人喰いのゲイル 4
ゲイルと剣を交えながら、クックは蘇ってくる過去の情景を必死に振り払っていた。
対峙している男は、あの時と比べたらだいぶ歳を取っているものの、剣捌きは見事なものだった。黒革の手袋をつけた右手が、俊敏にサーベルを繰り出してくる。クックはそれを受け流しつつ、豪快にファルシオンを叩きつける。
冷静さを保たねばと思いながら、クックはどうしても剣に力が入るのをコントロールできなかった。
(やっとこの男を殺すことができる! 両親の・・・・・・島のみんなの仇を取る!)
力押しで刀剣を叩きつけるクックとは裏腹に、ゲイルは俊敏に身をかわして素早い突きをねじ込んでいく。二人の剣が交差するたび、夜闇の中で火花が散った。
クックとゲイルの打ち合いは激しく、二人を取り囲むようにして様子を伺っているゲイルの手下も手を出せずにいる。クックを追って後甲板にたどり着いたアドリアンも、インフィエルノ号の船員に足止めされていた。
しばらく二人の斬り合いは続いたが、クックの強烈な一撃を受け止めた際、ゲイルの顔が僅かに歪んだ。右手を庇おうとするように、剣に左手を添える。好機と捉えたクックは、矢継ぎ早に追い打ちをかけていった。
(いける!)
ゲイルの剣撃の勢いが弱まっていく。とどめの一撃を繰り出そうと、クックは一歩大きく踏み出した。
その時、強い殺気がクックの背中に注がれた。耳鳴りがするほど気持ちが昂っていたクックは、その気配に気付くのが少し遅れた。
鋭く空を切り裂き、何かが飛来する音がする。クックはほぼ脊髄反射で身を翻していた。しかしかわしきれず、その肩に深々と短剣が突き刺さる。
「くっ・・・・・・!」
全身を貫く激痛に、思わず膝をつく。すかさず振り下ろされたゲイルのサーベルを受け止めきれず、刃がクックの胸を切り裂いた。
ぱっと鮮血が散り、クックは甲板に倒れこんだ。
「クック!」
アドリアンが叫ぶが、彼も戦闘中で駆けつけることができない。
「ぎゃはははは! なんでこの船にいるのか知らねぇが、クック・ドノヴァンを仕留められるとはついてたぜ! これでトルソでの借りは返せたなぁ」
下卑た笑いをあげながら、シュラウドからクックの傍に飛び降りた人影がある。その人物を見上げたクックは、痛みに朦朧とする意識の中でその名を呟いた。
「バシリオ・・・・・・!」
トルソでやりあった蛇のタトゥーの男が、にたりと笑ってクックを見下ろしていた。
「俺の剣、返してもらうぜ!」
バシリオが、クックの肩に突き刺さっている短剣をわざと乱暴に引き抜く。あまりの激痛に、クックの口から咆哮が上がった。
「船長、この憐れな異教徒に、死の救済を」
バシリオが、ゲイルに対して恭しく頭を下げる。
ゲイルは無言でクックを見下ろしていたが、ふと何かに気づいたように、自分を睨みあげるオリーブ色の瞳を見返した。
「緑の目に、小麦色の髪・・・・・・お前はもしかして、カノーラのものか?」
クックの瞳が燃え上がった。
「お前が生きているのは間違いだ。生かすべきではなかった!」
起きあがろうとするクックの体を、バシリオが踏みつけて抑えた。
ゲイルの目が、妖しく光る。
「そうか・・・・・・お前はあの時の少年か。私を助けてくれた」
クックの顔がさっと強張る。ゲイルは優しく微笑んだ。
「黄金の価値も知らず、私が何者かも知らず、無邪気に自分の島の宝のありかを教えてくれた、愚かな少年だね。お前のせいで、あの島の者の多くが殺され、黄金は採り尽くされた」
「黙れ!!」
クックの怒号を封じるように、バシリオは彼の腹を蹴り上げた。再び甲板に倒れこむクックを冷ややかに見下ろして、ゲイルはバシリオに命じた。
「そいつを牢に入れておけ」
「え、こ、殺さないんで?」
「そいつはまだ利用価値があるかもしれん。殺すのはいつでもできる」
「は、はい、船長」
クックを殺せない悔しさを滲ませながら、バシリオが腕を伸ばしたとたん、一本の矢が飛来してその腕に突き刺さった。苦痛の声を上げ、バシリオが見た先には、ヴィクトワール号の船べりで短弓を構えるルーベルがいた。
「くそっ、あの女! あいつを捕まえろ!」
バシリオが近くにいた船員たちに命じた。
「やめろ! そいつに手を出すな!」
必死で身を捩り、叫ぶクックの傍に、ゲイルがしゃがみ込んだ。黒革の手袋をしたゲイルの手が、クックの顎を掴む。
「さて、あの時のように、また教えてもらおうか」
ゲイルの目を睨みつけたクックは、深淵を覗き込んだときのような悪寒を覚えた。彼の目には、生気というものがまるでなかった。そこには、生きることに絶望しきったような、深い虚無だけがあった。
ゲイルの口が、笑みに歪む。
「デイヴィッド・グレイの宝は、どこにある?」
「やめて! 離して!」
ヴィクトワール号の甲板に出るドアにたどり着いたジャニは、すぐ外から聞こえてきた声にハッと息を呑んだ。
(ルーベルの声だ!)
ドアの隙間から外を覗き込むと、インフィエルノ号から乗り込んできた海賊に捕まったルーベルがいた。
「まったく、このじゃじゃ馬が! 大人しくしやがれ!」
殴られたのか、鼻から血を流した海賊が忌々しげにルーベルの腕を後ろ手に捻りあげる。ルーベルの顔が苦悶に歪み、ジャニは身のうちに沸々と怒りが沸き立つのを感じた。
(彼女を助けないと!)
ルーベルを連れた男が離れるのを見計らって、ジャニは慎重に甲板へと出た。そして、目の前の凄惨な光景に息を呑んでいた。
二隻から相次ぐ砲撃を受けた甲板は至る所に穴が開き、折れた帆桁がぶら下がり、打ち広がるマストの上には死屍累々が転がっていた。倒れているのは、アドリアンの部下ばかりだ。
壊されたランタンからこぼれた火が、船べりや床をじわじわと燃やし始めている。ヴィクトワール号が大敗を喫したのは明らかな様子だった。
ジャニは震える足を懸命に動かして、樽などの影に身を潜ませながらルーベルと男を追って行った。見ると、接舷したインフィエルノ号に渡し板がしてあり、二人はそれを渡って船を乗り移る様子だ。
その時、ルーベルが渾身の力で男に体当たりをした。バランスを崩した男の、腰帯に刺さっていたピストルにルーベルの手が伸びる。しかし、男が体勢を立て直す方が早かった。
「このクソアマ!」
激昂した男がルーベルを突き飛ばし、腰のピストルを抜いて銃口を彼女に向ける。
ジャニは全身の血が沸き立つような衝動を感じた。無我夢中で飛び出し、気がつくと自分の短剣を引き抜いて男に向かっていた。
「ジャニ!?」
ルーベルの驚愕に引き攣る顔を視界の端に見ながら、ジャニは男の脚に切り付けた。痛みにうめきながら男が甲板に膝をつく。
「ルーベル!」
ジャニがルーベルに手を差し伸べる。ルーベルがジャニの手を取り、二人で逃げようとした時だった。
どこからか銃声が鳴り響いた。突然、こめかみにものすごい衝撃を受け、ジャニは体が吹き飛ばされるのを感じた。眼帯が弾け飛び、掠った弾がこめかみを切り裂いて血が飛び散る。
ルーベルが、何かを叫んでいる。ジャニは朦朧としながら、必死で眼帯の外れた右目を両手で覆った。痛みなどどうでもよかった。
「眼帯が・・・・・・だめだ、眼帯がないと・・・・・・」
うめきながら顔を隠すようにうずくまる。
「ジャニ!! 大丈夫?!」
ルーベルが血相を変えてジャニのもとに駆けつける。彼女に肩を揺すられても、ジャニは同じことを呟きながら動こうとしなかった。
そんな二人の目の前に、ピストルを構えたバシリオが歩み寄ってきた。その顔は忌々しげにジャニを見下ろしている。
「くそ、外したか。てめぇはあの時のクソガキだよな。相変わらずちょこまかと煩いやつだ」
そしてジャニを庇うように上に被さるルーベルを睨みつけた。
「王女さま、あんたは殺しちゃならねぇって船長に言われてるんでね。そこをどきな」
「嫌よ! この子に手を出さないで!」
頑として動こうとしないルーベルに剛を煮やし、バシリオは手下に二人をインフィエルノ号まで連れてくるよう命じた。
男たちに引き摺られながらも、ジャニは両手を右目から離そうとしなかった。
(この右目を見られたら)
ジャニの体は、湧き上がる恐怖に震えていた。バシリオや、周りの男たちが怖いのではない。
(俺が、俺でなくなる)
そんな思いが頭を巡っていた。どこからその恐怖が湧き上がってくるのか、ジャニ自身もわからないでいた。
インフィエルノ号の甲板に乗り込むと、そこには後ろ手に縛られたクックとアドリアンがいた。クックはどこか怪我をしているのか、ぐったりと項垂れている。しかしジャニとルーベルが男たちに引き立てられて目の前に連れてこられると、顔を上げてバシリオを睨みつけた。
「その二人には手を出すな」
「おいおい、自分がどういう立場かわかってんのか? 偉そうに俺に指図すんじゃねぇ!」
バシリオの蹴りがクックの腹部にめり込む。それを見てルーベルが悲痛な声をあげた。
「やめて! なんでもいうことを聞くから、その人に危害を加えるのはやめて!」
「おやおやお姫様、またお会いするとは」
「ゲイル・・・・・・!」
ルーベルが、自分の前に歩いてきた銀髪紅眼の男を見て歯噛みする。ゲイルはゆったりと微笑んだ。
「奴隷市場でお会いして以来だ。貴女が私の得意先から逃げたせいで、あの時は大損害を被った。その元凶であるそこの男ともども、埋め合わせをしてもらおう」
ルーベルの顔が青ざめた。ゲイルはふと、ルーベルの横で顔を隠してうずくまるジャニに目を止めた。
「その少年は何をしている?」
「こいつ、撃たれて眼帯が外れた途端ずっとこうして顔を隠してやがるんです」
バシリオはそう答えると、乱暴にジャニの手を振り払おうとした。
「おい、その手をどけろ!」
「や、やめろ!」
ジャニは必死で右目を隠す手に力を込める。しかし力で敵うはずがなかった。バシリオの腕が小さな手を引き剥がし、ジャニがひた隠しにしていた右目が露わになった。
バシリオの顔に恐怖が張り付いた。まるで火傷でもしたのかのように、ジャニの手を離して飛び退る。
「なんだこりゃぁ・・・・・・!」
その場の誰もが、ジャニの右目を凝視していた。バシリオが、嫌悪も露わにジャニを指差して叫んだ。
「こっ、この化け物!!」
ジャニの左目が大きく見開かれる。その脳裏に、同じ言葉を叫ぶ少年がふっとよぎった。
【ば、化け物だ・・・・・・!!】
ジャニの体が激しく震え出す。
そしてジャニは、バシリオの背後にある船窓に映る自分の顔を直視してしまった。
そこに映っていたのは見慣れた少年、ではなかった。少年だと認識していた自分の顔が、化けの皮を引き剥がされるように違うものと認識されていく瞬間を、ジャニはなす術なく見つめていた。
ジャニの右目の眼球があるべき場所には、何もなかった。まるで、吸い込まれてしまいそうな暗闇がぽっかりと口を開けている。
まだあどけないジャニの顔の中で、その得体の知れない穴は見るものの背筋を凍らせた。それはあたかも、死神がジャニの右目を抉り出し、塞ぐこともせず冥土への通路を開け放ったままにしてしまったかのような、そんな光景だった。
「あれが・・・・・・セイレーンの呪い」
驚愕に目を見開き、クックが呟く。
(あぁ・・・・・・)
ジャニの左目から、涙が溢れて頬を伝った。自分の右目の穴から溢れ出す闇が、封じられていた記憶の扉をこじ開けていく。
(彼女が、目を覚ましてしまう)
ジャニの脳裏に、走馬灯のように色々な景色が駆け巡った。
鏡のない部屋、白い仮面、自分を嫌悪と恐怖の表情で見る少年、そして、水に映った自分の、人間とは思えぬ顔。
(ばいばい、ジャニ)
ジャニの中でそう呟いたのは、一体誰だったのか。
その言葉を最後に、ジャニの中で閉じられていた扉が開け放たれ、失われていた記憶が一気に押し寄せた。体が引き裂かれそうな衝撃が襲う。
「あ、あぁ・・・・・・!」
ジャニの口から嗚咽のような声が漏れ、次の瞬間、その口から飛び出したのは少女の叫び声だった。
「きゃぁあああああ!!」
耳をつん裂くような甲高い叫びが辺りに響き渡った。その場にいる誰もが、狂ったように叫び続けるジャニを声もなく見つめていた。
最初に口を開いたのはゲイルだった。
「なんとも見苦しい生き物だな、気に入った」
ジャニを見る顔には若干の嫌悪と、好奇心が浮かんでいる。
「見せ物として売り出せばなかなかの値が付きそうだ。この化け物も牢に入れておけ」
バシリオに言い置くと、ゲイルは船長室へと歩いて行った。バシリオは嫌悪に顔を歪めながら、叫び続けるジャニの襟首を掴んで引きずっていく。
「やめて! 手を離して! お願い、だれか、助けて・・・・・・!」
泣き叫ぶ声も、表情も、それはどう見ても少女のものだった。今までのジャニとは、まるで別人のようだ。
「あ、あいつ一体どうしたんだ・・・・・・いきなり女みたいになりやがって」
困惑しきった顔で呟くクックに、ルーベルが苛立った眼差しを向ける。
「今まで気づかなかったわけ!?あの子は、“女の子”よ!」
「「・・・・・・はぁ!?」」
クックとアドリアンの驚愕の叫びが重なり、響き渡った。
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