二人きりの島で 5



「どうして君がこんなところにいるんだ?」


  帆船に乗り込んだクックとジャニに歩み寄り、アドリアンは開口一番そう問い詰めた。


「まぁ、あんたの疑問はもっともだ」


 クックははぐらかすように答える。

 アドリアンは訳がわからないという顔をしていた。


「この近くを通ったら、不思議な海流に捕まってね。舵が効かなくなってしまった。流されるままこの島の前に来たら、狼煙が上がっているのを見つけて、救助した遭難者がまさか君とは! 翼獅子号はどうした? ゲイルにやられたのか?」


 そしてクックの横にいるジャニに気づき、眉を訝しげに上げた。


「その子はなんなんだ? 君の子供か?」

「んなわけないだろ! 相変わらずすっとぼけた頭してんなぁ」


 クックが呆れたように言う。

 その時、アドリアンの背後から女性の声が聞こえてきた。


「掟でも破って島流しにされたんじゃなくて? ロンにまで見放されるなんて、よっぽどのことをやらかしたのね」


 皮肉をこめた口調で言いながら、ルーベルが歩み寄ってきた。長い船旅を経てきたのだろうが、その美しさは微塵も変わらない。

 ルーベルが近寄った途端、クックは焦ったように後ろに下がった。訝しげに自分を見るルーベルに、クックが指を突きつけて言い放つ。


「お前は俺に、それ以上近づくな」


 その硬い声に、ルーベルの顔が怒りで赤く染まった。


「言われなくてもあんたなんかに近寄らないわよ!」


 足音高く船室に戻っていく。ルーベルの後ろ姿を見送り、アドリアンは不思議そうにクックを見た。


「彼女のことが嫌いなのか?」

「まぁ、色々あってね」


 クックの表情は声と同じように硬い。

 ジャニは違和感を覚えた。クックがルーベルを嫌って彼女から距離を置いているようには見えなかった。まるで、何かを恐れているようだ。


「あんたにもお願いしたい。俺の気づかないところで彼女が俺に近づくようなことがあったら、全力で阻止して欲しい」


 クックに真顔で頼まれ、アドリアンは困惑しながらも「わかった」と請け負った。


「ところで、ゲイルは見つけられたのか?」


 やや強引にクックが話を変える。アドリアンは途端に険しい顔をした。


「それが、何度か見つけて追いつこうとしたんだが、毎回逃げられてしまってな。まるで幽鬼みたいな奴だ。この群島の近くでも見失ってしまった」


 クックが顎髭をさする。


「俺たちがゲイルをこの辺で見たのは昨日の昼頃だ。もう遠くへ行っていてもおかしくないはずだが・・・・・・」


 難しい顔をしているクックを尻目に、アドリアンは笑顔を見せた。


「いや、しかし翼獅子のクックが参戦してくれるのはありがたい! 腹が減っているのではないか? なにか用意しようか」

「それは助かる」


 クックとジャニは思わず顔を綻ばせた。

 アドリアンはジャニの顔と腕の怪我に目をとめて、近くの船員にジャニを医務室に連れていくよう声をかけてくれた。


 怪我の手当てをしてもらい、翼獅子号の船長室より数段煌びやかな船室に案内され、クックとジャニはアドリアンとディナーを共にした。

 飢えていたジャニは、美しく盛り付けられた、繊細な味の品々に舌鼓を打ったが、温もりのある大雑把な味付けのバジルの料理を、少し恋しく感じた。

 アドリアンとクックは酒を飲み交わしながら、何やら航海術について楽しげに話し込んでいる。意気投合するものがあったらしい。

 ジャニにはさっぱりわからない内容なので、だんだんと退屈になってくる。

 料理があらかた出尽くし、満腹になったところで、ジャニは二人に気づかれないようこっそりと船室を後にした。部屋の隅にいた給仕係がちらりと目で追ってきたが、見逃してくれたようだ。


 外はもう夕暮れ時で、血のように赤い大きな夕日が、ぼってりと海面に溶け始めた頃だった。紺から赤、橙のグラデーションを背景に、周りの島陰がくっきりと黒く浮き上がり、美しい陰影を描いている。


「そんなところで、どうしたの?」


 船べりに頬杖をつき、ぼんやりと景色を眺めていたジャニは、急に声をかけられてびくりと身をすくませた。振り返ると、ルーベルが優しくジャニを見下ろしていた。

 彼女の大きな瞳にじっと見つめられ、ジャニは顔を赤くする。

 ルーベルはまじまじとジャニを見ていたが、何かに気づいたように「あなた」と口を開いた。次いで口をつぐみ、言いかけたことを取り繕うように「お名前は?」と尋ねた。


「じゃ、ジャニ、です」

「そんなに緊張しないで」


 しどろもどろに答えるジャニを見て、ルーベルはくすりと笑う。

 笑うと、彼女はぐっと幼く見えた。いつもクックに対してのしかめ面しか見ていなかったので、その笑顔はジャニの心を掴んだ。彼女からほのかに香る芳しい香りにもくらりとしてしまう。


「ジャニ、可愛い名前ね。私はルーベルよ、よろしくね」


 内心どきまぎしているジャニには気づかず、ルーベルは屈託なく微笑む。


「ジャニは、クックの船に乗っていたのよね。自分で海賊に志願したの?」

「ううん、海賊にはなりたかったけどね。俺はクック船長に助けられたんだ」


 そしてジャニは、クックたちとの出会いや、今まで起きたことを、つっかえながらも身振り手振りで一生懸命話し始めた。ルーベルは相槌を打ちながら、熱心に耳を傾けてくれた。

 話しながら、ジャニはこうして誰かに自分の身に起きたことを聞いてもらいたいと思っていたことに気づいた。

 ケツァクァトルやら、レヴィアタンやら、側から聞いていたらおとぎ話のような出来事ばかりである。しかしルーベルは、信じがたいという顔をすることもなく、最後まで話を聞き終えると、感心するようにジャニを見た。


「大変だったわね、大冒険じゃない!」

「お、俺の話、信じるの?」


 ジャニがおずおずと尋ねると、ルーベルは苦笑した。


「私も昔、クックと旅をしていた時にそういう不思議な体験を沢山したの、だから大概のことには驚かないわ」

「え! 船長と旅を? 二人は、恋人だったの?」


 ジャニが驚いてルーベルを見上げる。ルーベルは長いまつ毛を伏せると、遠く、暮れゆく夕日に目を向けた。


「ずっと前のことよ。もう、私たちは終わったの」


 何か自分に言い聞かせるような口調だった。ジャニが不思議そうに首を傾げる。


「どうして?」

「・・・・・・彼はもう、私のことをなんとも思っていないのよ」


 行き場のない怒りや悲しみをたたえた声で、ルーベルがぽつりと呟く。しかし、ジャニは変わらず不思議そうな顔で


「それは違うよ」


 とはっきり言い切った。ルーベルは驚いてジャニを見る。


「どうしてそう思うの?」

「船長はいつも、あなたのことを目で追っているよ」


 ジャニは言葉を探すようにうーんと唸った。


「なんて言えばいいのかわからないけど、あなたのことをとても大切そうに見つめてる。言ってることや表情は違うけどね。俺、船長はあなたに何か隠しているような気がするんだ。俺にはわかるんだ」


 ルーベルはまじまじとジャニを見つめると、花が綻ぶように微笑んだ。


「あなたのその目は、他の人には見えないものが見えているのね」

「片目しかないけど」


 ジャニが恥じるように下を向く。しかしルーベルは力強く首を振った。


「片目だろうと関係ないわ。凄いことよ。それはあなたの立派な特技よ」


 ジャニは顔が火照るのを感じた。こんなに面と向かって誉められることに慣れていないのだ。とっさに話を変えようとする。


「あ、あなたはどうしてゲイルを追っているの?」


 ルーベルはすっと表情を険しくした。


「ゲイルは、私の国にとって、とても大事な宝石を盗んだのよ。それを取り戻したいの。

 あの宝石は、私たちの国を創った神様の依代として、ずっと昔から祀られていたものなのよ。不思議な力があって、生き物の傷や病を癒す力があるの。ゲイルは、その力欲しさにあの宝石を盗んだ。

 でもあれは、人間に使ってはいけないものなのよ」


 ルーベルの赤褐色の瞳が、燃えるように強い光を放っている。ジャニは魅入られるようにその瞳を見つめた。


「私は、宝石を取り戻して、散り散りになったリンドヒゥリカの民を導きたい」


 海のはるか向こうに想いを馳せるように、ルーベルは顔を上げた。

 夕日を背に、彼女の横顔は女神のように凛と輝いていた。

 その横顔に見惚れていたジャニは、彼女の背後に見える島陰から、ぬっと黒い不気味な影が姿を現したのを目にして息を呑んだ。


「あ、あれ・・・・・・!」


 震える指を差し向ける。

 ルーベルが振り返った先には、髑髏像を抱えた巨大な帆船があった。真紅の太陽を背負って帆船は黒く浮かび上がり、地獄からの使者のようにこちらに向かってくる。


「あれは、ゲイルの・・・・・・!」


 ルーベルが叫んだとたん、髑髏像の帆船が火を吹き、耳をつん裂くような砲音が鳴り響いた。





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