思わぬ再会 2




 買い出しを終え、船に戻ったバジルはすぐにクックにバシリオのことを報告した。


「あいつがこの港にいるのか、それはやっかいだな」

「あいつは俺たちが例のものを持ってるとふんでる。しらばっくれてはみたが、イグノアの海軍とやり合ってたのを目撃されて情報が出回ってるのかもしれない。注意したほうがいい」


 バジルの忠告に、クックは「わかった」とうなずいた。


 情報収集に向かっていた船員が帰ってきたのは昼過ぎ頃だった。

 グリッジーが疲れの滲んだ顔でクックに進言する。


「船長、ここは早くに発った方がよさそうだ。もう港はデイヴィッド・グレイの宝箱が見つかった話でもちきりだ。まだ俺たちが持っていることは知られてないが、イグノアの海軍からどこぞの海賊が奪ったらしいという噂が出回ってる。バレるのは時間の問題だ。鍵の話もそれとなく出してみたが、めぼしい話は聞けなかった」

「そうか、わかった。夜にでもここを発とう」


 クックの命令で、翼獅子号は出航の準備を始めた。

 やがて太陽が傾きかけ、斜陽が港をやわらかい橙色で包み込む頃だった。港がふいに騒がしくなった。甲板で雑用をこなしていたジャニは、何事かと海の方に目を向け、はっとした。

 巨大で煌びやかな帆船がゆっくりと近づいてきたのだ。

 翼獅子号の一回りは大きな帆船だった。センテウスの国旗を掲げ、船尾には豪奢な装飾、舷側にはずらりと並ぶ砲門、槍のように突き出たバウスプリットの下には、長い髪をたなびかせた美しい女神の船首像が掲げられている。

 軍艦かと翼獅子号の面々は身構えたが、船首で大きく手を振る人影を見てみな怪訝な顔をした。

 船がだいぶ近づくと、それが金髪の背の高い男であることがわかった。

 綿の白いシャツに派手な金糸で刺繍された青いベストを着ている。どう見ても軍人ではないようだったが、ただの船乗りでもなさそうだった。しかも革のホルスターに短剣やらピストルやらぶらさげているので、商人でもなさそうだ。


「ロペス様だ!」

「アドリアン様の船だ」


 ざわついている港の人々の声が聞こえて来る。彼はどうやらここトルソで有名な人物のようだった。港の桟橋に立つ人々に向かって、金髪の男は友好的に手を振り続けている。まるで舞台に立つ俳優のようだ。


「アドリアン・ロペスだって?」


 甲板にいたロンが近づいて来る帆船に気づき、船縁に歩み寄り目を凝らした。ジャニもロンの横に歩いて行って尋ねた。


「誰なの? 有名な人?」

「彼自身はセンテウスではそこそこ有名な探検家だ。国王からエストニア北陸の探索を依頼され、二度の航海に出てそこそこの成果を上げている。しかし彼の祖父の方がもっと有名だ。なんせエストニア発見の第一人者、マルタン・ロペスだ」

「マルタン・ロペス!」


 ジャニですら知っている名前だった。

 新大陸を発見し、新しい航路を切り開いた人物。エストニアで銀山を発見し、莫大な富を得たという話も聞いている。そんな人の孫であればなるほど、あの帆船の煌びやかさもうなずける。

 アドリアンの顔をよく見ようと目を凝らしていたロンは、男の横に近づいてきた人物を見て、驚愕に目を見開いて叫んだ。


「ルーベル!」


 その声に気づいたのか、名前を呼ばれた人物はこちらを振り向いた。

 ジャニははっと息を飲んだ。夕陽を後光のように背に受けたその人物は、今まで見たことがないほど美しい人だった。

 漆黒の髪を高く結い上げ、男性用の船乗り服を着ているが、その抜群のプロポーションは隠しようがない。健康的に日焼けした手足はスラリと長く、雌鹿のようにぴんと張った背筋からは生来の気品がうかがえた。

 長くスッと通った鼻筋に、大きな凛とした目が彼女の気の強さを表しているようだ。薔薇の花びらを思わせる唇はふっくらと厚く、蠱惑的である。

 彼女の美しい赤みがかった瞳がこちらに向けられた時、ジャニは自分の顔が赤らむのを感じた。目が合っただけで心がざわめく、そんな美女だった。


「あれ! ルーベルじゃねぇか!」


 翼獅子号の船員たちがロンの声でルーベルに気づいた。みな嬉しそうに船縁に集まってルーベルに手を振っている。ルーベルが少し表情を和らげて軽く手を振りかえすと、男たちは大袈裟な歓声をあげた。


「あの女の人は誰なの?」


 ルーベルの絶大な人気ぶりにジャニが驚きながらロンに尋ねると、彼は少し逡巡した後に答えた。


「バルトリア島の劇場で踊り子として働いていたんだ。私とクックとは古い馴染みだ。まさかこんなところで会うとは」


 ロンが軽く手をあげてルーベルに挨拶する。


「ルーベル! 久しぶりだな。バルトリアからいなくなったと聞いて心配していたんだ」

「ロン、しばらくね」


 答えるルーベルは、しかしどこか不機嫌そうな顔をしていた。港に向かって手を振っていた金髪の男が、ルーベルとロンの会話に気づいてこちらに声をかけてきた。


「おや、ミス・ルーベルのご友人かな?」

「古い馴染みよ」


 ルーベルがそっけなく答える。男は気障な仕草でお辞儀をしてきた。


「お初にお目にかかる。私はアドリアン・ロペス。一介の探検家で、今は国王の命にて航海に出ている」


 アドリアンの年齢はクックやロンより少し若いぐらいか。いかにも女性にモテそうな美丈夫である。その澄んだ青い目は自信と希望に満ち溢れ、未だ挫折を知らない楽天家の気質が滲み出ていた。

 アドリアンが右手をあげると、帆船は翼獅子号の横に並んで泊まった。アドリアンの船の方が舷側が高いので、ロンとジャニは自然と彼らを見上げる形になる。


「貴殿がこの船の船長かな?」


 ロンに向かってアドリアンが尋ねた。「いや、私は」とロンが言いあぐねて船長室をちらりとみた時だった。タイミング良く船長室の扉が開き、クックが甲板に出てきた。


「なんだ騒がしいな」


 眉根を寄せながら歩いてきたクックが、横に並ぶ帆船とその船縁に立っているアドリアンとルーベルを見て眉間のシワを深くする。

 クックとルーベルの視線がぶつかった。一瞬、ルーベルが何か問いかけるような眼差しを送ったが、クックの表情は揺るがなかった。二人とも無言で睨み合っている。火花でも散りそうな二人の空気に気づかないのか、アドリアンがクックを見て喜びの声を上げた。


「あなたはもしや! “翼獅子のクック”ではないか!?」

「あ? そうだが、お前は誰だ」


 不躾なクックの問いかけにも怯まず、アドリアンはまた芝居がかった優雅なおじぎをした。


「私はアドリアン・ロペス。祖父のマルタン・ロペスと同じ、国家公認の探検家だ。バルトリア島の英雄、クック・ドノヴァンの噂はかねがね耳にしていた」

「ほう、マルタン・ロペスの孫にそう言われるとは光栄だな」


 クックはちらりとルーベルを見て、「いい男を捕まえたな」と声をかけた。ルーベルの眉間のシワがグッと深まる。


「いやいや、邪推されては困る。私とミス・ルーベルはそういう仲ではない。共通の目的のもと志を共にする同士なのだ」


 胸をそらしてアドリアンが気取った風に答える。しかし彼のルーベルに向ける目は陶酔していて、誰が見てもルーベルに心奪われているのは明らかだった。クックが片眉を釣り上げてアドリアンに尋ねる。


「その目的とやらを聞いても?」

「私たちは国王の命で『人喰いのゲイル』を討伐しに来た」


 アドリアンの言葉に、クックとロンも、翼獅子号の船員たちもぎょっとした顔をした。ルーベルが慌ててアドリアンの腕に手をかける。


「アドリアン、こんな人目のあるところで・・・・・・!」

「大丈夫さ、ミス・ルーベル。私は逃げも隠れもしない。正々堂々とやつを追い詰めてみせる!」


 劇の主役さながらにポーズをとってみせるアドリアンを見上げて、クックは唖然とした顔のロンにささやいた。


「あいつは馬鹿なのか?」

「そのようだな」


 勅令をバラしてしまうことも驚きだが、トルソのような誰がいるかわからない港で敵の名を出すことも非常識だ。よほど自信があるのか、それとも警戒心が皆無なのか。

 ふと、クックが何か思いついた顔をした。


「マルタン・ロペスの孫であれば、探検家としての腕はなかなかのものと見受ける。数えきれない海を航海してきたんでしょうな」


 クックがややおだてるように言うと、アドリアンは嬉しそうに応じた。


「いかにも!」

「さぞ世界中の情報に精通していると思われる」

「そのように思っていただいてもよろしいでしょうな」

「ではご存知ないだろうか。数多の神話や伝説に詳しい賢者の居場所など」

「もちろん知っている」


 そしてアドリアンが得意げに口を開きかけた瞬間、ルーベルがアドリアンの前に腕を伸ばして彼の発言を止めた。その顔は忌々しげにクックを睨め付けている。


「この世では金銀財宝の次に重要なのが情報よ。対価もなく教えたりしないわ」


 しかしクックはにやりと口の端で笑った。


「その通りだ。そこでロペスさん、あんたと取引したい。俺は実は個人的にゲイルの情報を集めててな。あいつをつぶしてくれるなら願ったりだ、俺の知っている限りの情報をやろう。そのかわり、俺が欲しい情報も渡してもらう」

「あんな海賊の言うこと、信用できないわ」


 ルーベルが横で苦言を呈するが、アドリアンは少し思案したのち、「わかった、取引しよう」とうなずいた。クックが満足そうに微笑む。


「では今夜八時、この港の外れにある『カモメ亭』という酒場の個室で会おう。手配しておく。男同士でやりとりしたいから、そこのお嬢さんは連れてこないようにお願いするよ」


 クックが意味ありげな目配せをアドリアンに送ると、ルーベルは顔を真っ赤にして足音荒くその場を去っていった。


「じゃぁ従者を一人連れて行こう」


 アドリアンはクックにうなずいて見せた。


「そんなわけで、俺とロンはこの後船を降りる。戻ってきたらすぐ出航できるように用意しといてくれ」


 クックが皆に声をかけるなか、バジルは浮かない顔をしていた。


「クック、バシリオのこと忘れてねぇだろうな」

「じいさん、大丈夫だって。心配すんな」


 クックはたくましいバジルの肩を叩いて、片目をつぶって見せた。


「鍵のことを聞き出せるチャンスなんだ。俺たちがいない間、船のこと頼んだぜ」



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