奪われた心 1




「クックが、ゲイルに捕まっただと!?」


 ロンは思わず声を荒げて、目の前のグリッジーに詰め寄った。

 二人は翼獅子号の甲板にいる。船の修理のために寄った港で、情報収集しに行ったグリッジーが血相変えてロンに報告しにきたのだ。


「二人は無人島にいたのに、どうしてそんなことになってるんだ!?」


 ロンと同じく、グリッジーも困惑しているようだった。


「さっき港で聞き込みをしている時、海を漂流していて、漁船に保護された男に会ったんだ。

 で、どうやらそいつはアドリアン・ロペスの船に乗っていたみたいでな。そいつが言うには、数日前に例の群島でクックとジャニを見つけて、アドリアンが船に乗せたんだと。

 だが、そのあとゲイルの船に襲われて、船員はほぼ全滅。その男も、砲撃を受けた際に海に落ちたんだが、漂流物に捕まって運良く助かったらしい。そいつは、海に落ちる直前、クックとアドリアンがゲイルに捕らえられたのを見たと言っていたんだ」

「ルーベルは? ジャニは? 四人は無事なのか!?」


 立て続けに尋ねるロンに、グリッジーは苛立ったように両手を振った。


「わからねぇ! 俺も色々聞いたんだが、やっこさん、ゲイルに襲われた時のショックが強かったらしくてな。『人喰いが俺を追ってくる』って狂ったように呟くだけになっちまった。相当凄惨な状況だったらしい」


 グリッジーが苦々しげに呟き、その場は沈黙に包まれた。


(どうしてあいつは次から次へと面倒ごとに巻き込まれるんだ)


 ロンは頭を抱えた。無人島から生還したのに、そのあと襲撃されて捕まるなんて、運がいいのか悪いのかわからない男である。

 その場にはバジルとメイソンとセバスチャンもいたが、皆の顔は一様に暗かった。


「人喰いに捕まった船は、全員皆殺しにされるって聞くぞ」


 バジルがささやくように言う。彼らが、クックとジャニの生存の確率が低いと思っているのは明らかな様子だ。しかし、ロンは首を横に振った。


「いや、ゲイルは利用価値を重視する男だ。おそらく、アドリアンは彼の祖父から身代金を要求するために生かしておくだろう。クックも、デイヴィッド・グレイの宝のありかを知っているから、生かしておく可能性は高いと思う。ジャニは・・・・・・」


 そこまで言って、ロンは口をつぐんだ。メイソンが苦悶に顔を歪める。


「あいつ、かわいそうにな」

「あぁ。こんなことなら、もっとあいつに優しくしとくんだった」


 グリッジーも切なげに眉を寄せている。

 ロンは何か考え込むように黙っていたが、顔を上げた時には、その目に決意をみなぎらせていた。


「みんな、クックを助けよう」


 ロンの一言に、全員ぎょっとした顔をした。


「いや、俺も助けたいのはやまやまだけどよ、相手はあの“人喰い”だぞ」


 バジルが禿頭を撫で回しながら恐ろしげに言い返す。それに対して、ロンが口を開きかけた時だった。


「おや、ゲイルの船を追うのですか? それは好都合だ」


 話を聞いていたのか、彼らの死角からキアランが姿を現した。彼の後ろには何人かの船員たちが付き従っている。クックの罷免に賛成した船員たちだ。

 ロンは訝しげにキアランを見た。


「なぜだ? お前もクックを助けに行きたいのか?」

「私は愚かな感情に流されたりはしません。そもそも、ゲイルとやりあうこと自体が愚かです。彼に敵うはずがない」


 キアランはそこで、薄く冷笑した。


「私は、ゲイルの傘下に入るつもりです」


 ロンの目が見開かれた。バジルたちも「なんだと!?」と気色ばんでいる。


「エンドラのクソ海賊の仲間になるっていうのか!?」

「海賊に国なんてもはや関係ありませんよ。ゲイルはこの海で絶対的な力を持っている。その彼から逃げ切り、なおかつイグノア海軍からも逃れて宝を手に入れるなど不可能だ。であれば、ゲイルと協力して宝を手に入れる方が容易いとは思いませんか」

「そういうことか」


 ロンは低い声で呟き、キアランを鋭い視線で射抜いた。


「お前、ゲイルと通じていたな。トルソでバシリオが船を襲ったのも、サラスーザでマハリシュがゲイルに襲われたのも、お前の手引きがあったんだな」

「いかにも」


 得意げにキアランは頷いた。

 バジルたちは驚愕すると同時に、キアランの背後にいる船員たちの落ち着いた様子に眉根を寄せた。キアランの裏切りが明るみに出たのに、彼らは一向に怒る様子もない。その視線に気付いたのか、キアランが「あぁ」と口を開いた。


「彼らも私と意向は同じです。私がゲイルと通じていたことは知っていました。確かに、クックは優秀な人物です。しかし、ゲイルに関しては何か思うところでもあるのか、異常なまでに敵意を剥き出しにする。なので、この提案が受け入れられるはずもないとわかっていました。あのガキのおかげで、彼を排除できたのは非常に好都合だった」


 口髭を撫で付けながら話すキアランに対して、バジルもメイソンも、今にも剣を抜きそうな殺気を放っている。ロンはそんな彼らを牽制しつつ、キアランに話を続けるよう促した。


「ゲイルの提案はこうです。翼獅子号の船長には私が就く。そして、ゲイルと合流して宝を手に入れ、山分けする。なおかつ、エンドラの私掠船として私たちを認めてくださるよう、エンドラ国王に申し入れてくれる。

 悪い話ではないでしょう? エンドラの私掠船ともなれば、強力な後ろ盾が手に入るし、獲物も選び放題ですからね」


 ロンの目が細められた。


「代わりに、ゲイルは何を差し出せと?」

「デイヴィッド・グレイの宝の在り方を教えること。そして、バルトリア島の統治を譲り渡せと」


 キアランの言葉に、ロンはカッと目を見開いた。バジルが怒声を放つ。


「それは絶対にできねぇ! あそこは、カルロスとクックが必死に守り続けてきた島だぞ! 俺たちの住処だ!」

「あんなちっぽけな島、くれてやってもいいでしょう。デイヴィッド・グレイの宝を手に入れれば、あんなところに住む必要もなくなる」


 キアランは小馬鹿にするように言うが、ロンは胸中で、それは違うと独りごちていた。


(バルトリア島は、大きさこそ小さいが、地理的に非常に重要な島だ。センテウスやイグノアからも近く、エンドラがそれぞれの国を侵略する足がかりとして必要な島なんだ。ゲイルはそれに気付いている。だからキアランに接触するような回りくどいことをしたのか)


 ロンは腹を括った。バルトリア島が奪われる。それだけは絶対に阻止せねばならないことだった。今後クックに再会できたとしても、島を奪われてしまったとしたら彼に合わせる顔がない。

 あの島は、クックとロンを育ててくれた大海賊、カルロス・アルベルトの夢が詰まった場所なのだ。だからクックは、カルロスが死んだ後も、あの島を守るために奮闘した。

 ロンはキアランの前に立ち塞がるように進み出た。


「悪いが、お前に船長の座を渡すつもりはない。お前は仲間を裏切った。死人も出た。それ相応の罰を受けてもらわねばならない」

「残念ですが、それを決めるのは貴方でも私でもない」


 キアランはそう言って、いつのまにか周りを取り囲んでいた船員たちを指し示した。彼らの口論が気になったのだろう、みんなぞろぞろと集まってくる。


「選ぶのは彼らです。私と貴方、どちらが船長に相応しいか、投票で決めましょう。私が船長になったあかつきには、ゲイルの傘下に入り、エンドラの私掠船として思うままにこの海を荒らし回れるでしょう。なおかつ、デイヴィッド・グレイの宝も確実に手に入れられる機動力を得る。

 貴方が船長になった場合、クックを助けに行って、無惨にゲイルに殺されるだけでしょうがね」


 キアランの言葉に、船員たちは明らかに動揺している。クックに恩義を感じていて、ロンに加担したい船員もいるが、それよりもゲイルへの恐怖が勝っているようだった。

 ロンはその空気を感じ取り、慌てて反論した。


「みんな、こんな裏切り者を信じるのか? バシリオに仲間が殺されたのを忘れたのか? こいつは、その現場にいながら平気な顔で仲間のふりをしていたんだぞ。船長として信用できるはずがない。

しかも、ゲイルの傘下に入る? 何の確証があってそんなことが言えるんだ。使える人間は酷使して、必要無くなったら捨てるような男だぞ。血も涙もない、悪魔のような男だ。そもそも、ゲイルこそ最も信用できない人間じゃないか!」

「私はゲイルに認められたんだ! 彼は、実力があるものには目をかけてくれる!」


 キアランが怒りに顔を歪めて言い放つ。

 ロンは、彼の中にも一抹の不安があることに気づいた。キアランはゲイルを信じたいのだ。いや、この場合信じるしか道がないのだろう。ここでゲイルへの恐怖を盾に自分が船長になれなかった場合、自分が裏切りの罪で罰せられるのは必然だからだ。

 しかし、それはロンも同じだった。投票で自分が船長を降ろされた場合、クックを助けようとした自分も、バジルたちも、キアランから排除されるのは目に見えている。

 そして、ロンは明らかに自分達の方が不利なことを感じていた。クックを助けるのも、ゲイルに歯向かうのも無茶なことはわかっている。船員たちの大多数もそれは理解しているだろう。自分やバジルたちを駆り立てているのは、ただクックとジャニを見殺しにしたくないという想いだけなのだ。

 キアランとロンが一触即発な状態で睨み合っていたその時、一人の男が進み出た。


「話しておきたいことがある」


 それは、もぐらだった。クックが島流しにされるのを断固拒否した時と同じ目をして、もぐらが二人の前に立っていた。

 キアランがうんざりした顔でもぐらを見る。


「またお前か。一体何なんだ!」

「誰が船長に相応しいか、という話をしているんだろう。であれば、俺には話しておかなければならないことがある」


 もぐらの口調には断固とした響きがあった。

 ロンは、無口な彼がこうして大勢を前にして語ろうとしていることに驚いていた。いつも船倉に引きこもって、船員とろくに会話もしない彼にしては考えられない行動だった。

 もぐらは少し痛みを堪えるような顔をして、話し始めた。


「みんな、覚えているだろうか。二年前、エストニアに近い海域で、なぜかクック以外全員が眠り込んでしまった夜のことを」


 ロンはハッとした。あの不可思議な夜のことだ。もちろん、忘れるはずもない。

 他の船員たちも覚えはあるようで、皆で顔を見合わせては頷いている。


「実はあの夜、俺は眠らず、無事だった」


 もぐらの告白に、皆面食らったようだった。


「それがどうしたっていうんだ?」


 バジルが訝しげに問いかける。しかし、ロンはもぐらの様子がおかしいことに気づいた。

 もぐらは、真っ青な顔をして震えていた。視線は彷徨い、恐ろしげに時折海の方を見る。


「みんな、あの化け物を見てねぇから平気でいられるんだ。俺は、あの日も弾薬準備室にいた。船倉に閉じこもってたから、歌が聞こえなかった。お前らみたいに眠らされずに済んだんだ」

「歌? 眠らされた? 一体、何を言っているんだ」


 ロンも、もぐらの意図が掴めず眉をひそめる。

 もぐらは恐怖を顔に貼り付けてロンを見た。


「俺は見たんだ。“あいつ”と船長が話してるのを」

「あいつって?」


 セバスチャンが恐る恐る尋ねる。もぐらは逡巡するように凪いだ海原をちらりと見ると、唇を震わせてその名を呟いた。


「恐ろしい海の魔物、“セイレーン”だ」


 そして、もぐらは話し始めた。あの不可思議な夜の顛末を。


 上の階で呑み騒いでいた船員たちの足音がぴたりと止んだことを訝しく思い、甲板に上がると、この世のものとは思えない光景が広がっていたこと。夢遊病者のように船べりに群がる船員たち。誘い込むように手招きする、人の姿をまとう海水。

 そして、船首で睨み合うクックと異形の生き物。その時もぐらは、その生き物がセイレーンだとすぐ気付いた。信心深いたちのもぐらは、シーモンスターの存在も心のどこかで信じていたのだ。

 そしてセイレーンが、船員全員の命の代わりに、クックに呪いをかけることを提案した。

 クックが腹を括って頷くのを、もぐらは忸怩じくじたる思いで見守ることしかできなかった。





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