終わりの地 2
翼獅子号の船長室で、ロンは深い後悔に沈んでいた。
(あの時、クックの体が限界に達していることにもっと早く気づいていれば・・・・・・)
彼の目の前には、寝台に横たわるクックがいた。
今までになく青い顔色で、至る所包帯が巻かれた体は痛々しい。額には大粒の汗が滴り、だいぶ高熱が出ていることが窺えた。
ロンは傍の水盆に手ぬぐいを浸すと、しっかり絞ってクックの額に乗せた。
(クックにゲイルの相手をさせるべきじゃなかった)
インフィエルノ号の奇襲に成功した際、クックにゲイルの足止めを頼んだことを、ロンは深く後悔していた。ゲイルと互角に渡り合えるのはクックくらいしかいないと思い、安易に頼んでしまったが、思っていたよりもクックの怪我は深刻な状況だったのだ。
おそらく、あの時点で高熱も出て、眩暈なども生じていただろう。あの時自分が無理をさせなければ、クックが船から落ちることもなかったし、ルーベルが
(しかも、キアランに宝箱の鍵を奪われるとは・・・・・・)
ロンは強く唇を噛んだ。
キアランと対峙し、どちらが船の主導権を得るか競った結果、船員たちはロンを選んだ。その決着に納得せずキアランが船で暴れ回ったのだが、どさくさに紛れて宝箱の鍵を掠め取っていたことに、ロンはつい先ほどまで気が付かなかった。
自分達の手元にはアジトの島に印をつけた海図があるため、進路に困ることはないが、問題はキアランがゲイルの船に乗っていると言うことだ。
(キアランが宝箱の鍵を持っているとなると、ゲイルたちもアジトの島に来る可能性は高い)
あのキアランのことだ。生き残るためにアジトまでの道案内を買って出ることだろう。そうなったらゲイルも、キアランのことを殺せないはずだ。アジトでゲイルと鉢合わせすることになったら、一悶着起きることになるだろう。
ロンは、クックの熱にうなされている顔を見下ろした。ルーベルがセイレーンに
「早く、明日までにアジトの島に行くんだ! 全ての帆をはれ! 西北西に進路を向けろ!」
矢継ぎ早に操船の指示を飛ばし、もう限界の体を鞭打って歩き回るクックを、バジルが羽交締めにして止めた。
「お前はもうそれ以上動くな! 死ぬ気か!」
「うるせぇ!!」
バジルの腕を振り切り、クックは真っ青な顔で彼を睨みつけた。
「休んでられるわけがねぇだろう! 明日の日没までに呪いを解かないと、あいつは死ぬんだぞ!」
胸が張り裂けるような声だった。思わず口をつぐむバジルに、クックは詰め寄る。
「呪いを解くには、“セイレーンの涙”が必要なんだ。それはデイヴィッド・グレイのアジトにある。セイレーンも、ルーベルと一緒にそこにいるはずだ。俺が必ず、あいつの呪いを・・・・・・」
何かに憑かれたように喋り続けていたクックが、突然意識を失って倒れ込んでしまった。
彼を抱き止めたのは、背後に忍び寄っていたロンだった。その手には治療用の針が握られている。クックの首筋に針を刺して、問答無用で気絶させたのだ。
ぎょっとした顔のバジルに、ロンはため息をついて見せた。
「こうでもしないと、こいつが大人しく治療を受けるわけないだろう。今はともかく、こいつを寝かして回復させるのが先だ。進路はそのまま、全速でアジトの島に向かってくれ」
「あ、あぁ。わかった」
クックを担ぎ、船長室まで引きずっていく途中、クックがうわ言のように自分の耳元で呟いた言葉が、ロンの頭から離れなかった。
「あいつが、死ぬことの方が、怖い・・・・・・」
その言葉はロンの胸の深いところを
「お前の弱音なんか、聞きたくなかったよ」
クックを見下ろし、ロンはぽつりと呟く。しかし、彼が本当に知りたくなかったのは、クックのルーベルに対する揺るぎない想いだったかもしれない。
(あんなお前を見たら、諦めざるを得ないじゃないか)
そう思う胸の片隅で、疼くような痛みがある。ロンのルーベルに対する想いと、クックとルーベルを見守りたいという気持ちが交差する。白黒つけられない気持ちを抱えつつ、ロンは最終的に自分のとる行動が予測できていた。それがまた、悲しい。
ロンはやりきれない思いをため息で吐き出して、席を立った。
気分を変えるために、マハリシュが自分に与えてくれた医学書をパラパラとめくる。ずっと前から欲しかった本だったが、セイレーンが実在すると知ってからは、医学や化学があんな自然の体現者に太刀打ちできるのだろうかと虚しさを感じていた。
(呪いを解く薬なんて存在しないだろうしな)
自嘲気味に笑いつつ、本に目を通していたロンの目が、あるページで止まり、見開かれる。
(・・・・・・これは!)
その時、船長室のドアが遠慮がちにノックされ、アドリアンが顔を覗かせた。
「入っても構わないだろうか?」
何か思いつめた顔のアドリアンを見て、ロンは頷いて見せた。アドリアンは静かに部屋に入ると、寝台の傍に立って、眠っているクックを見下ろした。
「・・・・・・以前話していた、ミス・ルーベルの昔の男というのは、彼の事なんだな」
おもむろに、アドリアンが口を開いた。ロンは驚いてアドリアンを見た。
「誰かに聞いたのか?」
「いや、あの二人を見ていれば、さすがの私でも気づくさ。彼らがただならぬ関係だったことくらい」
アドリアンは寂しそうに苦笑した。
「ミス・ルーベルにとって、その男の存在が非常に大きいことには気づいていた。男の話をする時の彼女から、隠しようのない寂しさを感じたから。その度に、彼女の目には自分はうつっていないのだと苦しくなった。だが、いつかゲイルを倒して、彼女の望むものを取り返せば、きっと私を見てくれると信じていた」
一気に思いを吐露して、アドリアンは束の間、口を閉ざした。
「だが、あの二人を見ていると、言葉を超えた繋がりを感じてしまうんだ。私ではきっと、彼女を幸せにはできない。彼といれば、ミス・ルーベルは幸せに笑っていられるのかもしれない」
アドリアンは何か堪えるようにクックの寝顔を見つめ、再び口を開く。
「しかし、今はそんなことなどどうでもいい。なんとしても、彼女を助けたい。もう私を愛することがなくとも、彼女の笑みをもう一度見たい。彼女が幸せで、生きてさえいてくれれば、それでいい。だから、私は全力で君たちの力になろう」
そう言って自分に右手を差し出したアドリアンを、ロンは眩しそうに見つめた。
胸の片隅が何やら痛痒い。今まで、アドリアンのことを少し頭の弱い若者だと思い込んでいた自分が恥ずかしくなった。
彼はこんなにも真っ直ぐに、自分が言葉にできないでいた気持ちを紡いでくれたのに。
ロンは何かを吹っ切るように深呼吸すると、アドリアンの手をとった。
「ありがとう。必ず、彼女を助けよう」
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