人喰いのゲイル 3





 クックが生まれ育ったのは、旧大陸よりだいぶ南方の、大海に浮かぶ小さな島だった。


 亜熱帯の地域に属し、シダ植物や蔦のからまるジャングルが広がり、島の中央には休火山が聳え立つ。そんな島の小さな村で、クックは幼少期を過ごした。


 旧大陸からも遠く、小さな漁船しかなかった村では、他の大陸の存在など知る由もなかった。時折、台風が襲う季節に、他の大陸の者が打ち上げられたりするものの、大抵はもう事切れてしまっていたり、数日で息を引き取る者ばかりだった。

 主食となる芋を育て、魚をとり、自然の神々に感謝を捧げる日々。平和で代わり映えのしない毎日は、しかし好奇心旺盛なクックには退屈なものだった。


 そんなある日の早朝。小舟で魚を獲ろうと砂浜に出たクックは、倒れている人影を見つけた。

 駆け寄ったクックは、その人物の見た目に驚いた。

 真っ白な肌に、輝く銀髪の髪。左目には眼帯をしている。閉じられた右目は、まつ毛までもが色が抜け落ちたように白かった。


(神の使いだろうか?)


 クックは胸が高鳴るのを感じた。死んでいるのかと思ったが、近づいてよく見ると、その若者は微かに呼吸をしていた。クックは急いで両親を呼びにいった。


「その者は村に災いを招く! 浜に捨て置け!」


 クックの家に運び込まれた若者を見て、村の長老は怒鳴った。保守的なこの島の人々にとって、彼の見た目は異形と写ったのだ。しかし、クックの両親はそれを拒んだ。


「どんな見た目でも、彼は私たちと同じ人間です。助けてやらないと」

「ふん、好きにしろ!」


 長老も、街の人々もいい顔はしなかったが、クックの両親は若者を介抱した。


 数日後、若者が目を覚ました。彼が目覚めるまで献身的に世話をしていたクックは、その見開かれた瞳を見て息を呑んでいた。

 まるで、血のように赤い色をしている。その瞳が、ゆらゆらと揺れながらクックを見た。やがて、視界がはっきりしたのか、若者は驚いたように瞬きをした。


「ここは・・・・・・?」

「ここはカノーラ村だよ。あなたは砂浜に倒れてたんだ」

「・・・・・・そうか、嵐で船から落ちたんだったな」


 記憶が戻ってきたのか、若者は大きくため息をついた。


「君が助けてくれたのか?」


 クックが頷くと、若者は柔らかく微笑んだ。その笑顔は人間離れした美しさだった。


「助けてくれてありがとう」

「いや、別に・・・・・・」


 クックは照れて頭をかいた。ふと、クックの背後に目をやった若者の表情が変わった。


「あれは?」


 彼が指差したのは、この家の祭壇だった。豊穣の神カノをかたどった金色の神像が祀られていて、その前には母親が山からとってきた果物がお供えされていた。


「あれは豊穣の神様、カノだよ。みんな家に祭壇を作って、神様の像を飾るんだ。この島で一番重要な神様だから」


 クックの説明に、若者は首を振った。


「そうじゃなくて、あの像は何でできているんだ?」

「あぁ、“神の血”のこと?」

「神の、血?」

「うん。あそこにみえる“パレマイ山”から採れるんだ」


 クックは開け放たれた戸から見える、小高い山を指差した。


「“パレマイ山”で採れる“神の血”は、神像にしか使っちゃいけない決まりなんだ。あれは神がこの地を産み落とした時に流した血だから、それを神の形に戻してお祀りしないといけないんだって」


 他の島と交易もなかったため、クックも他の島民も、その“神の血”が黄金であり、莫大な富であることを知らなかった。何か神聖な鉱物であると思っていたのだ。

 説明しながら若者を見たクックはどきりとした。若者の目が、異様な熱をたたえて山を見つめていた。彼の横顔はがらりと雰囲気を変え、何か近寄りがたい禍々しさを感じた。

 クックは胸騒ぎがした。何か教えてはいけないことを教えてしまったのではないか。この若者は一体、何者なのだろうか?

 若者は我に返ったように山から視線を逸らすと、再びクックを見て微笑んだ。


「教えてくれて、ありがとう」


 その夜、若者は姿を消した。村の漁船一隻と共に。


 何かが喉につかえているような気持ち悪さを感じたまま、クックはまたもとの凡庸で平穏な日々を暮らしていた。


 そして一ヶ月ほどが経ったある日。

 朝早くから小舟を出し、沖で魚を釣っていたクックは、島の方から煙が上がっていることに気づいて眉をひそめた。煙の量が尋常ではない。焼畑の時期でもないし、と訝しく思いながら島に戻ったクックは、愕然とした。

 村が、燃えていた。村の人たちの悲鳴や、銃声が響き渡っている。見ると、村の小さな港に巨大な帆船が泊まっていた。不気味なほど真っ黒な船体に、骸骨像が船首に張り付いている。その船から降りてきた人物を見て、クックの顔は青ざめた。

 それはあの、銀髪紅眼の若者だった。その後ろから何人もの屈強な男たちがついてくる。


「村のそれぞれの家に、金でできた神像が飾ってある。全て奪ってこい。女子供、降伏した男たちは奴隷として売り払う。刃向かうものは容赦なく殺せ」


 冷徹な声で男たちに命じる若者は、あの時笑顔を見せてくれた彼とまるで別人のようであった。その彼の目の前に、長老が男たちに引きずられて姿を現した。

 若者を見た長老の目が見開かれる。


「お、お前は・・・・・・! やはり、悪魔の子か!」


 若者は口の端を歪めて笑う。


「悪魔を崇拝しているのはお前たちだろう、異教徒の集団め。“セントカバジェロ教”の騎士である私が、その穢れた魂を浄化してやろうというのだ。悔い改め、改宗すればその命、助けてやってもいいぞ」

「なにをぬかすか! 改宗などこじつけで、お前の目的はこの島の“神の血”であろう!? 欲にまみれた海賊風情がなにを高尚なことをーー」


 突然、若者が剣を抜き放って無造作に長老を斬り捨てた。クックは思わず息を止める。

 鮮血が噴き上がり、長老の体は地面に転がり動かなくなった。クックの体はおこりのように震え始めた。


(みんな、殺されてしまう!)


 クックは男たちに気付かれないように小舟を島の裏手につけ、森に身を潜ませながら自分の家に走った。


(父さん! 母さん!)

 心臓が早鐘のように打ち、口からまろび出てしまいそうだ。息を切らせて家に駆け込む。奥まったところにあったクックの家は、まだ襲撃は免れていた。


「クック! よかった、無事だったのね!」


 家を出ようとした母親がクックを見つけ、喜びの声を上げる。クックはその腕の中に飛び込んだ。


「母さん! あいつがこの島に戻ってきた! あいつ、長老を殺した・・・・・・!」


 涙が溢れて止まらない。その時、芋の収穫用のなたを手にした父親が走ってきた。


「早く逃げろ! やつらが近くまで来てる!」


 銃声が、もうすぐそこまで迫ってきていた。父親は短刀をクックに渡すと、力強い目で息子を見た。


「クック、船でこの島を出るんだ。母さんを頼んだぞ!」

「父さん!」


 去っていく父親の後ろ姿に、クックの悲鳴が虚しく響く。泣きながら手をひく母親につられて、クックは森の中に駆け込んだ。

 小舟を止めた場所まで走りながら、クックの頭の中は自責の念で一杯だった。


(俺が、あいつを見つけなければ! 助けなければ! “神の血”のことを教えなければ!)


 動揺で手足が強張り、うまく動けない。何度も転び、体を木に打ち付けながら、クックと母親は小舟のところまでたどり着いた。

 小舟に乗り込もうとしたその時、獣じみた喚声をあげながら、剣を持った男たちが三人、木立の中から飛び出してきた。

 母親が顔色を変え、クックを背後に庇う。クックは絶望で体から力が抜けていくのを感じた。無意識の呟きが口からこぼれる。


「俺が・・・・・・助けなければ・・・・・・」

「それは違う」


 母親が、強い声でクックの言葉を否定した。驚いて見上げるクックに、母親は背中を見せたまま続ける。


「誰かを助けるのに、理由なんて考えないで。あなたは間違ってない」


 振り返った母親の笑顔には、涙が伝っていた。


「そんなあなたが、大好きよ」


 どん、と母親の手が力強くクックを突き飛ばした。クックの体が宙を舞い、小舟に転がり込む。その勢いで小舟は小さな桟橋を離れ、荒い波に攫われて岸を離れていく。


「母さん!!」


 クックは叫んで小舟のへりにしがみつき、手を伸ばす。母親は足元にあった太い枝を拾い上げ、三人の男たちに向かっていくところだった。


「なんだこの女! 生意気な!」


 枝で殴打された男が苛立った声を上げ、剣を振り上げる。


「やめろ!」


 クックの叫びと同時に、男の剣が母親の体を斬り裂いた。

 その瞬間、クックは自分の中で何かが壊れてしまったのを感じた。母親が血を流して倒れる姿が、網膜に焼きつき、脳までもを焦がしてしまうほどの熱を帯びる。

 クックの絶叫が響き渡る。荒波は小舟を軽々と押し流し、沖に連れ去っていく。

 島がだんだんと小さくなり、全く見えなくなるまで、クックは呆けたように座り込んでいた。


 それから何日も小舟は漂流した。その中で、クックは起き上がる気力を失い、死んだように横たわっていた。何度かこの苦しみから解放されたいと思い、父親に渡された短剣を構えたが、その度に母親の最後の笑顔が脳裏に蘇り、手を下ろした。

 涙も枯れ果て、水分を失った体は抜け殻のようだった。その中で、胸の辺りだけが熱く燃え盛るように疼いていた。


(・・・・・・殺してやる)


 剣を向けるべきは、自分ではない。


(あの男を必ず、殺してやる)


 命を助けたにもかかわらず、島を襲ったあの男こそが死ぬべきなのだ。

 震える手で顔を覆ったクックは、本当はわかっていた。

 そうやってあの男を憎み、殺そうとすることで、自分の過ちに蓋をしようとしていることを。全ては自分が生きるため。どこまでも生き汚く浅ましい愚かな自分に吐き気がした。

 だが、生きていかねばならない。両親が命を張って救ってくれた命なのだから。

 絶望の淵で、クックはその使命感と復讐心を依代に、辛うじて命を繋いだ。

 

 大海原の中、翼獅子号に乗ったカルロスに発見され、救われるまで。






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