思わぬ再会 3



 その夜。

 雲間から月が細々と光を落とす頃、クックとロンは翼獅子号を降りて、カモメ亭へと向かっていた。

 二人とも人目を忍ぶようにフード付きのローブを着て、ランタンで足元を照らしている。港の外れにある酒場への道は細く、周りに大きな岩が転がる急な坂道だった。


「どうしてルーベルにあんな冷たい態度をとるんだ」


 その坂道を登りながら、数歩先を行くクックの背中にロンが尋ねた。しかし聞こえているはずなのに、クックは返事をしない。


「おい、聞いてるのか?」

「うるせぇなぁ」


 ロンが歩調を早めてクックに追いつくと、彼は煙たそうな顔をした。


「一年以上会ってないだろう?」

「さぁて、どうだったかな」

「元気だったかとか、久しぶりだなくらい言えないのか? 他のやつにはいつもそれくらい言うだろうが」

「俺が何を言おうが俺の勝手だ」


 取り付く島のないクックの様子に、ロンはため息をついた。


「なぁ、ルーベルと喧嘩でもしたのか? 二年前くらいからずっとそんな感じじゃないか。お前がそんな態度だからルーベルも戸惑ってバルトリア島を離れたんだろう」


 クックは黙っていたが、その瞳が少し揺らいだのをロンは見逃さなかった。


「ルーベルがアドリアンの船に乗っていて、嫌じゃないのか? さっきアドリアンがルーベルとの恋仲を否定したが、一緒に航海してたら何が起こるかわからないぞ」

「うるせぇ! そんなに気になるならお前があいつを嫁にでも貰えばいいじゃねぇか!」


 クックがカッとなって怒鳴った。

 クックの言葉に、ロンの切長の目が眼光鋭く細められた。次の瞬間、ロンの手刀がクックの鳩尾に叩き込まれ、クックの顔が苦悶に歪んだ。


「本気でやることないだろうが」


 咳き込みながら恨めしげにつぶやくクックを尻目に、ロンは足早に坂道を登っていった。

 やがて二人の前に一軒の煉瓦作りの酒場が見えてきた。木製の吊り看板には、翼を広げて飛ぶカモメの姿が彫られている。クックが酒場のドアを開けて中に入ると、右脇のカウンターに立つ強面の男と目があった。クックと顔馴染みのこの店の店主だ。

 男は軽く頷くと、店の奥を顎で指し示した。クックも頷き返し、二人は店の奥まったところにある個室のドアまで歩いて行った。店の中はガラの悪そうな男たちが賑やかに飲み交わし、だいぶ騒がしい。

 部屋にはもうアドリアンと従者と思われる若い男が来ていた。塩漬けのハムを頬張りながら、アドリアンが片手を上げる。


「遅かったじゃないか」

「すまん、途中暴漢に襲われてな」


 クックが鳩尾をさすりながら横目でロンを睨む。ロンは素知らぬ顔でさっさと着席した。


「さて、始めるかね」


 クックも着席し、さっそく胸元から筒状に丸めた羊皮紙を取り出した。興味津々の顔のアドリアンに、クックは勿体ぶった様子で羊皮紙をゆっくり広げてみせる。

 紙面には帆船の図面が描かれていた。翼獅子号よりも、アドリアンの船よりも大きな大型帆船である。

 舷側にはずらりと並んだ砲門が三階分もあり、その数は片舷で三十門を超える。翼獅子号の二倍だ。船首には船首砲、甲板には回転砲まで備えられている。

 何よりもおぞましいのは、その船のバウスプリット下にある船首像だ。

 そこには鎖で体をがんじがらめに縛られた骸骨像がはりつけにされていた。骸骨の顔は苦悶に歪められるように口を大きく開き、空を見上げている。その巨大な骸骨像の周りには、人間等身大の大きさの人骨が首吊りのような形で何体かぶら下がっている。よもや本物なのだろうか。

 右上に拡大されて描かれた海賊旗は、黒地に左目に眼帯をした髑髏の絵が白抜きされ、その髑髏を頭の先から顎まで一本の柄のある長剣が貫いている。長剣の刀身は血に濡れている表現なのだろうか、真っ赤に塗りつぶされていた。

 長い柄の長剣は、エンドラ国の国教である“セントカバジェロ教”の象徴であり、その剣に貫かれている髑髏どくろのマークはエンドラの私掠船であることを示していた。

 エンドラ国の最強の私掠船船長、ゲイルのトレードマークだ。

 ちなみに私掠船とは、私掠免許(一国の政府から敵国の船を攻撃する許可)を得ている個人の船のことである。

 禍々しい姿の帆船を前にして、アドリアンと従者は言葉もなくその図面を見つめていた。


「これが“人喰いのゲイル”の船、“インフィエルノ号”だ。攻撃に特化していて、砲撃の死角はほぼない」


 クックは図面の上に指を滑らせ、帆船の船尾を指差した。


「唯一弱点があるとするなら他の帆船と同じく船尾だろうが、この船の後ろを取るのは生半可なことじゃ出来ねぇ。速さもあるし、このデカさなのに小回りも効く。なによりも、奴は大体の海を知り尽くしているから、座礁を恐れず夜に移動する。まず見つけるのが難しいのさ。俺も長いことこいつを追っているが、捕まえられた試しがない」


 アドリアンと従者の青ざめた顔を眺めて楽しむように、クックは机に頬杖をついてニヤリと笑った。


「いやー勇気があると思うよ、ゲイル討伐に向かうなんてな。しかもたった一隻で! イグノアの海軍も手を出しかねている相手になぁ。勝算があるんだろう?」

「いや、まぁ、なくはない」


 去勢が見え見えの顔でアドリアンが胸を張る。クックは苦笑した。


「無理はしなさんな。正直、ゲイル討伐に対して俺が一番してやりたいアドバイスは、“触らぬ神に祟りなし”だ。悪いが、あんたがゲイルに勝てるとは到底思えない」

「おいおい、いきなり出鼻を挫くようなことを言わないでくれ。今更引き返すことはできない。私は勅命を貰ってるんだぞ!」


 アドリアンが焦ったように立ち上がる。ロンが訝しげな顔をしてアドリアンに尋ねた。


「そもそも、なぜ国王はゲイル討伐をあなたに命じたんですか? ゲイルは何十年も前から海を荒らし回っている。どうして今更」

「ゲイルの蓄えている財宝が目当てだろう。

 今、どの国も国力を蓄えるために財源が欲しいんだ。それに、ゲイルはエストニアの植民地化を押し進めている。それを止める狙いもあるのだろう。私は、やつの暴挙を止めるために国王に志願したのだ」


 アドリアンはどこか芝居がかった仕草で胸に手を当てた。


「ミス・ルーベルの生い立ちを聞いたのだ。

 彼女はなんと、あのゲイルに滅ぼされたリンドヒゥリカ帝国の王女だというではないか! エストニアの東に広がっていた大文明だ。私の祖父も興味があっていつか交流を図りたいと思っていた帝国なのに、あの冷血無慈悲の男は容赦なく国を破壊し、国民をなぶり殺しにした挙句、ミス・ルーベルをエンドラの貴族に売りつけたのだ! あんな可憐でかよわい乙女を!」


 頬を紅潮させてアドリアンがまくし立てる。クックとロンは顔を見合わせ、なんとも言えない表情をした。


「可憐でかよわい乙女ねぇ」

「リンドヒゥリカ帝国には莫大な金があり、奴はそれが狙いだったのだ。帝国の全ての財宝は奴にとられた。おそらく幾分かは後ろ盾であるエンドラの王室におさめているだろうが、まだ大部分はゲイルのアジトにあるに違いない。

 ミス・ルーベルは、黄金は必要ないから、帝国に伝わる宝石を取り戻してほしいと私に頼んできたのだ。不思議な力を秘めた石だから、ゲイルは自分で所持しているだろうと。それを取り返すためなら自分も共に戦うと。その志に胸を打たれ、私はゲイル討伐に向かうことを決めたのだ」

「ま、ようはあいつに泣き落とされたってことだな」


 呆れた顔でクックが呟く。ロンも頷いた。


「そんなことだろうと思った」


 アドリアンは気づかない様子で、ふと思い出したように話し始めた。


「なんでも、ミス・ルーベルの昔の男がそれはひどい奴だったようでな、『宝石を取り返す』と自分に約束したのに、それを反故にした挙句自分を捨てて逃げ出したのだと」


 ぴくっとクックの眉が痙攣した。


「エンドラの貴族に売られた彼女を助けてくれた男で、その時は彼女も男に惚れ込んでいたらしいのだが」


 ロンが横目でクックを見る。


「粗暴だし優しくないし、今となっては全然好きでもなんでもなかった。ゲイルに恐れをなして逃げ出す、とんだ臆病者だったと話していた」

「あ、あなたはその昔の男が誰かはご存知なのか?」


 不気味な音を立てて歯軋りするクックの腕を掴みながらロンが尋ねる。アドリアンは特に興味もなさそうに「いや、知らない」と答えた。


「そんな男のことはどうでもいい。私がゲイルを倒して宝石を取り戻せば、ミス・ルーベルは私のプロポーズをきっと受けてくれるだろう! そのためなら私は命さえ惜しくない」


 アドリアンは完全に自分の台詞に酔っている。センテウスの男は『愛のための戦い』にロマンを見出すものが多いが、彼は完全にその類のようだ。


「そんな話はどうでもいい! 本題に戻るぞ」


 ものすごく不機嫌そうな顔のクックが机を拳で叩く。その横でロンが小さくため息をついた。やっと席に着いたアドリアンに、クックが帆船の図面を筒状に丸めて渡す。


「唯一“人喰い”に勝てるかもしれない情報をやろう。あいつはおそらく、俺たちを追ってくる。あいつが俺たちの方に気を削がれている間に、うまく回りこめればあいつの船の後ろをとれるかもしれない」

「どうしてゲイルが君たちを追うんだ?」


 訝しげな顔のアドリアンに、クックは少し声を落として告げた。


「俺たちは“デイヴィッド・グレイの宝箱”を持っている」

「なんと! それは本当か!? 実在していたんだな!」


 アドリアンの目が興奮に輝く。探検家としてはたまらない話題だろう。


「本当だ。この港でも噂が出回っていて、俺たちが持っているとバレるのも時間の問題だ。ゲイルもおそらく宝箱の話を聞いて、動き出している。必ず俺たちを追ってくるだろう。

 そこで、大事なのは俺たちのいく先だ。俺が知りたいのは、“デイヴィッド・グレイの宝箱”を開ける鍵のありかだ」

「そういうことか。だから伝説に詳しい賢者の居場所を知りたいんだな」


 アドリアンは腑に落ちたように頷くと、従者に手を差し出した。

 従者がベルトに巻いていた羊皮紙を取り出し、アドリアンに手渡すと、彼はそれをクックとロンの前に広げて見せた。

 それはエストニアとその周辺の詳細な地図だった。エストニアの広大な島が描かれているが、未踏の地である西の海岸線は空白のままで、島全域の形態はまだ謎に包まれていた。クックが嬉しそうに顔を輝かせる。


「エストニアの地図か! 助かるぜ。さすがロペス家だな、ここまで詳細な地図はなかなか手に入らない」

「そりゃぁそうさ。祖父の代からエストニアの地図作成に力を入れてきたんだからな。それより、今見てほしいのはこの島だ」


 アドリアンが示したのは、エストニアの最南端から少し離れた位置に存在する小さな島だった。島の横には小さい字で“サラスーザ”と書かれている。


「ここには、世界中のあらゆる伝説や神話に関連する物を集めている変わり者の老人が住んでいる。エストニアの南部に住む者からは“マハリシュ(賢者)”と呼ばれ、尊敬されているらしい。私も何度かやりとりしたことがあるんだが、とにかく変人だ。いかれてるのかと思ったが、時々まっとうなことも言うからボケてはいないと思う。その老人が自分のコレクションを私に見せてくれた時に、『デイヴィッド・グレイの鍵を持っている』と話していた」

「確かか!?」


 顔を輝かせるクックに、アドリアンはうなずいた。


「その時は冗談だと思って聞き流してしまったが、あれだけ変なものを集めていたらそんなものが紛れていてもおかしくない」

「よし、目的地は決まったな。これはありがたくいただくぜ」


 海図を自分の懐にしまいながらクックが言う。アドリアンは確認するようにクックとロンに尋ねた。


「つまり我々は、君たちの跡を追いながらゲイルの船を探せばいいということだね?」

「そうだな。でも島に隠れたりしながら慎重にいかねぇと、逆にゲイルに見つかって血祭りにあげられるかもしれねぇからな。十分気をつけろよ。あと」


 クックはふと真顔になり、アドリアンに指を突きつけた。


「もしあんたらがゲイルの後ろを取れて、うまいこと挟み撃ちできた場合は、俺も加勢する。船上で白兵戦になった場合、あいつとまともにやりあえるのは俺くらいしかいないだろうからな」

「なっ、私だって、そこそこ腕は立つほうだぞ!」


 アドリアンがプライドを傷つけられたのか、眉根を寄せて言う。しかしクックは、暗い炎を瞳に宿らせて言った。


「俺が、あいつを殺す」


 クックの目には、過去の情景が蜃気楼のように浮かんでいた。

 突如平和な港に現れた骸骨像の船。あっという間に炎に包まれる村。人形のようになぶり殺される村人たち。誰のものか自分のものかもわからない、絶叫。


「あいつに恨みを持っているのは、王女様だけじゃないんでね」


 アドリアンは気圧されたように、頷いた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る