眠る宝箱 4
一方、アーノルド号の船長室にいるクックとロンは、言葉もなく机の上の宝箱を見つめていた。
箱は二人が思っていたよりも小さく、そして美しかった。
見る角度により色を変えて輝く箱の側面は、つるりと光沢があり、古めかしさを少しも感じさせない。おそらく二枚貝の内面を使用したものだと思われるが、そのつなぎ目はほとんど見られず、人間離れした技法で作られた箱のように見えた。
クックは箱を持ち上げて裏側に目をやり、デイヴィッド・グレイと彫られた凹みを感慨深そうに指で撫でている。
箱をふってみると、重量のあるどさっという音がした。中に分厚い書物でも入っているような音だ。
クックは壊れ物を扱うようにそっと箱を机に置くと、「間違い無いな」と呟いてロンを見た。ロンも興奮に上気した頬で頷いている。
「実際にこの目で見れる日が来るなんてな」
「本当にな。カルロスのやつに見せてやりたかったな」
二人の間に少ししんみりした沈黙が落ちたが、クックが座椅子にロープで縛られている男を振り向いて、唐突に尋ねた。
「で、これはどうやって開けるんだ?」
「私が知るわけないだろう!」
縛られた男ーーこのアーノルド号の船長、グリンヤードは忌々しげに叫んだ。
クックたちがグリンヤードに危害を加えないとわかると、捕縛時の殊勝な態度はどこへやら、だらしなくたるんだ頬を震わせて怒鳴り散らしている。
「イグノア大国に刃向かうとはいい度胸だな! 海軍のお迎えがそろそろ来るはずだ、お前らみたいな卑怯な海賊が敵う相手ではないぞ! 必ず吊るし首にしてもらうからな!」
「おいおい、おっさん。あんまりうるさいと海に投げ込むぞ」
苛立たしそうにクックがそういうと、グリンヤードはひとまず黙った。
懐から小刀を出して宝箱の隙間に差し込もうと奮闘していたロンは、諦めて小刀をおさめた。
「ダメだ、少しも隙間がない。道具を入れてこじ開けるのは無理そうだ。やはり、この鍵穴に決まった鍵を差し込まないといけないんだろうな」
クックとロンはその変わった鍵穴を注視した。
横に広いその鍵穴は、何か小さな板状のものでも入りそうな形をしていて、不規則に丸い穴が開いていた。どんな鍵が入るのか、全く想像がつかない。
クックはもう一度グリンヤードを振り返った。
「こいつを開ける鍵は持ってないのか」
「知らんと言っておる。そもそも、なんでそんな小汚い箱が欲しいんだ? ディオン提督といい、骨董品を集める趣味でもあるのか?」
「ディオン提督・・・・・・リチャード・ディオンか!?」
クックの顔が突如険しくなり、グリンヤードはぎょっとしたように口を閉ざした。クックがグリンヤードに詰め寄る。
「これを届ける相手はリチャード・ディオンなんだな?」
「そ、そうだが、ちゃんと“提督”とお呼びしろ」
「誰があんなクソジジィに敬称をつけるか!」
がんっ、とグリンヤードの頭上の壁をクックが殴りつける。情けない悲鳴をあげるグリンヤードを見て、ロンがクックを嗜めた。
「クック、乱暴な真似はやめろ。何か知っていても話してくれなくなるじゃないか」
「そ、そうだ、私は脅しになど屈しないぞ!」
気を取り直して叫ぶグリンヤードに、ロンは柔和に微笑んで近づき、顔をぐっと近づけて囁いた。
「そうは言っても、私もリチャード・ディオンには少なからず恨みを持っているのでね。あなたの首を彼にご挨拶として送りつけるのも悪くはないかなと思っている」
「なっ・・・・・・」
「ちなみに私はそこそこ腕の立つ船医なので、綺麗に首を切り落とす術を心得ているから安心してほしい」
グリンヤードの顔が蒼白になる。ロンは笑顔のまま、小首を傾げた。
「何か教えてくれたら、考え直してもいいが」
「ほ、本当に何も知らないんだ! 私はそれをディオン提督に渡すよう言われているだけなんだ! 信じてくれぇ!」
悲鳴に近い声を絞り出すグリンヤードを見て、ロンはさっと笑顔を引っ込め、クックに肩をすくめて見せた。
「ダメか」
「・・・・・・お前の方がえげつねぇだろうが」
呆れたようにクックが呟く。
と、その時、遠くからけたたましくなる警鐘が聞こえてきた。
クックとロンの顔に緊張が走る。それは二人が聞き慣れた翼獅子号のものだった。
クックが素早く机の上の宝箱を抱え、二人で甲板に駆け上がる。
「どうしたんだ」
甲板からクックが翼獅子号にいる船員に問いかけると、船員は青い顔で水平線の一点を指さした。
「船長、敵船です! イグノアの軍艦が北西から向かってきています!」
「なんだって」
クックは宝箱をロンに渡して、望遠鏡を覗き込んだ。すかさず舌打ちする。
見えたのは、こちらを一目散に目指して進む大型の軍艦だった。イグノアの国旗を翻らせ、追い風をマストに目一杯受けて快走している。まだ距離はあるが、まともに速さを競ったら翼獅子号に負けぬとも劣らないだろう。
「全員これ以上の積荷は放棄しろ! 撤退するぞ!」
よく響くクックの号令に、積荷を運んでいた海賊たちは一瞬戸惑った顔をしたが、クックとロンが険しい顔で翼獅子号に戻るのを見ると、みな素早く撤退作業に取りかかり始めた。
「くそ、あのおっさんの言ってたことは嘘じゃなかったんだな。イグノアの海軍がこっちに向かっていると」
「あぁ、途中からアーノルド号を護衛するために遣わされたんだろうな」
二人で話しながら翼獅子号に乗り移ると、キアランが緊迫した顔で近づいてきた。
「ある程度の積荷は積み終わりました。宝箱は?」
「大丈夫だ、ここにある」
ロンが手に持っていた箱を見せる。キアランは少しホッとした顔をした。
「船長、指示をお願いします」
「あぁ。目的のものも手に入れたし、撤収だな。この距離ならなんとか逃げ切れるんじゃないか。早めに気づいた見張りに感謝だな。誰だったんだ?」
キアランは一瞬ためらう表情を見せたが、一つ咳払いをして報告した。
「あの眼帯のガキです。勝手に見張り台に登って見つけました。確かに、あの目の良さは認めなければなりませんね」
そしてキアランは船員たちに操帆の指示を出し始めた。
「そうか、ジャニが」
ロンが嬉しそうに呟く。クックは小さく笑うと、険しい顔に戻って後甲板に駆け上がった。
「よし、みんなとっととずらかるぞ! 南に進路を取れ!」
船員たちの威勢のいい返事が響き渡る。
アーノルド号に接舷していた翼獅子号は、さっと身を翻して南への航路を進み始めた。全ての帆を下ろして追い風を受け、船は気持ちの良い速さで海の上を突っ切っていく。
しかし、しばらく航行しても追ってくる軍艦の姿は遠のく様子がなかった。
クックは後甲板から軍艦の装備を観察する。もう望遠鏡がなくても船の全容がわかるほど、軍艦は近づいてきていた。軍艦は翼獅子号より舷側が低く船体は細長い形、マストと帆の数が多く、内容量は少なくても速さと軍備を優先した船体だった。
「砲門四十門、船首砲二門か。まともにやり合ったら勝ち目はないわな。しかも、快速船だからさすが速いわけだ」
「船長、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないですよ! このままじゃおいつかれて一斉攻撃されます!」
その時、どんと腹に響く音が空気を震わせ、軍艦の船首砲が火を吹いた。ついで翼獅子号の船尾付近に水柱がたち、二発目は船尾のへりをかすって手すりの木材を吹き飛ばした。かすった程度でも船は一瞬揺らぎ、船員たちの表情がそろって不安げになった。
「確かにな」
クックが少しヒヤリとした顔をした。軍艦は風上側にいて、そのぶん向こうの砲弾の飛距離も長い。状況は明らかに向こうの方が優勢だった。
「クック、どうする!」
いつもは冷静沈着なロンも表情を険しくしている。クックは何か思案するように軍艦をじっと睨み付けていたが、やがて彼お得意の不敵な笑みを浮かべてロンとキアランを振り返った。その目は爛々と輝いている。
「危険な賭けだが、これしかねぇな。ベケットを呼べ」
そして後列甲板に砲術長のベケットが呼び出された。
「船長、お呼びで」
クックは頷くと、ベケットを軍艦が見えやすい場所に案内して、指さしながら話し始めた。
「これから翼獅子号の左舷を向こうに向けるから、一斉砲撃して欲しい。まともに打ち合ったらこっちに不利だから、チャンスは一回だ。全力であいつのマストを潰してくれ。特にメインマストだ。帆走不可能になればこっちのもんだ、あとは逃げ切ればいい」
「一斉砲撃のみでマストを確実に打ち落とすなんて無茶だ! それに失敗したら向こうの一斉砲撃でこちらがズタボロになりますぞ!」
キアランがすかさず止めにかかるが、クックは強い目線でそれを制した。
「いや、これ以外方法はない。このまま逃げ続けてもあの船首砲でやられるだけだ。それに、俺たちの砲術長の腕をなめるなよ。な、できるだろ?ベケット」
「簡単に言ってくれますね」
ため息をつくベケットだったが、その顔に焦りや不安は微塵もなかった。優雅に一礼すると、「ご期待に応えましょう」と不気味な微笑みを浮かべた。
「戦闘準備ー!」
甲板では船員たちが慌ただしく走り回り、ジャニとパウロは弾薬準備室で火薬を受け取るため船倉に向かっていた。
「お前があの船を早く見つけてくれてよかったよ。もっと遅かったら今頃、一斉攻撃でこの船は木っ端微塵だったろうな」
パウロがそう言って、自分の言葉に身震いする。
先刻、メインマストの見張り台に登ったジャニは、遠くの島陰から姿を現した軍艦に気付き、すぐキアランに報告した。アーノルド号を特定した経緯でジャニの目の良さを理解したのだろう、いつもだったら無視するところを、キアランはすぐ警鐘を鳴らすよう指示したのだ。
「でも、戦闘態勢に入るってことは、あの船から逃げ切れてないってことだよね? まだどうなるかわからないよ」
「おい、そうやって怖いこと言うのやめろよな」
パウロの顔が、心なしか青い。
弾薬準備室に入ると、もぐらが二人の持ってきた缶に火薬を詰めてくれた。
「敵はイグノアの軍艦か?」
もぐらが低い声で尋ねる。ジャニはうなずいて、軍艦が翼獅子号より大きく大
砲も多く備えていること、マストの数が多いのでこちらより速いことを伝えた。もぐらの顔がぐっと険しくなる。
「火薬は十分用意しとく。お前ら、途中でへばるなよ」
二人は口元を引き締めて頷くと、弾薬準備室を出て砲列甲板に走った。時々軍艦から砲撃を受けているのか、くぐもった爆音が遠くで聞こえる。そしてゆっくりと船体が斜めに傾き始めた。進路を変えるようだ。
砲列甲板に着くと、ベケットが大砲隊員たちに何か指示をしているところだった。いつもは生気のない顔が、水を得た魚のように生き生きと輝いている。声も二人が聞いたことのない大音量だった。
「船が転回したらすぐ、左舷から斉射を行う! それまで何回か砲撃して距離をつかめ! これを逃したら俺たちの命はないと思え、打たれても絶対に怯むな!」
ベケットに日ごろから訓練され、連携も取れている大砲隊員たちは威勢の良い声で返事をした。すぐ測距のための砲撃が行われる。大砲からの爆音は、船全体を震わせた。
「打ち合いになるのか」
呟くパウロの口元が震えている。ジャニも、自分の心臓が早鐘のように打ち始めるのを感じていた。今までにない緊迫感が船内に充満していた。
「お前たち、もっと火薬を持ってこい、大至急だ!」
ベケットに指示されて、二人はまた弾薬準備室に向かう階段を降り始めた。
と、その時だった。
敵からの砲撃を受け船体が大きく震えた瞬間、絶叫と共に血まみれの船員が甲板からの階段を転げ落ちてきた。
船員はパウロとジャニの横を転がっていき、階下の床に叩きつけられて動かなくなった。手足には砲撃で飛び散った木材が突き刺さり、そこから鮮血が流れ出ている。
怪我人に気づいた他の船員が何人かで声を掛け合い彼を医務室に運ぶまで、二人はそこから動けなかった。ジャニの方が先に我に帰り、震えるパウロの手を掴んで弾薬準備室に駆け出した。
引っ張られるまま走っていたパウロだったが、誰もいない船倉に来ると、ジャニの手を振り解いてその場にしゃがみ込んでしまった。
「パウロ、早く準備室に行って火薬をもらわなきゃ! 一斉砲撃に間に合わなくなっちゃうよ」
ジャニがそう言って肩を揺さぶっても、パウロは両手で頭を抱え込んで震えている。涙の浮かんだ彼の目は、焦点が定まっていないようだった。呼吸は荒く、苦しそうだ。
ジャニは困惑したようにパウロを見つめていたが、一瞬逡巡したのち、右手を振りかぶってパウロの頬を叩いた。乾いた音が船倉の廊下に響き渡った。
叩かれたパウロの視線がやっと落ち着き、驚いたようにジャニを見る。ジャニはパウロの両肩を掴んで叫んだ。
「みんな、怖いけどこの船のために死ぬ気で働いてるんだ! ここで俺たちが火薬を持っていけなかったら、みんな、ここで死ぬんだぞ!! 一人でも逃げたら負ける。そのための掟だろ?!」
小刻みだった呼吸が少し落ち着き、一回大きく深呼吸すると、パウロはうなずいて見せた。
「ごめん」
ジャニもうなずき返す。
「おい、何があった」
ふいに背後からかけられた声に、二人はびくっと身を震わせた。振り返ると、訝しげな顔のもぐらがいた。騒ぎを聞きつけて準備室から出てきたのだろう。
「だ、大丈夫! ちょっと階段から落ちて足を痛めたんだ」
慌ててジャニが適当に言い繕う。もし戦闘時の役割を放棄しようとしたことがばれたら、パウロが島流しにされてしまう。二人の心中は穏やかじゃなかったが、もぐらは特に何も言わず、早くこいと手招きして準備室に入っていった。二人はほっと胸を撫で下ろす。
それから準備室で火薬をもらい、砲列甲板に戻るまで、二人は一言も言葉を交わさなかった。
「おそい!」
砲列甲板に戻った二人にベケットの雷が落ちる。二人は謝りながら火薬を配り、砲列甲板では一斉砲撃の準備が整った。
砲門から外をのぞいてみると、こちらの一斉砲撃の準備に気づいたのか、軍艦も迎え撃とうと転回を始めている。船首砲からの威嚇射撃が上甲板に直撃したのか、船体がまた大きく揺れた。
「まだだぞ、やつが土手っ腹をこっちに向けた瞬間を狙え」
ベケットがみなに指示する。軍艦の砲撃準備が整うのが先か、こちらがベストなタイミングで斉射するのが先か、そのせめぎ合いの中で漂う静けさだった。緊迫の沈黙の中、突如ベケットの号令が響き渡る。
「撃てぇ!」
鼓膜が破けそうなほどの爆音がたて続けに響き、端の大砲から順に砲撃が始まった。
足元がすくいとられるような揺れがおそい、ジャニとパウロは思わず尻餅をついた。
圧倒されて口を開けたままの二人が見守る中、ベケットは順々に砲門から砲弾の位置を確認していたが、一番端の大砲の照準を自分で合わせて引き金につながる紐をひいた。
最後の爆音が鳴り響き、ついで無気味な沈黙が落ちた。
軍艦からの煙が風下側の翼獅子号に流れてきたせいで、向こうの様子はわからない。みな、息を詰めて煙の隙間から軍艦の様子をうかがっている。
しかし、姿を現した軍艦の泰然とした姿に、船員たちの間に落胆の色が見え始めた。
「ダメか・・・・・・」
誰かが呟いた、その時。どこからか木が軋む音が聞こえてきた。
だんだんと音は大きくなり、軍艦のメインマストが少し傾いた気がした。そして次の瞬間、大木が倒れるようにマストはゆっくりと右舷側に傾き、索具などを引き倒しながら甲板に叩きつけられた。
直撃はしないまでもマストをかすめた一斉砲撃の最後に、ベケットの放った大砲がマストを直撃し、とどめを刺したのだった。
「やった!」
ジャニとパウロは歓声を上げて、思わず笑顔で顔を見合わせる。船員たちも喜びの声をあげていた。これで軍艦は帆走不可能だろう。あとは砲撃に気をつけながら逃げればいいだけだ。
「んふふっふふふ」
ふいに地の底から聞こえてくるような不穏な声が聞こえてきた。ジャニが歓声を止めて周りを見回す。
声はどうやらベケットから発されているようだった。腹痛でも感じているように身をかがめている。
やがて声はだんだんと高く大きくなっていき、最後にはのけぞるようにして甲高い笑い声を上げ始めた。気でも狂ったのかとジャニは青ざめたが、周りの船員たちは特に気にしている様子はない。
「気にすんな。敵の船を撃ち落としたあとはいつもあんなだから」
苦笑気味に船員が教えてくれる。
ジャニは口元を引きつらせて、哄笑し続けるベケットを遠巻きに眺めていた。
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