眠る宝箱 5
後列甲板では、クックが操帆指示をして逃げる体制を整えていた。
翼獅子号は風下にいたので、転回すればスムーズにその場から離れることができた。軍艦ではマストが倒れたことによる混乱が起き、砲撃も一時停止している。この機を逃す術はなかった。
「ベケットのやつ、やってくれたな! 冷や汗かいたぜ」
楽しげに笑うクックの横では、キアランが青白い顔で額の汗をぬぐっていた。
「いや本当に肝が冷えましたよ。今頃下ではベケットが発作を起こしているでしょうな」
「ははっ、だろうな」
ベケットの哄笑は、皆の間では“発作”と呼ばれていた。
翼獅子号は順調に軍艦から遠ざかり、もう追いつくことは不可能であろう距離まで逃げることができた。
船の被害は多少の損傷があるものの、航海に支障が出るほどではなかった。
ロンが報告した人員の被害は、怪我人五人。うち一人は重傷。重傷の船員は陸でしっかりと手当てをした方がいいとロンの指摘もあり、クックはどこか適当な港に船を停泊することにした。
甲板では船大工のメイソンを中心に、船尾と後列甲板の修理が行われていた。木材が足りない、釘が足りないとぶつくさ言っているメイソンのまわりでは彼の飼っている小さい猿がうろちょろしている。
「ロビン、危ないから父ちゃんの肩にいなさい!」
ロビンと呼ばれた猿は高い声で鳴いて、言われた通りメイソンの肩に登って座った。
「おーえらいなぁ、ロビンはぁ。おりこうさんでちゅねぇ」
メイソンの猫撫で声に、まわりの船員たちはげんなりしている。
そんな光景を横目で眺めていたクックは、自分の目の前の宝箱に意識を戻した。今宝箱は、ウルドの両手にがっしりと掴まれていた。額に血管が浮き出るくらい力を入れて宝箱を開けようとしているが、みしりとも揺らがない。
「一番怪力のお前でも無理か」
「面目ねぇ、船長」
「いや、鍵付きの宝箱をこじ開けろって方が無理な話だよな。しょうがねぇ。こんな綺麗な箱を壊すのは忍びないが。ウルド、何を使ってもいいからその箱を開けてみてくれ」
ウルドは頷いて、メイソンの大工道具が散らばっているところから金槌を取ってきた。箱を裏返しにして思い切り振りかぶり、蝶番目指して金槌を振り下ろす。耳をつんざくような金属音をひびかせて、金槌がすごいいきおいで跳ね返った。
「硬い」
手が痺れたのか、左手で右手をさすりながらウルドがつぶやく。それから色々な器具で宝箱を壊そうとしてみたが、恐ろしいことに宝箱は傷ひとつつかなかった。
ヤケになってきたウルドが自身の武器である大きな斧を振りかぶり、思い切り宝箱に叩きつけた途端、宝箱と共に甲板の床が抜けて下甲板から悲鳴が上がった。
「おっと」
思わずクックがつぶやく。束の間の沈黙が落ち、メイソンが怒りの絶叫を放った。
「てめぇら、これ以上船を壊したら承知しねぇぞ!」
さすがにクックたちはそれ以上宝箱を壊すことは諦めた。しかし下甲板から引き上げた宝箱はやはり少しも傷むことなく、クックたちは頭を抱えることとなった。
「これは鍵をどうやっても見つけるしかねぇな。次止まる港で情報を集めよう」
クックの提案に、みな悔しそうに頷くしかなかった。
怪我人の汚れた包帯を外し、傷を消毒して新しい包帯を巻く作業に集中していたロンは、ふと人の気配を感じて医務室の入り口に目をやった。そこには所在なさげな顔で佇むジャニがいた。誰かを探しているようにキョロキョロと部屋の中を見渡している。
「ジャニ、どうした。怪我でもしたのか?」
「いや・・・・・・パウロ見なかった?」
ロンはふと思案する顔をして「いや、見てないな」と返事した。
「あれー? どこ行っちゃったんだろう」
ジャニが怪訝そうに眉をひそめる。ロンは口の端で少し笑った。いつもうるさく注意されて嫌そうな顔をしているくせに、パウロがいないといないで寂しいらしい。
「船は広いからな。どこかで雑用でも頼まれたんだろう。ジャニはそろそろ夕飯の支度をしなきゃいけないんじゃないのか?」
そうロンに言われると、ジャニはしぶしぶバジルの待つ厨房に戻っていった。
ロンは無言で怪我人の世話をしていたが、一通り作業が終わると、入口からは死角の位置にあるロンの机に向かって声をかけた。
「もう出てきて良いんじゃないか」
ロンの声かけに応じて、机の下からひっそりと姿を表したのはパウロだった。バツの悪そうな顔をしている。
「仕事中に邪魔してすみません」
「別に大丈夫だよ。彼もようやく眠ったからね」
ロンの視線の先には、治療台に横たわる男がいた。パウロとジャニが目撃した、砲撃で吹き飛ばされた船員だ。木材は抜き取られ、包帯がいたるところに巻かれている。
少し前まで熱にうかされていたが、ロンの付きっきりの介抱のおかげで落ち着いたのか今は微かに寝息を立てていた。
「あんなチビから隠れてるなんて、馬鹿みたいですよね」
パウロが自虐気味に言う。ロンは苦笑して、パウロに椅子に座るよう促し、自身も机の前の椅子に腰掛けた。そのまま、パウロに背を向ける形で書き物を始める。
「誰かと距離を置きたくなる時だってあるだろうさ。例えば、正論を突きつけられたときとかね」
パウロの顔にさっと緊張の色が走った。
「もぐらから、何か聞いてますか?」
おずおずと聞くパウロに、ロンは振り返ってふわりと笑ってみせた。
「いいや、何も」
パウロは俯いた。ロンの笑顔は、言葉とは裏腹に何もかも知っている顔だった。おそらくもぐらに今日の戦闘時の話を聞いたのだろう。でも否定するということは、パウロの行動をみなに明かすつもりはないらしい。パウロはいたたまれない気持ちに苛まれた。
ジャニから隠れていたのも、そばにいるのが辛くなったからだった。自分の方が年上だから面倒を見てやろうと思っていたのに、気づいたらジャニの方がこの船で役に立っていた。目の良さを買われ船長に呼び出されたり、先刻の軍艦も誰より早く見つけた。
その上、今日の自分の醜態だ。今までも戦闘時に足がすくむことはあったが、呼吸ができないほどパニックに陥ってしまったのは初めてだった。今パウロは、可能ならば消え入りたい気分だった。
そんなパウロの気持ちを知ってか知らずか、ロンは机に向かって書き物を続けながら、淡々と話し始めた。
「あの子はまだ小さいから、正しいことを声を大にして言ってしまう。それは時に、正しいことをしたくてもできない者に優しくないだろうね。
でも、ある行動ができるできないは有能無能の判断材料にはならないと思う。戦闘時に力を発揮するクックみたいなやつもいれば、みんなを楽しませるのが得意なセバスチャンみたいなやつもいる。同じ人間はいないんだ、できることできないことが違うのは当たり前だと思わないかい?」
パウロは俯いていた顔を上げた。驚いたようにロンの背中を見る。
「でも俺は、掟に背こうと・・・・・・」
「君はまだ若い」
ロンは強い口調でパウロの言葉を遮った。振り返り、パウロの目を真っ直ぐ見つめる。
「そして、君は優しい子だ。怖いと感じるのは悪いことじゃない。弱いということでもない。人の痛みがわかるからなんだ。私も未だに戦闘は嫌いだ。でもその気持ちを利用すれば、どうにかして戦わなくていいように頭を使おうとするだろう?
パウロ、君にしかできないことが必ずある。少しずつ見つけていけばいい」
パウロはぐっと歯を食いしばった。でなければ涙がこぼれてしまいそうだった。これ以上格好悪い姿を晒したくない。
やっとのことで、パウロは声を絞り出すことができた。
「ありがとうございます・・・・・・ロンさん」
ロンは頷いて、少し思案する顔をした後、思いついたようにパウロに言った。
「これは提案だが、私の仕事を手伝ってみるかい? 応急処置でもできるようになれば、人手が増えて私もずいぶん楽になるんだが」
「は、はい! 是非やらせてください!」
パウロの顔が一気に明るくなった。誰かの役に立ちたいという胸の奥で燻っていた気持ちが、ゆっくりと燃え上がる心地がした。
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