二人きりの島で 4
どこからか、物悲しいメロディが聞こえてくる。
聴くものの郷愁を掻き立てるような憂いを帯びたメロディは、いつか聞いたセイレーンの歌にも似ていたが、旋律は全く違った。
旋律は繰り返し、ジャニの頭の中にこだまする。潮のようにときには満ちて、ときには引いて、じわじわと脳内に染み入ってくる。
同じフレーズが続く旋律は、ジャニの記憶に刷り込まれていった。
『この歌を覚えなさい』
頭の中に直接響く声がする。セイレーンの声が聞こえてきた時と一緒だ。しかしその声はセイレーンのものよりか細く、優しいものだった。
『この歌を歌えば、ディオンヌの歌を封じ込めるでしょう』
声は切願するように震えている。まどろむ意識の中で、ジャニはその声に問いかけていた。
「ディオンヌ・・・・・・?」
『あなた方が“セイレーン”と呼んでいる海の魔物です。
彼女は、魔物などではなかった。かつては海の精霊として、私の姉として、生命を癒し讃える歌を歌っていた』
声には哀愁が漂っていた。
『姉を、救って欲しいのです。もう精霊に戻すことはできないけれど、彼女の魂を光のもとに返したい』
ジャニの頬をなでる手があった。その温もりで、ジャニは自分が乾いた地面の上に寝かされ、呼吸していることに気づいた。
体が芯から重い。慌てて深く呼吸しようとして、ジャニは息を詰まらせて咳き込んだ。
水を吐き出して、呼吸を荒くしながら目をこじ開けようとする。
ぼんやりと霞む視界に、こちらを覗き込んでいる白い面が映った。柔らかな金髪がそよぎ、爽やかな青い瞳が二つ、じっとジャニを見つめている。
「なんで、俺に頼むの・・・・・・?」
ジャニは掠れる声を振り絞ってその人影に問いかけた。
「俺は、何もできないただの馬鹿なガキだよ」
マハリシュも、この人も、なぜ自分なんかに頼もうとするのだろう?掟を破って島流しにされたり、こんな穴に落ちて溺れそうになっている馬鹿な子供に。
人影が、ふわりと笑ったように思えた。
『あなたが“変えようとするもの”だからですよ。この島にいるもう一人の人間も素質は持っているのですが』
そこで声は可笑そうにくすりと笑った。
『残念ながら、歌の素質が壊滅的だったので、あなたに託すことにしました』
クックのことを言っているのだろうか。彼が音痴であることを知っているジャニは力なく笑った。
頬に触れた温かい手が、今度はジャニの右手に触れた。
手のひらの中に、何かひんやりとした丸みを帯びたものを握らされる。
『これを持っていてください。あなたがたの求める場所にいく時に、これを吹くのです。きっと彼らが連れて行ってくれますから』
何を言っているのかわからなかったが、ジャニは抵抗する気力もなく微かにうなずいた。人影は再び静かにジャニを見下ろしていたが、やがてだんだんと遠ざかっていった。
『船をこちらに呼び寄せておきます。あなた方のいく先に、幸運の灯火のあらんことを』
「ま、待って。あなたの、名前は・・・・・・?」
消えようとする人影に、ジャニが慌てて声をかける。潮風のような囁きが、ふっとジャニの頬を掠めた。
『私の名は、シレーヌ』
そして外界の音が戻ってきた。それまで途絶えていた風の音、鳥のさえずり、潮騒の音がジャニを包み込んだ。同時に意識もはっきりとしてくる。
視界も明瞭になり、ジャニは自分が先ほど落ちた水場のすぐ横の地面に寝かされていることに気づいた。
(今のは、なんだったんだろう?)
夢だったのだろうか、と思いながらゆっくり起き上がり、ジャニは自分の右手に握られているものを見てハッと息を飲んだ。
そこには鮮やかな桃色に光る、美しい巻き貝があった。
「おい、ジャニ! 大丈夫か!?」
どこからか声が聞こえ、水場を回り込むようにしてクックが走ってきた。
「お前の声が聞こえた後に水に落ちるような音がしたから来てみたら・・・・・・あの水場に落ちたのか? 怪我したのか、血が出てるぞ」
クックに指摘されて初めて、ジャニは自分の額と腕から血が流れていることに気づいた。岩にぶつかった時にできた傷だろう。しかしジャニは、手当てしようとするクックの腕を力強く握って止めた。
「そうだ、それどころじゃない! 船長、船が!」
クックの目が見開かれた。
二人は必死に山を登り、頂上を目指した。
(あれからどれくらい時間が経ったんだろう。もう、船はいなくなっているかもしれない)
ジャニの胸は激しい焦燥にかられた。どうしてあんなところに落ちたのだろうと自分を責める。その時のジャニの頭からは、とっさにポケットに入れた巻き貝のことも、シレーヌと名乗った声のことも消え去っていた。
(まだ、間に合いますように!)
必死で祈りながら山の頂に辿り着く。そして海を見下ろした二人は、次の瞬間大歓声を上げていた。
島の目の前に、一隻の帆船が浮かんでいたのだ。
「アドリアンの船だ!」
クックが喜びの声を上げる。すぐに燠になっていた焚き火に息を吹きかけ、新しく採って来た薪をくべて狼煙を上げた。
そして二人は全身を使って、船に自分たちの存在をアピールした。
「おーい! ここだー!!」
「お願い、気づいて!」
クックは自身の赤いバンダナを振り回し、ジャニは可能な限り高くジャンプする。
やがて、帆船の船首に立っている人物が、こちらに向かって派手な色の旗を振ってくれた。
「「気づいた!」」
クックとジャニは同時に叫んで、満面の笑みで目を見交わした。
こうして、彼らの無人島生活は幕を閉じた。
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