二人きりの島で 3
「俺は、国を作る」
その言葉は、クックの胸の深いところを打ち抜いた。
バルトリア島の岬から海を見ながら、その男は力強く言葉を続けた。
「誰もが平等で、自由で、助け合える国だ。奴隷なんぞいない。生まれも育ちも関係ない。俺たちみたいな、国を追われた者、国を失った者の新しい国を、ここに作る」
まだ歳若かったクックは、羨望と幼さ故の反抗をにじませた眼差しを男の広い背中に向けた。
そんな国があったら、どんなにいいか。しかし、クックは彼のように理想に目を輝かせることはできなかった。
人間は簡単に裏切り、他人を陥れ、弱いものを叩き潰す。自由・平等・友愛なんてものは、美しく描かれたハリボテの様にあっけなく崩れるのだ。そんなもの、この世には存在しない。かつてのクックは、そうやって諦めて世の中を恨んでいた。
「カルロス、あんたは現実が見えてない。そんな理想郷、作れるはずがないだろう。皆が平等な国なんて存在しない。絶対に私服を肥やそうとする腐った奴が現れる。差別はなくならないし、争いはなくならない。それにこんな小さな国を作ったところで、エンドラやイグノアに潰されるだけだ!」
込み上げる怒りに任せて、クックは叫んだ。それが何に対する怒りなのかはわからない。
無謀な理想を掲げる男への怒りなのか、それとも。
ただそうやって、何もできないと喚くばかりの無力な自分への怒りなのか。
「吠えてろ、若造」
クックの鬱憤を吹き飛ばすように、男は言い放った。こちらを振り返り、にっと不敵に笑ってみせる。
赤いバンダナでまとめた豊かな黒い縮れ髪、顔半分を覆い尽くす野生的な黒髭。見るものをすくませるほど厳つい顔の中で、目だけは少年のようにキラキラ輝いていた。
「できない、と言っちまうのは簡単だ。だがな、そう言った途端にその夢は死ぬ。
人間は、意思を継いでいくことのできる生き物だ。例えば、もし俺がこの夢を実現できなくても、他にこの夢を引き継いでくれる奴がいれば、俺の夢は生き続ける。そうやって、人間は色んなことを実現させてきたんだ。
クック、この海を見ろ!」
男は広い海原に両手を広げた。
遠洋には、白い帆を掲げた帆船が点々と見えていた。バルトリア島の港から、たった今出航した船も見える。
「はるか昔の人間にとって、海に出るのは不可能なことだと思われたはずだ。だが、人間は船を造り、海を越えることを可能にした。それまで、きっと何人もの人の想いが受け継がれてきたはずだ。
簡単にできないって言うな。その言葉は自分をちっさくしちまうだけだ。
お前はでっけぇ男になれ、クック。お前は頭もキレるし、剣の腕もなかなかのもんだ。すぐカァーッとなっちまうとこさえ直せば、いい船長になれるだろうさ」
クックは顔を赤らめて男に指を突き立てた。
「うるせぇ! 俺はあんたみてぇなお人好しにはならねぇからな!」
男はそれを聞いて豪快に笑っていた。
(カルロス)
クックは記憶の中の男に呼びかける。
(あんたの夢は、まだ生きているのか?)
海鳥が鳴きかわす声で、クックは目を覚ました。
横を見ると、クックに背中をくっつけ、猫のように丸まって寝ているジャニがいた。
(こいつにカルロスの話をしたからか。久しぶりに夢に見た)
クックは苦笑して起き上がった。
水平線はもううっすらと白み始め、濃紺の夜のヴェールがはがされそうである。レモン色の陽光が放射状に空を彩り、夜が明けていくのを、クックはぼんやりと眺めていた。
「うん・・・・・・」
やがて、ジャニがむにゃむにゃ言いながら目を覚ました。寝ぼけ眼をこすって不思議そうにあたりを見回し、自分の状況を思い出したのか落胆したような顔をする。
「・・・・・・おはよう船長」
「よぉ、起きたか。そろそろ明るくなってきたから、船の見張りを頼む。俺は薪をとってくるのと、水場を探しに行ってくるからな」
「朝から元気だね、船長」
「お前がだらしねぇだけだろ。しゃんとしろ」
そう軽口を叩いて、クックは山を降りていった。ジャニは自分の頬を両手でぱちんと叩いて、眠気を吹き飛ばした。
(そうだ、俺がしっかりしないと。ちゃんと船を見つけるんだ)
ジャニは自分に気合いを入れて、またひたすら海原に目を凝らす作業に取り掛かった。
日焼けした肌がこそばゆい。
この島に降り注ぐ日差しは、容赦なく全身を炙っていく。草木のない山の上では、日差しを遮るものもなく、ジャニはひたすら耐えるしかなかった。
傍にあるビンをとりあげ、水を口に含む。少しずつしか水は飲んでいなかったのに、この暑さで蒸発しているのもあるのか、瓶の水はあとわずかになっていた。
(水場がみつからなかったら、ミイラみたいに干からびて死んじゃうな)
下船時に配給された水はこれだけである。
食料も、渡されたビスケットはもうすでになくなってしまった。クックが採ってきてくれた海亀の肉が残ってはいるが、しかし水がなければ、この暑さでやられてしまうのは必至である。昨日もクックが島を散策して水場を探してくれたのだが、見つからなかった。
どうか、今日こそは水が見つかります様にと祈りながら、ジャニは孤独に船を待ち続けた。
(みんな、どうしてるかなぁ)
最後に見た、パウロの悔しそうな顔を思い出す。
料理を作っている時の、バジルの真剣な横顔。
ロビンを愛おしそうになでてやる、メイソンの笑顔。
宝石を見た時の、グリッジーの輝いた顔。
そしてロンの、優しく話を聞いてくれている時の顔。
セバスチャンの音楽に合わせて、広間で飲んで騒いで踊っていた気の良い船員達。
風を受けて膨らむ帆。波飛沫けたてて進む翼獅子号の赤い船体。きしむロープの音。
ベケット達砲撃隊の鳴らす大砲の音さえも、今は全てが恋しかった。
(翼獅子号に戻りたい・・・・・・)
ツンと鼻の奥が苦しくなる。
恋しさで胸がいっぱいになったジャニは、海の向こうに小さな船影が見えた様な気がしたものの、自分の心が見せている翼獅子号の幻影だろうと思った。
しかし、船影はなくならない。それどころか、どんどん近づいてきている。
「・・・・・・え!?」
ジャニは勢いよく立ち上がった。幻影などではなかった。まだはるか遠くにいるが、こちらに向かってきている船がある。
「え! ど、どうしよう、狼煙・・・・・・!」
慌てて狼煙を上げようとするが、薪は燃え尽きてしまっている。周りには燃やせそうなものもない。クックが持ってきてくれる薪が頼りだが、彼はまだ帰ってくる気配がない。
「船長ーっ! 船が見えるよー!」
大声で山の下に呼びかけてみるが、返答はない。ジャニは焦って山を駆け下りながら、ひたすら声を張り上げてクックを探した。
「船長!! 船長ーっ!」」
(この船を逃したら、もう二度と助かる機会はないかもしれない!)
気ばかりが焦り、ジャニはろくに足元に注意することもなく遠くに視線を向けながら走り回った。
「船長ー!! 船がーー」
その時、ジャニは何かにつまずいて勢いよく前方につんのめった。見ると、目の前に深い岩の亀裂が口を開けており、底には澄んだ水が溜まっている水場があった。
慌てて両手を振り回して落ちない様に足掻いてみるが、バランスを崩した体は呆気なく亀裂に落ちていく。
落ちる途中、突き出ていた尖った岩に頭を打ち付けた。咄嗟に腕で庇ったものの、その衝撃で意識が遠のいていく。
水面に体が叩きつけられ、冷たい水の心地よさを感じながら、ジャニはゆっくりと水底に沈んで行った。
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