思わぬ再会 6



 やがて出港の準備が整い、翼獅子号はゆっくりと動き始めた。

 夜が明けて白み始めた空には、あと少しで太陽が昇るだろう。


 医務室でパウロの怪我の手当てを終えたロンは、薄ぼんやりと周りが見渡せるくらいの明るさになった甲板に出た。

少しずつトルソの桟橋から離れ始めた船は、ちょうどアドリアンたちの船の横を通り過ぎるタイミングだった。

 アドリアンの船縁から、こちらを見下ろしている人影がある。

 それがルーベルだと気づいたロンは、出港間際に彼女の顔が見られた嬉しさで顔を綻ばせ、声をかけようとした。しかし、彼女がもうすでに翼獅子号の誰かと話していることに気づき、口を閉ざす。


「お前は、ゲイル討伐なんて無謀なことやめて、バルトリアに帰れ」


 ロンから少し離れたところに立ち、そうルーベルに言い放ったのはクックだった。こちらには背を向けているので、ロンには気づいていない。

 ルーベルもまだロンには気づいていないようで、クックをきつい眼差しで睨みつけている。


「嫌よ。どこかの誰かさんが約束を守ってくれないから、自分で宝石を奪いにいくことにしたのよ。あなたに指図される覚えはないわ」


 ルーベルの声はどこか張り詰めているように感じた。彼女の瞳も揺れている。

 クックは苛立ったようにため息をついた。


「お前みたいな世間知らずのお姫様と、あの能天気な探検家が“人喰い”に勝てるわけないだろう!」

「やってみないとわからないじゃない!」


 それぞれの船の船員たちは黙々と作業しているが、怒鳴り合う二人のやりとりに興味津々で聞き耳をたてている。その気配に気付いたのか、二人は一瞬口をつぐんだ。

 束の間の沈黙を破ったのは、クックだった。


「バルトリアに戻ってろ。俺が“人喰い”を倒してやる」

「なんで今更そんなことを言うの!? 私のことを拒んだくせに!」


 クックがぐっと拳を握った。


「拒んでない」

「私と一緒になるのを拒んだじゃない!」

「あれは・・・・・・少し待ってくれと言ったんだ」

「同じことよ!」


 もうルーベルの声は隠せない激情で震えていた。

 船はだんだんと離れ、二人の距離も広がっていく。しかし、二人の視線は絡み合ったままだ。

 大きくため息をついて、ルーベルは少し落ち着いた声で低く言った。


「もう、私とあなたとはなんの関係もない。私がこの海で何をしようが、私の勝手よ。あなたのことなんて、さっさと忘れてやるから」


 一瞬見えたクックの横顔は、苦く笑っていた。


「出来ねぇくせに」


 それが最後の言葉となった。

 二人見つめ合ったまま、翼獅子号は速度を増し、外海へと出て行く。

 もう声も届かない距離になったところで、クックは甲板を離れ、船長室へと歩いていった。

 とっさに身を隠したロンは、じっと自分の足元を見下ろす。


(いつも、私が彼女にいいたいことを、あいつが先に言ってしまう)


 一年ぶりに会えて、嬉しかった。もっと話したかった。会いたかったと。そしてクックと同じように、ゲイル討伐なんて物騒なことはやめてほしいと、ロンも言いたかった。

 しかしロンが言っても、彼女には響かなかっただろう。今まで、そして今でも、彼女の目にはクックしか映っていない。


(だからもう、彼女とあいつのことを遠くから見守ると決めたのに、それなのに・・・・・・どうしてあいつは!)


 込み上げる苛立ちに、ロンはぐっと拳を握りしめた。その苛立ちは、前から何もできないでいる自分にも向けられている。

 当たり障りのないこと、優しい言葉はいくらでも言える。なのに、肝心の自分の気持ちは言葉にできない。

 そういう性分なのだと諦めていたが、何もできなかったのは、二人の間に入り込む余地が全くなかったせいもある。

 磁石のように引き合ったかと思えば反発して、それを永遠に繰り返して。


(口ではあんなに喧嘩しているのに)


 船がお互い見えなくなるくらい遠ざかっても、ロンの胸中には見つめ合う二人の姿が、一枚の絵画のように焼き付いて離れなかった。







 男は、一人部屋の中で彫像のように座り込んでいた。


 コバルトブルーの壁紙の部屋は、大きな窓のカーテンを全て閉め切っていて薄暗い。

 まるで深海のような部屋で、男は自分の仕事机に両腕をついて、祈るように手を合わせていた。厳格さ漂う深いシワの刻まれた顔、口元を覆う髭のせいで、表情はあまりわからない。しかしその目には、深い後悔の色が滲んでいる。


「私のせいだ・・・・・・」


 絞り出すように呟いた声は、微かに震えていた。と、その時、部屋のドアをノックする音が響いた。


「ディオン提督、よろしいでしょうか」


 ドアの向こうから部下の声が聞こえて来る。男は深くため息をつき、「入れ」と声をかけた。

 部屋に入ってきた若い男は、濃紺のジャケットに金のボタン、肩に金糸をあしらったイグノア海軍の士官服を着ている。その顔は何か失敗でもしたのか、これから叱責されることを恐れるように口を引き結んでいる。


「報告にあがりました。先日、カンパーラ島の沖合でアーノルド号から例のものを奪った海賊と我が“プリンシパル号”が遭遇。追い詰めましたが、あと一歩のところで逃してしまいました。現在、行方を追っているところです」


 そこで海軍士官は一息付き、「申し訳ありません!」と勢いよく腰を折って頭を下げた。

 男は気迫のこもった三白眼で下士官を睨みつけた。


「我が国の領域で見つかった至宝をこうもみすみす逃すとは、イグノア海軍の名折れだ!あんな有象無象の集団に逃げられるなど、恥を知れ!」


 よく響く怒声に、下士官はひたすら身を縮ませている。男は再びため息をつくと、「とにかく、可能な限り早くその船を見つけ出せ」と命じて、さっさと下士官を追い出そうとした。

 しかし、下士官は恐る恐る顔をあげて、男の顔色を伺うように話し始めた。


「実はその海賊船なのですが、アーノルド号の船長から少し気になる話を耳に挟んだのです」

「なんだ、話してみろ」


 そして下士官の話した内容に、それまで感情の欠落していた男の顔が激変した。見開いた目に光が灯る。


「すぐにその船を捕らえろ! 宝箱の確保も重要だが、その人物も傷つけることなく連れて来い」

「はい!失礼いたします」


 下士官は最敬礼をして部屋を出て行った。男はしばらく椅子に座っていたが、やがて立ち上がって窓のカーテンを開け放った。

 暗闇に慣れていた目に光が降り注ぎ、男は眩しそうな顔をする。


「ジュリア・・・・・・」


 男の呟きは、胸の締め付けられるような切実さが滲んでいた。

 カーテンから差し込む光が、部屋の壁にかけられている肖像画を照らしている。

 それは一人の少女の絵だった。左向きの横顔を捉えたその肖像画の少女は、長い黒髪を肩に垂らし、青い目を遠くに向けている。どこか哀しそうにも見えるその瞳の色は、男が窓の外に向ける瞳の色と酷似していた。


「クック・ドノヴァン。今度こそ捕らえてやる」


 先程の声音とは全く違う、憎しみを湛えた声で男はそう吐き捨て、降り注ぐ光に背を向けた。






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