気づかず、首飾りを見つめている。

「では、私は・・・・・・なんのために生まれてきたのだ?」






 ゲイルは、エンドラの僻地の集落で生まれた。


 彼を産んだ母は、その見た目の異形さに恐れ慄き、彼を疎んだ。他の集落の者たちも、彼を“悪魔の子”と呼び避けた。

 差別を受けながらある程度まで育ったゲイルは、その集落を単身飛び出す。

 いくあてもなく彷徨さまよっていたゲイルだったが、ある時、温厚そうな老婆に声をかけられる。


「そんなに痩せ細って、かわいそうに。腹が減っているだろう。何か食べさせてあげるからうちにきなさい」


 幼かったゲイルは、初めてかけられた優しい言葉に引き寄せられ、老婆についていった。

 しかし、家にたどり着いた老婆は豹変した。地下室に彼を放り込むと、手足を拘束して、泣き叫ぶ彼の左目をえぐり出した。


「お前のような赤い目玉は、呪術の素材として非常に高く売れるのさ。その銀の髪も、真っ白な肌も、たんまりと金になるだろう」


 老婆の悪魔のような笑みを見上げ、痛みのあまり気を失いそうになりながら、ゲイルはただ自問した。


 どうして、自分はこのような見た目で生まれたのだろう?

 何もしていないのに、見た目だけでみんなが自分を遠ざけ、疎み、切り刻むのはなんでなのだろう?

 ここでこの老婆に八つ裂きにされて死ぬのなら、どうして自分は生まれてきたのだろう?

 その瞬間、ゲイルの内に消えぬ暗い炎が燃え上がった。


 死にたくない!!


 彼の中で、明確な意志が生まれたのはその瞬間だった。ゲイルは体に残った全ての力を振り絞り、老婆の喉笛のどぶえに食いついた。

 渾身の力で噛みつき、引きちぎる。絶叫をあげ、老婆は絶命した。老婆の首から噴き上がる血潮を浴びながら、ゲイルは呆然としていた。

 その時、部屋のドアが開き、そろいの十字の紋様が描かれたマントをまとった騎士たちが部屋に雪崩れ込んできた。

 彼らは、異教を信仰する老婆を捕らえにきた、“セントカバジェロ教”の騎士団だった。その頃、エンドラの各地では“セントカバジェロ教”による異教徒の弾圧・迫害が盛んに行われていた。

 目の前に広がっている常軌を逸した光景に、彼らは沈黙する。

 左目をえぐられた紅眼銀髪の少年が、口に肉塊を咥え、その目の前では喉笛のどぶえを噛み切られた老婆が絶命していたのだ。騎士たちは皆、得も言われぬ恐怖に包まれた。

 しかし、騎士たちははたと気づいた。目の前の少年が、自分達が崇拝してやまない唯一の神、ジャーマと容姿が非常に似ていることに。


「神に遣えるものよ・・・・・・! 我らにお導きを!」


 騎士の一人が、感無量の体でその場にひざまずき、ゲイルに向かって首を垂れた。次々と騎士たちは膝をつき、同じように頭を下げていく。

 “悪魔の子”として生きてきたゲイルは、その瞬間、“神の子”として彼らに受け入れられたのだった。

 ゲイルは理解した。自分は、彼らの信じる神のため生まれたのだと。

 騎士団に迎え入れられたゲイルはそれから私掠船に乗り込み、“セントカバジェロ教”の教えのもと、異教徒たちを殲滅せんめつせんと身を粉にして働いた。

 異教とはつまり、自分を排除するもの。認めぬもの。殺そうとするもの。その存在を、のさばらせておくわけにはいかない。老婆に殺されそうになった時の恐怖が、ゲイルを突き動かしていた。

 この世から異教徒を殲滅せんめつし、エンドラの栄華を永遠のものとしなければ。また、自分の命が危うくなる時が来るかもしれない。

 そして、人を人とも思わず、異教徒を殺し、他の土地を蹂躙じゅうりんするゲイルを、誰かが密かにこう呼び始めた。


 “人喰いのゲイル”と。






(神の遣いではないのなら。選ばれたわけではなく、ただ定めとしてこの容姿を授かったのなら。この病に侵され死ぬことも、運命として受け入れなければいけないというのか?)


 ゲイルは自問する。


(私が神の遣いなのであれば、どうして、神はこの病を治してくださらないのだ。そもそも、神は存在するのだろうか。私が信じてきたものは・・・・・・神とは、なんだったのだ?)


 ゲイルの目から、狂おしい炎のような光が消えていくのを、セイレーンは満足げに眺めていた。





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