突然の別れ 4



「・・・・・・よかった、逃げ切れたようだ」


 望遠鏡を覗き込んでいたロンがほっと息をつく。

 船員たちも安堵したのか、静まり返っていた船内に喧騒が戻ってきた。

 しかしクックだけは、悔しさを押し殺したような顔で小さくなっていく“人喰い”の船を見つめていた。


(よし、言うなら今だ!)

「ロン、ちょっと話が・・・・・・」


 ジャニは医務室に戻ろうとしたロンの背中に声をかけた。訝しげに振り返るロンに、ジャニが口を開きかけたその時。


「おっと、ここにいたか」


 突然腕を力強くひねりあげられ、ジャニは思わず悲鳴を上げた。振り返ると、そこには冷ややかに自分を見下ろすキアランが立っていた。


「おい、離してやれ!」


 ロンが声を尖らせるが、キアランは動じない。そして彼は甲板にいる船員たちに聞こえるように声を張った。


「さて、落ち着いたところで、一つみんなに審議してもらいことがあります」


 何事か、と自分をとりまくように集まってきた船員たちに、キアランはジャニを突き出した。


「この少年が、掟を破ったことについてです」

「ジャニ・・・・・・!」


 騒ぎを聞きつけて走ってきたパウロが、青い顔でジャニを見ている。ジャニも顔から血の気がひくのを感じながらパウロを呆然と見返していた。


(宝箱の鍵のことだ)


 サラスーザではクックの発言でその件はうやむやになっていたが、キアランはここにきて白黒つけるつもりらしい。


「おい、キアラン。なんの騒ぎだ」


 キアランとジャニを中心として集まった船員の輪の中に、クックが姿を現した。キアランは片眉を吊り上げてその顔を真っ向から睨みつける。


「まさか、なかったことにするわけじゃないですよね? この小僧が、デイヴィッド・グレイの宝箱の鍵を手にいれておきながら、我々に報告する事なく自分のものにしようとしていたことについて」

「なんだって!」


 サラスーザに上陸していなかった船員たちは、キアランの言葉に驚いたようにジャニを見た。ジャニは慌てて声を上げる。


「報告してなかったのは悪かったけど、あれが鍵だって知らなかったんだ! マハリシュが俺にくれたから・・・・・・」

「あの爺さんがタダで物をくれるはずがないだろう! あの家から盗んで隠し持っていたに決まってる!」


 キアランに再び腕を捻り上げられ、ジャニはあまりの痛みに涙目になった。

 ロンがキアランの腕を掴み、鋭い目で睨みつける。


「その腕を離せ。お前が独断で痛めつける権利はない」


 キアランは少し気圧されたようにジャニの手を離したが、苛立たしげに続けた。


「私以外にも目撃者はおりますぞ。グリッジー、メイソン、ウルド、パウロ、それにもちろん、船長とロンも見たはずです。彼が自分のポケットから鍵を取り出すのを」


 キアランに名前を呼ばれたメンバーは、みな眉根を寄せて黙り込んでいる。キアランは勝ち誇ったような顔をグリッジーに向けた。


「確かこの少年には乗船の際に貴方が掟をしっかり教えているはずですよね? グリッジー、掟の第二条はなんでしたかな?」


 グリッジーは苦しそうにため息をついた後、振り絞るように声に出した。


「第二条。船員は、報酬の授与にあたり一覧に載った順番で公平に与えられる。しかしその者が貴金属、財、宝石や金銭を私財として隠匿した場合には、その罰は無人島置き去りである・・・・・・」


 ジャニは目の前が真っ暗になるのを感じた。無人島置き去り、という言葉がこだまするように何度も頭の中に鳴り響く。


「な、なにもそんなガキに死刑と同じような罰を与えんでも」


 メイソンがなだめるようにキアランに声をかけるが、彼は目を吊り上げて怒鳴り返した。


「ガキだろうとなんだろうと、掟の書いてある紙に名を連ねたからには全員等しく処罰を受ける義務がある! そんなことを言い出したら、次にパウロが掟を破った時どうする? ガキだから見逃すのか? 何歳から適用されるのだ?

 一回でも掟をないがしろにしたら、そこから綻びは広がってこの船は破綻する!」


 キアランの口上に、反論するものは誰もいなかった。

 ウルドも、バジルも、セバスチャンも、ロンも、ジャニを援護したい船員はいるものの、キアランのもっともな言い分に口を挟めないでいる。皆、苦しそうに口を引き結んでいた。


「もう一回・・・・・・もう一回だけ、こいつにチャンスをください!」


 そんな中、パウロだけはキアランの前に進み出て頭を下げた。冷酷な眼差しで自分を見下ろすキアランに、必死で言い寄る。


「俺は、こいつに命を助けてもらったんだ! みんなだってそうだろ!? こいつがいなかったらバシリオに船を乗っ取られていただろうし、サラスーザも見つけられなかったかもしれない! 今まで何回も、こいつは俺たちのために頑張ってくれたじゃないか!」

「パウロ・・・・・・」


 ジャニは喉元に熱いものが込み上げてくるのを感じた。あんなにキアランのことを恐れていたパウロが、自分のために彼の前に立ちはだかってくれている。

 しかし、キアランはただ冷笑しただけだった。


「これだからガキは感情論ばかりで話にならん。私が話しているのは掟はどんな理由があろうと揺るがないと言うことだ。見逃すことなどもってのほかだ。

 次にこいつが掟を破った時、誰かが死ぬかもしれないんだぞ? その責任はどうなる。お前が取るのか?」


 言い返せず、パウロは泣きそうな顔で項垂れた。

 キアランは口の端で笑う。


「鍵を黙って持っていたということは、デイヴィッド・グレイの宝を独り占めしようとしたのと同じこと。大罪ですな。しかし、こんな少年が一人でそんな大それたことを計画していたとは考えにくい。誰か、彼に入れ知恵をした者がいるのではないか、もしくは」


 ジャニは、そこでちらりとキアランがクックを盗み見たことに気づいた。


「彼に鍵を渡して、持っているよう指示した者がいるのではないか。私はそう考えているのですがね」


 キアランはそこで、船員たちに鋭い視線を向けた。


「誰かいるのではないですか? この少年を使って宝を独り占めしようとした者が?」


 みな、キアランの視線から逃れるように下を向いている。それはそうだろう。今ここで名乗り出たら、ジャニと一緒に無人島置き去りの刑に処されるのは必至だ。

 誰も名乗り出ないのを見ると、キアランはわざとらしくため息をついた。


「そうですか。あくまでもこの少年が一存でやったことのようですね。であればしかたない。彼一人、無人島置き去りにするしかないでしょうな」

「俺だ」


 その時、皆が下を向いて沈黙する中、軽やかに声を上げて挙手する者がいた。

 ジャニの目が、その人物を見て大きく見開かれる。


「船長・・・・・・!」


 進み出たのは、クックだった。真っ直ぐキアランの前に歩み寄る。

 皆が唖然とする中、クックはジャニの肩にそっと手を置いた。


「俺が指示した」


 再度申告する。ロンが血相を変えてクックの腕を掴んだ。


「お前、何言ってるんだ!?」

「そうですよ船長! そんなはずないでしょう!」


 メイソンとグリッジーも焦って声を上げた。しかし、キアランはわざとらしく驚いた顔をして、動揺している大多数の船員に呼びかける。


「なんと! 船長自らこの少年を使って、鍵を我が者にしようとしたらしい! これが許されるはずがないでしょう!

なおかつ、先程“人喰い”と一戦交えようとしたり、ここのところの貴方は船長としてどうかという行動をとっている。そこで、私は提案する。

クック・ドノヴァンを船長から罷免し、そこの少年と共に無人島置き去りの刑に処するべきと存じ上げる。賛成の者、挙手を願おう」

「なんだって!?」

「クックを島流しだと!? 正気か!」


 メイソン、バジルが叫び、ウルドやグリッジーやセバスチャンが抗議の声をあげる。

 しかし、動揺する船員とは裏腹に、示し合わせたように手を挙げる船員が大多数いた。手を上げた船員は全て、トゥーリカにクックたちが上陸した際、キアランと共に船で待機していた船員ばかりだ。


(嵌められた・・・・・・)


 ロンはぎりと奥歯を噛み締めた。おそらく、クック罷免の話はキアランから船に残った船員たちに提案されていたのだ。もとからクックが宝を独り占めするつもりだという噂を流していた可能性もある。


(船を長い間空けすぎたか)


 今更のこととはいえ、ロンは迂闊だった自分を責めた。

 船は多くの人間が、閉鎖的空間で寄り集まって生活しているだけに、クックのようなカリスマを持った人物に傾倒しやすい。しかしそれは、また逆のことも言える。クックがいない船では悪い噂もすぐ広まり、こうして反逆勢力を生み出すことも容易いのだ。

 掟に則り、審議は単純な多数決で決まる。大多数の船員が賛成してしまえば、ことの真偽は別にして、結果は決まってしまう。ジャニの掟破りを利用して、こういう流れになることをキアランは待ち望んでいたのだろう。


(どうする、クック!)


 焦燥に駆られて危機的状況に追いやられたクックを見るが、彼は静かな目をロンに向けていた。


【心配するな】


とその目は告げていた。ロンはどうにもできないもどかしさを感じながら、クックから目を離した。


「さて、結果は明らかなようですね」


 キアランは薄ら笑いを浮かべて、クックに向き直る。その背中に、突然低い声が飛んできた。


「クックを島流しにはさせん!」


 皆が声の主を探してあたりを見渡す。そして進み出てきたのは、意外なことにいつも船倉に引きこもっているもぐらだった。外の明るさに目を細めながら、毅然とした態度で仁王立ちしている。


「彼は船長たるべき人物だ。誰よりも、俺はそれを知っている」


 もぐらは噛み締めるように言葉を紡ぐ。キアランは訝しげに眉を吊り上げた。


「残念ながら、貴方がどう思っているかは関係ない。審議は決したのです。彼にはこの船を降りてもらう」

「この恩知らずが!」


 もぐらは声を荒げた。握りしめた拳は微かに震えていて、彼の怒りを表していた。


「クックのおかげで俺たちが生き延びていることもしらねぇで! あの夜、船長はな!」

「もぐら、ありがとう。だが心配すんな」


 もぐらが言いかけたことを、しかしクックは素早く遮った。何か言いたそうに自分を見るもぐらに、クックは鮮やかに笑って見せる。


「俺は甘んじて無人島置き去りの刑を受けるが、生きて戻ってまたこの船の船長になってやる。それまでの間、この船のことよろしく頼むぞ」

「生きて戻る、ですと?」


 キアランが冷たく笑う。クックは不敵に笑ってキアランを見返した。


「あぁ。掟には刑に処されたやつを船から永久追放するとは書かれてないからな。生きてればなんとでもなる。またこの船に戻って、選挙で船長になってやるさ」

「はっ、おめでたい考えですな。この商船も軍艦も通らないような海で、無人島から生きて戻るですと? 奇跡でも起きない限り、無理でしょう」


キアランは呆れたように両手を広げて見せた。その傍では、ロンが何かに気づいたようにクックの目を見た。


(まさか・・・・・・)


 彼の意図を探るように視線を送る。すると、クックがその視線に気づいてロンを見遣り、微かに頷いた。


(そういうことか)


 ロンは胸の支えが降りたように息を吐いた。

 一方、大人たちの会話を呆然と聞きながら、ジャニは焦燥に駆られていた。このままでは、自分を庇ったせいでクックまでもが無人島置き去りの刑にされてしまう。


(どうしてあの鍵のことを早く話さなかったんだ)


 今更ながら、深い後悔の念が込み上げてくる。恐怖も相まって吐き気すらする。しかし、肩に置かれたクックの手は温かく、先ほどまで孤立無援の孤独に苛まされていたジャニは救われる心地がした。


「船長、どうして・・・・・・」


 涙目でクックを見上げる。しかしクックは無言でジャニの肩に少し力を込めた。「黙っていろ」と言われた気がして、ジャニは口をつぐむ。


「さて、ちょうど群島にいるわけですし、無人島は選び放題ですな。特別に島を選ばせてあげてもいいですよ」


 自分の思惑通りにことが運び、上機嫌でキアランが言う。クックは無造作に一番高い山がある島を指差した。


「だったら、あそこがいい」

「決まりですな」


 すぐにクックとジャニを島に連れていくためのボートが降ろされた。

 ボートに乗り込む前に、ジャニはパウロと短い別れを交わした。


「じゃぁね、パウロ。元気でね」


 ジャニは怖気付く心を奮い立たせ、気丈にパウロに笑いかける。パウロは言葉に詰まった様子で唇を噛み締めていたが、何も言わずジャニを抱きしめた。

 驚くジャニの耳元で、パウロが囁く。


「いいか、絶対に船長から離れるんじゃないぞ。きっとお前を守ってくれるだろうから。必ず、戻ってこいよ」


 ジャニは顔を歪めて何度も頷いた。そんな二人の様子を、バジル達が辛そうな表情で見つめている。


 二人は少しの水と食糧とともに、ボートでクックが選んだ島に運ばれた。

 浜辺に並んで、遠ざかっていく翼獅子号を見送りながら、クックが声を上げる。


「行っちまったなぁ」


 翼獅子号の姿がぼやけていく。

 ジャニは込み上げる涙をそのままに、呆然と砂浜に佇んでいた。





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