突然の別れ 3




「はぁ? この宝箱いっぱいに激辛のものと激臭のものを詰め込んでこいぃ?」


 クックのところに呼び出されたバジルは、差し出された空の宝箱を受け取りながら思い切り素っ頓狂な声を上げた。

 クックは「そうだ」と至極真面目な顔で頷く。

 彼らの背後では依然大蛇と船員たちとの攻防戦が続いている。大砲の音が響き、大蛇の襲撃で船の破片が飛び散っている状況を指差してバジルは禿頭に血管を浮き上がらせた。


「おいおい、お前の突拍子もねぇ命令には慣れっこだけどな、さすがにこの状況でそんなことしてる場合じゃねぇだろう!?」

「説明は後だ! じいさん、俺を信じろ」


 クックのオリーブ色の透き通った瞳で見つめられ、バジルは言葉を飲み込んだ。


「バジル、俺も手伝うよ!」


 ジャニはバジルの手を引っ張って、無理やり船内に向かわせた。何か言いたそうにしていたバジルも諦め、「訳がわからん」だの「あのイカれ船長め」だの呟きながら厨房に向かう。

 厨房は大蛇の襲撃で船が揺れに揺れたため、物が散乱して悲惨な状況になっていた。バジルは悪態をつきながら床に転がったスパイスの瓶を吟味し、中身を宝箱の中に放り込んでいく。


「あぁ、俺が長年苦労して集めたスパイスが・・・・・・」


 真っ赤な香辛料をザラザラと宝箱に入れながら、バジルは悲しそうに呟いた。ジャニは少し彼に同情した。しかし、このまま大蛇にやられれば料理どころではない。死人に口なしだ。

 他にも悪臭を放つもの(腐った野菜、強烈な匂いの果物など)を宝箱いっぱいに詰め込んで、バジルとジャニはクックの元に持っていった。クックは満足そうに頷く。


「船長、あるだけかき集めてきたぜ」


 今度はメイソンが箱いっぱいの手投弾を持ってきた。クックはそれを船員全員に配るよう指示し、その場にいたメンバーにも一個ずつ手渡していく。


「いいか、俺が合図したら全員でこれをあの蛇の口の中に投げ入れるんだ。外すなよ!」


 そして自分はというと、宝箱だけを抱えて甲板の真ん中に走り出ていった。蛇の目の前に仁王立ちし、宝箱を頭上に高々と掲げる。


「おい、化け物! お前が欲しいのはこれだろう!?」


 大蛇の動きが止まり、ぬるりとその頭がクックの方を向いた。鎌首をもたげながらゆっくりと大蛇が近づいていくが、クックは微塵も動かない。


「お、おい、食われちまうぞ」


 バジルが冷や汗をかきながらつぶやいた、その時だった。

 チロチロと舌を出し入れしてクックににじり寄っていた大蛇が、勢いよく飛びかかっていった。大蛇の開け放たれた大口がクックに迫る。

 その牙がかかる寸前、クックは持っていた宝箱を大蛇の口の中に放り入れ、自分は身を翻して甲板を転がり避けた。

 大蛇の牙は空を切り、宝箱を飲み込むようなそぶりを見せる。

 その後、大蛇に異変が見られた。びくりと大きく身を震わせると、苦しそうに悶えて船の至る所に頭をぶつけ始めた。船員たちは慌てて逃げ惑う。

 やがて、何か吐き出そうとするように大蛇が大きく口を開いた。

 何度か大きくえずいたのち、ドシャっと胸の悪くなるような音を響かせて、大蛇の口から空の宝箱と体液に塗れた人影が滑り出てくる。

 なんと、大蛇に飲み込まれた測深係とセバスチャンが吐き出されたようだった。最初に飲み込まれた測深係は着ていた服が胃酸で溶けてほぼ素っ裸になっているが、二人とも命に別状はなさそうだ。

 大蛇はなおも苦しそうに口を開けて咆哮を上げている。激辛激臭攻撃に悶絶しているようだ。そこに、クックの怒号が響き渡る。


「いまだ!!」


 身構えていた船員がいっせいに、大蛇の口の中に持っていた手投弾を投げ込んだ。陶器製の手投弾は大蛇の牙にあたって砕け、爆発に次ぐ爆発を生み出した。

 ただでさえ敏感な口の中をめったうちにされ、大蛇は絶叫を放って海に倒れ込んだ。その衝撃で立ち上った水柱が甲板に降り注いでくる。

 大蛇はしばらく海中でうごめいていたが、最後に悔し紛れのように船に体当たりしたのち、深く潜って姿を消した。


 だんだんと穏やかになっていく海面を固唾を飲んで見守っていた船員たちは、大蛇が去ったとみると一斉に大歓声を上げた。


「船長ぉ、ありがとよぉぉ」


 大蛇の腹から奇跡の生還を果たした測深係とセバスチャンも、抱き合って涙を流している。

 怪我人は大勢、船の被害は甚大なものの、死者は一人も出なかった。


「まったく」


 呆れたように禿頭を撫で回しながら、バジルは横で微笑むクックをジロリと見た。


「てめぇはイカれてるよ」

「最高の褒め言葉だね」


 クックは涼しい顔で笑って見せた。


「船長、こりゃ近くの港でちゃんと船材を買い入れて修理しねぇとだめだ。とてもじゃないが木材も釘も足りない」


 お手上げだというように両手を上げてみせるメイソンの肩の上で、ロビンも同じポーズをしている。

 メイソンの言う通り、甲板は舷縁がほぼ壊され床は穴だらけ、マストも割れ目が入っていて補強しないと心もとない。体当たりされた船体の数カ所にも穴が空いていて、なにより、船長室の窓が全面割られて中が剥き出しになっているのだ。


「そうだな、目的地に行く前に近くの港で補充しよう。今敵船にでも襲われたら太刀打ちできない」


 クックはメイソンに頷いてみせる。

 ロンとパウロは怪我人の手当てに走り回り、落ち着きを取り戻した船員たちは船内を片付け始めた。

 ジャニもほっと一息付き、穏やかな波に戻った海原を見渡した。

 その時だった。

 ジャニは水平線上に一隻の船影を見つけた。

 まるで幽霊のように突如現れた船に、ジャニは束の間自分の目を疑った。その船旗には、眼帯をしたドクロのマークが描かれている。


「船長! あれ、仲間の船かな? ドクロの旗の船がこっちにくるよ」


 ジャニはその船を指差してクックに声をかけた。


「仲間? バルトリアのやつらがこんなとこにいるわけないだろ」


 訝しげに望遠鏡を取り出し、ジャニの指し示す先を見たクックの顔が、凍りつく。


「“インフィエルノ号”・・・・・・」


 クックの声は微かに震えていた。


「“人喰い”の船だ」






 大蛇襲撃のショックから立ち直りかけていた船内は、再び緊迫した空気に包まれていた。


「ゲイルの船だと!?」

「今襲われたらひとたまりもねぇぞ!」


 船員たちはみな不安に顔を曇らせている。ロンはクックの手にある望遠鏡を横から奪って目に当てた。

 赤い長剣に差し貫かれた眼帯のドクロが、黒旗の中で嘲笑うようにひるがえっている。船首には禍々しい骸骨像。重武装された船体。間違いなく、“人喰い”の船だと思われた。

 そして、船の舳先はこちらを真っ直ぐに向いていた。狙いを定められたようだ。


「逃げよう。今“人喰い”とやりあう余力はない」


 望遠鏡をおさめると、ロンはすかさずクックに声をかけた。横でキアランも頷いている。


「まだこの距離なら逃げ切れます。あそこの群島に紛れこんで、島陰に隠れましょう」


 キアランが示す先には小さな島々がぽつぽつと点在していた。いずれかの島の裏に回り込んでしまえば、相手の船をやり過ごすことができるだろう。がむしゃらに逃げ切るよりは現実的な方法だ。


 しかし、クックは二人の声が耳に入っていないようだった。

 血の気の失せた顔で、じっと“人喰い”の船を見つめている。その体は小刻みに震えていた。恐れではなく、怒りのためだろうか。彼が食いしばっている唇に血が滲んでいるのを、ジャニは見つけてしまった。


「船長?」


 恐る恐る問いかける。クックはハッと我に帰った様子だったが、次の瞬間彼が下した命令に、船内は凍りついた。


「あいつを迎え撃つ。戦闘準備!」

「おい、何言ってるんだ?」


 ロンが険しい顔でクックに詰め寄る。メイソンも血相を変えて抗議の声を上げた。


「船長無理だ! 今のこの船のザマを見てくれ、とても戦える状態じゃない!」

「しかも相手は“人喰い”ですぜ?! 敵うはずない!」


 グリッジーもメイソンに加勢する。しかしクックはそんな彼らを一喝した。


「戦う前から弱気なこと言ってんじゃねぇ! あいつはこの先ずっと俺たちを追ってくるぞ。今なら俺たちは風上にいる。このままあいつに突っ込めば有利な状況で戦えるんだ。このチャンスを逃す術はない!」

「冷静に考えろ! 今は怪我人も大勢いて人手が足りてない。船もひどくやられて満足に戦える状況じゃないんだぞ!」


 ロンが声を荒げる。クックとロンが口論してるところを初めて見たジャニは、心穏やかではなかった。


(それに・・・・・・)


 ジャニはクックを盗み見る。


(なんか船長の様子がおかしい)


 いつも冷静で飄々としている彼が、見たことがないほど思い詰めた顔をしている。その余裕のない表情に、ジャニの胸はざわめいた。


「いいから早く、砲撃の準備をしろ! ベケット!」


 クックに怒鳴られ、ベケットと砲撃部隊は戸惑いながらも砲列甲板に向かおうとする。しかしそれを、ロンが掌を差し向けて止めた。

 ロンはそのままクックに歩み寄り、おもむろに彼の胸ぐらを掴んだ。


「お前の私怨に俺たちを巻き込むな!」


 クックの瞳が揺れた。ロンは自分の手を振り解こうとするクックの手を払いのけ、彼の目を真っ向から睨みつける。


「お前はこの船に乗ってる全員の命を預かってるんだ。お前が船員の命を危険に晒すようなら、私はお前を力ずくで止める必要がある」


 しばらくロンとクックは睨み合っていた。

 やがて、クックの目に宿っていた狂おしい炎が消えた。


「・・・・・・悪かった、どうかしてた」


 バツが悪そうに呟いて、クックはロンに背を向けた。そしてもう一度“人喰い”の船を睨みつけた後、キアランの方を向いた。


「お前のいう通り、群島に隠れよう」


 キアランはホッとした顔で頷いた。

 クックとロンの口論を固唾を飲んで見守っていた他の船員たちも、胸を撫で下ろしてそれぞれの持ち場に走った。

 ジャニも自分の持ち場に向かいながら、まだ胸騒ぎを覚えていた。あのとき見てしまったクックの表情が頭から離れない。


(船長のあんな顔、初めて見た)


 ジャニが持ち場に戻る途中、帆の操作をしながら船員二人がこそこそと話していた。


「どうなることかとヒヤヒヤしたぜ。“人喰い”とやりあうなんて自殺行為だ」

「ちげぇねぇ。船長がつえぇのは確かだけどよ、ちょっと自分を過信しすぎだよな」


 二人の会話を、ジャニは複雑な気持ちで聞いていた。

 そこにキアランが通りかかった。なんとはなしにキアランの顔を盗み見たジャニは、ハッと息を呑んだ。

 彼の口元が、抑えられない笑みに歪んでいたのだ。

 下を向いて顔を隠すように歩いていたので、背の低いジャニにしか見えていなかっただろう。彼はあきらかに、今の船員二人のクックに対する陰口を聞いて笑っていた。まるで、ほくそ笑むような・・・・・・。

 その笑みを見た時、ジャニは唐突に今まで忘れていた光景を思い出していた。

 サラスーザの崖で、滑石を手に大きなバツを描くキアランの姿だ。

 あの印は、なんのために描いていた?そしてなぜ、そのことを皆に秘密にしていた?

 あの後、トゥーリカに向かって、戻ってきたらサラスーザはゲイルに襲われていた。

 次いでジャニが思い出すのは、ロンが訝しげにつぶやいた言葉だ。


【なぜ、ゲイルはこの島の場所がわかったのだろう。ちょうど私たちがいなかった数日の間にここを見つけて襲うなんて、タイミングが良すぎる。まさか・・・・・・】


 あの「まさか」の続きは、なんと言おうとしたのだ。

 ジャニはその続きを想像して、身を震わせた。


【まさか、誰かがサラスーザの場所をゲイルに教えたのでは?】


(わからない。わからないけど・・・・・・このことは船長かロンに伝えないと)


 ジャニは早くなる鼓動を感じながら、まわりの船員と共に操帆の作業にとりかかった。

 今持ち場を離れたら怪しまれてしまう。“人喰い”の船から逃れ、ほとぼりが冷めた頃にキアランに気づかれないよう、船長かロンにこのことを報告しなければ。

 しかし、そのタイミングはなかなか訪れなかった。

 船内は緊迫した状態が続き、ジャニは言われるがまま雑用に走り回った。


「“人喰い”の一味は不死身だって聞くぞ。刺されても撃たれても死なねぇって話だ」

「俺は“人喰い”が悪魔だって聞いたぞ。なんでも本当に人を喰って生きてるとか」

「奴ら、捕虜を上から逆さに吊るして、生きたまま腹を裂いて内臓を引き出して殺すらしいぞ・・・・・・」


 いろいろな場所で船員たちは“人喰い”の噂を囁きあい、身震いしていた。その様子を横目で見ながら、今追ってきている船をみなよほど恐れているのだな、とジャニは理解する。

 骸骨像を掲げた巨大な船は、暗く立ち込めた雲の下を不気味なほどゆっくりと進んでくる。その姿は意思のない幽鬼のようだった。こちらに気づいてはいるものの、捉える気はあまりないようだ。

 その様子が逆に、見る者を不安にさせた。

 群島に入り込んだ翼獅子号は、相手を撒くように島の影に入りながら速度を上げて移動していく。


 やがて、骸骨像の船は諦めたように遠のいていった。




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