語る賢者 3



 本棚が並んでいた部屋の隣の部屋に移って、マハリシュとクックたちは長机を囲んでいた。

 一応この部屋は炊事場のようだったが、薪をくべた様子もなく、釜や鍋は部屋の隅に転がり、炊事していないことが伺えた。その代わり、机の上の大皿には色とりどりの果物が積み上がっていた。


「猿たちが時々果物を山盛り持ってきてくれるんでな、食うには困っとらん。遠慮せず好きなものを食べてくれ」


 マハリシュに勧められて、卓上の果物に手を出したのはジャニとロビンだけだった。他の面々は見たことのない極彩色の果物に猜疑心丸出しの顔をしている。


「おもてなしありがとう。ところで、俺たちがここにきたのはアドリアン・ロペスにあんたの居所を教えてもらったからなんだ」


 クックが早速話を切り出す。マハリシュはあぁ、と声を上げた。


「あのマルタンの孫か。じじぃに似て操船のセンスはピカイチだが、ちょっとばかし頭の弱い若造だな」


 マハリシュの歯に衣着せぬ物言いにクックとロンは笑った。


「まぁ、その彼なんだが、俺たちがどうしても欲しいものを、あんたが持っていると教えてくれたんだ」

「何が欲しいんじゃ?」


 クックはマハリシュの顔をじっと見ながら答えた。


「デイヴィッド・グレイの宝箱を開ける鍵だ」

「ほほう」


 マハリシュは会得したように頷いて、長い顎髭をくるくると指に絡めた。


「ということは、あんたたちは例の宝箱を持ってるんだな」

「まぁそういうことだな。で、鍵は持っているのか?」

「あぁ。さっきの部屋のどこかに展示されている」


 クックたちの顔に喜色が広がった。しかし、すかさずマハリシュが人差し指をたてた。


「だが、ただでやるわけにはいかん。それ相応の見返りが必要だ」

「わかってる。金は出す。とりあえずこれだけ持ってきてはいるが、足りなければ船に取りに行く」


 クックはそう言って、懐から拳大に膨れた袋を取り出した。

 卓上に放り出されたそれはずしりと重量感のある音を響かせ、少し解けた結び目から純金の硬貨が転がり出た。

 ジャニとパウロの目は金貨に釘付けになった。あの袋の大きさからすると相当な額が入っているはずだ。破格の値段と言っていい。

 しかしマハリシュは金貨に見向きもせず、ただ声高らかに笑った。


「何がおかしい!」


 キアランがムッとして声を荒げる。マハリシュは笑いをおさめると、


「こんな島にいて金が役に立つと思うか? わしが欲しいのは金じゃない」


 にべもなく金貨を突っ返した。クックが訝しげに老人を見る。


「じゃぁ見返りに何が欲しいんだ」


 マハリシュは琥珀色の目を妖しく煌めかせ、何かに取り憑かれたような眼差しでクックを射抜いた。


「わしが欲しいのは、“ファーブラ”じゃよ」


 全員がキョトンとした顔をした。


「ファーブラ・・・・・・?」

「“ストーリー”とも言うな。歴史、伝説、物語、宗教、御伽、思想・・・・・・挙げたらキリがない。ファーブラとはそういうものだ。

 隣の部屋の棚に飾ってあるのは、あらゆる人物から受け継いだファーブラにまつわるものじゃよ。わしは世界中のファーブラを集めるのが趣味でな。金、名声、権威にはとんと興味がない。わしのコレクションが欲しいなら、それに見合うファーブラを見返りに求める」

「金に興味がないなんて嘘だ! さっきの部屋に、こんなでかいスマラグドスの首輪があったぞ!」


 グリッジーが勢いよく立ち上がって抗議の声を上げた。マハリシュは面白そうにグリッジーを見やり、人の悪い笑みを浮かべる。


「あれか、なんならくれてやってもいいぞ」

「ほ、本当か!?」


 グリッジーが跳び上がらんばかりに喜ぶ。マハリシュは喉の奥でくつくつと笑った。


「あぁ。あれはな、“エルダの呪いの首輪”と言われていて、所持するものがことごとく変死を遂げてきた代物だ。ざっと百人は死んでいるらしい。ある人物にこれをもらって欲しいと泣きつかれ、首飾りが渡った経緯、死んだ人間たちの死因のリストと一緒に貰った」


 グリッジーの喜んでいた顔が一気に萎み、彼は無言で席についた。マハリシュは茶目っ気たっぷりに肩をすくめてみせる。


「まぁ、貰ってからまだわしは死んでないから、もしかしたら偽物かもしれんがな」

「つまり、物々交換みたいなことか?」


 クックが尋ねると、マハリシュはふむと顎髭を撫で下ろした。


「まぁそんなところだが、厳密には違う。わしが欲しいのはただの珍しい物とかではないぞ。わしが欲しいファーブラの品を取ってきてもらいたいんじゃ」

「まどろっこしい! 船長、こんな爺さんさっさと吊し上げて鍵を奪って島をでましょう」


 キアランが冷徹な眼差しを老人に送る。しかしマハリシュは表情を変えず、ちらりと侮蔑するような視線をキアランに送った。


「悪いが、わしは殺すと脅されても鍵のありかを話しはせんぞ。そもそも死には恐怖を感じんのでな。しかも、お前たちが欲しがっている鍵はただの鍵じゃない。一目では鍵とはわからない形をしておる。わしを殺してこの家にある鍵らしきものを全て試してみても、絶対に宝箱は開きはせんぞ」

「試してみないとわからないだろう」


 マハリシュとキアランが無言で睨み合う。その緊迫した空気を打ち消したのは、ジャニの純粋な好奇心に溢れた声だった。


「なんでお爺さんはその、ファーブラっていうのを集めてるの? お金にもならない、腹の足しにもならないのに」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれた」


 マハリシュは待ってましたとばかりに鼻の穴を膨らませた。その横でキアランが余計なことを、と言わんばかりに目をつり上げている。


「ファーブラとは何か。そもそも、人間と動物の違いはなんだと思う?」


 マハリシュに聞かれ、ジャニは少し考えた後「道具を使うところ?」と答えた。マハリシュは静かに首を振る。


「確かに人類は、道具を使い火を起こすところから発達した。しかし、あんたらも見ただろう。猿も使い方を教え、慣れれば人間と同じように道具を扱える。しかし、彼らはピストルを作り出すことはできん。そこが大きな違いだ。人と動物の違いは、ファーブラを作り出すか否かじゃ。

 動物に宗教が必要か?

 歴史、思想を後世に伝えるか?

 否じゃな。だが人間は、多くの人と共に生きるため、自らの生を意味のあるものにするため、そういうものを創造した」


 マハリシュは無造作に、近くに積み上げられていた本の山から一冊を取り出した。

 表紙は経年劣化で字がかすみ、破けたり煤のようなもので黒くなっている部分もある。


「例えばこれは、だいぶ前に出版された本だが、ある男がその時代に大流行した病の治療法をしたためたものだ。

 その病では沢山の人が死んだため、人々はこぞってこの本を買い、男が勧めた薬品を摂取した。その薬品を摂取すると一時的に病の症状が良くなったので人々は男を褒め称えた。

 しかし、のちにその薬品は別の重篤な副作用をもたらすことがわかった。

 ではその男は悪人だったのか?

 いや、心から人々の役に立ちたいと思い、自分の思想を世に広めたのだ。彼の思想で病から救われると希望を見出した者もいただろうし、逆に副作用に絶望した者もいただろう。

 真実は、男の思想を否定した。今信じられていることも、何年後か、何十年後かには覆されている可能性がある。

 だが、それが真実のものであろうと、そうでなかろうと、それらは全て尊いものじゃ。人間はそういった人々のためのファーブラを積み重ねながら生きている。そして、この世の全ては、その積み重ねでできておるのじゃ。わしは、それが非常に愛おしいと感じる」


 マハリシュの目はどこか遠くを見ていた。声には今までにない優しさが滲み出ている。


「御伽、伝説、神の存在を馬鹿らしいと笑う者もおるじゃろう。しかし逆に、それらが全く真実ではない、存在しないと証明することはできるのか? できんじゃろう。

 目に見えるものしか信じないのも虚しいことじゃ。伝説や御伽も、人が人のために作ったファーブラであり、それらにつながる物があれば、この世から消されてしまう前に大事に保管しておきたいんじゃ。

 この乱世の時代、人々は自分のためばかりに行動しがちじゃ。

 国のためという名目で、自分に不都合なファーブラを抹殺するものたちがで始める。焚書、異教徒迫害、人種差別、伝統文化の規制・・・・・・数えればきりがない。わしはそういう者たちから、ファーブラを守る使命を自分に課しとるのじゃ」



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