奪われた心 4
インフィエルノ号の一室では、胸の悪くなるような鞭打ちの音が響き渡っていた。
「強情な奴だな! さっさと吐かねぇと死んじまうぞ!」
拷問係の男が振り上げるムチが、クックの背中に深い裂傷を負わせた。その背中には
男に背を向け、壁に両手を吊るされる形で立っているクックは、殴られて血の滲んだ口元を歪ませて笑った。
「そんなあまっちょろいやり方じゃぁ、俺を殺すことなんてできねぇよ」
「この野郎っ」
男の額に青筋が浮き上がり、鞭を持つ手に力がこもる。さらに強烈な一撃を加えようと男が手をあげた時、薄暗い部屋の扉が開いてゲイルが姿を現した。
「まだ宝のありかを吐かないか」
ゲイルが拷問係の男に問いかけると、男はうんざりしたようにため息をついた。
「なかなか強情な野郎でしてね、船長。しかもタフなんで、俺の腕がイカれちまいそうです」
ゲイルは薄く笑って、男を手招きした。
「その男を連れて来い。いいものを見せてやろう」
吊るされていた手を解かれ、後ろ手に縛られたクックは、男に連れられて甲板への階段を上がった。
常人であれば倒れこんで動けないほどの傷を負っているクックだったが、よろめきながらもなんとか足を運んでいく。
甲板に上がると、ゲイルは船首の方にそのまま歩いて行った。後ろから男に縄を引かれてついていったクックは、ゲイルが見ている方角に目をやってハッと息を呑んだ。
風上から、白い帆を上げてこちらに向かってくる翼獅子号の姿があったのだ。まだ距離はあるので甲板の様子などは見えないが、いつもは使用しない白い旗を掲げている。大蛇との戦いで負った船の傷も、あらかた修理を終えている様子だ。
ゲイルは望遠鏡を覗き込んで翼獅子号を観察していたが、口の端を上げて酷薄な笑みを浮かべた。
「どうやら翼獅子号の船長にはキアランが就いたようだな。あの白旗も、私たちと合流する際に掲げるよう、彼と取り決めていたものだ。思惑通り、これで翼獅子号も私の傘下に入ることになる」
ゲイルは望遠鏡を男に渡し、「彼に見せてやれ」と言った。
男に両手の縄を解かれ、望遠鏡を渡され覗き込んだクックは、ぎりと奥歯を噛み締めた。甲板に、何人かまとめて縄で縛られている船員たちがいる。その中にはロンとバジルの姿もあった。船内で派閥争いがあり、負けて拘束されてしまったのだろうか。
後列甲板の方を見ると、紺の上着を着た男が舵輪を握っている様子だった。あんな上等な上着を着ていたのはキアランだけだ。
(キアランが船長だと!? まさか、ロンが負けるなんて)
そう思ったものの、キアランが船員たちにゲイルへの恐怖を焚き付けたのだろうと想像するのは難くなかった。
「どうだ。お前のものだった船が、私のものになる様は。さぞ悔しかろう」
ゲイルは楽しげに笑いながら、紅の瞳をクックに向けた。
「お前が宝の場所を吐くまいと、キアランがもうすぐ私の元にデイヴィッド・グレイの航海日誌を持ってくる。お前はもう用済みだ。あの船が合流したら、お前の忠実な仲間と一緒に殺してやろう」
(くそっ、どうする・・・・・・!)
クックのこめかみに冷や汗が伝った。両手が空いたこの隙に何か行動を起こしたかったが、この状況を打破できる手段は何もないように思われた。自分は武器も持たず、全身傷だらけで立っているのがやっとの状態で、甲板にはゲイルの部下がひしめいている。
インフィエルノ号の風下には、少し距離を置いてバシリオの船も停泊している。翼獅子号もゲイルの傘下に入ったとすると、三隻もの重武装船を前にして、一人で何ができるというのだろう? しかも、この船ではルーベルとアドリアンが人質に取られている。
(もう、ここまでか)
さすがのクックも、絶望感に囚われそうになったが、ふと眉をひそめた。
だんだん近づいてくる翼獅子号に対して微かな違和感を覚えたのだ。その違和感が何なのかは説明できなかった。それはもはや、クックの動物的な直感だったのかもしれない。
その直感に導かれるまま、クックは翼獅子号に気を取られているゲイルと男の死角に少しずつ回り込んだ。そして勢いよく飛び出し、男の腰にかかっていたカトラスを抜き取って大きく後ろに飛び退った。
「なに!?」
剣を取られた男は仰天して、慌ててクックに向き直った。ゲイルもハッとしたように腰の剣に手をやり、クックを見る。
「今更悪あがきでもしようというのか? 無駄なことを」
ゲイルが冷たく笑う。周りにいたゲイルの手下達もクックの暴挙に気付き、手に手に剣を構えながらクックを取り囲み始めている。
クックが血の滲む手に剣を握りなおし、覚悟を決めた時だった。突然、近くに迫った翌獅子号から怒号が響き渡った。
「撃てぇ!!」
今まで閉じていた砲門が一斉にひらき、翼獅子号の左舷が火を吹いた。インフィエルノ号の船縁が吹き飛ばされ、船材が鋭い槍のように船員達を襲う。
「な、なんだ!? どういうことだ!?」
ゲイルの部下達は面食らっている。ゲイルも、信じられないという顔で翼獅子号を振り返った。
(今のは、ロンの声だ)
クックは一人、呆気に取られた顔で、翼獅子号の甲板に目を向けた。
もう肉眼で確認できる距離に来た翼獅子号の甲板では、先ほどまで縄に縛られていたはずのロンが、すっくと立って腰の双剣を抜き放っていた。その横では、バジルもカトラスを構え、他の船員達も各々の武器を手にしている。彼らの足元には、結び目のない縄が役目を終えて転がっていた。
(縛られてるふりをしていたのか!)
クックがそう理解した途端、ロン達は鬨の声を上げてインフィエルノ号に接舷し、鉤付きのロープを投げ入れて乗り移り始めた。なおかつ、翼獅子号からの砲撃は続いている。風上からの砲撃はしかとインフィエルノ号を捕らえ、次々と打ち込まれていった。
さらに、砲撃はバシリオの船にまで及んだ。思わぬ襲撃にあっているインフィエルノ号を助けようと近づいてきたバシリオの船は、翼獅子号からの砲撃に足止めを食らっている。
(しかし、キアランが舵輪を握っていたはず)
そう思って後列甲板に目を向けたクックは、思わず吹き出していた。
キアランは舵輪の前に立ってはいたが、その両手は舵輪にロープでぐるぐる巻きにされており、体もしっかりと土台に縛り付けられていた。舵輪に磔にされていたのだ。
「おい、この縄を今すぐ解けぇ!!」
怒りに顔を真っ赤にしたキアランが叫んでいる。
キアランが船長となり、ゲイルの傘下に入る体を装ったロンの奇襲は、見事成功したのだった。
しかし、奇襲のショックから立ち直ったインフィエルノ号の船員達は、乗り移ってきた翼獅子号の船員達に向かって突撃を始めた。その数は多く、クックを守るように周りに集まったロン達を取り囲もうとする。
「グリッジー! テイラー! 頼んだ!」
ロンがメインマストへと繋がる縄梯子に向けて声をかけた。見ると、いつの間に登ったのか、身軽なグリッジーと手先の器用なテイラーが帆桁の上からこちらを見下ろしている。
「了解!」
彼らは軽快に声を上げると、メインマストから帆桁を切り離した。メインマストの一番大きな帆布が、帆桁ごと甲板の上に落下していく。そして、今にもロン達に襲い掛かろうとしていたインフィエルノ号の船員達の上に勢いよくかぶさった。
「うわぁ、なんだこりゃぁ! 前が見えねぇ!」
男達の混乱した叫び声が聞こえてくる。クックとロンはやっと、落ち着いて顔を見合わせることができた。
「ひどい有様だな」
シャツを引き裂かれ、背中は鞭打たれて皮膚が裂け、立っているのもやっとな様子のクックを見てロンが顔をしかめる。クックは笑って肩をすくめて見せた。
「これくらい、なんでもねぇよ。そんなことより」
そこでクックは表情をひきしめた。
「下の牢屋に、ルーベルとアドリアンが幽閉されている。ジャニもだ。助けてやってくれ」
「言われるまでもない。そのために来たんだ」
ロンは口の端を上げて笑うと、背後に控えていたウルドとパウロ、バジルに声をかけた。
「私とバジルはルーベルとアドリアンを救出しに行く。パウロとウルドは、ジャニを頼んだぞ!」
「は、はい!」
緊張にこわばった顔で、パウロが返事をする。ウルドも一つ頷くと、二人は船室へと駆け降りていった。バジルがロンに目配せをする。
「俺たちも行こう」
「あぁ。じゃぁ、クック。その満身創痍の状態で申し訳ないが」
ロンはそこで言葉を切り、落ちたマストの向こうを指差した。クックが見ると、マストの下でうごめいている部下を踏みしめながら、こちらに歩いてくるゲイルの姿があった。
「あの男の足止めは任せたぞ」
「おう、任せろ」
クックのお得意の、不敵な笑みが復活した。奪ったカトラスを構えると、クックはこちらに向かってくるゲイルを迎え撃つ体制に入った。
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