忘れられた神 2




「うん・・・・・・」


 なんだか肌寒さを感じる。

 強い太陽の光が、閉じている瞼を突き抜けて眼球を刺す。

 頬に強い風を感じて、意識を取り戻したパウロはゆっくりと目を開けた。そして視界に飛び込んできた景色に、大きく息を吸い込む。


 そこは急斜面の山の中腹にある岩場だった。パウロが倒れていたのは岩場の淵で、少しでも寝返りを打っていたら奈落の底のような岩渓に落ちてしまうところだった。

 思わず叫んで這いずりながら後ろに下がる。すると今度は背後から、甲高い笛のような鳴き声が警告するように響いた。

 恐る恐る振り返ったパウロは、すぐそばにうずくまっている巨鳥と目があって再び絶叫した。また岩場の淵ギリギリまで戻る。


(そうだ、俺はこいつに攫われて飛び上がったところで気絶したんだった)


 巨鳥が、パウロと向かい合って威嚇するように鋭く鳴いた。パウロは声にならない悲鳴をあげながら、ロンからもらったばかりの短剣を震える手に握る。


(死にたくない)


 ただその思いが胸にあった。こんなところで死にたくはない。まだ、なんの成果もあげられていないのだ。臆病で役立たずのまま、終わりたくない。


(戦うしか、ない。でも)


 短剣を握る両手は、どうしようもなく震えていた。聳え立つような巨鳥に、一体どうやったら敵うというのか。

 何よりも、パウロは戦うことが苦手だった。自分が剣を振り下ろした部分から、真っ赤な血が流れてくると思うと気が遠くなってしまう。さらに、相手が死んでしまったらと思うと吐き気すらしてくる。


(あぁ、こんなだから、“海賊には向いてない“って言われるんだ)


 以前メイソンにズバッと言われた言葉である。パウロはなにも言い返せなかった。まさにその通りだったからだ。

 しかし、彼は憧れてしまったのだ。


 パウロが翼獅子号に乗ることになったきっかけは、クックの一言だった。


「俺たちと一緒に、海に出てみないか?」


 誘いの言葉は簡単なものだった。だがパウロは、その言葉より、クックの澄んだオリーブ色の瞳に惹かれた。この人のように輝く目で世界を見てみたい、生きていて楽しいと思えるようになりたい。そう思って、パウロはクックの手をとった。

 早くに両親を亡くし、路地裏で野良犬のようにゴミを漁る生活をしていたパウロは、そうしてクックに拾われたのだった。

 最初は、海賊になることにまだ迷いがあった。できることなら、争いも、刑に処される恐怖もない、平凡な暮らしを送りたかった。

 しかし、クックに連れられ、翼獅子号のメンバーと暮らすうちに、海賊の思わぬ姿が見えてきた。彼らは非常に掟に忠実で、深い絆を持っていて、無駄な争いを一切しなかった。

 何よりも、そこには“自由“があった。世界の柵から解き放たれ、あるがままの姿で生きる彼らは、生きる喜びに溢れていた。

 クックはよくパウロに言っていた。


「俺たちは世界の悪者、除け者だ。それは忘れちゃいけない。捕まったら縛首、そこでしまいさ」


 しかし、終わりが見えているからこそ、彼らの今は輝いているように見えた。自分達が生きるため、あるがままの姿でいるため、真っ向から戦いを挑むその姿に、パウロは段々と惹かれていったのだった。


(俺も・・・・・・俺だって、海賊になるんだ!)


 なけなしの勇気を振り絞り、パウロは巨鳥ににじりよった。自分を鼓舞するために声を上げ、短剣を振りかぶり巨鳥に切り掛かる。

 しかし、巨鳥の嘴が素早く動き、あっさりと短剣は弾き飛ばされてしまった。


「うわぁぁぁ!」


 てっきり食べられてしまうと思ったパウロは、両腕で頭を抱えてその場に蹲った。だが、いくら覚悟して待っても、痛みは襲ってこない。

 訝しく思ってパウロが恐る恐る腕の隙間から盗み見ると、巨鳥はパウロに目もくれず、一心不乱に何か地面に生えている草をむしっていた。そして草を咥えると、自分の足にこすりつけるような不思議な動きをしていた。しかし思ったような動きができないのか、苛立たしそうに頭を振っている。


(なにしてるんだ?)


 巨鳥がずっと同じ動きを繰り返すので、恐怖よりも好奇心が勝った。

 パウロは警戒されないようにゆっくりと移動しながら、巨鳥をよく観察してみた。すると、巨鳥が草を擦り付けようとしているのは後ろ足の傷だと言うことがわかった。そこから血が流れ出し、地面を赤く染めている。


(あれは、船長が切り付けたところだ)


 パウロはそう考え、ハッとした。巨鳥が咥えている草の香りが漂ってきたのだ。それはロンの診療室で嗅ぎ慣れた匂いだった。ツンと鼻の奥にくる、独特の薬品の香り。切り傷などに使う軟膏の匂いに、それは酷似していた。


(もしかしてあの草、薬草なのか)


 パウロは先ほどまでの恐怖を忘れて巨鳥の仕草に見入った。やはり、巨鳥はその草を傷口に塗りたいようだ。しかし患部が足の裏側なのと、嘴がそこまで届かないせいで難航しているらしい。その様子を見ているうちに、パウロはもどかしい気持ちになってきた。


「下手くそだなぁ」


 相手は鳥なので仕方ないと思いつつ、つぶやいてしまう。つい、自分だったら簡単に手伝ってやれるのにと思ってしまい、パウロはその薬草にそろりそろりと近づいていた。

 一束ほど摘み取り、その辺に転がっていた手頃な石の上に置く。


(荷物が落ちてなかったのは幸運だった)


 パウロの手荷物は斜めがけ仕様のバッグだったので、巨鳥に攫われてもちゃんと体に備わっていた。

 そのバッグの中からパウロは湿布を作るときに使用するすりこぎを取り出した。最近ロンから貰ったものだ。普段はちゃんとすり鉢に薬草を入れてすり潰すのだが、生憎持ってきていないので石をすり鉢がわりに薬草を細かくしていく。

 巨鳥が興味深そうにパウロの動きをじっと観察している。パウロは薬草を潰し終えると、さてこれをどうやって塗ろうかと思案した。下手に動いたら巨鳥に殺されそうだ。

 パウロは潰した薬草を両手に取ってゆっくり巨鳥に差し出してみせた。


「これ、薬。俺が、お前に塗ってやる」


 通じるわけがないと知りながら、なぜか片言で説明を繰り返してみる。

 巨鳥はパウロが差し出した薬草の匂いを嗅ぎ、じっと顔をのぞきこんでくる。その黄金色の瞳は、知性に溢れているように見えた。もう敵意などは感じられない。

 やがて、巨鳥が動いた。

 巨体を揺すりながら移動し、パウロに後ろ足を向ける状態になってゆっくりうずくまった。パウロは驚いて佇んでいたが、巨鳥がこちらを攻撃してくる気配がないのを感じると、慎重に屈み込んで巨鳥の後ろ足に近づき、傷口に両手いっぱいの薬草を塗り込んだ。


 一瞬、痛みを感じたのか巨鳥が身じろぎをした。

 パウロは体をこわばらせて動きを止めたが、巨鳥が動く様子がないのを確かめると薬草を丁寧に塗り広げ、持っていた包帯を巻いてやった。

 包帯を巻きながら、パウロは先ほど巨鳥に襲われた時のことを思い出していた。あの金色の物体は、やはりこの巨鳥の卵だったのだろう。ロンが卵を持ち上げた途端に、巨鳥が襲ってきた。思えば、巨鳥は自分の卵を守ろうとしただけなのだ。


「ごめんな。元はと言えば、俺たちがお前の家に勝手に入って卵を取ろうとしたんだもんな、そりゃ怒るよな。しかも傷までつけちまった」


 独り言のように呟きながら、パウロは優しく包帯の結び目を作り、治療を終えた。巨鳥を刺激しないように素早く足元から離れる。巨鳥は薬草の効果で少し痛みが引いたのか、目を閉じて気持ちよさそうな顔をしていた。


 パウロは、いつの間にか一人で治療することができるようになっていた自分に、密かに驚いていた。いつもロンがそばにいて、逐一教えてくれていたから、自分一人ではまだ何もできないものだと思い込んでいた。

 だが、教えられたことは自分でも知らないうちに、身についていたのだ。

 ふと、ロンに言われた言葉を思い出した。


「同じ人間はいないんだ、できることできないことが違うのは、当たり前だと思わないかい?」


(俺は、みんなみたいに戦えない。でも、この鳥を助けることができた)


 パウロは地面にあぐらをかいて座り、巨鳥を見上げた。


(海賊って言っても、みんながクック船長みたいに戦えるわけじゃない。ロンさんみたいに頭がいいわけでもない。いろんなメンバーがいる。でも、それでいいのかもしれない)


「パウロ、君にしかできないことがある。少しずつ、見つけていけばいい」


 ロンはそう言ってくれた。その本当の意味が、今やっとわかった気がする。パウロは、何か心の重荷が外れたような気がした。


(俺は、俺にしかなれない“海賊“になればいいのかもしれない。こうならなきゃいけないっていう、正解があるわけじゃないんだから)


 しかし、ふと我に返り、パウロは暗澹たる気分になった。この現在位置もわからない場所から、どうやって皆の元に帰ることができるのだろう?進むべき方角もわからないし、一人でジャングルを切り抜ける自信など皆無だ。


(結局、俺はここで野垂れ死ぬのか・・・・・・)


 パウロがそう思ったときだった。ふいに大人しくうずくまっていた巨鳥が起き上がり、何事かと顔を上げたパウロをまた鉤爪でむんずとつかむと、彼に心の準備をさせる間も与えず空に飛び上がった。足場のない高所に、さっとパウロの顔が青ざめる。


「なんでだよ、治療してやったじゃないかー!!」


 パウロの悲鳴が長く尾を引いて渓谷に響き渡った。





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