思わぬ再会 4



 四人が酒場を出ると、月はほぼ雲間に隠れてしまっていた。

 酒場の周りを覆う木立には、濃い闇が立ち込めている。どこかでフクロウが陰鬱な声で鳴いていた。

 先に酒場を出たクックが、何かに気づいたように唐突に足を止めた。

 その険しい横顔を見て、ロンは何か良からぬことが起きていることに気づく。

 クックが注視しているところに目をやると、木立の合間に光を反射するものが垣間見えた。

 クックの手が腰のベルトにさしている剣の柄に伸びる。ロンも腰の両脇にさしていた双剣を抜くのを見て、アドリアンと従者ははっとしたように身構えた。


「隠れてないで出てこいよ」


 挑発するようにクックが声をかける。

 一拍置いて、酒場を取り囲む闇の中からのそりと人影が姿を現した。

 後から後から出てくる。様々な武器を手にした男たちが、ジリジリと間合いを詰めるように四人を取り囲んできた。

 数は二十人弱くらいか。圧倒的数の優位さに四人の敗北を確信しているのか、男たちの顔には一様に嘲笑が浮かんでいる。


「見た顔も何人かいるな、バシリオの手下だろう。くそ、あの酒場のオヤジ、チクリやがったか」


 クックが舌打ちする。しかし、それがトルソで生きる者の特性であることはわかっていた。ここで生きるものは、金を積まれればどんな相手にでも情報を売るのだ。


「バシリオの目的は、宝箱か」


 ロンが声を抑えてクックに言う。クックは頷くと、「お前は船にいけ」とロンの顔を見ずに命じた。


「いやしかし、この人数は・・・・・・」

「お前と俺、どっちが早くこいつら片付けられる?」


 躊躇するロンに、クックが好戦的に尋ねる。ロンは顔をしかめた。


「そりゃお前だけど」

「こいつらは主戦力を足止めするのが目的で、バシリオと残りの手下は今頃船を襲ってる。できるだけ早く船に行って宝箱を守れ。俺も可能な限り早く合流する」


 ロンは束の間黙っていたが、やがてうなずいて走り出した。囲んでいる男たちの一端目掛けて駆け寄り、舞うように双剣を繰り出して何人かを切り付け走り抜ける。慌てて数人の男がロンを追ったが、大多数の男たちはクックたちから目を離さなかった。


「この者たちは君を狙っているのか?」


 凝った意匠のサーベルを抜いて構えながら、アドリアンが尋ねる。従者もカトラスを抜いて身構えている。その様子を見る限り、戦闘経験はそこそこあるようだ。

 クックはうんざりしたように肩をすくめた。


「まぁ、職業柄敵は多いからな。ちなみにこいつらの頭はバシリオっていうゲイルの手下だ」

「なんだと」


 アドリアンがゲイルの名に反応する。クックは口の端を上げて笑った。


「つまりこいつらはあんた達の敵でもある。お手並み拝見と行こうか」


 言い終えるなり、クックが一気に男たちとの間合いを詰めた。

 鞘から剣を抜きざま、大きく横に薙ぎ払う。重量のある剣の強烈な打撃に耐えきれず、数人が吹き飛ばされた。それが交戦の合図となり、三人と男たちが入り乱れての白兵戦が始まった。

 急な戦闘に巻き込まれたアドリアンと従者も、最初こそ戸惑いがあったが、やがて鮮やかな立ち回りを見せ始めた。アドリアンの腕に自信があると言う言葉は嘘ではなかったらしい。無駄のない動きで海賊たちを倒していく。


(思ってたほどお荷物にはならなそうだな)


 戦いながら横目でアドリアンたちの動きを確認していたクックは、そう判断してもう少し広い場所に海賊たちを誘導していった。

 動きやすい平地に出ると、クックの周りを男たちが取り囲む。クック一人に対して十人ほどの数だ。だが、男たちはクックの出方を伺うように距離をとっている。


「だいぶ前に俺にこっぴどくやられたのを忘れたのか?」


 クックが嘲笑すると、男たちの顔が怯えたようにひきつった。しかし、そのうちの一人が怯えをふり払うように咆哮を上げてクックに打ち掛かってきた。他の者もそれに続く。

 四方八方からおそいくる剣撃を、クックは身軽にかわしたり剣の刀身で受け止めながら免れる。男たちの陣列が乱れたところに、クックはすかさず刀剣を叩き込んでいった。男たちも手にしているカトラスでクックの剣を受け止めようとするが、剣の重さと剣撃の強烈さに競り負けて地面に打ちつけられていく。剣がひしゃげる者もいた。

 クックが一人で大立ち回りを繰り広げる様子を横目で見ながら、アドリアンは背筋が薄寒くなるのを感じた。


「化け物か」


 まさに猛り狂う獅子だった。

 クックはそこまでの大男ではない。

 しかしその身から立ち上る気迫は、その身を何倍にも大きく見せるかのようだった。

 ファルシオンと呼ばれる、カトラスよりは刀身の大きい、重量のある刀剣を自由自在に振り回している。

 なおかつ身のこなし、足捌きは猫のようにしなやかだ。そのパワーと瞬発力になすすべなく、男たちは薙ぎ倒されていく。

 アドリアンも、剣術ならば自信はある。

 だがそれは、一対一での模擬戦のような形式でならば、だ。格式ある騎士から教わった剣術は、しかし対海賊への実戦となるとあまり役に立たないということを彼は実感していた。なぜなら、海賊には卑怯もへったくれもないのだ。

 今打ち掛かってきている男たちは、アドリアンを殺すためならどんな手段でも取ってくるだろう。だから予測がつかない分、アドリアンの打ち込みは慎重にならざるを得ない。

 しかしクックの動きは、敵の海賊以上に予測できなかった。背中に目でもあるように後ろからの攻撃を防ぐし、無茶だろうという位置から思い切り剣撃を繰り出している。それこそ、野生の獣のように本能のまま動いているような。


(バルトリア島の英雄の話は、あながち嘘ではないのか)


 アドリアンは何年か前に聞いた話を思い出していた。

 センテウスの南端に位置するバルトリア島の海賊を、長くまとめ上げていた男がイグノア海軍に捕まって処刑された。

 その男が死んだ好機に、イグノアがバルトリア島に攻め入った。

 首領が死んで統制の取れなくなった海賊たちは逃げ惑い、あっさりイグノアの勝利に終わるかと思えた。

 しかし、一人の若者が立ち上がった。

 怯える海賊たちを鼓舞し、地の利を使い海軍を島内に誘き寄せ、たった二百人足らずの軍勢で、五倍もの数の海軍を蹴散らしたのだ。結果イグノア海軍は撤退し、バルトリア島の海賊は生き延びた。

 その若者の名は、クック・ドノヴァン。


(大袈裟に話を盛っていると思っていたが、彼の戦闘能力がずば抜けているのは確かだな)


 年もたいして違わないのに、こうも実力の差を見せつけられると悔しい。

 アドリアンは気を入れ直し、腹から声を上げて目の前の男たちに切り掛かっていった。





 翼獅子号の甲板に出たパウロは、両手を突き上げて大きく伸びをした。


「あぁ、疲れた」


 大きく息を吐いて呟く。しかしその顔は、どこか晴れ晴れとしている。

 ロンの治療の手伝いをするようになったパウロは、トルソに着いてから働き詰めだった。

 着いてすぐは陸に上がり、あの砲撃で吹き飛ばされた船員の腕を切り落とす手術に立ち会った。木片が大量に突き刺さった右腕が感染し、壊疽を起こし始めていたのだ。この場合、腕を切り落とさないと菌が全身に周り、命を落としてしまう。止むに止まれぬ決断だった。

 その際パウロは患者の体を押さえつける役だったのだが、麻酔がわりに酒をたらふく飲まされ、舌を噛まないように木の棒を咥えて痛みに耐える患者より先に失神してしまいそうだった。ロンの手際はよく、腕は綺麗に切り落とされたが、流れ出るおびただしい量の鮮血にまだパウロは慣れなかった。もとより血を見るのは苦手だ。

 その後は船に戻って軽症者の傷を洗い、包帯を巻き直す作業に徹した。気づけばもうとっぷり日も暮れている。

 パウロの体は疲弊しきっていたが、気持ちはなんだか満たされていた。


(火薬を運ぶよりも、俺はこのほうが向いているのかもしれない)


 自分の右手を見つめて、思う。

 手術の時のロンの迷いのない施術、判断力、冷静さ、全てが眩しかった。そして右腕を切り落とされる際、患者が必死で自分の手を握ってきた感覚が、まだ生々しく残っていた。「頑張って!」と叫んで無我夢中で握り返したが、自分は少しでも役に立てたのだろうか。


 そんなことを考えていた時だった。

 甲板の向こう側から、何かどさっと重いものが落ちる音がした。


(見張りが何か落としたのか?)


 気になって、パウロは音のした方に歩み寄る。夜の甲板は数個あるランタンの近くしか周囲が見えない。音のしたところは、ちょうどランタンの光が届かない場所、後列甲板への階段の影だった。


「ん?」


 ふと足元に違和感を感じて、パウロは立ち止まった。

 なにかぬるりとした感触のものを踏んだのだ。

 足の裏を持ち上げ、靴の裏を注視する。


「あれ、これって」


 それが自分の苦手な血であることに気づいた時点で、パウロの思考は停止した。今、自分は血溜まりの中に立っているということだ。なぜ?

 そしてはっと息を呑んだ。

 階段の影に、何か大きなものがうずくまっていることに気づいたのだ。

 暗闇に慣れてきたパウロの目が、その物体の正体を暴き出す。

 そこには、手足をあらぬ方向に折り曲げた男の死体があった。後列甲板で見張りに立っていたはずの船員だ。首の横に大きな切り傷があり、そこから流れ出る血がパウロの足を濡らしていた。まるで後列甲板から放り投げられたかのような格好。

 あまりの衝撃と恐怖で身がすくんだまま、声も出せずにいたパウロはとっさに後列甲板をふり仰いでしまった。

 そして、もう一度息を呑む。

 甲板の手すりにしゃがみ込み、フクロウのように身を丸めて、一人の男がこちらを見下ろしていた。

 だらんと下ろしている右手には短剣が握られ、その刀身から血が滴り落ちている。男の左側にあるランタンの光が、彼の顔半分を覆う蛇の刺青を浮き上がらせていた。

 返り血を浴びた男の顔はどこか恍惚としている。

 口周りの血を舌で舐め、にやりと笑う。


「うわぁぁああ!」


 パウロは堰を切ったように悲鳴をあげた。声が出たおかげで、足が動くようになる。

 身を翻して、船室に降りる階段に向かって駆けた。


「パウロ!」


 どこからかロンの声が聞こえた気がした。

 パウロが助けを求めるように声がした方を向くと、タラップを駆け上がってくるロンと目があった。ロンの両手には双剣が握られていて、今にも斬りかかろうと構えている。

 しかし、あと一歩遅かった。

 パウロは突如背中に衝撃を受け、前方に倒れ込んだ。

 受け身が取れず、顔面をしたたかに打ち付ける。一瞬意識が遠のくが、休む間もなく誰かに襟首を掴まれ、無理やり立たされる。

 そして気づいた時には、首元には短剣が突きつけられていた。

 蛇の刺青の男が、後列甲板から飛び降りてパウロを捕まえたのだ。あっという間の出来事だった。


「剣を捨てろ!」


 男がロンに向かって怒鳴る。舷門にたどり着いたロンは、唇を噛み締めて双剣を足元に置いた。


「おい、パウロどうしたーー」


 パウロの悲鳴を聞きつけて甲板に上がってきたバジルと数人の船員は、目の前の状況に身構えた。パウロの首元に短剣を突きつける男を見て、バジルの目が見開かれる。


「バシリオ!」

「お前らもさっさと武器を捨てな! 俺の仲間がまわりで見張ってるからな。下手な動きすんなよ?」


 バシリオが楽しげに言う。

 バジルが視線を巡らせると、いつのまにか翼獅子号の縄梯子に、武器を携えたバシリオの手下たちが群がっていた。

 舷縁を乗り越えてまだ何人か船に乗り込んでくる。

 世闇に紛れて奇襲をかけられたのだ。甲板で見張りに立っていた男たちは、バシリオに闇討ちにかけられていた。


「船内に潜り込む予定だったが、ちょうどいい。このガキを殺されたくなかったら、俺のところに“デイヴィッド・グレイの宝箱”を持ってこい」


 バシリオがロンに命じる。ロンは表情を変えずに首を振った。


「そんなものはない」

「とぼけるな。宝箱をお前らが持ってるっていう情報を掴んでるんだ。しらを切るようならこいつを殺す」


 バシリオの短剣がパウロの首に押し付けられ、一筋の血が滴った。

 パウロが声にならない悲鳴をあげる。

 ロンはぎりっと歯噛みして、視線を下げた。


「わかった、持ってくる」

「さすがあのくそクックの配下だな! ちょろいもんだ! 俺だったらこんなクソガキ見殺しにするけどなぁ。仲間が大事とはほんと義賊じみた野郎ばっかだぜ、ヘドが出る!」


 うんざりした様子でバシリオが吠えた。


「なにがバルトリアの英雄だ、てめぇも海賊のくせに正義ぶりやがって。そういう偽善者が俺は一番嫌いだ!」


 バシリオの目が私怨に燃えている。しかしその激情も一瞬で、冷静さを取り戻したバシリオはロンに向かって言った。


「お前には頼みたくねぇ。一等航海士を呼べ」


 ロンは内心舌打ちをしたが、バジルに目配せをしてキアランを連れて来させた。

 バシリオの手下に武器を取り上げられたキアランが、青い顔をして前に進み出る。

 バシリオに宝箱を持ってくるよう命じられると、一瞬戸惑うようにロンを見たが、彼に肯首されてしぶしぶ船室に向かった。その周りを敵の海賊が三人取り囲んでついていく。


(くそ、私が行けば途中で隙をついて三人くらいなら倒せたが)


 体術に自信のあるロンは歯噛みした。

 キアランは剣を持たせればそれなりの活躍をするが、丸腰で三人に勝つのは無理だ。バシリオにその辺を見抜かれている。

 なおかつ一等航海士は船長と共に行動することが多い。宝箱のありかを知っていると踏んでの人選だろう。

 キアランが宝箱を持って来るまで、バシリオの命で翼獅子号のメンバーは船室から連れ出され、甲板に集められた。

 その周りを、武器を携えた手下たちが取り囲む。甲板に出てきたウルドは、その巨体を警戒され、問答無用で手下たちに縄で縛り上げられた。バシリオの姿をとらえたウルドの目が、カッと怒りに見開かれる。


「バシリオ・・・・・・!」

「おぉ、久しぶりだなぁ! “泥人形”」


 ニタニタと笑いながら放ったバシリオの言葉に、ウルドの全身がわなないた。

 獣のような咆哮を上げると、縄で縛り上げられたままバシリオに走り寄ろうとする。しかし縄の端を手下に引っ張られ、甲板に叩きつけられた。

 パウロは首元の短剣に怯えながらも、驚いた。ウルドのあんなに怒りの感情をむき出しにした姿を初めて見たのだ。


「あの時クックに邪魔されたせいで、てめぇの商品としてのアガリを貰い損ねちまった。まさか、あの時の“泥人形”がこの船で働いていたとはなぁ」


 バシリオはウルドの怒りを楽しむように話している。一方、甲板に上がってきた仲間たちをひととおり視認していたロンは、ふと表情を曇らせた。


(あの子が、いない?)




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る