奪われた心 6




「邪魔だ、どけ!!」


 船室へと降りる階段の上から、駆け登ってきたゲイルの手下たちをバジルが容赦なく義足で蹴り落としていく。

 蹴り飛ばされた男は、周りの男たちを巻き添えにして階段を転げ落ちていった。その横を、バジルとロンは素早く駆け抜ける。

 義足ながらも未だ衰えぬ剣の腕をふるうバジルと、双剣を鮮やかに繰り出すロンは、次々と襲いくる敵を薙ぎ払い、インフィエルノ号の船内に乗り込んでいった。


 二階分ほど階段を降りた頃だった。

 聞き覚えのある声を聞きつけ、ロンは声のする方に駆け寄った。その階の一角には牢屋が設けられていて、中には数人の人影があった。そのうちの一人が、ロンに気づいて柵のほうににじり寄ってくる。


「ロン! どうしてあなたが!?」


 牢屋の傍に掲げられているランタンの光に照らされ、驚いて目を丸くしたルーベルが姿を現した。ロンは安堵のため息をつく。


「よかった、無事だったか」

「おや、君は、クックの相棒の!」


 アドリアンもロンを見て近寄ってきた。二人とも、後ろ手に縛られている以外は目立った傷もなさそうだ。彼らの背後には、奴隷として捉えられたのか、同じように縛られた人々がいる。

 ロンは先ほど牢屋番を倒して奪ってきた鍵を使い、扉を開け放った。


「話は後だ、翼獅子号が接舷している。すぐに乗り移れ。バシリオの船に行手を遮られる前に逃げなきゃならない」


 ルーベルとアドリアン、他に囚われていた人たちの縄をバジルがカトラスで切り落としていく。自由になった手をさすりながら、ルーベルはロンにすかさず尋ねた。


「あの人は無事なの?」


 ロンは苦笑して見せた。


「あいつがそう簡単に死ぬわけないだろ? まぁ、だいぶ弱ってはいるけどな」


 バジルとロンに率いられる形で、ルーベルとアドリアン、その他囚人たちが甲板に上がる階段に向かうと、下の階から上がってきたパウロたち三人と鉢合わせした。ロンはパウロに手を引かれているジャニを見て、ほっと安堵のため息をついた。


「よかった! ジャニ、無事だったのか!」


 しかし、ジャニはロンとバジルの視線から逃れるようにパウロの背後に隠れて、何も言わなかった。ロンはその様子に違和感を覚えたが、ウルドが持っている武器に意識が向いた。


「それ、クックのファルシオンか!」


 ウルドは手に持っていた複数の武器をこちらに掲げて見せた。


「船倉にあった。多分、捕らえた人たちから奪った武器だ」


 アドリアンのサーベルと、ルーベルの短弓も武器の中に混じっていた。囚人たちが武器を取り戻したところで、皆は大混戦を来している甲板に躍り出た。

 マストの下敷きにされていた男たちは、何人か這い出て翼獅子号から乗り込んできた船員たちと白兵戦を繰り広げていた。ロンはバジルに顔を向けた。


「バジルは皆と一緒に翼獅子号に戻って、船を離すよう指示してくれ。バシリオの船に回り込まれたら終わりだ。俺とウルドはクックと残って、最後まで足止めしておく。船がギリギリまで離れたところで乗り移るから、合図してくれ」


 バジルは心を落ち着けようとするように、禿頭をつるりとなでた。


「お前も、クックと変わらず無茶な作戦たてるよな。なんだかんだ、お前らは似た者同士だ。でも、助からねぇと元も子もないからな。とっとと戻ってこいよ」

「わかってる。必ずクックを連れ帰る」


 ロンは力強く微笑んで見せた。バジルは一つ頷くと、囚人たちを引き連れて翼獅子号へと突進していった。ルーベルが、不安げにこちらを振り返っている。

 ロンはその視線を振り切って、ウルドと共に、ゲイルと剣を交えているクックの傍に駆けつけようとした。

 その時だった。

 インフィエルノ号の深部が、軋むような不穏な音を立てたのだ。それと同時に、微かに地震のような足元の揺れを感じ、ロンはハッとして足を止めた。


(この振動は・・・・・・!)


 船べりに駆け寄って、船体に叩きつける波間に目を落とす。心なしか、海が荒れ始めているように見える。そして、海面の下を何か黒い巨大な影が通り過ぎるのを見て、ロンは青ざめた。


「どうしてここに・・・・・・」


 影はするするとインフィエルノ号を通り過ぎ、バシリオの船に向かっていった。








「どういうことだ!」


 バシリオは、目を血走らせて目前の二隻の帆船を見ていた。その片方の船、翼獅子号からは執拗に砲撃が飛んでくる。バシリオの船は風下に位置していたため、向こうからの砲撃も距離が伸び、かなりの打撃を受けていた。


「翼獅子号の風上に回り込め! インフィエルノ号と挟み撃ちにすれば、あんな船さっさと沈むだろう」


 翼獅子号の奇襲に驚いたものの、バシリオは即座にそう判断し、操帆を指示した。


「くそっ、キアランのやつ、しくじったか」


 バシリオが顔を歪ませると、左顔面に刻まれた蛇のタトゥーが妖しくうねった。


 以前、トルソの街中でキアランを見かけたバシリオは、ゲイルの傘下に入らないかと声をかけた。

 自分の商売を邪魔した憎きクックの一味は大体把握していた。その中でも、バシリオはこの男に前から目をつけていたのだった。

 キアランは一等航海士の身でありながら、いつもどこか不満を滲ませていた。圧倒的カリスマを持つクックの力量は認めつつも、二番手に甘んじている自分の立ち位置に歯がゆいものを抱えているように、バシリオは感じていたのだ。


「クックは確かに戦闘能力も高く、航海術にも優れている。船長になるにはもってこいの男だ。だが、俺はあいつの偽善的なところが嫌いだ。利益に目を向けないで、義賊じみた仕事しかしないとこがな」


 そう言うと、最初はしかめ面で知らんぷりしていたキアランの目が、ちらりとこちらを見たのをバシリオは見逃さなかった。彼はすかさず畳み掛けた。


「センテウスの私掠船になるわけでもなく、どこの国にも迎合しないあんたらの船はそのうち終わる。この戦乱の世だ、勝ち馬に乗らないでくたばる奴は五万といる。

 あんたはこのまま、あの小さい船の一等航海士なんかで終わるような男じゃないだろう? ゲイルの強力な後ろ盾を得て、エンドラの甘い汁を啜りたいとは思わないか?」


 キアランの自己顕示欲を煽り、大きな報酬をちらつかせ、バシリオは彼を寝返らせることに成功した。これで翼獅子号を奪い、クックへの復讐を成し遂げれば、積年の恨みを晴らすことができる。

 そう思っていたのだが。やはり、大した男ではなかったようだ。


「翼獅子号を手に入れられないのは残念だが、沈めるしかねぇな。クックを逃すのだけは阻止しねぇと」


 じわじわと翼獅子号に迫る船の船首で、バシリオは神経質に指の爪を噛んだ。クックを逃したらデイヴィッド・グレイの宝のありかもわからなくなる。そうなったら自分がゲイルにお払い箱にされるのは必至だろう。

 ふいに船が大きく揺れ、バシリオはとっさにたたらをふんで眉をひそめた。


「なんだ? 何かぶつかったのか」


 また、振動が襲った。今度は船が締め付けられるような不気味な音が響き渡った。皆、気味悪そうに辺りを見回している。今は翼獅子号からの砲撃も止んでいるため、音の出どころがわからないでいた。


「お前ら、手を止めるな! 翼獅子号に向かって砲撃を準備しろ! 退路を塞ぐんだ!」


 部下たちに指示しながら、バシリオは船縁に歩み寄って海面を見下ろした。

 波は先ほどに比べて高くなっているようだった。船体に叩きつける波が白い飛沫を上げて飛び散る。その荒い波間をじっと観察していたバシリオは、何かに気づいたように目を見開いた。

 黒い巨大な影が、船体を取り囲むようにゆったりと泳いでいるのを見つけたのだ。その一部が海面の近くまで浮上し、海を割って姿を現した。まるでボートのマストのように黒い背板がずらりと並んでいて、体は艶やかな漆黒の鱗が隙間なくびっしりと覆っている。鱗は鉄製のような鈍い光を放っており、その頑丈さが窺えた。

 はすぐに海中に姿を消し、巨大な影は見えなくなった。バシリオは数歩後ずさり、今見たものが信じられない様子で生唾を飲み込んだ。


「な、なんだよ今のは・・・・・・」


 思わず声が震える。

 何か、人知を越える生物を目にした気がして、バシリオの足はすくんでいた。

 シーモンスターも神仏も信じることなく人の命を商品として売り捌いてきた男が、初めて感じる恐怖だった。

 突然、勢いよく海を割って巨大な生物が姿を現した。

 滝のような波飛沫の中で、漆黒の鱗に覆われた体が見上げるような高さまでそそり立っている。その先端にある頭部は、人間など丸ごと飲み込んでしまいそうな大きさだ。

 黒い岩のような頭部ががばっと裂け、鋭い牙が並んだ口が覗いた。チロチロと蠢く二股に分かれた舌も黒く、なにかを嗅ぎ取るように出し入れされている。

 自分の背後で、部下たちが何事かわめきながら一目散に逃げ出すのを感じつつも、バシリオは足に根が生えたようにその場で佇んでいた。

 目前に現れた大蛇の頭部に目は見当たらなかったが、確実に自分へと視線が注がれているのを感じたのだ。

 逃れられない死の気配に、バシリオの喉が痙攣し、掠れた声が絞り出される。

 大蛇はゆっくりと鎌首をもたげると、まるでバシリオの恐怖を楽しむように首を揺すりながら近づいていき、ふいに目にも止まらない速さで襲い掛かった。

 奈落の底のような大蛇の大口が迫った時、バシリオの喉はやっと絶叫を放った。

 鋭い牙が自身の体を貫いた感覚を最後に、バシリオの意識は闇の中に溶けていった。




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