終わりの地 5
ジャニとクック以外、ボートに誰が乗っていくかについては少し揉めた。アドリアンが同乗するといって聞かなかったのだ。
「アジトが見つかった場合、あの化け物からミス・ルーベルを救う戦いになるかもしれないんだろう!? 絶対に私の力が必要になる! 私は断固としてついていくぞ!」
そう言い張るアドリアンに、クックは呆れた顔を向ける。
「お姫様を助ける王子になりたいってか」
「その役は君に譲ろう」
アドリアンは勿体ぶった仕草で、クックの肩に手を置いた。
「君の愛する人を奪い取ったりはしないよ。君のミス・ルーベルに対する想いは充分伝わったからね。私は君たち二人の行方を応援したいんだ。そして、戦友として君の役にたちたい!」
暑苦しいほどに熱を帯びたアドリアンの口調に、クックは真っ赤になって彼を押しやった。
「うるせぇ! わかったからとっととボートに乗れ!」
もう一人、ボートに乗ることを強く志願するものがいた。パウロだ。
「もしセイレーンとの戦闘になったら、君も無事じゃ済まないかもしれない。やつの歌に狂わされたら、私たちも君を守るのは難しいだろう。船に残ってはくれないか?」
「でも・・・・・・」
ロンが説得を試みるが、パウロは頑なな表情を崩そうとしない。そしてちらりと彼が視線を向けた先を見て、ロンは合点が入った。彼が心配そうに見ていたのはジャニだった。
インフィエルノ号から助け出してから、ジャニの様子が今までと違うことにロンも気づいていた。天真爛漫さは影をひそめ、どこか自信なさそうに皆の顔色を伺うようになった。パウロはそんなジャニを守ろうとするように、常に側にいて面倒を見てやっていた。
(今のジャニは情緒不安定だ。彼の存在が必要かもしれない)
ロンはそう思い直し、パウロに視線を戻した。
「わかった。じゃぁ、これだけ約束してくれ。謎が解けて、アジトの場所がわかったら、君はジャニを連れて船に戻るって」
「はい、約束します!」
パウロがほっとしたように笑顔を見せる。
結果、クック、ロン、ジャニ、パウロ、アドリアン、ウルド、グリッジー、メイソンの八人を乗せて、ボートは島の入り江にゆっくりと近づいていった。
「あの波がぶつかってるところに気をつけろよ。あっという間に転覆するからな」
クックが湾口部のあたりを指差して注意する。そこでは、高い波が崖にぶつかって水飛沫を巻き上げていた。湾を形成する崖の形によって、潮流が複雑になり、外海から来るものを拒むような海流を生み出している。ボートであの潮流を超えるのは不可能だろう。
「美しいな。こんな赤い島がこの世に実在するとは」
アドリアンが島を眺めながらうっとりと呟く。目前に迫った赤い島を前にして、みな、彼の言葉に頷いた。
ジャニはひたすら、東の崖を眺めていた。沖からはよく見えなかった、奇岩の全容が見えてくる。奇岩に空いた、自然にできたとは思えない不可思議な穴を見ていくうち、一つの穴に目を奪われた。
「船長! あれ! あの穴、三日月の形に見えませんか?」
ジャニが指し示す先を皆が注視する。
ジャニの言う通り、天に向かってそびえる奇岩のてっぺんに、三日月のように弓形に弧を描いた穴が空いていた。形は奇跡的な美しい円を描いている。その穴からも、夜明けの太陽の光が差し込んでいて、まるで本当に三日月が輝いているように見えた。
「“夜明けの太陽と月の光が交わり・・・・・・照らす”」
ロンが呟く。クックがハッとしたように、ジャニを見た。
「あの穴から差し込む光が、アジトの場所を示しているってことか!?」
ジャニはおずおずと頷いた。
「多分、そうだと思います。あの三日月の形をした穴に太陽の光が差し込むことで、太陽と月の光が交わると表現しているんじゃないかと」
ジャニは目をすがめて、三日月型の穴を見上げた。
「それに、あの穴のところ、何かキラキラ光るものが置いてあるみたいなんです。ほかの穴から差し込む光は全部同じ方向を指しているのに、あの穴に差し込む光だけ違う方向を指している。だからきっと、鏡のようなものが置かれているんじゃないかと思うんです。どの方角から光が差しても、ある一定の方向に光を反射して指し示すように」
皆驚いたようにジャニを見た。メイソンが訝しげな顔で口を開く。
「お前、本当にジャニなのか? 口調もなんかおかしいしよ。ゲイルの船で別人と入れ替わっちまったみてぇだぞ」
ジャニはたじろいで視線を彷徨わせた。メイソンの言っていることはほぼ的を得ている。だがきっと、説明しようとしても自分でもうまくできないし、皆に理解されるかどうかも怪しいところだ。
そんな気まずい空気を破るように、アドリアンがパンと手を叩き、声を上げた。
「とにかく、よかったじゃないか! 謎は解けたんだ。あとは光が指し示す場所に行けばいい!」
「しかし、また一つ問題がある」
アドリアンの言葉に水を差したのはロンだった。
三日月の穴から差し込む光の先を指差す。一つだけ他の光線と軌道を逸したその光の筋は、まっすぐに西の崖の一角を目指しーー海の中へと差し込んでいた。
「おいおい、光は海の中を指し示してるぞ」
「アジトは海に沈んじまってるってことか?」
グリッジーが信じられないと言う顔で呟き、メイソンは空を仰いだ。
「ここまで来てそりゃねぇよ!」
「潜って確かめてみないと、わからないですよ! 俺、泳いで見てきます!」
シャツを脱いで海に飛び込もうとしたパウロを、クックが慌てて止めた。
「やめろ! あの潮流に巻き込まれたら、崖に叩きつけられて即死だぞ!」
光が指し示す場所は、危険な潮流のすぐ先にあった。あの潮流を超えないと辿り着けない。かといって、船やボートで越えようとすると崖が近すぎて座礁の恐れがある。泳いでいくのも自殺行為だ。
「デイヴィッド・グレイがこの島に宝を隠したのもだいぶ昔のことだ。その間に海面が上昇して、アジトの入り口が海に沈んだと考えられるな」
ロンが冷静に分析するが、手詰まりなことに変わりはない。
「どうしたもんか・・・・・・」
再び、みなで頭を抱えた。目的地を目前にして足止めされ、歯痒さに苛立ちが募る。
(ここまできたのに)
ジャニも項垂れていた。自分の力が役立つかと思ったのに、またしても行き止まりだ。
『彼らを・・・・・・呼んで・・・・・・』
ふいに、ジャニの耳朶に微かな声が聞こえた。風の悪戯かと思うような声に、ジャニは訝しげに顔を上げた。
(どこかで、聞いた声)
吹き荒ぶ海風に混じって、物悲しいメロディが途切れ途切れに聞こえて来る。そのメロディを聞いた途端、ジャニの中で埋もれていた記憶が鮮やかに蘇った。
(無人島で聞いた歌!)
思い出してすぐ、ジャニは自身のポケットをまさぐった。
今まで存在を忘れていたので、無くなっていたらどうしようと焦ったが、それは確かな存在感を持ってジャニの手の中に収まってきた。
恐る恐る開いた手に乗っていたのは、美しい桃色の巻貝だった。
『あなたがたの求める場所に行くときに、これを吹くのです。きっと彼らが連れて行ってくれますから』
シレーヌと名乗った人物の、優しい声音を思い出す。ジャニは一瞬ためらったのち、巻貝に口をつけて思い切り息を吹き込んだ。だが、何も音は鳴らない。
「ジャニ、何してるんだ?」
訝しげにパウロが問いかけるが、ジャニは答えることなく再び巻貝にありったけの息を吹き込んだ。やはり、掠れた空気の摩擦音がするだけで、音らしきものは出てこない。
(やっぱり、ただの夢だったんだ・・・・・・)
あまりの落胆に、ジャニは両腕を力なく下ろした。
「ひとまず、島に上陸して、内湾から行く方法を考えよう」
クックがそう指示を出し、比較的流れの緩やかな湾口部の中心を通って島に上陸する運びとなった。ウルドがオールを操作して、船の向きを変えたときだった。
「ん? あそこに今なんか見えなかったか?」
沖の方を見ながら、メイソンが声を上げた。その方向に目を向けたジャニは、どくっと心臓が激しく打つのを感じた。
外海に、灰色の三角形のものが垣間見えたのだ。驚くべき速さで波を切り裂き、こちらに向かって来る。それも、一つや二つではない。十近くの数が群れて迫って来る。
「さ、サメ!?」
パウロも気づき、慌てて腰を浮かせたせいで、ボートがバランスを崩して大きく揺らいだ。
「サメだと!?」
「こ、こっちに来るぞ!」
グリッジーとメイソンも背びれの群れに気づき、パニックを起こして立ち上がりかける。揺れが増長して危うくボートが転覆しそうになる中、クックが一喝した。
「落ち着け!あれはサメじゃない!あれはーー」
近づいてきた背びれのうちの一つが勢いよく水中から飛び出し、水飛沫を撒き散らしながらボートの真上に飛び上がった。呆然と見上げる船員たちの頭上を、流線が美しい灰色の体が躍動していく。
そのつぶらな黒い瞳と目があったとき、ジャニは嬉しさを堪えきれず叫んでいた。
「イルカだ!!」
灰色の背びれの正体は、可愛らしいイルカだった。ものすごい速さで近づいてきたイルカの群れは、次々と水面から飛び上がり、からかうようにボートのまわりでジャンプしては水飛沫を巻き上げた。
「な、なんでいきなりイルカが俺たちのところに来たんだ!?」
思い切り水をかけられずぶ濡れになったグリッジーが、顔に張り付いた髪をかき上げながら叫ぶ。ジャニはハッとして、手に持っていた桃色の巻貝を見下ろした。
(もしかして、これのせい・・・・・・?)
ボートを取り囲み、イルカたちは何か指示を待つように、水面から顔を出してこちらを向いている。自分のすぐ近くにいるイルカに向かって、ジャニはこっそりと声をかけた。
「これを聞いて来てくれたの?」
桃色の貝を見せると、イルカは嬉しそうに甲高い声で鳴いた。ジャニにはそれが肯定の仕草に見えた。貝を吹いても何も聞こえなかったが、もしかしたら人間には聞こえない音を発していたのかもしれない。
「野生のイルカが群れで近づいて来るなんて、普通ありえない。何が起こっているんだ?」
ロンが困惑の表情で呟いている。ジャニ以外は、突然イルカに取り囲まれて戸惑っている様子だ。
ジャニの目の前にいるイルカが、何か急かすように尾びれを水面に叩きつけている。ジャニはイルカの艶やかな頭に手を伸ばした。恐る恐る触れると、イルカの頭はゴムのような不思議な質感をしていた。賢そうな黒い丸い目が、こちらをじっと見つめている。
(何て可愛い生き物なんだろう)
本でしかイルカのことを知らなかったジャニは、彼らが想像よりも愛くるしい姿をしていたので舞い上がってしまった。抵抗されないのをいいことに、頭から背びれまで撫でていく。
「おい、こいつらも結構鋭い牙があるんだからな。危ないからあんまりいじるなよ」
パウロが不安そうに声をかける。「大丈夫」と返そうとしたジャニが、イルカの背びれに両手で捕まった時だった。
突然、イルカが凄い勢いで泳ぎ出し、背びれに捕まっていたジャニはあっさりとボートから飛び出してしまった。悲鳴を上げるジャニにおかまいなく、イルカはジャニを引っ張ったまま波を突っ切って泳いでいく。
「ジャニ!!」
背後からパウロの悲鳴が聞こえた。振り返ると、ジャニを追おうとしたのか、パウロも他のイルカの背びれに捕まってこちらに向かっていた。その向こうでは、ボートに乗っているクックたちがこちらを指差して何か叫んでいる。
ジャニはイルカが向かう先を見て、ぞっとした。イルカは例の激しい潮流の方に向かっていた。その先には、三日月の穴から差し込む光が指し示す場所がある。
(もしかして、アジトに私たちを連れて行こうとしてる!?)
気づいた頃には、潮流は目の前に迫っていた。今手を離しても、滝壺のようにごうごうと渦巻く波に巻き込まれ、無事では済まないだろう。ジャニは思わず息を止め、あらん限りの力を込めてイルカの背びれに捕まった。
潮流に巻き込まれる、と覚悟した瞬間だった。ぐんと海中に引き摺り込まれたかと思うと、ものすごい力で上に引き上げられ、気がつくとジャニはイルカと共に空中を浮遊していた。
恐ろしい音を立てている潮流を飛び越える。
そのまま、イルカは海の中に深く潜って行った。目を瞑るジャニの体を引き剥がそうとするように、四方から激しい海流が襲いかかって来る。もみくちゃにされながらも、ジャニは必死でイルカにしがみついた。ここで手を離したら、確実に命はないだろう。
それは、永遠にも思える時間だった。耳を押しつぶそうとする水圧を耳抜きして軽減しながら、ジャニはひたすら耐えた。音もなく、冷たく重い海の中は、想像を絶する恐怖だった。
やがて、海流の勢いが弱まり、耳の痛みにも慣れたジャニは、そっと目を開けてみた。そして、見えてきた景色に絶句した。
まるで、異世界のようだ。
どこまでも深く青い世界に、浮遊する魚の群れ、カーテンのように揺らぐ海藻、静かな、あまりにも静かな音のない世界。
(夜空の中にいるみたい)
ジャニはそっと胸の中で呟いた。海の下に、こんな別世界が存在するなんて思いもしなかった。まるで流れる時間が違うようだ。ここでは、人間の存在なんてとるに足らないものに違いない。
永遠に海の底の景色を堪能していたかったが、ジャニは息が苦しくなってくるのを感じて焦った。取り込んだ酸素の限界が近いようだ。
はるか前方に、霞んではいるが、聳え立つ島の岩肌が見える。その一部に洞窟のような穴が開いていることに気づき、ジャニはハッとした。水面から差し込む一筋の光が、まっすぐその洞窟を指し示していたのだ。
(あれが、アジトの入口に間違いない!)
イルカはまっしぐらにその洞窟に向かって行った。洞窟が目前に迫ったとき、はるか下の方に巨大な影が沈んでいることに気づいて目を凝らしたジャニは、危うく息を吐き出してしまいそうになった。
そこには巨大な沈没船が、鯨の死骸のようにひっそりと朽ちていたのだ。
沈んでから、長い時間が経過したに違いない。海藻や珊瑚に覆われた船体は、人工物であったことが信じられないくらい海と同化している。真っ二つに裂けた船体の中では、暗闇に紛れて多くの魚たちが戯れていた。
(あの船って、もしかしてデイヴィッド・グレイの・・・・・・)
ちらりとそんな考えがジャニの脳裏をよぎったが、イルカが洞窟に飛び込んだことで突然視界が真っ暗に閉ざされ、何も考えられなくなった。
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