奪われた心 5




(一体、どういうことなんだ)


 船内に降り、襲ってくる手下達をウルドと共に倒し、牢屋を探しながら、パウロは自身の混乱を鎮めようと躍起やっきになっていた。


(ロンさんが、直前にあんなことを言うから)


 ロンに言われたことを思い出し、ため息をつく。


「パウロ、君に話しておきたいことがある」


 インフィエルノ号を奇襲する前。パウロは、思いつめた顔のロンにそう話しかけられた。誰もいない医務室でのことだった。

 何事かと身構えるパウロに、ロンは衝撃的なことを伝えたのだ。


「ジャニは、“女の子”だ」


 思いもしない言葉に、パウロは返事もできずポカンと口を開けていた。ロンは構わず続けた。


「ゲイルは、女子供を殺さずに奴隷として売り飛ばすことが多い。だからきっとジャニも無事で、どこかに幽閉されていると思う。奇襲の際、君にはジャニを救いに行ってほしいんだ」

「ロ、ロンさん、何を言って・・・・・・」


 冗談だと思い、口元を引き攣らせて笑うパウロに、ロンは至極真面目な顔で言った。


「あの子は、どんな理由があるかは知らないが、自分が女だと言うことを否定し続けている。見ないようにしているんだ。

 だが、その張り詰めた思いが今にもちぎれそうな糸のように思えて、私には非常に危なっかしく見えていた。ゲイルに囚われたショックで、その糸が切れてしまっているんじゃないかと、心配でならない」


 ロンはパウロの肩を両手でぎゅっと掴んだ。


「あの子を、救ってやってくれ。命を救ってもらった恩を返したいんだろう?」


 パウロは壊れた人形のようにがくがく頷いたが、衝撃は後から津波のようにパウロを襲ってきた。


(あいつが・・・・・・ジャニが女だって!? そんな馬鹿なことあるわけないだろう!)


 そう思うが、ロンがそんな意味のない嘘をつくわけがない。

 よって、パウロは盛大に混乱したまま、ジャニの姿を探して船内を駆け回っていた。


 ウルドが一緒にいるおかげで、パウロはほとんど剣を交えることなく先に進むことができた。しかし、いくら探せど、ジャニが閉じ込められている牢屋は見つからない。


「おい、ジャニ! どこかにいるんだろう!? 返事しろ!」


 パウロは腹の底から声を上げて、ジャニの名前を叫び続けた。すると、ウルドがふいに顔をあげ、さらに下へと向かう階段を指差す。


「下から、声が聞こえた」


 二人で暗闇の中に降りていく階段を駆け降りる。もう甲板からの陽光も差し込んでこない船倉は暗くじめじめとしていて、およそ人のいる気配はない。しかしウルドは何か聞こえているのか、迷いなく船倉の奥へと歩いていった。

 壁にかかっていたランタンを手に取り、深くなる暗闇にパウロがおっかなびっくり足を進めていた時だった。彼の耳にも、か細い声が聞こえてきた。


「パウロ? パウロなの?」

「ジャニ!」


 思わず叫んで走り出す。船倉の奥にある牢屋から、その声は聞こえてきているようだった。


「ジャニ! 無事か!?」


 牢屋の前に駆け寄り、ランタンの光を掲げたパウロは、ハッと息を飲んだ。

 ビルジの悪臭漂う牢屋の中で、まるで獣を捕らえるような形で幽閉されているジャニを見つけたのだ。足枷をつけられ、牢屋の奥の方で縮こまってるジャニは、なぜか両手で右目を必死に隠していた。恐怖に見開かれた青い瞳が、暗闇の中でこちらを凝視している。


「酷い・・・・・・あいつら、なんてことしやがる!」


 パウロが怒りに声を震わせる。ウルドもその顔を怒りに歪ませると、咆哮を上げて、持っていた斧を牢屋にかかっていた南京錠に振り下ろした。ウルドが斧を振り下ろすたびに、耳をつん裂くような金属音が鳴り響く。

 南京錠が外れ、牢屋の扉が錆びた音を立てて開く。急いでその扉をくぐろうとしたパウロは、ジャニの予想外な叫びに足を止めた。


「来ないで!」


 パウロは怪訝な顔で、ジャニを見つめた。


「何言ってるんだ? 俺たちはお前を助けにきたんだぞ?」

「来ないで! “私”のことは放っておいて!」


 パウロは呆然と、自分を敵視するように睨みつけているジャニを見返した。


(あれは、誰だ?)


 そこにいるのはどう見てもジャニだったが、何か、猛烈な違和感があった。見た目は変わらないのに、まるで別人を前にしているような感覚があった。しかも、今ジャニは自分のことを“私”と言った。声も心なしか、少女のように高く聞こえる。


【ジャニは、“女の子”だ】


 またロンの言葉が蘇り、パウロの鼓動は速まった。


「お、おい、お前、どうしちゃったんだよ? なんでそんなこと言うんだ?」


 ゆっくりと、パウロが一歩ジャニに近づく。ジャニの肩がびくりと震え、青い瞳に恐怖が色濃く浮かび上がった。


「お願い、近づかないで! 私を見ないで・・・・・・!」


 ジャニは泣きそうな声で懇願する。パウロはハッと表情を険しくした。ジャニがトレードマークの眼帯をしていないことに気づいたのだ。


「お前、その右目はどうした!? あいつらになんかやられたのか!? だから見られたくないのか!?」

「違う! 私は・・・・・・」


 ふいに、ジャニの左目から涙が頬を伝い落ちた。


「私は“化け物”なの。それをずっと隠していたの。それに、自分が女だってことも隠していた・・・・・・ずっとみんなを騙していた。もう、みんなと翼獅子号に戻ることはできない」


 パウロの瞳が揺れた。ジャニの口から女であることを伝えられ、動揺すると同時に、どうしてもまだその事実を受け入れられないでいた。


「“化け物”って、なんだよ? お前をそんな風に思うわけないだろう」


 パウロがまた一歩、ジャニに近づく。ジャニは激しくかぶりを振った。


「これを見たら、パウロも絶対私を“化け物”だと思う・・・・・・!」

「そんなわけない!」


 言い合う二人を、牢屋の外でウルドがおろおろと見比べている。

 ふと、ジャニが吹っ切れたように顔をあげた。


「じゃぁ、見せてあげる。私が“化け物”だっていう証を」


 そして、真っ直ぐにこちらに顔をむけて、頑なに右目を隠していた両手をゆっくりと下げた。

 その両手に隠されていた、本来右目があるはずの場所に開いた不気味な穴を見て、パウロとウルドの目が大きく見開かれる。パウロは持っていたランタンを落としそうになって、慌てて手に力を込めた。


(これは・・・・・・ただの傷じゃない)


 欠損、というには生々しい空虚な空間が、そこにあった。しかも穴の淵の部分には組織の修復されたような痕もなく、本当にそこだけ、切り取られたように何もなかった。穴の中は果てのない闇が広がり、見つめていると吸い込まれてしまいそうだ。


(だから、眼帯をして隠していたのか)


 恐怖はあったが、不思議とパウロの中に嫌悪感は起こらなかった。むしろ、こちらを切に見つめるジャニの左目が、自分を拒否してほしいように見えて苦しくなった。今まで、この右目を晒して受け入れられたことがないのだろう。ならば、拒否された方が楽だと、その左目が物語っている。拒否して、自分を置いて去ってほしいと。


(できるわけないだろうが!)


 パウロの胸中に湧き上がったのは、言いようのない怒りだった。

 パウロはゆっくりとランタンを足元に置くと、躊躇ちゅうちょなく歩み寄ってジャニの目前に迫った。彼の予想外の行動に身を震わせてのけぞるジャニに向かって、パウロはすっと手を伸ばす。


「怪我、してるじゃないか」


 そう言ってパウロが触れたのは、ジャニのこめかみの傷だった。銃弾が浅くかすめただけなのだが、出血は多く、固まった血が黒くこびりついている。

 パウロは肩に下げていたショルダーバッグから綺麗な布と、強いアルコールの入った瓶を取り出して、何も言わずにジャニの傷を治療し始めた。

 最初、拒むように顔を逸らしていたジャニも、そのうち無言でパウロの手に身を委ねていた。その左目からは、静かに涙がこぼれ落ちていた。

 パウロは最後に、大きめの布でジャニの右目とこめかみの傷を覆うように結んでやると、しゃがみ込んでジャニと視線を合わせた。


「俺、正直言うと、お前のことすげぇ奴だなって思ってたんだ。悔しいから絶対言いたくなかったけどな。お前は、俺より全然勇気があるし、特別な力がある。無鉄砲なところはどうにかしてほしいけどな」


 ジャニはパウロの真意を探るように、上目遣いで彼を見た。パウロは続ける。


「でもそれは、お前が女だろうと男だろうと、化け物だろうとなんだろうと関係ない。お前が“ジャニ”だからだ。俺たちの仲間だからだ。今更お前がどんな奴だってわかっても、お前を置いていけるわけないだろう。

 俺の知ってるお前なら、こんなところでウジウジ閉じ籠ったりなんかしない。自分の力を最大限に引き出して、今できることに集中するはずだ。逃げようとした俺の頬を叩いてくれたお前は、そういう奴だっただろう?」


 ジャニの顔が歪んだ。


「でももう、“ジャニ”は消えてしまった。私の本当の名前は“ジュリア”。“ジャニ”は、私が演じていた偽物の人格なの。勇気がある少年のふりをしていただけ・・・・・・。本当の私は、何もできないただの臆病な奴なの」

「逃げるな!」


 突然パウロが上げた大声に、ジャニは驚いて彼を見た。パウロは真剣な眼差しでジャニを射抜く。


「ただ演じていただけでも、お前の中にジャニの要素があったから演じられたんだろう!? ジャニは消えてなんかいない。お前が、自分には何もできないって逃げてるだけだ!」


 ジャニの目が大きく見開かれた。その澄んだ青い瞳は、パウロの言ったことを信じたいと切望しているように見えた。

 パウロはジャニに右手を差し出し、ぎこちなく微笑んで見せる。


「必ず戻ってくるって、約束しただろ?」

「・・・・・・うん!」


 ジャニは泣き顔を笑みに歪ませながら、パウロの手を取った。

 自分のより一回り小さな柔らかい手を見下ろして、パウロは今までのジャニの姿を思い返していた。生意気で、無鉄砲で、いつでも元気いっぱいだったジャニの姿を。でもそれは、異様な自分の容姿に劣等感を抱き、人に受け入れられたいと思うことを恐れていた本心の、裏返しだったのかもしれない。


(今度こそ、俺が守ってやらないと)


 パウロは、小さな手を力強く握り返した。

 ウルドが斧でジャニの足枷を破り、二人は牢屋からジャニを連れ出した。






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