終わりの地 6




 一寸先も見えない暗闇の中を、イルカに連れられてひたすら進む。

 ジャニの恐怖心と息苦しさが限界に差し掛かった頃、突然イルカが勢いよく水面から飛び出した。

 イルカが乗り上げた地面に寝転び、激しく咳き込む。息苦しさで霞んでいた視界が元に戻ると、ジャニは恐る恐る周りを見渡した。


 そこは洞窟の通路の途中のようだった。ジャニとイルカが今きた道は、海面の下に沈んでいる。行先は、なだらかに登っていく道になっている。その道の先からは、ぼんやりと青白い光が差し込んでいた。


「うわぁぁぁ!」


 背後で悲鳴と水飛沫が上がり、振り向いたジャニは安堵した。イルカに連れられたパウロが、ジャニと同じように陸地に放り出されたところだった。ジャニが駆け寄って助け起こすと、パウロは真っ青な顔で荒い息をついていた。


「し、死ぬかと思った・・・・・・」


 心ここに在らずという顔で呟いている。そしてハッと我に帰ると、ジャニを見て眉を吊り上げた。


「まったく、お前が俺のいうことを聞かないから!」

「でも、ここ、デイヴィッド・グレイのアジトだと思う。イルカたちは、私たちをここに連れてきてくれたんだよ」


 目を輝かせて言うジャニを見て、パウロは困惑した顔をした後、さっと青ざめた。


「ということは、セイレーンがここにいるってことだよな・・・・・・!? どうしよう、俺たちここに来るべきじゃなかったのに」


 パウロは怖々とあたりを見回した。

 洞窟内は暗闇に包まれていて、道の向こうからうっすらと差し込む光で、なんとか物の輪郭が識別できる程度だ。あらゆる影にセイレーンが潜んでいるのではないかと、二人は息を潜めて目を凝らした。


 不意に、水面から水飛沫を撒き散らしながら何かが次々と飛び出し、驚いた二人は思わず悲鳴をあげて抱き合った。しかしよく見ると、それはイルカに連れられたクックたちだった。ボートに残ったメンバー全員、イルカに捕まってここまで辿り着けた様子だ。

 皆げっそりとした顔で陸に上がり、必死で肺に酸素を取り込んでいるが、アドリアンだけは上機嫌で笑い転げていた。


「いやー、あんなに楽しい乗り物は初めてだ! もう一回乗りたい!」

「けっ、イカレてやがる」


 グリッジーが低く毒づく。


「ジャニとパウロの掴まったイルカが、真っ直ぐ光の指し示す先に向かうから、まさかと思って追ってきたんだが・・・・・・これは驚いた」


 呼吸が落ち着いたロンは立ち上がり、洞窟の中を見回した。


「とうとう、辿り着いたんだな」


 クックも感慨深げに呟く。その時、それまで楽しげに仲間達とじゃれあっていたイルカたちが、何かに気づいた様に怯えた声を上げ、水中に潜っていなくなってしまった。

 皆で耳を澄ませてみるが、洞窟の中は不気味に静まり返っていて、イルカが何に怯えたのかはわからなかった。


「・・・・・・まぁ、帰りのことはおいおい考えようぜ」


 皆の不安を軽減しようと、クックが肩をすくめる。

 とりあえず、光が差し込む方へと、全員で歩き始めた。

 ボートに積んできた荷物も持って来れず、腰のベルトに差し込んであったピストルは火薬が濡れてしまって使い物にならない。武器はそれぞれの持つ刃物だけで、なかなか心もとない装備だった。


「ここはあいつの住処だ。いつ襲われるかわからない、気を抜くなよ」


 クックの声かけに、皆険しい顔で得物に手をかける。

 洞窟の道は起伏が激しく、山と積まれた小石のようなもののせいで非常に足場が悪かった。足を取られて転んだグリッジーが悪態をつき、その小石様のものを掴んで放り投げようとした。


「お、おいこれ!」


 しかし、何かに気付いた様子で、手に持っていたものを高々と掲げる。


「ここにあるもの全部金貨だぞ!」


 グリッジーの手に持っている丸いものが、微かな光を受けてきらりと光った。クックたちも慌てて足元を手で弄る。


「ほ、本当だ! エルドラの金貨だ、間違いねぇ!」


 両手いっぱいに金貨を持ち上げると、メイソンが興奮した声を上げた。

 彼らの言う通り、足元に小石の様に散らばっているものは、はるか昔に加工されたと見られるエンドラの金貨だった。それこそ山の様に通路を埋め尽くし、無造作に捨て置かれている。金貨の量は、光が差し込む場所に近づくにつれて増えていくようだった。


「やったぜぇ! これで俺たちは億万長者だ!!」


 グリッジーがおもむろに叫び、歓声を上げて走り始めた。大量の金貨に目が眩んで、セイレーンに対する恐怖が吹き飛んでしまったらしい。


「あの馬鹿!」


 クックが慌てて彼を追いかける。皆もその後ろに続いた。

 光が差し込む場所が、目前に迫る。そこは大きく開けた場所の様だった。グリッジーとクックが、呆然とその手前で立ち止まっている。

 彼らに追いついたジャニたちも、目の前に開けた光景に、あっと声を上げたきり、黙り込んでしまった。

 そこは広大な空間だった。

 洞窟は中央にいくにつれ陥没していき、真ん中の深くなっているであろう部分は海水で満たされ、大きな泉のようになっている。泉の中は暗く、何も視認できない。

 そして洞窟の至る所に黄金色の山があるが、それはよく見るとおびただしい量の金貨や宝飾品で作られているのだった。金貨や色とりどりの宝石が散りばめられた宝飾品、純金でできた神像などが、青白い光に照らされて妖しい輝きをまとっている。


 そして何よりも異様なのが、この広大な空間を切り裂く様に存在する水晶だった。柱様の巨大な水晶が、デタラメな方向に洞窟の地面や壁から伸びていて、上にいくに連れ数を増し、複雑に交差していく。白く透き通った水晶が連なる様は、まるで氷の城のようだ。水晶たちは頭上から降り注ぐ青白い光に照らされ、冴え冴えと輝いていた。

 見上げると、四方から水晶の柱がある一点に集まっている場所があり、その中央で何か輝いているものがあった。それが唯一の光源となり、青白い光を放っているようだ。


(あれが、“セイレーンの涙”だ)


 直感で、ジャニはそう思った。まるでその光に呼ばれている様な感覚さえあった。

 一方、クックは洞窟の向こう側にある、小さな岩場に寝そべっている人影を見つけて顔色を変えた。


「ルーベル!」


 豊かな黒髪を打ち広げ、死んだ様に寝そべっているのは、セイレーンにさらわれたルーベルだった。クックの呼び声にも反応せず、ぐったりとしている。

 そちらに駆け出そうとするクックを、ロンが止めた。


「ルーベルは私に任せろ。お前は、呪いを解くものとやらを手に入れるんだろう?」


 クックはしぶしぶ頷いた。ジャニがすかさず声をかける。


「船長! あそこで光ってるの、あれが“セイレーンの涙”だと思う!」


 ジャニがはるか頭上に指を向けると、クックはその高さに一瞬目を剥いた。


「正気か? あそこに登れってことか?」


 困った様に頷くジャニを見て、クックは一度大きく息をつき、濡れてまとわりつくシャツを乱暴に腕まくりした。


「わかった、俺がとってくる」


 そう宣言して、目の前の巨大な水晶の柱に飛び乗る。足を着いた途端、水晶が思いの外滑ったのかクックの体が傾いたが、すんでのところで落ちるのを免れた。全員がホッと息を吐く中、クックは要領を得た様子でどんどん上に登っていく。


「アドリアン、着いてきてくれ」


 ロンはアドリアンを引き連れ、ルーベルのいる向こう側の岩場に移動を始めた。グリッジーはというと、我慢できなかった様子で、宝の山に飛び込んでいる。


「俺たちは宝を運び出す方法を考えよう。お前らはここで待ってろ!」


 メイソンはウルドと共にグリッジーのところに行ってしまったので、パウロとジャニは取り残されてしまった。

 ジャニは、器用に水晶の柱を登っていくクックを見上げながら、両手を願掛けするように握りしめた。


(お願い。このまま何事もなく、セイレーンの涙が手に入りますように!)







 幼少期から船の縄梯子で鍛えられてきたクックには、水晶の滑り具合に慣れてしまえば、登るのは朝飯前だった。

 柱から柱に飛び移り、頭上の柱に飛び付いては体を引き上げたりして、リズム良く頂上に近づいていく。だんだんと、光を放っているものの正体がクックにも見えてきた。


 それは、一抱えもあるような透明な巻貝だった。硝子細工でできているような美しさである。しかも不思議なことに、その巻貝は四方から伸びた水晶の柱の先端で、ふうわりと宙に浮かんでいた。

 光っているのは、その透明な巻貝の中に入っているものの様だった。近づくにつれ強さを増していく光に、クックはたまらず目を細める。

 その巻貝を支えている水晶の柱に到達すると、クックは板渡りをするように柱の上を少しずつ進んでいった。はるか下の方に、ジャニやウルドたちの姿が小さく見える。

 ロンとアドリアンがルーベルのいる岩場に辿り着いたのを確認し、クックは小さく安堵のため息をついた。あとは、自分がこの巻貝の中に入っているものを手に入れればいいだけだ。

 巻貝に手を伸ばせる距離まで近づくと、クックはしゃがみ込んで、中に入っているものを確認しようと目をすがめた。光が強すぎてぼんやりとしていた視界が、だんだんと像を結ぶようになる。そして中にあるものを見て、クックは思わず息を呑んでいた。


 小指の先ほどの艶めく真珠が、ふた粒、巻貝の中心に浮かんでいたのだ。


 それは漆黒の真珠だった。角度を変えて見ると、妖しい紫の輝きがチラリと瞬く。その真珠が放つ禍々しい青ざめた光で、巻貝の中は満たされていた。


(これが、“セイレーンの涙”・・・・・・)


 クックは魅せられたように真珠を見つめていた。重力を無視して、真珠は巻貝の中心をゆっくりと回転している。


(本当に、存在するとは)


 クックの脳裏に、埋もれていた記憶の断片が浮かび上がった。


「セイレーンなんているわけないだろ!」


 少年の高い声が耳に蘇る。あれは、幼い頃のロンの声だ。


「いや、絶対いるね!」


 それに対抗して、尖った声を出しているのは自分だ。

 カルロスの船で出会ったばかりの頃、クックとロンは、ことあるごとに口論していた。


「シーモンスターなんて迷信さ。昔の船乗りたちが、頭で理解できない不可思議な海の現象を恐れて作り上げた幻想だよ。そんなのを信じるなんて、馬鹿げてるね」


 腕を組み、こまっしゃくれた口をきいている幼いロンは、今よりもだいぶ好戦的だった。あの頃のクックは、彼のそんな態度が気に食わなくて、ことあるごとに突っかかっていた気がする。


「わかったような口きいてるけど、お前はそういう、頭で理解できないものが怖いだけだろう? だから簡単にいないなんて断言できるんだ。世界中の海を旅したこともないくせにさ!」


 クックが言い返すと、ロンの眉がピクリと跳ね上がった。彼のプライドを傷つけたらしい。今にも取っ組み合いを始めそうな二人を止めたのは、大男の太い声だった。


「お前ら止めねぇか。顔を合わせれば喧嘩しやがって、まったく。暇な奴らだな」


 赤いバンダナを巻いた、縮れ髪の男が二人の前にのそりと現れた。ロンは男の姿を見た途端、逃げるようにその場を去ってしまった。


「だって、カルロス! ロンがシーモンスターはいないって言うんだ! セイレーンも、クラーケンも、この海のどこかには存在するよな!?」


 クックが言うと、カルロスは何か思い出すような遠い目をして、低く笑った。


「俺も昔、同じようなことで喧嘩したなぁ」


 そして、不満そうに口を引き結んでいるクックに目を向けた。


「クラーケンはしらねぇが、セイレーンはいるぞ」

「本当に!?」


 クックは目を輝かせてカルロスを見た。カルロスは真顔で頷く。


「あぁ。美しい歌声で男を誘惑し、海に引き摺り込む魔物。気に入った人間に呪いをかけて、楽しんだりすることもあるみてぇだな」

「呪い? そんなものかけられたら、どうすればいいんだ?」


 クックが不安げな顔で問いかける。カルロスは勿体ぶった様子で、「知りてぇか?」と彼の顔を覗き込んだ。

 クックが激しく首を縦に振るのを見て、カルロスは満足そうに微笑む。


「もし呪いにかけられたらな、“セイレーンの涙”を探すんだ。前にお前とロンに話した、デイヴィッド・グレイの宝とともにそれは眠っている。この海のどこかで」


 カルロスは水平線の向こうに視線を向けた。


「俺も長い間探してるんだ。だが、手がかりがないからなかなか難しくてな」

「カルロスは、呪われてるのか? だからそれを探してるのか?」


 クックが聞くと、カルロスは「俺じゃねぇ」と首を振って笑った。


「呪いをな、解いてやりたい奴がいるんだ」


 そう言う彼の眼差しは、ハッとするほど優しかった。


(おっと、思い出に浸ってる場合じゃねぇ)


 クックは軽く首を振って我に帰ると、巻貝を取ろうと慎重に手を伸ばした。

 その時。洞窟全体に不気味な笑い声が響き渡り、クックの足元の水晶がビリリと震えた。

 身構えるクックの耳に、あの美しい歌声が滑り込んでくる。


(これは、あいつの・・・・・・!)


 両手で耳を塞ごうとしたが、遅かった。

 突然の大音量で放たれた歌声は洞窟内で何重にも反響し、海の上で聞いたものより何倍もの威力でクックを襲った。

 クックの視界が暗く狭まり、彼は水晶の柱から滑り落ちた。







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