突然の別れ 2




 大蛇が、海が割れそうな咆哮を上げた。

 皆が恐怖で動けない中、クックがホルスターからピストルを抜き、大蛇に向かって引き金を引いた。狙いは的確だったが、大蛇の首元に当たった銃弾は硬い音を響かせて跳ねかえった。クックが目を見開く。


「銃が効かない・・・・・・!」


 大蛇は苛立った様に首を大きく振り、咥えていた船員を自分の頭上高く放り上げた。

 大蛇の牙から離れ空高く舞い上がった船員は絶叫を放ち、そのまま大蛇の大きく開け放った口の中に消えていった。大蛇が口を閉じると、船員の悲鳴は途絶えて不気味な沈黙が落ちる。

 船上は蜂の巣を突いた様な大騒ぎになった。

 パニックに陥った船員が船内に逃げ込もうとするが、その背中にクックの怒号が飛ぶ。


「逃げたやつは掟に違反した罪で死罪! どっちにしろ、今全力で戦わないと全滅するぞ! 戦って生き延びるか、逃げて無惨にこの船と沈むか、どっちがいい!!」


 鬼気迫る顔だった。怒鳴られた船員たちは絶望的な顔でクックを見たが、大蛇より船長に対する恐怖が勝ったのか自分達の持ち場に走っていった。


「砲撃用意!」


 クックが叫ぶ中、ベケットと部下たちは砲撃の準備に入った。ウルドは手の空いている船員に、銛をできるだけたくさん集めるよう指示する。

 大蛇は長い舌をチロチロと出し入れしながら船上の様子を探っているようだ。

 まだ恐怖に足がすくんでいたジャニは大蛇から目が離せずにいたが、よく観察しているうちに大蛇の特徴に気がついた。


(あの蛇、目がない)


 黒い鱗に覆われた顔の、本来目があると思われる場所には何もなかった。まるで深海魚のように目が退化してしまったような形態だ。


「おい、ジャニ! 俺たちも火薬を取りに行こう!」


 パウロの声に我にかえり、ジャニは慌てて返事をした。

 彼の後ろについて船内に走りながら、パウロがいつになくしっかりしているのにジャニは驚いていた。前の彼だったらあんな大蛇を見たら気絶でもしそうなのに。ケツァクァトルに攫われてから、巨大生物に耐性がついたのだろうか。


 一方クックとロンは、長い銃身のマスケット銃を手に大蛇を射撃していた。

 銃弾は正確に大蛇に当たっているが、やはり硬い鱗に弾き返され、あまりダメージは与えられていないようだ。


「くそっ、鎧みてぇな鱗してやがる!」


 クックが苛立ちをにじませる。

 大蛇が素早く動いた。バネのように首をしならせ、甲板の真ん中に立っていたセバスチャン目掛けて襲いかかる。

 セバスチャンは逃げようと大蛇に背を向けたが、あっという間に大蛇の口に捉えられてしまった。


「船長・・・・・・!」


 セバスチャンの恐怖に見開かれた目と、クックの視線が束の間絡み合う。クックが手を伸ばした瞬間、大蛇の口は閉ざされ、セバスチャンの姿は見えなくなった。


「セバスチャン!」


 クックの絶叫が響き渡る。

 大蛇が上を向いて飲み込むような仕草をすると、喉の辺りが大きく膨らんですぐ萎んだ。セバスチャンの体は体内に取り込まれてしまったようだ。

 大蛇が右舷に近づいたのを狙い、ベケットが斉射の合図を出した。


「うてぇ!!」


 砲列甲板の端から大砲が火を吹き、次々と砲弾が大蛇に浴びせられる。さすがに銃よりは威力があるため、大蛇の体をのけぞらせることはできたが、硬い鱗には歯が立たない。

 一回海中に消えて体制を整えた大蛇は、勢いよく海から顔を出して今度は船体に体当たりした。

 足場が大地震のように揺らぎ、帆桁に登っていた船員たちの何人かは足を踏み外して甲板に落ちてしまった。クックとロンも後列甲板から振り落とされ、階段を転げ落ちる。


「大丈夫か」


 打った頭を押さえてうめいているロンに駆け寄り、クックが声をかける。「かすり傷だ」と口の端で笑っているが、額を切ったのか、ロンの顔には血が滴っていた。


「悪夢みたいな状況だが、この痛みで夢じゃないことは証明されたな」


 咆哮を上げて鎌首をもたげる大蛇を睨みつけ、クックとロンは並び立った。クックの顔には仲間を食われた怒りが湧き上がっている。


「さて、どうするか」





「なんだか上が騒がしいな。敵船か?」


 弾薬準備室に向かったジャニとパウロは、船上の出来事を全く把握していないもぐらにそう尋ねられて顔を見合わせた。


「それどころじゃないよ! 大変なんだから!」

「でっかい海蛇が出たんだよ!」


 口々に騒ぎ立てる二人を見て、もぐらは怪訝な顔をしている。


「海蛇ごときに大砲を使うのか? 大袈裟じゃないか?」

「もうっ! こんな船の下にいるからわかんないんだよ! 見たらきっと腰抜かすからね!」


 話の噛み合わないもぐらに苛つき、ジャニはそう言い捨てて火薬準備室をでた。


「なぁ、あれって、マハリシュの言ってたデイヴィッド・グレイの呪われた姿なのかな?」


 甲板に戻る途中、パウロがふいにジャニにそう聞いてきた。ジャニは驚いてパウロを振り返る。


「え、なんで?」

「だって、マハリシュが言ってたじゃないか。グレイがセイレーンの呪いで、黒い鱗の化け物にされたって。あいつのことじゃないか?」


 パウロに言われ、そういえばそんな話をされたのだったとジャニは思い出した。そして改めてパウロがそんな細かい部分を覚えていたことに驚いていた。


「よくそんなこと覚えてるね。俺はすっかり忘れてた」

「まぁな。それに、『宝箱にはセイレーンの魔力が宿ってて、開けたら彼女が気づいて襲ってくる』みたいなことも言ってただろ? 怖いから覚えてたんだ」


 ジャニはハッとした。そういえば、そんなことも言っていた。となると、さっき宝箱を開けたからあの蛇が襲ってきたのだろうか?

 宝箱を開けた時に感じた気味の悪い振動を思い出し、ジャニはパウロの腕を掴んでいた。


「それ! 船長に報告しないと!」

「えぇ?! いや、こんな馬鹿みたいなこと言えねぇよ、単なる憶測だし」


 パウロはあからさまに尻込みをする。


「じゃぁ俺がいう!」


 ジャニはパウロの腕を離して走りだした。


(あれがもし、デイヴィッド・グレイの呪われた姿なのだとしたら・・・・・・)


 ジャニは身震いした。人間をあんな姿に変えられるセイレーンの力は、やはり恐ろしい。ただ呆然と立ちすくんで見ているだけだったら、あっという間にこの船は大蛇に海の藻屑とされてしまうだろう。


(だったら藁にでもすがって動かないと、みんな必ず死ぬ!)


 恐怖で立ち止まっている時間はない。ジャニは自分を奮い立たせた。


 (大丈夫、きっと船長なら、なんとかしてくれる!)


 ジャニはそう信じていた。

 こんな絶体絶命のときでも、あの男はきっと不敵に笑ってくれる。

 砲列甲板に行き、砲撃部隊に火薬を配り終わったジャニは、後列甲板で船員たちに指示を出しているクックとロンのもとに走った。

 船の上はひどい有様だった。帆桁は折れ、帆は引き裂かれ、舷縁は至る所大蛇の襲撃を受けて崩れ落ちている。大蛇の牙にかかり倒れている船員もいた。

 ウルドと何人かの船員が襲ってくる大蛇めがけて銛を投げつけているが、やはり硬い鱗に阻まれて撃退できずにいるようだ。その横をするりと走り抜けて、ジャニは後甲板への階段を駆け上がった。


「ジャニ、何しに来た!」


 ロンがジャニの姿を見て驚きの声をあげる。マスケット銃から顔を上げてこちらを見たクックに、ジャニは必死で叫んでいた。


「船長! あの蛇はもしかしたら、デイヴィッド・グレイかもしれない! きっと宝箱を狙ってきたんだ!」


 クックがハッと目を見開いた。その時、また船が大きく揺れて、ガラスの割れるけたたましい音が響いた。

 見ると、大蛇が船尾部に頭突きして、船長室の船窓に大きな穴を空けていた。大蛇はさらにその中に顔を突っ込んで、何かを探すような素振りをしている。

 クックとジャニは顔を見合わせた。


「「宝箱!」」


 同時に叫んで船長室に走る。

 ドアを開けると、窓から頭を突っ込んだ大蛇の顔が部屋の半分ほどを占めていた。

 長い舌を出し入れして目当てのものを探す大蛇の前を走り抜け、クックが机の上に置かれた宝箱を掴む。

 急いで引き返そうとしたところ、大蛇が気づいたのか大口を開けてクックに迫った。

 クックは素早く空いている方の手でファルシオンを抜き、大蛇の舌に切り付けた。切り落とすことはできなかったものの、大蛇は今までで一番苦痛を感じたのか激しくのたうち回りながら撤退した。

 宝箱を持って船長室から戻ったクックは、ジャニを見て頷いてみせる。


「確かにあいつの狙いは宝箱らしいな」

「あと、あの蛇は目がないよ。でも目が見えているみたいに襲ってくるのはなんでだろう」


 ジャニはついでに、自分で気になっていたことを報告した。それを聞いたロンが思いついたように答える。


「そういえば、海蛇は嗅覚・触覚が非常に優れていて、視覚・聴覚よりも舌で感じた匂いや振動で敵や獲物の位置を把握するらしい」


 クックは何か考え込むような顔をした。


「そうなると、あいつは目がない分、余計に嗅覚と触覚が敏感ってことか。体はあの鱗のせいでなかなか傷がつけられない。弱点は口の中、か」


 にやり、とクックが口の端で笑った。その目に強い光が宿る。


「バカみたいな案が浮かんだが、どうやらこれしかなさそうだ。うまくいけば、食われた奴らも助けられる」


 そしてロンを振り返り、声を張り上げた。


「バジルを呼べ!」




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