忘れられた神 1
目の前には、果てしなく続く岩肌が広がり、眼下にはもやがかったジャングルが見渡せる。
ジャニは足を止め、大きく深呼吸して息を整えた。並んで歩いていたパウロが振り返り、ジャニを気遣う。
「大丈夫か?」
「うん、でも疲れちゃった。まだ歩くの?」
自分達の前を黙々と歩き続けるクックたちを見やり、ジャニはうんざりとした声をあげる。パウロは自身も上がった息を整えながら、しょうがないというように頷いた。
「まだかかるだろうな。マハリシュが言ってた場所は山の向こう側だ」
サラスーザに上陸した時とキアランを除いた同じメンバーで、クックたちはマハリシュの言っていたトゥーリカの地に足を踏み入れていた。(キアランは残りの船員を見張るため残った。)
上陸した彼らを待ち受けていたのは、目の前に聳え立つ険しい山と、それを取り囲むジャングルだった。地図で山を避けていく方法を探したが、まるで海から来るものを拒むように、山脈はぐるりと西海岸全域を覆っていた。この山を越えない限り、マハリシュの示した場所には行けないらしい。
帆布の予備をテントがわりに使い、もう何日かこの山で夜を越していた。山の標高が上がるほどに息苦しさは増し、肌寒い気候になってきた。岩肌が剥き出しの山道は生えている植物も少なく、殺伐としている。代わり映えのしない景色に飽きたのか、ジャニは頭がぼうっとしてくるのを感じていた。
「ほら、あと少しで山を越えるぞ」
疲労が蓄積し、完全に士気の下がっているジャニをパウロがそう言って励ます。
彼が指差す方を見ると、うんざりするほど見飽きた山道が突如切り取られたように途絶えていた。やっと終わりが見えてきたことにより、ジャニのやる気がほんの少し回復する。
なんとか頂上まで登りきったジャニは、そこから見下ろした景色に思わず歓声を上げた。
まるで緑の海だ。
こんもりとした緑の木々が果てしなく広がり、終わりが見えない。緑色は至る所濃くなったり薄くなったり、海の如く自然の生んだグラデーションで彩られている。そのうえにうっすらともやがかかっていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「マハリシュが言っていたのはあの辺りだな」
クックが指差した方向に皆で下山していく。その途中、森の中に何か白い建築物のようなものを見つけ、ジャニが声を上げた。
「あそこ! 何か建物みたいなものがあるよ」
「どんな建物だ?」
「なんか、上にいくにつれて細くなってる変な形。石でできているみたい」
ジャニは目を凝らした。その建造物のてっぺんに、なにかキラキラ光るものを捉えたのだ。
「それに、なにか一番上で光ってるものがあるよ」
「光る鳥か?」
ロンが期待を込めた目で見るが、ジャニは困ったように首を振った。
「そこまではわからない」
「とりあえず、その建物のところまで行ってみるか」
クックの提案に従い、みなはジャニが教える方角に進んでいった。山の麓に辿り着く頃には、他のメンバーにもジャニが言っていた建造物が見えてきた。
ジャングルの中に、ぽつりと小島のように建物の一部が見える。石造の四角錐型の建造物で、今は使われていないのか、石の隙間から木が生えていたり、周りの木々に押しつぶされそうな勢いで迫られていた。森の中に忘れ去られた置物のように、それはひっそりと存在していた。
「トゥーリカの民が作ったものだろうな。かつてこの地に住んでいた先住民だ。ルーベルから話を聞いたことがある」
ロンが好奇心に目を輝かせて言った。
「エストニアでは東はリンドヒゥリカの民、西はトゥーリカの民がそれぞれ暮らしていたと。度々争うことはあったが、二つの民族はほどよい距離感で長い間繁栄した。各民族はさらにいくつかの部族に分かれて暮らしていたらしい。あの建物は、その一つの部族の集落じゃないだろうか」
クックがため息をついた。
「リンドヒゥリカがエンドラに滅ぼされた後、エンドラの奴らがエストニアの地に運んできた疫病のせいでトゥーリカのものも数多く死んだと聞いてる。まだこっち側の土地の開発は進んでいないから詳しくはわからんが、生き残っているトゥーリカの民は少ないだろうな」
「あぁそうかもしれない。だが、油断しないようにしよう。ジャングルで襲撃されたら土地の理が向こうにある分、私たちは不利だ」
ロンが表情を引き締めて言う。
パウロとジャニはごくりと唾を飲み込んで、腰に刺している短剣のつかを握りしめた。
二人はここのところ、時間があるときにロンから剣技の授業を受けていた。船乗りが日常使いする程度の短剣であれば扱えるようになったので、新しい短剣を与えられたのだ。だが、できればこれを使う場面が来ることがなければいいとパウロは思っていた。
一向は山を降り、果てしなく続くジャングルに足を踏み入れた。
ジャングルの中は薄暗く、サラスーザのジャングルより空気が乾燥していて清浄さを感じた。
しばらく進むと、森の中にぽつぽつと石造りの建物だったであろう跡が見られるようになった。ほぼ植物に侵略されて原型をとどめていないが、こんもりと小山のように石の積み上がった形跡が見られる。
「やはり、ここには集落が存在したんだろうな。これは住居の跡だろう」
ロンが石が積まれているところを探索しながら言う。ベケットが足元に落ちていた土器のかけらを拾い上げると、それは砂のようにあっさりと崩れ落ちて風に流れていった。
「だいぶ昔に廃墟になったようですね」
ベケットが呟く。と、先を歩いていたクックが「あったぞ!」と声を張り上げた。皆で声のした方に密生した枝をかき分けながら進むと、森が少し開けた場所に出た。
目の前に突如現れた建物に、一同は言葉を無くした。
圧倒的な存在感だった。
灰白色の石を幾重にも積み上げ、天を目指すように建てられたそれは、巨大な四角錐の建物だった。正面には石の階段がびっしりと上から下まで造られ、四角錐の上部はスパッと切り落とされたように平らになっており、そこの中央には石柱が円形に並んでいて祭壇のようなつくりになっている。
何年も雨風にさらされ続けた石段は複雑な色に染まっており、何か得体の知れない巨大な生物がうずくまって眠っているような、そんな不気味さも漂っていた。
「これは、人が住んでたような建物じゃないな」
クックがその場の沈黙を破って声を上げた。我を忘れて建造物に見入っていたロンがはっと顔を上げ、その言葉に頷く。
「なんらかの宗教的儀式に使われていたんじゃないかな。リンドヒゥリカの民族も、同じような建物を作って太陽の神を祀っていたと聞いた。これも何かの神のために作ったんだろうな」
「何かの神・・・・・・」
呟いて上を見上げたジャニは、建造物の一番上で再び何か輝くものを目にした。よく目を凝らしてみると、金色の丸い物体のようなものが見える。
「あそこ、一番上に金色に光ってるものが見える!」
ジャニが上を指差して報告すると、グリッジーが目を輝かせた。
「金じゃねぇか!? エストニアの先住民たちは金を大量に持っていたって話だぞ!」
「それはリンドヒゥリカの話だろ。しかもほとんどエンドラに取られた」
クックが言うが、グリッジーは諦められないようで建造物の急傾斜の石段を登り始めた。
「この目で見てみないとわからねぇですよ!」
「ったく、しょうがねぇな」
クックは肩をすくめ、グリッジーの後に続いて登り始めた。他のメンバーも次々と登っていく。高所恐怖症なパウロは最後までしぶっていたが、ジャニが登り始めるのを見て意を決したように石段に手をかけた。
石段は四つん這いになって、斜面に体を預けるようにして登らないといけないような急斜面だった。しかもところどころ石段が崩れていたりするので慎重に登らないといけない。
ジャニは高いところが苦手ではないが、ふと下を見た途端目眩を起こしそうになって慌てて石段にかじりついた。
てっぺんの方に来ると、ジャングルの上に出て森の海を見渡すことができる。
どうにか頂上まで上り詰めると、祭壇の真ん中では、クックたちがあるものを取り囲んで首を捻っていた。
「なんだこれ。金なのか?」
彼らの前には、金色に鈍く光る丸いドーム状のものが鎮座していた。大人二人が腕を広げて周りを取り囲むくらいの大きさで、高さはクックと同じくらいある。完全な球体ではなく、心なしか上の方が尖った丸みを帯びている。その丸い物体は、木の葉や小枝が幾重にも積み重なった上に置かれていた。
「おいこれ! もしかして例の羽じゃねえか?!」
丸い物体の下の方を調べていたメイソンが突然大声を上げた。
彼が小枝や落ち葉の山から引っ張り出したのは、太陽の光を反射してキラキラ光り輝く鳥の羽だった。
メイソンが手を動かすと、羽は鮮やかな金色に輝き、マハリシュが言っていた“光る羽”であろうと見当がついた。目当てのものを早速見つけられた喜びに皆の顔が綻んだが、あることに気づいてだんだんと表情が曇った。
「でもそれ、鳥の羽にしちゃぁ少し・・・・・・でかすぎないか?」
代表してクックが皆の思っていたことを口に出す。羽はジャニの身長ほどもあり、太さはこれを使って雨を凌げるのではないかという大きさだった。ヤシの葉に似た大きさ、形をしている。
他の場所も探ってみると、同じような羽が数枚落ち葉の山から出てきた。
「なぁ、この落ち葉とかがやたらいっぱい集まってるのは、もしかしてここ、なにかの巣なんじゃないか?」
グリッジーが恐る恐るといった表情で言う。ロンも、信じられないという顔で金色の丸い物体を見つめた。
「となるとこれは・・・・・・」
「卵か!」
クックがハッとした顔で指を鳴らした。みな唖然と巨大な卵を見つめた。
「羽と卵がこの大きさってことは・・・・・・おいおい、なんか嫌な予感がするぜ」
メイソンが眉根を寄せる横で、ロビンが彼の肩の上で甲高く鳴きながら飛び跳ねている。
「この卵を持って帰れば、あの本が手に入る!」
ロンだけは、一人目を輝かせて卵に近づいていった。必死で卵に両腕を回し、持ち上げようとする。しかし思ったより重かったのか、ウッとうめいてすぐに卵を元に戻し、苦笑した。
「これを持って帰るのは難儀だな」
その時だった。突如あたりに暗闇が落ちた。いきなり夜になったかのように、祭壇全てが暗くなり、一同は困惑顔でお互いを見やった。
「みんな、上!」
だいぶ遅れをとって頂上に辿り着いたパウロが、頭上を見上げて叫んだ。言われるがまま上を見た一同は、太陽を遮る大きな影を見た。それがこの突然の夜を作り出していたのだ。
影は両翼を広げた鳥のように見える。鳥の姿はどんどんと大きくなり、こちらに向かって直滑降し始めた。
近づいてくると、その鳥の異様な大きさが明らかになってきた。
姿形は鷲のようだが、その嘴は人の頭など簡単に食いちぎってしまいそうな厳つさであり、両翼を広げた大きさはこの祭壇を覆ってしまうくらいありそうだ。全身を覆う羽毛は黄金に輝き、まるで太陽の化身のようである。
巨鳥は一目散にロンめがけて飛びかかり、船の錨ほどもある鉤爪でその体を掴もうとした。
「ロンさん!」
咄嗟にパウロが動いた。
突然の巨鳥の襲来に身動きが取れずにいるロンを突き飛ばす。ロンは危うく鉤爪から逃れ地面に転がったが、巨鳥はさらにロンの頭めがけて嘴を振り下ろした。ロンが横に転がって避け、ツルハシのような嘴が祭壇の地面を破壊した。粉砕された石くずが飛び散る。
ロンを仕留められず苛立ったのか、巨鳥はあたりに響き渡る声で鳴くと、急に狙いを変えて傍に立ちすくんでいるパウロに首を巡らせた。
自分の顔ほどもある鳥の目に射すくめられ、パウロが小さく息を呑む。そして巨鳥は動けずにいるパウロを素早く鉤爪で捕まえると、鮮やかに空に飛び立ってしまった。
「パウローッ!」
ロンが叫ぶ。クックがすかさず腰の剣を抜いて切り掛かるが、後ろ足に命中したものの、巨鳥は悠然と上空に逃げてしまった。一同は巨鳥が羽ばたく度に巻き起こる突風に、吹き飛ばされないようにするのが限界だった。
ベケットがピストルを構えて打とうとするが、下から狙うと鉤爪に囚われているパウロに当たる可能性が高くなる。結局、舌打ちして諦めざるを得なかった。
「うそだ・・・・・・パウロ」
ジャニが呆然と、飛び去っていく巨鳥を見ながら呟く。しかし、悲劇は終わりではなかった。先ほど巨鳥の嘴が穿った石造の部分が、脆くなっていたのか嫌な音を立てて崩れた。
「うわ!」
ジャニの足元も崩れ落ち、祭壇に開いた穴に落ちかけた。クックがすかさずジャニの手を掴む。クックに腕を掴まれた状態で、ジャニは宙にぶら下がる形になった。あまりの恐怖に思わず悲鳴をあげて足をバタつかせてしまう。
「馬鹿! 動くな!」
穴の淵に手をつき、必死にジャニを引き上げようとしていたクックが鋭い声を上げる。石にヒビが入るような音がして、クックの腹ばいになっている石造の部分が崩れた。
結局、その周りにいた他のメンバーも蟻地獄のように広がる祭壇の崩壊に巻き込まれ、深い闇をたたえる遺跡の穴に真っ逆さまに落ちていった。
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