終わりの地 7




 歌は唐突に始まった。


 下からクックを見守っていたジャニは、クックの体が水晶の柱から滑り落ちるのを見て思わず悲鳴を上げていた。

 しかし、数段下の柱に叩きつけられた際、クックが必死に柱にかじり付いたので落下は免れた。ホッと息をついたのも束の間で、ジャニは仲間たちの様子がおかしいことに気づいた。

 どこから聞こえてくるかわからない、セイレーンの美しい歌声に魅せられたように、皆はしばらく惚けた顔をして佇んでいた。しかしその顔がだんだんと険しいものに変わったと思うと、彼らは自身の武器を抜き放ち、仲間同士で戦い始めたのだ。


「この化け物が! 私が成敗してくれよう!」


 ルーベルのいる岩場にたどり着いたアドリアンが、目の前のロンに向かってサーベルを抜き放つ。ロンも双剣を手にすると、眼光鋭くアドリアンに切り掛かっていった。


「ちょっと! 二人とも何やってるの!? 止めてよ!」

 ジャニが必死で声をかけるが、彼らには聞こえていないようだ。力量が拮抗している二人の撃ち合いは激しく、ジャニは彼らの足元にいるルーベルが心配でならなかった。


 そして、ウルドたちも乱闘を始めていた。グリッジーとメイソンがそれぞれウルドに掴みかかり、彼に放り投げられている。投げ飛ばされた二人がカトラスを手に取り、ウルドが自慢の斧を手に身構えるのを見て、ジャニはゾッとした。このまま戦闘を続けたら、確実に死人が出てしまう。


「止めてよ、みんな! 仲間同士なのに・・・・・・!」


 しかし、いくらジャニが声のかぎりに叫んでも、仲間たちには聞こえていない。

 束の間歌が止み、低い笑い声が洞窟内に反響した。


『良くここまで来たね。まさか人間ごときがたどり着けるとは思っていなかったよ。だが、所詮無力な生き物の集まり。こうしてじっくりなぶり殺してやろう』


 セイレーンの無情な声が、ジャニの頭の中に聞こえてくる。そしてまた歌がはじまった。

 その時、柱の上で必死にセイレーンの歌を耐え忍んでいたクックが、ジャニに叫んだ。


「ジャニ! うしろだ!」


 振り返ったジャニの頬を、鋭いものがかすめて小さく鮮血が散った。痛みに顔を歪めて、ジャニは目の前で短剣を構えるパウロを信じられない思いで見つめた。


「パウロ、やめて・・・・・・」


 パウロの目は、不気味な光をたたえてじっとジャニに注がれている。その瞳にはジャニではなく、別の何かが映っているようだ。幻影でも見せられているのか、パウロは憎しみに溢れる目でジャニを捉え、短剣を振りかぶり襲いかかってきた。

 ジャニは必死でパウロの攻撃をかわし、距離を取ろうと後ろに後ずさる。しかし、右足が空を踏むのを感じて足元に目をやると、すぐ後ろの足場は唐突に終わっており、その向こうには暗い水面が待ち受けていた。

 ジャニが視線を逸らした隙に、パウロが再び襲いかかってきた。逃げ場を無くしたジャニはとっさに短剣を避けたが、足がもつれて転んでしまい、後ろの水場に落下してしまった。

 ひんやりとした冷たさが全身を包む。

 ジャニはふと、既視感を覚えた。


(前にも、こんなことがあった)


 あれは、クックと無人島に取り残された時だ。


(そうだ、歌を聞いたんだ)


 何度も繰り返されたメロディは、今でも頭に残っている。そして、シレーヌと名乗った声が教えてくれたことが、鮮烈にジャニの頭の中を駆け抜けた。


(“この歌を歌えば、セイレーンの歌を封じ込める”って!)


 ジャニは勢いよく水面から顔を出すと、急いで呼吸を整え、可能な限りの声量を振り絞って歌い出した。無人島で教えられた歌を。

 言葉は使わず、単純なメロディだけを忠実に再現する。ジャニの透明感のある声で紡がれた歌は、セイレーンの歌と混じり合い、不思議な二重奏を奏でた。


『どうしてその歌を!?』


 セイレーンの動揺した声が聞こえてきたが、ジャニは歌をやめなかった。


「・・・・・・あれ?」


 やがて、夢から覚めたような顔でパウロが呟き、手に持っている短剣を不思議そうに見下ろした。


「俺、なんでこんなもの持ってるんだ?」


 そして立ち泳ぎをしながら水面に顔を出し、必死に歌っているジャニを見つけると、慌てたようにそばに駆けつけた。


「おい、大丈夫か!? そんなとこで何やってるんだよ!」


 ジャニはホッと安堵のため息をついた。どうやら、セイレーンの歌の効力がなくなった様子だ。差し出されたパウロの腕を取り陸に上がると、他の仲間たちも正気に戻っていた。


「な、何をしていたんだ、私たちは・・・・・・」


 慌ててきっさきを下げ、ロンが呆然とつぶやく。ジャニはすかさず叫んだ。


「みんな、セイレーンの歌に操られていたんだ! 歌に気をつけて!」


 皆はハッとしたように、両手で耳を塞いだ。セイレーンの憤りの叫びが、洞窟の全てを揺るがす。


『小癪な! どうしてお前がその歌を知っているんだ!』


 再び、セイレーンの歌が鳴り響いた。先ほどより音量を増している。耳を塞いでいても流れこんでくる歌声に皆が苦悶の表情をするが、ジャニが歌い出すと、途端に苦しそうな表情が消え、ついには両手を耳から離した。


「あいつの歌が、俺たちを守ってくれてるのか・・・・・・?」


 信じられないという様子で、メイソンが呟く。皆驚愕の表情で、歌うジャニを見つめていた。


「そうか、どうしてお前にだけセイレーンの歌が効かないのか不思議だったんだ」


 柱の上で体制を立て直したクックが、ジャニを見降ろし、合点が入った様子で頷いた。


「お前が、女だからだったんだな。セイレーンの歌は、男にしか効かない」

「おんなぁ!?」


 素っ頓狂な声を上げて、グリッジーとメイソンが目を見開いた。

 ジャニは頬を赤らめたが、歌を止めようとはしなかった。もう、女であることがバレても大したことではないように思えた。今はとにかく、この窮地を脱しないといけないのだ。むしろ、女であることでこの戦いに有利なのであれば、生まれてはじめて女で良かったと思える気がした。

 ぴたりと、セイレーンの歌が止まった。

 一瞬、薄気味悪い沈黙がおち、やがて、地の底から這うような笑い声が洞窟全体を包み込んだ。


『こんな小娘に邪魔されるとはねぇ。あぁ、腹立たしい』


 予兆もなく、洞窟の真ん中にある水場からゆっくりと白銀の頭がのぞいた。次いで、真っ白な顔、青白い上半身が迫り上がってくる。音もなく姿を見せたセイレーンは、息をのんで自分を見つめる人間たちに向かって、戦慄すら覚える美しい笑顔を向けた。


『だが、遊びはこれからだよ』





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