終わりの地 8




 セイレーンの二股に裂けた尾ひれが見え、次いで、その下から黒い巨大な影が垣間見えた。

 ジャニの背筋に悪寒が走る。まさか、と思った次の瞬間、セイレーンをその頭に乗せて、漆黒の大蛇が勢いよく水面から飛び出してきた。

 大蛇はまっしぐらに、水晶の柱の上にいるクックに襲いかかった。大蛇に捉えられる寸前、クックは別の柱に飛び移ってその牙を逃れた。勢い余って大蛇の頭が水晶の柱にぶつかり、硬度がそこまで高くない水晶は、真っ二つに砕けてジャニたちがいるところに容赦なく降り注ぐ。


「潰されちまう! 逃げろ!」


 皆、水晶の断片から逃れようと逃げ惑った。しかし、ちょうど柱の真下にいたウルド、グリッジー、メイソンの三人の上に、大きめの断片が落下し、三人の姿が見えなくなってしまった。

 助けに行こうとしたアドリアンだったが、大蛇の襲撃にあってなかなか岩場から抜け出せない。ロンは水晶の破片からルーベルを、身を挺して守っている。いつの間に移動したのか、水晶の柱に腰掛けて、セイレーンは楽しそうに笑い声を上げていた。


「みんな!」


 青ざめた顔で叫び、駆け出そうとしたジャニを、パウロが抱き抱えて横っ飛びに転がった。大蛇の牙が空を切る。苛ついたように大蛇は咆哮を上げ、素早く方向転換してジャニたちに襲いかかってきた。


「こっちだ!」


 パウロはジャニの手を引いて、水晶の柱が連立している隙間に駆け込んだ。水晶が何重にも重なっているので、大蛇が頭突きをしてもその壁は壊れなかった。

 二人が隙間に身をひそめ、息を殺しているうち、大蛇は興味を失ったようにその場を離れた。


「どうしよう・・・・・・」


 柱の隙間に左目をあてがい、ジャニは途方に暮れた。ウルドたちを押しつぶした水晶の断片を見やる。

 三人とも死んでしまったのかと青ざめたジャニだったが、水晶の断片がわずかに持ち上がったように見え、瞠目した。


「・・・・・・あ!」


 思わず声を上げてしまう。

 水晶の断片がゆっくりと持ち上がっていき、やがて隆々と両腕を掲げたウルドが見えてきた。気合いの声を発し、ウルドは思い切り水晶の断片を投げ捨てた。彼の傍には、額や腕から血を流しているものの、グリッジーとメイソンの無事な姿があった。ウルドの怪力が、彼らの生死を分けたようだ。


 ほっと安堵の息をついたのも束の間、大蛇はクックに狙いを定めて襲撃を始めた。襲いかかる大蛇から逃げようと、クックが柱から柱に飛び移る。

 大蛇に薙ぎ倒された柱が次々と降ってくるせいで、下にいるジャニたちは下手に動けない。

 大蛇に追い詰められたクックが、洞窟の壁際に近い水晶に飛び移った時だった。なかなか獲物を捕まえられず、苛立った大蛇が怒涛の勢いで突っ込んできた。

 辛くもクックは大蛇の牙を避けたが、大蛇の硬い鱗に包まれた頭部は、そのままの勢いで洞窟の壁に突き当たる。

 轟音を響かせて、大蛇の頭が洞窟の岩壁を突き抜けた。そこはどうやら外に近い部分の壁だったようで、大蛇が開けた穴から外の光が燦々と振り注いできた。

 大蛇が、忌々しそうに激しく首を振るわせながら、穴から頭を引き抜く。


「あ、あれ!」


 その穴の向こうに目を凝らしたジャニは、息を呑んでいた。

 穴の向こうには、海が広がっていた。湾口を形成する崖の向こうに、禍々しい帆船が黒旗を翻している。


「ゲイルの船がいる・・・・・・」


 呆然と呟くジャニの横で、パウロも動揺の色を隠せなかった。


「ゲイルが!? 俺たちを追ってきたのか!?」


 再び、轟音が洞窟内に響き渡った。しかし今度のは、大蛇が起こしたものではない。それは紛れもなく砲声だった。そして砲弾は、先ほど大蛇が開けた穴の部分に打ち込まれた。

 洞窟に激震が走った。

 砲声はそれから連続で鳴り響き、粉砕された水晶の破片が輝きながら舞い散った。皆、四散する破片から身を守ろうと思い思いの場所に逃げ込む。

 ロンは必死でルーベルの上にかがみ込み、水晶の破片に背中を切り裂かれようと、微塵みじんも動かなかった。

 砲撃を受けた場所には粉塵が立ち込めていて、ジャニの目でも様子が伺えない。

 皆が息をつめて注目する中、粉塵が外からの風に流れ、消えていく。

 うっすらと、長身の人影が浮かび上がった。


「蛇のおかげで、探す手間が省けたな。助かった」


 そう言って進み出たのは、ゲイルだった。

 彼のうしろには、砲撃を打ち込まれて広げられた穴が、ぽっかりと口を開けている。穴の向こうには島の浜辺が広がり、そこからぞろぞろと、ゲイルの手下が洞窟内に乗り込んで来るのだった。

 ゲイルの右手がスッと上がり、振り下ろされる。


「邪魔者どもを排除しろ」








(大変なことになった)


 ジャニは動悸が早くなるのを感じながら、洞窟になだれ込んできた男たちと大蛇の戦いを見ていた。


 ゲイルの手下は何十人もの数で押し寄せたが、大蛇は容赦なく、手当たり次第に男たちに食らいついては飲み込んでいく。あっという間に洞窟内は赤く染まり、水場の水面は赤黒く汚れていった。悲鳴や怒号が響き渡り、にわかに洞窟内が阿鼻叫喚あびきょうかんの絵図と化す。

 男たちは手にピストルやマスケット銃を持って応戦するが、大蛇の硬い鱗に阻まれてなかなか撃退できそうにない。

 そしてクック一同に気づいた手下たちは、即座に銃撃を始めた。火薬が湿り、ピストルが使えないクックたちは水晶の柱の影に隠れ、耐え忍ぶしかできない。


 洞窟の真ん中で熾烈な戦いが繰り広げられている中、少し離れた場所でゲイルが上を見上げていることに気づき、ジャニはどきりとした。

 ゲイルは上を目指して水晶の柱を登るクックを一瞥し、何かを察した様子で自身も水晶の柱を登り始めた。


(どうして・・・・・・ゲイルの狙いは宝じゃないの!?)


 目の前に広がる宝の山には目もくれず、彼は明らかに、頂上で輝くセイレーンの涙を狙っていた。クックもゲイルが上に登り始めたことに気づいたようで、焦ったように速度を上げている。


 爆発音が鳴り響き、ジャニはゲイルから視線をそらして大蛇に目を向けた。

 どうやら、男たちは色々な武器を持ち込んできたようだ。箱にぎっしり詰まった鋳造型の手榴弾を手に取り、男たちは大蛇に向かって投げつけ始めた。


「これでもくらえ!」


 大蛇の鱗にあたった手榴弾はそこまで効果を発揮しなかったが、偶然口に命中したものが大きなダメージを与えたようだ。大蛇は苦しそうに身悶えし、水場に潜って姿を消した。


『あぁ、全く。煩わしい人間どもだねぇ』


 その時、セイレーンの怒気を孕んだ低い声がジャニの頭に響いた。

 慌てて見回すと、水晶の柱の上から忌々しそうに男たちを見下ろしているセイレーンの姿があった。その口が、歪んだ笑みに吊り上がる。


『綺麗に流し去ってやろうか』


 急に、水場の水面が下がり始めた。大蛇との戦いに夢中になっていた男たちは気づいていない様子だ。セイレーンが何かするつもりなのかと怪しんでいたジャニは、上から降ってきたクックの声に顔を上げた。


「お前ら! 早く上に登れ!」


 クックが、必死の形相で手招きしている。

 ゲイルの手下と剣を交えていた他の仲間たちも、クックの声に気づいた様子で上を見上げていた。


「なんで上に登らないといけないんだ!?」

「いいから早く! 時間がねぇ!」


 クックに急かされ、ジャニはパウロと助け合いながら水晶の柱を登り始めた。他の仲間たちも戦闘を放棄して上を目指し始める。

 ロンはぐったりと意識のないルーベルを背中に抱え、アドリアンに助けてもらいながら、頭上にある水晶の柱になんとか体を引き上げた。

 そのすぐ後だった。

 水場から怒涛のように水が噴き出し、洪水もかくやという勢いで男たちを飲み込んだのである。頭上の柱に登っていたクック一同とゲイルは、かろうじて水の襲撃を免れた。

 水流は恐ろしい轟音を響かせながら出口を求めて荒れ狂った。水に囚われた男たちが、必死で水面に浮き上がりながらなすすべなく流されていくのを、ジャニは呆然と見下ろしていた。水の量と勢いはどんどんと増していき、先ほどゲイルたちが砲撃で開けた穴の方へと、濁流となり押し流されていく。


『さて、邪魔者はほとんどいなくなったね』


 大多数の男が洞窟の外に流されるのを見届け、セイレーンが満足げに頷いた。


「なんという力だ・・・・・・」


 戦慄を覚えた様子で、ゲイルが低く呟く。セイレーンの持つ圧倒的な力を前にして、自身の無力さに気付かぬ人間はいないだろう。


(こんなの、どうやって倒せばいいんだろう。“セイレーンの涙“を手に入れても、ここから逃げる術があるのだろうか)


 ジャニは目の前が暗くなるのを感じた。

 せっかく探し求めていたものを見つけたのに、セイレーンにかなう術がないのだ。彼女の歌は無効にできても、その存在を消し去る圧倒的な力が自分達にはない。みんな、この洞窟で死んでしまうのではないか。


(どうして、シレーヌは歌は教えてくれたのに、彼女を倒す方法を教えてくれなかったんだろう)


 ジャニは涙が滲んでくるのをぐっと堪えた。


(私に、何ができるっていうの? なんの力も持っていない私が)


 そのとき、まるでジャニの心を読んだかのように、セイレーンの声が頭に響いてきた。


『哀れな小娘よ。可哀想に。その右目さえあれば、あの男の元で蝶よ花よと育てられ、海になど出ることもなく、幸せな一生を送っていただろうにねぇ』


 ジャニはカッとなって、先ほどセイレーンがいた場所を見上げて怒鳴った。


「この右目を奪ったのは誰!?」

『そうだねぇ。誰だと思う?』


 思わぬところから聞こえてきた声に、ジャニはゾッとして振り返った。

 いつの間にか、セイレーンはジャニのすぐ後ろに腰掛けていた。さっきまで隣にいたパウロは、セイレーンの後ろですくみ上がっている。


 青白い美貌がジャニの視界いっぱいに広がり、狂気を帯びた笑みを浮かべた。


『お前が呪われた理由を、知りたくはないかい?』






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