忘れられた神 5



 一同は水流の流れる先を目指して洞窟を進んでいった。


「あっ、羽が・・・・・・!」


 グリッジーが絶望的な声を上げた。見ると、濡れそぼってしまったからだろうか、彼の手の中の羽が少しずつ光を失っているようだった。


「待て! もう少しもってくれ!」


 みなの懇願も虚しく、ロウソクの炎が揺らいで消えるように、羽の光は消滅した。冷たい水流に流されるままの一同は、さらに唯一の光源を失って完全な闇の中に取り残されてしまった。


「なんだか、水流が早くなっているような」


 闇の中、ベケットの呟きが聞こえた。

 彼の言う通り、高低差があるのか、水流は速さを増しているようだった。自分達で泳いで前に進んでいたクックたちだが、そのうち何もしなくても水流に押し流されていく形になった。

 あっという間に速さは恐怖を覚えるほどになり、より細く、蛇行するようになった洞窟の壁に体を何度も打ち付ける。

 周りが見えないので上と下の感覚もわからなくなり、まるで無重力の世界に放り出されたような感覚に陥りだした。思わずみなの口から悲鳴が上がる。


 そして突然、世界が開けた。

 暗闇に慣れた目に、眩い光と青い空、どこまでも続くジャングルが飛び込んでくる。

 クックたちは崖の途中にある避け目から放り出され、崖の上から降り注ぐ雄大な滝の根元に真っ逆さまに落ちていった。

 胃がひっくり返りそうな浮遊感に襲われた後、滝壺に落ちたジャニを、泉に落ちた時とは比べ物にならない衝撃が襲った。

 視界が泡で一面真っ白に染まり、体が激しく回転し上下左右が全くわからなくなる。水圧でどこまでも深く沈んでいってしまいそうだ。意識が遠のきかけた時、誰かがジャニの腕を掴んだ。そのまま上に引っ張り上げられる。

 水面に勢いよく引き上げられ、ジャニは体の求めるまま酸素を思い切り吸い込んだ。同時に激しく咳き込む。

 引っ張り上げてくれたのはウルドだった。ウルドも咳き込みながら、ジャニを陸に押し上げてくれた。


 そこは大きく開けた河のほとりだった。

 後ろを見ると、今しがた落ちてきた滝がごうごうと腹の底に響く音を立てて水煙を上げている。一人、また一人と水面に顔を出し、なんとかメンバー全員滝壺から生還することができたようだった。みな言葉もなく荒い息をついて河のほとりに転がっている。


「あぁっ、羽を無くしちまった!」


 おそらく滝壺に落ちた瞬間に手を離してしまったのだろう、グリッジーが自分の手から羽が消えていることに気づいて悲壮な声を上げた。

 みな、げっそりとした顔で項垂れた。

 パウロはさらわれ、遺跡に落ちて正体不明の戦士に襲われ、命からがら骸骨の沈む泉を抜けて逃げ延びたと言うのに、この旅の目的であるケツァクァトルの羽もなくしてしまったのだ。

 もう太陽は沈みかけ、橙色の空が夜の帷に包まれ始めている。すぐに日が暮れ、このジャングルでの捜索は難しくなるだろう。パウロを見つけ出すのは絶望的に思われた。


(今頃パウロは・・・・・・)


 巨鳥に襲われているパウロを想像してしまい、ジャニはじわりと涙を滲ませた。

 と、その時だった。あたりに笛の音のような甲高い鳴き声が響き渡った。皆、何事かとあたりを見回す。

 そして遠くの空から、こちらを目指して飛んでくる光の塊を見つけた。

 それは黄昏どきの空を流れる流星のようだった。青白い光の塊は、近づいてくるとあのパウロをさらった巨鳥であることがわかった。

 全身が月のように冴え冴えとした光で包まれている。そして錨のような巨大な鉤爪に何かが握られているのを見て、ジャニはよろよろと立ち上がった。


「パウロ!!」


 溺れかけて弱りきった肺に可能な限り空気を吸い込み、ジャニは力の限り叫んだ。ジャニの声に気づいたのか、力なく項垂れていた顔がこちらを向く。


「ジャニ! みんな!」


 巨鳥の鉤爪に握られていたのはパウロだった。その顔がジャニとクックたちを見つけてぱっと輝く。すると、巨鳥もジャニたちの存在に気づいたのか、グンと速度を上げてこちらに迫ってきた。


「襲ってくるぞ!」


 メイソンが叫び、一同は慌てて起き上がって逃げようと身構えた。だが、巨鳥は彼らを素通りし、河の水面近くまで下降すると、無造作にパウロを投げ出した。パウロが悲鳴を上げながら河に落ちる。河の流れは比較的緩やかだったため、パウロはすぐ水面に顔を出すことができた。


「な、なんで」


 パウロは呆然と、空に舞い上がる巨鳥を見上げた。巨鳥はなぜ自分を運び、こんなところまで連れてきたのか。しかもこの仲間達のいる場所で放してくれるなんて。これじゃぁまるで、わざわざ自分を仲間たちのもとに届けてくれたみたいじゃないか。


(・・・・・・まさかな)


 そう思いながらも、パウロは口元が綻ぶのを止められなかった。


「パウロー!」


 ジャニが喜色満面で河のほとりから手を振る。クックたちもまさかのパウロの生還に大喜びだ。ロンが真っ先に河に飛び込み、パウロのもとに泳いで行った。その顔には安堵が広がっている。


「あ!」


 その時、大きく羽ばたいた巨鳥から何かキラリと光るものがこぼれ落ちるのを目撃して、ジャニは声を上げていた。

 それは、一枚の羽だった。

 ふわりふわりと宙を漂い、青白く光るケツァクァトルの羽が、河のほとりに舞い降りた。ジャニがすぐに駆け寄って羽を拾い上げ、頭上に掲げてみせると、メンバーたちから歓声が上がった。何はともあれ、当初の目的は達成できたのだ。

 一同は、おそらくあの遺跡に戻るのであろう、悠々と空を飛び去る巨鳥を見送った。薄明の空を飛ぶ輝く鳥は、この世のものとは思えない美しさだった。その向こうに峰を連ねる山脈、どこまでも続く雄大なジャングルと合わさって、それは一枚の絵画のように見るものの心を打った。


「なんだか、この土地の“ファーブラ”を垣間見た気がするな」


 クックが、誰にともなく呟いた。

 光る鳥を祀る神殿、生贄を屠る泉、侵入者を排除する仮面の戦士。

 このトゥーリカには、過酷な地で生きようとあがいた、先住民たちの歴史や思想や信念が眠っているように思われた。

 ジャニは、マハリシュの言うファーブラというものが少し理解できた気がした。

 あの遺跡の中で壁画を見たときに感じた、自分とは思想も時代も何もかも違う人々があそこで生きていたと言う確かな証。あの遺跡がなくなってしまえば、その証は消え、あの地で生きていた人々の存在は消されてしまうに等しいのだ。


(ケツァクァトルの羽と一緒に、見たこと全てをあのお爺さんに伝えないと)


 ジャニはこのトゥーリカの地での冒険を思い起こしながら強く思った。ファーブラを託すとはそういうことなのだろう。

 そして、とうとうデイヴィッド・グレイの宝箱の鍵が手に入るのだ。ジャニの胸は、抑えきれない興奮ではちきれそうだった。




 しかし、数日後サラスーザに舞い戻ったクックたちは、驚くべき光景を見た。

 サラスーザの森の中ほど、ちょうどマハリシュの家がある位置と思われる場所から、不吉な黒煙が上がっていたのだ。




 慌ててサラスーザに上陸したクック、ロン、キアラン、グリッジー、ウルド、パウロとジャニは、変わり果てた島の様子に動揺を隠せなかった。

 ジャングルの中にはあのピストルを駆使する猿たちが至る所に倒れていた。まだ息のあるものはロンができる範囲で手当てをしたが、ほとんどの猿は絶命してしまっていた。どの猿にも銃弾の痕や、刀傷が残っていた。この島に襲撃しに来たものを追い払おうとして、返り討ちにされてしまったのだろうか。


「これは、まさか」


 険しい顔をしてロンが呟く。クックも彼が言わんとしていることがわかったのか、同じく表情を険しくして「早く爺さんの家に行くぞ!」と足を早めた。

 そして見えてきたマハリシュの家は、無惨に荒れ果てていた。

 家の中から運び出された棚がそこかしこに投げ出されており、割れたガラスのケースの破片が散乱している。展示品は、金目のものが全て奪われているようだった。家には火が放たれた様子で、熱帯雨林の湿気のおかげで火の勢いは弱まっていたものの、黒い黒煙が入り口や窓からもくもくと舞い上がっていた。

 そして、入口からすぐのところに、家の中から這って脱出したのか、マハリシュが血を流してうつ伏せに倒れていた。


「おい、大丈夫か!?」


 クックとロンがすぐさま駆けつける。クックは慎重にマハリシュの体を抱き起こし、上を向かせた。

 マハリシュはかろうじて息をしていた。しかし、彼の腹部の傷を見て、クックとロンはハッと息を呑んだ。ロンがちらりとクックに目をやり、小さく首を振る。もう、手の施しようがない深い傷であるとその目は伝えていた。


「わかっておる。そんなしょぼくれた顔をするな」


 マハリシュは苦しそうな息を吐きながらも、顔を歪めるロンに笑いかけた。クックが声を荒げる。


「何があった!? 誰にやられたんだ!」

「あいつじゃ・・・・・・赤い目に銀の髪。悪魔のような男だった・・・・・・」


 クックの目が見開かれた。


「ゲイルか!」


 食いしばった歯の間から、その名がこぼれる。マハリシュは微かにうなずいた。


「デイヴィッド・グレイの宝箱の鍵を出せと言われた。『鍵はもうここにはない』と言うと、奴らは部屋を荒らして鍵の形をしたもの、金目のものを全て奪っていきおった。猿たちも、わしを守ろうとして戦ってくれたが、ほとんどやられてしまった。可哀想なことをした・・・・・・」


 マハリシュが悲しげに目を伏せた。三人を遠巻きに見ていたグリッジーが、ケツァクァトルの羽を持ってマハリシュの横に歩み寄った。


「爺さん、持ってきてやったぜ。大変な思いしてとってきたんだからな!」


 わざと大きな声を出して、光る羽を突き出す。マハリシュの血の気の失せた顔がぱぁっと輝き、本当に嬉しそうにグリッジーから羽を受け取った。羽は薄暗いジャングルの中で、青白く柔らかな光を放っていた。


「おぉ、素晴らしい! 本当に光っておる! なんて美しいんだ」


 マハリシュの琥珀色の瞳が、羽の光に照らされて煌めいている。ロンが沈痛な表情を隠すようにちらりと笑った。


「本当は卵も見つけて持ってこようとしたんだが、ケツァクァトルに襲われて断念した」

「なに、卵もあったのか!? それは何よりの知らせだ!」


 マハリシュは顔を輝かせてロンを見た。


「卵を持ってこいってのは冗談じゃ。あんたが欲しがっていた医学書は、あそこの石が置かれている場所に埋めて隠しておいたから、持って行きなさい」


 マハリシュはそう言って、池のそばの不自然に丸い石がある場所を指差した。ロンが戸惑った顔をする。


「いいのか?」


 マハリシュはゆっくりうなずいた。


「それで、例の鍵はゲイルに盗られたのか?」


 クックが尋ねると、マハリシュは今度はゆっくり首を振った。そして少し距離を置いたところで立ち尽くしているジャニに向かって手招きした。びくりと体を震わせ、ジャニがマハリシュの近くに歩み寄る。

 マハリシュはジャニの小さい手をとると、言い聞かせるように話し始めた。


「わしは、ファーブラを渡すときはその物語も伝えることにしている。君には伝えておかなくてならない。わしの残り少ない時間、お付き合い願えんかね?」

「え、なんで俺に・・・・・・」


 戸惑うジャニに、マハリシュは弱々しく笑いかけた。


「デイヴィッド・グレイにまつわる話だ。グレイと、彼に恋をしたセイレーンのな」


 そしてマハリシュは語り始めた。御伽噺のような、不思議な恋物語を。




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