リチャードの追憶 1



 それは四十年ほど前の話。


 リチャードとカルロスは、ジャン・ロバンという海賊の船の上で出会った。

 カルロスは既にロバンの元で働いており、リチャードはロバンに襲われた商船に乗り合わせていた船乗り見習いだった。リチャードはロバンからうちで働かないかと誘われ、死を免れる。


 同じ十六歳だったリチャードとカルロスは、相反する性格のため度々ぶつかりながらも、危険な船旅を共に乗り越えていくうち、友と呼べる間柄になった。

 しかしリチャードは、時折突拍子もない行動をとり、船の仲間たちから木偶でくぼうと言われていたカルロスを、心のどこかで見下していた。


 商船に乗っていた際は、秀才さを見込まれ、航海術や算術を教わっていた身である。ただの海賊船の下働きであるカルロスには、自分のような有能さはないものと思い込んでいた。容姿端麗、文武両道と言われていた自分に、おごっていたのである。


(あいつ、またなんか変なことしてやがる)


 だからその時も、リチャードにはカルロスがただのバカにしか見えなかった。ある伝手で手に入れた宝の地図の指し示す場所に辿り着き、想像以上の獲物を手に入れて、皆が浮き足立っている最中だった。

 宝箱いっぱいの金貨を、仲間達が狂喜乱舞で取り囲むその傍で、じっと宝の地図を見つめるカルロスがいた。その顔は、何か解せぬという表情をしている。


「おい、なんでそんなもん眺めてるんだよ? 宝は見つかったんだから、そいつはもう用済みだろ?」


 呆れた調子で、リチャードはカルロスに呼びかけた。カルロスは上の空で返事をする。リチャードはカルロスの見ているものが気になり、一緒に宝の地図を覗きこんだ。

 地図には、島の大雑把な地図が描かれ、一箇所に大きくバツが描かれている。わかりやすい宝のありかの印である。しかし細かい場所については、下に文章で書かれていた。

 多くの場合、宝の地図を書くのはそれを隠した海賊であるが、彼らには詳細な地図を描けるほどの技量はない。よって、地図は正確さに欠けるので、結局文章で詳細な宝のありかを示しておかざるを得ないのである。後々自分で掘り返そうとしても、その正確な位置がわからなければ隠した意味がない。

 カルロスはその文章を睨みつけていた。


「なぁ、リチャード。俺はどうも不思議なんだが」


 太い眉毛を寄せて、彼は続けた。


「どうして皆、宝のありかを全員がわかる言葉で書くんだろうな? 自分達、仲間内でしかわからない言葉で書けば、こうして他の連中に宝を取られることもないだろうに」


 リチャードはハッとして、カルロスの厳つい横顔を見つめた。まさか、彼がそんなことを考えているとは夢にも思わなかったのだ。その言葉を自分の中で咀嚼するうち、リチャードは抑えきれない興奮に駆られた。


「お前、それ名案だぞ!」


 叫んで、カルロスの持っていた地図を奪い、裏返して地面に広げた。懐から、握りの部分を紐で巻いた黒鉛を取り出す。


「俺たちだけの、秘密の暗号を作ろう! いつか宝を手に入れた時に、その暗号で地図を書くんだ。誰にも奪われないようにな!」


 リチャードは端正な顔にいたずらっ子のような笑みを浮かべ、カルロスを見た。


「他の奴らには内緒だぞ」


 カルロスは少し驚いた顔をして、つられたように破顔した。


「俺の宝はお前のもの、お前の宝は俺のもの、だな!」


 それから、二人は夢中で暗号を作り込んだ。主にリチャードが考え出したその暗号は、しばらく二人の遊び道具になったが、そのうち二人とも、その存在を忘れていった。

 幼い遊びといえばそれまでだが、その時の二人は、本気で宝を山分けする自分達の未来を思い描いていたのだ。二人の旅は、永遠に続くのだと。


 しかし、時は無情にも彼らを変えていく。






 リチャードは、ある女性に恋をした。


 彼女はバルトリア島の酒場の給仕係だった。

 右目の下のほくろがなんとも色っぽく、どこか憂いのある美貌を持つ彼女は、他の船の仲間たちからも熱烈な視線を一心に受けていた。

 十八歳となり、ジャン・ロバンから小さい船を任され、海賊稼業に繰り出していたリチャードは、曲がりなりにも“船長“と呼ばれ、少し天狗になっていた。


「ジーナ。俺が一生金に困らない生活をさせてやるからさ、俺と一緒になってくれよ」


 気持ちよく酔い、そう言って口説いてくるリチャードに、彼女はいつもいたずらな視線を投げた。


「あら、私を金で買おうってわけ? 言っとくけどね、私が欲しいのはいくら金を積まれても買えないものなのよ。出直してらっしゃい」

「そうつれないこと言うなよ」


 海賊として出世街道まっしぐらのリチャードも、彼女の前ではかたなしだった。


「お前も、気の強い女に惚れたもんだなぁ」


 リチャードの横で、カルロスは豪快に笑っていた。

 そっけなくリチャードの前から去った彼女が、しかし密かにカルロスのことを盗み見ていたことに、リチャードは微塵も気がついていなかった。


 やがて、リチャードから一年も遅れをとる形で、カルロスも小さな船をロバンから任されるようになった。

 しかしそのうち、人望も厚く、船長としての素質を兼ね備えていたカルロスはメキメキと頭角を現し、リチャードを越して一番の稼ぎ頭となり、彼を当惑させた。その頃のリチャードはと言うと、強い統制欲に駆られて掟などで船員を縛りすぎたせいで、相次ぐ裏切りや足抜けに頭を悩ませていた。


(どうして、この俺が)


 今まで自分より下だと思っていた友が、軽々と自分を追い越していく。


(あいつに、負けるなんて)


 人一倍プライドの高いリチャードにとって、それは受け入れ難い現実だった。


(いや、こんなところで立ち止まっていては駄目だ。俺はいつか、大海に名を馳せる偉大な男になるんだ。そもそも、海賊なんかで一生を終えるつもりはない)


 酒場でラム酒を煽りながら、リチャードはやり場のない鬱憤を抱えていた。


(そうだ。俺は海賊になんてなるつもりはなかったんだ。ロバンに襲われて、仕方なくあいつの船に乗ったまで。元々は、船乗り経験を積んで、操船や航海術を身につけて、海軍でのしあがるのが目的だったはず。海賊でいても、行き着く先は絞首台だ。権威や名声は、絶対に手にはいらない)


 酔って歪んだリチャードの視界に、忙しく立ち働くジーナの姿が映り込んだ。彼女を目で追う。


(そうだ、俺が本当に欲しいのは)


 それは、うまくいかない現実からの逃避であったのかもしれない。しかしその時のリチャードにとって、彼女の姿は神々しく輝いて見えたのだ。


(こんな掃き溜めから出ていくんだ。彼女と一緒に) 


 イグノアに一緒に渡って、共に暮らしてほしい。自分は海軍に入るつもりで、こんな小さな島で海賊として終わるつもりはない。いつか、金も権力も名声も手に入れて、君に何不自由ない暮らしを約束する。

 改まって真剣な顔でそう懇願するリチャードに、しかし、ジーナは何か恐れるような顔をした。


「それって、ロバンやカルロスをいつか捕まえて殺す立場になるってことよね?」


 リチャードの真意を推し量ろうとするように、彼女は凛とした瞳で見つめてきた。なぜか、リチャードはその目を真っ直ぐ見返せなかった。


「そうだ。だが、海賊なんて、いつかは捕まって縛り首にされるのがオチだ。俺は、将来を見据えて現実的な道を選ぼうとしているんだ」


 そう言ってジーナの手を取ろうと一歩踏み出すと、彼女ははっきりと拒否の意思を示して後退した。


「ごめんなさい。私はあなたと一緒には行けない」

「なぜ」


 縋り付くような目をするリチャードから目を背け、ジーナは声を震わせた。


「いつか言わないといけないと思っていたの。リチャード、ごめんさい。私」


 そして、次の彼女の言葉に、リチャードの目が見開かれる。


「カルロスを愛しているの」







 リチャードは島から逃げ出した。


(どうして、全てあいつが奪っていくんだ)


 親友だと思っていた。ライバルだと思っていた。だが確かに、心のどこかで自分はカルロスを見下していた。そんな男に、結局何もかも負けた。一番欲しいものですら、はなからあの男のものだったのだ。


(俺の気持ちを知っていて、あいつは側から俺を嘲笑っていたんだ)


 嫉妬と怒りに狂い、自分を見失っていたリチャードは、その事実を確かめることのないまま、全てのものから逃げ出した。

 イグノアに渡り、すぐに海軍の門を叩く。万年人員不足の海軍では、経歴など特に重視することなく受け入れられた。海賊であったことは伏せたまま、リチャードは持ち前の明晰さと航海術を駆使し、海軍の船に乗り込んでひたすら功績を上げることに血眼になった。

 船に乗っていれば、その過酷な労働環境によって全て忘れられた。

 カルロスとつまらないことで口論し、じゃれあった日々も。

 ジーナの美しい横顔も。


 やがて、海軍の抑圧された世界に染まっていくうち、リチャードは上に上り詰めることでしか喜びを見出せなくなっていった。

 上司に取り入るため、もとの海賊仲間を売った。同僚は容赦なく蹴落とした。昇進を勝ち取るため、上司の娘を娶った。愛情などなかった。やがて妻が身ごもっても、リチャードの胸には何か空虚な穴が空いたままになっていた。


 妻を労わることなどないまま、航海に明け暮れた。そしてとうとう、ジャン・ロバンの船を捕獲する。

 後ろ手に縛られ、自分の前に組み敷かれたかつての船長を見下ろし、リチャードは冷酷な顔でサーベルを抜き放った。

 自身の命運が尽きたことを悟ったロバンは、最後に吠えるような哄笑を響かせ、リチャードを嘲笑った。


「てめぇの方が骨の髄まで海賊じゃねぇか!!」


 リチャードのサーベルがロバンの胸に深々と突き刺さり、哄笑は止んだ。ロバンの目から光が失われていくのを見ながら、リチャードの胸は深々と冷え切っていた。


(次は、あいつだ)


 ジャン・ロバンという絶対の頭領を失い、動揺する海賊を次に束ねるのは誰か、もう分かりきっている。


(残るはお前だ。カルロス)


 リチャードは、もうかつての彼ではなくなっていた。






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