語る賢者 4



 マハリシュの長い話が終わった。

 なにやら難しい内容でジャニにはあまり理解できなかったが、マハリシュが棚に保存しているものを愛していること、不可思議な話も作り物と否定せずに受け入れていることはなんとなくわかった。


「あんたの熱意はわかった。無理やり鍵を奪うようなことはしねぇよ」


 クックが請け負うと、マハリシュは満足そうに頷いた。キアランがふん、とそっぽを向く。


「で、俺たちは何をあんたに渡せばいいんだ?」

「そうじゃ、その話だったな。あんたらにとってきて欲しいのは、“ケツァクァトルの羽”じゃ」


 マハリシュの言葉に、再び一同はキョトンとした顔をした。


「なんだその舌を噛みそうな名前のやつは」

「知らんのか、エストニアの神話に出てくる鳥じゃ。全身を発光する不思議な羽で覆われとる。ここからさらに西、エストニアのトゥーリカの地に生息していると言われている。そいつの羽が欲しいんじゃ」

「実在しない生き物の羽をとってくるなどできるわけないだろう! 馬鹿にしてるのか!」


 キアランが顔を赤くして怒鳴る。マハリシュはうんざりしたようにため息をついた。


「わしの話を聞いていたのか? 存在しないと決めつけるな。実際、トゥーリカでは光る鳥の目撃者が何人もおる。人里からは離れた山岳地帯にいるらしくてな、自分で取りに行きたいのは山々だが、ファーブラたちを守らなければならんし、こんなじじいに山登りは無理じゃ。だからあんたらに頼みたい」

「・・・・・・羽を一枚とってくればいいのか?」


 クックが確認するように聞くと、マハリシュは満面の笑みで頷いた。


「一枚でいい。しかし、そこらにいる適当な鳥の羽を持ってきても鍵はやらんぞ。ケツァクァトルの羽はそれ自体が発光する世にも珍しい羽じゃからな。騙そうとしても無駄じゃ」

「わかった、行ってみよう」


 クックが承諾し、キアランと他の面々は渋い顔をした。メイソンが抗議の声を上げる。


「船長! こんなわけのわからん話に乗るんですかい!?」

「金じゃ譲ってもらえないなら行ってみるしかないだろう。ピストルを使う猿がいるんだ、光る鳥くらいいるだろうよ。それに、ここからそう遠くはないんだろう?」

「あぁ、たった数日じゃ。地図ならあるぞ」


 マハリシュはいそいそと細く丸めた地図を持ってきて、卓上に広げた。

 アドリアンの地図では明記されていなかったエストニアの西海岸近辺が詳細に描かれている。そのある一点に、マハリシュは羽ペンで丸をつけた。


「ここじゃ。この地図は持っていけ」

「ありがたく受け取ろう。この地図だけでも相当な価値があるぞ。ほらキアラン、欲しかっただろう?」


 クックに地図を渡されて、キアランはしぶしぶ受け取った。


 クックたちはマハリシュの家を出ようと、棚のある部屋に戻った。ドアに向かう途中、ロンがある棚の前で立ち止まり、展示されている本を食い入るように見つめる。

 どうやら医学書のようだ。

 パウロはその本に書かれている文字が、ロンの部屋にあった本と同じであることに気づいた。


「その本が欲しいのかね?」


 マハリシュが声をかけると、ロンは頬を紅潮させて興奮気味に肯首した。


「まさかこんなところにこの本があるなんて・・・・・・ずっと欲しかった本なんだ。頼む、譲ってくれ!」

「この医学書マニアが」


 クックがからかうように声をかけるが、ロンの表情は変わらない。マハリシュは笑いながらロンの肩を叩いた。


「これはなかなか重要な本だからな、ケツァクァトルの卵でも持ってきてもらえないと渡せんな」

「卵・・・・・・」


 ロンはどこまでも真面目な顔でつぶやき、やっと医学書から目を引き離した。


「じゃぁ、頼んだぞ」


 マハリシュに送り出され、船に向かって歩き出した一向だったが、ジャングルの半ばでジャニが突如足を止めた。


「おい、どうした?」


 パウロが振り返って問いかける。ジャニは、右手をポケットに突っ込んで黙りこくっていたが、思い切ったように踵を返した。


「ごめん、ちょっと忘れ物!」

「あ、おい!」


 後ろからパウロの声が聞こえてくる。ジャニは構わず、マハリシュの家に駆け戻っていた。


 ドアを開けると、まるでジャニがくるのを待ち構えていたかのように目の前にマハリシュが立っていた。両手を後ろ手に組んでじっとこちらを見つめている。


「あのっ」


 ジャニは口を開きかけ、言い淀んだ。右手でポケットの中のものをしきりにまさぐる。


(どうしよう、絶対怒られる・・・・・・)


 怒ったマハリシュに猿の餌にされるのではないかという妄想が浮かんできて、ジャニは立ちすくんでしまった。しかしマハリシュは急かすこともなく、ただ待っている。

 ジャニは意を決して、ポケットから金色の装飾品を取り出した。


「ご、ごめんなさい! 勝手にあなたのコレクションを持ち出して!」


 装飾品を差し出しながら思い切り頭を下げる。恐怖にぎゅっと目を瞑っていたが、返ってきたのは、予想外の言葉だった。


「それは、君が持っていなさい」

「え?」


 恐る恐る顔を上げる。マハリシュは、ただ静かに笑っていた。


「それは君が見つけたものじゃ。持っていなさい」

「えっ、で、でも、俺なんにも見返りなんて渡せないよ」


 戸惑うジャニに、マハリシュは首を振る。


「見返りはいらん。いいから持って行きなさい。それが君を導いてくれるじゃろう」


 ジャニは困惑しながら、言われるがまま装飾品をポケットに戻した。マハリシュの目が、不思議な光を宿してジャニを見つめる。


「君の右目の呪いが、解けることを祈っている」


 ジャニはハッと息を呑んだ。どうして彼が呪いのことを知っているのか。

 マハリシュはまた、重ねて言った。


「君がも、解けるといいがな」


 ジャニは息をするのも忘れてマハリシュを見返した。

 視線が彷徨う。マハリシュの目を見るのが怖い。彼の目はーーー


 を見ている。


 ジャニは突如走り出した。

 マハリシュに背を向け、逃げるように家を出る。

 混乱する頭で走り続け、気づくときた道とは全然違う方向の森に入ってしまっていた。これではクックたちに追いつけない。

 しかし、胸が張り裂けそうに苦しくて、ジャニはその場に座り込んだ。

 動悸が激しい。こめかみに冷たい汗がつたっている。何か思い出したくないことを思い出してしまいそうで、怖い。思い出したくない。


「俺はジャニ、俺はジャニ、俺は・・・・・・!」


 何度も繰り返すうちに、ジャニの呼吸が落ち着いてくる。

 思考を遮っていた耳鳴りも止み、ジャニはほうと大きく息をついて立ち上がった。

 その時だ。

 どこか近くから、ガリガリと硬いものを引っ掻くような音が聞こえてきた。それは定期的に、意図的に出されている音のように聞こえる。ジャニはあたりを見回し、音のする方に足音を忍ばせて近づいた。

 どうやら、マハリシュの家の裏の方に回り込んできてしまっていたようだ。

 音のする方は緩やかな坂になっていて、登っていくと後方に巨木の影に隠れたマハリシュの家が見えた。さらに登っていくと、そこは切り立った崖になっていて、音はその向こうから聞こえて来る。


 頭を低くして木陰に隠れながら崖を見下ろす。右手側の少し距離を置いたところで、崖の下に突き出た岩場に立って岸壁に何かを描いている人影があった。


(あれは・・・・・・キアラン?)


 ジャニの目は、翼獅子号の一等航海士の姿を捉えていた。彼は手に滑石を握って、一心不乱に岸壁に大きな白いバツを描いていた。


(何してるんだろう)


 そんなものを描く理由がわからなくて、ジャニは眉をひそめる。彼に限って遊びではないだろうし、船長に何か頼まれたのだろうか。


「キィッ」


 ジャニの背後から甲高い鳴き声がした。驚いて振り向くと、ロビンがジャニを見上げて足元に座り込んでいた。


「ロビン! 迎えにきてくれたの?」


 キアランの方を気にして声をひそめ、小猿に問いかける。ロビンはまた小さく鳴くと、ついてこいとばかりに走り出した。

 ジャニはキアランに声をかけようか一瞬迷ったが、やめて大人しくロビンについていくことにした。

 正直、キアランのことは苦手だったので、二人でジャングルを歩くのは気が進まなかった。どうせ後でボートで落ち合うだろうと思い、森の中をロビンと共に走り抜ける。


 やがて白い砂浜に出ると、波打ち際にボートを引っ張り出すクックたちが見えた。森から出てきたロビンとジャニに気づき、メイソンが走り寄ってくる。


「こんのクソガキが!」


 近づいてくるなり、メイソンのゲンコツがジャニの頭に落ちた。力加減はしているのだろうがなかなかに痛い。頭を押さえてジャニがうめく。


「なにすんだよ! 痛いじゃんか、クソジジイ!」

「勝手に仲間から逸れるんじゃねぇ! しかもあんなジャングルの中で! あの猿ども以外に猛獣がいたらてめぇなんぞあっという間に食われちまうぞ!」


 どうやら本気で心配して怒っている様子だ。

 ジャニは自分の勝手な行動に気づき、「ごめん」と素直に謝った。パウロも近寄ってきてジャニの頬を引っ張る。


「お前はほんとに勝手なんだから! 俺から離れるなっつーの!」

「いだいいだい、パウロのバーカ!」

「おいこら、お前らもボート出すの手伝え!」


 クックに呼ばれ、三人は大人しくボートを運ぶ作業に加わった。ウルド、ベケット、ロン、グリッジーの姿を確認し、「あれ?」とジャニが声を上げる。


「キアランは?」

「あぁ、確かに遅いな。地図に書き足したい部分があるからと言ってどっか行ったまんまだな。置いてっちまうぞ」


 クックが舌打ち混じりにつぶやいた時、ジャングルの向こうのほうからこちらに近づいてくる人影が見えた。キアランが、片手に地図を携えて歩いてくる。


「すみません、遅くなりました」


 一言謝り、キアランもボートを運ぶ作業に加わる。

 向かい側でボートを持ち上げているキアランのいつもと変わらない横顔を盗み見ながら、ジャニは小さな違和感を感じていた。






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