リチャードの追憶 2




 ジャン・ロバンを討ったことで、リチャードは海尉にまで昇進を勝ち取ることができた。

 そして帰宅したリチャードを迎えたのは、息子を無事出産した妻だった。


「名を、“エドワード“にしようと思います」


 義務的に告げる妻に、リチャードも特に感慨もなく頷く。


「そうか、いいんじゃないか」


 そしてさっさと自身の書斎に消えるリチャードを、妻は非難の眼差しで見送っていた。しかし、リチャードの頭には、カルロスを倒して提督の地位を獲得することしかなかった。


 それからは、リチャードとカルロスの長きにわたる戦いが始まる。

 ジャン・ロバンの後を継ぎ、新たに海賊団の頭領となったカルロスは手強かった。リチャードが何度バルトリア島周辺を襲おうとも、思いもしない策を講じて彼を返り討ちにするのだった。

 そのうち、旧大陸の強豪国、イグノア、エルドラ、センテウスの間で三つ巴の大戦が勃発し、リチャードの注意はカルロスから逸れることになる。




 時は流れ、二十年後。


 大戦で疲弊したイグノアには、国を復興させるための財源が早期に必要だった。かといって、イグノア国内で取れる資源にはもう限りがある。それまでイグノアは、私掠船を繰り出し敵国の船から財宝を盗み、国の財源としていた。

 しかし大戦が表面上終結し、上っ面だけでも手を取り合うことになった今、私掠船制度は廃止され、略奪によって国の財源を稼ぐことは難しくなった。

 そうなると、狙いはもちろん、国に属さない海賊へと向けられる。


(カルロスの懐にはもう、たんまりと金が溜まっているはずだ)


 リチャードは頭を抱えた。ここが正念場だった。ここでカルロスを捕らえ、彼の資産を奪い取り、なおかつバルトリア島も奪い取れれば、自分の地位は約束され、長年の胸の支えも消え去るのだ。

 しかし、正面から戦いを挑んでは、今までのように苦戦を強いられることだろう。


(何とか、あいつを誘き出すことができれば)


 その時、リチャードは昔のカルロスとの会話を忽然と思い出す。


「俺は、このバルトリア島に国を作ろうと思う」


 あれは、カルロスが船を任されてすぐの頃だっただろうか。カルロスが突然、そう宣言したのだ。いつもののんびりした様子は影をひそめ、何か揺るぎない決意がその目に宿っていた。


「俺たちみたいなはみ出しものが、皆平等に、助け合って暮らす国だ。本当の“自由“を手に入れる。それが俺のやりたいこと、夢なんだって、やっと気づいたんだ」


 そういう彼の目には希望が輝いていて、自信をなくし始めていたリチャードには眩しすぎた。


「へぇ。せいぜい頑張れよ」


 歪んだ笑みでそう声をかけた。心から応援することも、正面切ってバカにすることもできなかった哀れな自分を思い出し、胸の片隅が疼く。


(そうだ、この話を持ち出せば)


 痛みと引き換えに、リチャードは思い付いた。

 密書をカルロスに送るのだ。彼の夢の話を持ち出し、二人きりで会おうと誘って、待ち伏せした部下に奴を討たせる。


(だが流石に、こんなわかりやすい罠にかかるわけがない)


 そう思い直し、この案を捨て去ろうと思ったリチャードだったが、ふと稲妻が駆け抜けるように妙案が閃いた。

 はるか昔、カルロスと作り出した、二人だけの暗号。

 それを密書に忍ばせる。奴はきっと気づくだろう。だが、何と書く。何と書けば、奴は姿を現す?

 散々悩んだ挙句、リチャードは暗号でこう記した。


『タスケテクレ』と。


 カルロスは、身内であれば、どんな下っ端のものでも必ず助けに駆けつけた。彼のそんなところがリチャードは気に食わなかった。ただの海賊のくせに、何を正義漢ぶっているのだと思っていた。そんな彼を誘い出すには、うってつけの言葉ではないか。

 まだ、カルロスが自分のことを切り捨てていなければ。奴は、来る。


(まぁ、これを鵜呑みにして来ることはないだろうがな)


 リチャードは自嘲気味に微笑んだ。自分は散々彼を裏切ってきたのだ。流石のカルロスも、もう自分を身内と思っているはずがない。来るのであれば、仲間を伴って自分を殺すつもりで来るはずだ。だがそうなればそうなったで、奴との一騎打ちに持ち込むチャンスである。サシであれば負ける気はしなかった。


(望み薄の作戦だが、やってみる価値はある)


 かくして、密書は速やかに送られた。






 カルロスとの約束の日。


 リチャードは数十人の部下を連れ、バルトリアとイグノアのちょうど中間に位置する孤島に上陸した。

 ここは昔、カルロスと二人で釣りをしによくきた場所だった。二人の思い出の場所を指定したのは、密書の信憑性を高める意図もあったが、この島の形状にも関係があった。所々岩礁に覆われたこの島は、部下たちを各所に忍ばせるにはもってこいだったのだ。

 若かりし頃、カルロスと二人でよく使用していた荒屋が、まだ残っていた。リチャードは二十歳になる息子のエドワードと数人の部下を伴い、その荒屋で待機することにした。まだ実戦経験の少ない息子に武勲を与えようと思っていたのだ。

 そして、夜が訪れた。

 襲撃は唐突に始まった。

 遠くの方から聞こえてきた悲鳴に、リチャードはハッと顔を上げた。悲鳴は立て続けに聞こえてくる。だんだんとこちらに近づいてくるようだ。


(やはり、奴も仲間を引き連れてきたか!)


 ギリ、と歯軋りするリチャードに、部下の一人が声をかけた。


「大尉! こちらでお待ちください。様子を見て参ります!」


 勇ましく声を上げ、サーベルを手にドアを開け放った部下の体が、宙を舞った。

 リチャードは声もなく、部下の体を薙ぎ払った男の姿を見つめていた。鬼神のような闘志を身にまとい、荒屋の入り口に立っていたのは、かつての友だった。


(カルロス、なのか?)


 全身に刀傷を負い、血を流しながらも大剣を振り回すその姿は、リチャードの記憶にある友の姿とはかけ離れていた。しかも、彼の後ろに仲間の姿はない。


(まさか・・・・・・一人で乗り込んできたのか!? 一人で、あの人数を倒したというのか!?)


 青ざめるリチャードの前に、カルロスがゆっくりと歩み寄る。

 その時、父を守ろうと、エドワードが悲鳴のような声を上げながら、カルロスに打ち掛かっていった。


「エドワード、やめろ!!」


 リチャードの静止の声も虚しく、カルロスの刀剣がエドワードを薙ぎ払った。どう、と床に転がった息子を見下ろす。リチャードの中で、何かが爆ぜた。

 目にも止まらぬスピードでサーベルを抜き放ち、カルロスの腹に捻り込む。一瞬、カルロスの目が見開かれ、リチャードを射抜いた。

 唇を震わせながら、リチャードは笑った。


「なぜ、罠と知っていながら一人で来た!? まさか、本気で俺がお前に助けを求めてると思ったのか!? そんなわけないよな、おい」


 崩れ落ちるカルロスの肩を掴み、リチャードは吠える。


「俺を殺しに来たんだろう!?」


 カルロスの目は、どこまでも深く澄んでいた。その目を覗き込んだリチャードは、自分の体が震え出すのを感じた。

 カルロスは苦しそうに微笑み、ささやいた。


「お前が無事で、良かった」


 それが、彼の最後の言葉となった。







 カルロスの遺体はイグノアに運ばれ、見せしめとして海を臨む絞首台に吊るされた。

 バルトリア島の大海賊の死に、イグノアの庶民は湧いた。リチャードは英雄と呼ばれ、国からは長年夢に見ていた提督の地位を授けられた。

 息子は失ったが、夢は叶った。そのはずだった。しかし、誰もいない夕暮れ時の堤防で、カルロスの遺体を見つめるリチャードは、抜け殻のようだった。


(俺は、取り返しのつかない過ちを犯した)


 リチャードの胸には、暗幕が垂れ込めていた。何も感じない。喜びなどかけらも湧いてこない。カルロスの最後の言葉が、耳の奥にこびりついて離れなかった。

 力なく膝を突き、リチャードは地に両手をつく。


「嘘だと言ってくれ! カルロス!」


 何十年ぶりかに呼んだ名前は、もう彼には届かない。

 彼と自分を隔てていたのは、なんだったのだろうか。ただ憎しみを募らせていた自分と、おそらく罠と知っていながら、自分を助けに単身乗り込んできた彼と。ボタンをかけ間違えたのはどこだ? 自分はどこで間違ったのだ?

 どうして、彼を信じることができなかったのだろう?

 その時、背筋が凍りつくような低い声が、リチャードの頭の中に響き渡った。


『よくも・・・・・・よくもカルロスを!』


 突如海が荒れ、聳え立つような高波が堤防に叩きつけた。

 波にさらわれるのを危うく逃れたリチャードは、波を割って海から姿を現した異形の生物に目を奪われる。それは、怒りに燃えるセイレーンだった。

 銀の髪を振り乱し、セイレーンはギラついた目でリチャードを睨め付けた。


『自身の弱い心に負け、お前はかつての親友を裏切った挙句、その手で殺した! 私の、唯一の希望を・・・・・・!』


 セイレーンの指が、震えるリチャードに差し向けられる。


『お前に呪いをかけよう! お前が本当に愛したものの、。お前が愛したものは皆、そのせいでお前の元を去るだろう。お前は生きながらにして、全て失うのだ。簡単に、殺してなどやるものか』


 セイレーンの狂ったような笑い声が、荒れ狂う波の音と共にリチャードを包み込む。


『後悔に身を蝕まれながら、永遠の孤独の中で死ぬがいい!!』


 空に暗雲がたちこめ、地を裂くような稲妻の音が轟いた。セイレーンの操る高波がカルロスの遺体を絞首台ごと破壊し、さらっていく。

 セイレーンが消えてもしばらく呆然と地に這いつくばっていたリチャードは、ハッと我に帰り顔を強ばらせた。


「オリヴィア!」


 息子のエドワードには、結婚したばかりの妻がいた。

 オリヴィアという気立ての優しい娘で、妻ととうに離縁し、エドワードを亡くしたリチャードにとって最早たった一人の身内だったのだ。

 セイレーンの呪いによって、オリヴィアに何か起こったのではと血相変えて帰宅したリチャードだったが、彼女は無事だった。

 夫の死もまだ知らず、オリヴィアは幸せそうな顔で微笑んだ。


「お義父様、私、子供ができたようなんです」


 そして、夫の姿を探すようにリチャードの背後を不思議そうに見た。


「エドワードはどこです? 早く知らせてあげないと」


 リチャードは、きつくオリヴィアを抱きしめた。


(もう、自分ができるのは、彼女を守ることだけだ。彼女と、新しい命を)


 そう、心に刻んだ。

 それから時はたち、オリヴィアのお腹の子はすくすくと大きくなっていった。気を揉んでいたリチャードも、セイレーンに呪われたあの出来事は現実ではなく、悪夢でも見たのだと思い直そうとしていた。


 しかし、セイレーンの呪いは確かに存在していた。


 生まれてきたオリヴィアの娘は、








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