人喰いのゲイル 2



「ジャニ、こっちよ!」


 ルーベルに案内され、ジャニは船室の奥の小部屋に通された。


「ここは私の部屋なの」


 ルーベルが教えてくれる。ジャニは小さく丸い船窓から外を覗き込んだ。

 月明かりの下で、インフィエルノ号とヴィクトワール号は激しい砲撃戦を繰り広げている。その様子を緊張して見つめていたジャニは、傍から新たな船が出現したことに思わず驚きの声をあげていた。


「あれ、船が増えてる!」


 ルーベルが慌ててジャニの横から船窓を覗き込む。そしてハッと息を呑んだ。


「バシリオの船だわ・・・・・・!」


 ルーベルは青ざめた顔で何事か考え込んでいたが、意を決したような素振りを見せると衣装ケースを開けて中を漁り始めた。そして取り出したものを見て、ジャニは目を丸くする。

 ルーベルの手に握られていたのは短弓だった。弓矢の入った短筒を背中に背負い、短弓を抱えて、ルーベルはジャニの肩に手を置いた。


「ジャニ、何があってもこの部屋を出てはだめよ。私が出たら鍵をかけて、衣装ケースの中に隠れていなさい」

「ど、どうして? ルーベルはどこにいくの?」

「私も戦わないと。男だけだと心もとないからね」


 ルーベルは微笑んでみせる。しかしジャニは、彼女が無理して気丈に振る舞っていることに気づいていた。おそらく、不測の事態が起こったのだ。


「いいわね、約束よ!」


 ルーベルは強い口調で言い置くと、ぱっと身を翻して部屋を出て行った。

 取り残されたジャニは、震える両手を握って立ち尽くしていた。

 船窓から見える闇の中、赤く燃え上がる砲火が、ジャニの記憶を呼び覚ます。クックに命を助けられた夜も、こうして一人で息を殺し、何もできない自分に忸怩たる思いを抱いていた。


(俺も、戦いたい)


 あの時何もできなかった自分を塗り替えたい。しかし、ジャニはまだ何の力も持っていなかった。腰に刺した短剣が、何の役に立つだろう?冷酷非道な“人喰い”の海賊たちに、自分が立ち向かえるわけがない。


(でも、守られるだけなんて嫌だ。こんなところに、閉じこもっているなんて嫌だ)


 無理やり自分を突き動かすように、ジャニは震える手をドアノブに伸ばした。


(俺にだって、できることがあるかもしれない!)


 ジャニはドアを開け放ち、走り出した。








「くそ!きりがねぇ」


 インフィエルノ号の甲板では、いくら斬り捨てても湧いて出てくるような敵の数に、クックとアドリアンが苦戦していた。

 アドリアンの部下も多数乗り移って応戦していたが、やはりインフィエルノ号の船員の数が桁違いに多い。しかも戦い慣れしている手練ればかりで、アドリアンの部下は段々と倒れていった。

 二人の周りを取り囲むように、敵が次から次へと斬り掛かってくる。ファルシオンを振り回して、いっぺんに数人の敵を薙ぎ倒したクックは、アドリアンの死角から彼に斬りかかろうとしている敵に気づいて声を上げた。


「アドリアン、後ろだ!」


 アドリアンが振り返って剣を構え直そうとするが、相手の方が動きが速い。間に合わない、と思ったその時、空を切り裂いて一本の弓矢が敵の眉間を撃ち抜いた。

 どう、と倒れた敵を戸惑ったように見下ろし、矢が飛んできた方向を見たアドリアンの目が見開かれる。


「ミス・ルーベル!?」


 そこには、ヴィクトワール号の船べりから、こちらに向かって短弓を構えるルーベルがいた。彼女の手が目にも止まらぬ速さで立て続けに矢を飛ばす。そのどれもが、クックとアドリアンの周りの敵を正確に撃ち抜いていった。

 驚きで口をあんぐりと開けているアドリアンを見て、クックが苦笑する。


「知らなかったのか? あいつは弓の名手だ。少なくとも、あんたが思ってるようなか弱い乙女ではないわな」


 そしてルーベルに向かって怒鳴った。


「おい、船室にいろって言われただろ!?」


 ルーベルは無言で弓を引き絞ると、クックめがけて矢を放った。身がすくむような鋭い音を響かせて、飛来した矢がクックの背後にいた敵に命中する。


「先にお礼でも言ったら!?」


 ルーベルも怒鳴り返す。そんなやりとりをしながら戦い続けるうちに、周りを取り囲んでいた敵の数が減り、クックとアドリアンの行動範囲が広がっていった。


「俺はゲイルを探す! そっちは任せたぞ!」


 アドリアンに言い置き、クックは後列甲板へと足を向ける。その目には、昨日インフィエルノ号を見た時の狂おしい炎が再び燃え上がっていた。


 船長室がある後列甲板の周りには、守りを固めるように大勢の敵が待ち受けていた。

 中でも飛び抜けて背が高く、筋骨隆々の男が巨大な刀剣を振り下ろしてくる。ファルシオンで何とか受け止めつつも、クックは先ほどの砲撃で負った左腕の傷がずきりと痛み、低くうめいた。その隙を狙って他の敵が次々と斬り込んでくる。

 獣のように吠えながら、クックはファルシオンを力の限り振り回した。その剣撃から逃れようと身を引いた敵の群れを、端から順に一刀両断していく。

 残るは大柄の男のみとなった。二人の刀剣が火花を散らしぶつかり合う。クックは力を溜め、渾身の力で男を弾き飛ばした。

 体制を立て直そうとたたらを踏んだ男に駆け寄り、すれ違いざまに気合一閃を叩き込む。

勢いよく血飛沫がクックの顔にかかった。自分に何が起こったのか理解する前に、男は絶命していた。倒れた男の重さで甲板がきしむ。

 ほう、と一息ついたクックは、後列甲板から降りてくる人影に気づいた。


「おや、威勢のいいのがいるね」


 穏やかな口調なのに、その低く艶のある声はクックの耳に響いた。

 ゆっくりと階段を降りてくる人影は、すらりと背が高く、上質な黒のコートを身に纏っている。ランタンの光に照らされて浮かび上がったのは、この世のものとは思えない風貌だった。

 揺れる絹のような銀の髪。流れる血潮でさえ透けてしまいそうな白い肌。眼帯に覆われていない右目は、人間離れした紅の色。

 クックの体が震え出した。男を見る目は、激情でまなじりが裂けそうなほどに見開かれている。


「ゲイル・・・・・・!」


 目の前に歩いてきた壮年の男は、長い間クックが探し求めてきた男だった。

 通称“人喰いのゲイル”。エンドラの権威の元、数多の異民族を死に追いやった男。

 クックの口から咆哮が上がる。

 ファルシオンを大きく振りかぶり、クックはゲイルに襲いかかっていった。






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