眠る宝箱 3



 アーノルド号の船長グリンヤードは、船長室で目の前のテーブルに置かれている小ぶりな宝箱を睨め付けていた。船窓から差し込む日の光に照らされて、綺麗に磨かれた箱は妖しく輝いている。


「いったいこの箱の何がそんなに重要だというんだろうな」


 グリンヤードは頬杖をついて、不満げに鼻を鳴らす。横に立っていた給仕の男は、船長の前に淹れたてのコーヒーを置いて「さぁ」と肩を竦めて見せた。


「ウアサル総督が急ぎでこれをディオン提督に送り届けよと言っていたことしか、私たちは知りませんからね」

「出航を急かされたせいで間に合わなかった積荷もある。こちらとしては大損害だ」


 グリンヤードは不機嫌だった。予定通りの出航であれば乗せられた貴重な香辛料の稼ぎを想像して、ぎりりと歯噛みする。しかしカンパーラ島総督の直々の頼みとあらば、断ることはできなかった。


「いったい中に何が入っているんだか」


 特に興味もない風に、グリンヤードがひとりごちた時だった。


「船長、右舷船首側に船影が見えます!」


 船長室に船員が報告に来た。グリンヤードが煩わしそうに顔を上げる。


「どこの船だ?」

「タウルズの商船と思われます」


 グリンヤードはため息をついた。


「タウルズか。いつもの木材を届ける船だろうな」


 そう言いながら立ち上がる。

 通常船影が見えたくらいで気にはしないが、タウルズの船となると話は別だった。タウルズは小さい国だが、昔から堅実に貿易に力を入れている国で、イグノアとは古くから交易を行なっていた。カンパーラ島にも、タウルズの木材を運ぶ船がやってくる。

 タウルズの商人と交流があるグリンヤードは、面倒だが船が近くを通るのであれば、挨拶ぐらいせねばと思ったのだった。

 甲板に上がると、船員が報告した船はこちらにのんびり向かってきているのが確認できた。まだ少し距離はあるようだ。グリンヤードは懐から望遠鏡を取り出して片目をあてがった。

 船は三本マストの中型帆船だった。赤茶の船体が美しい流線を描いている。そのメインマストのてっぺんには、タウルズの緑と白の縞模様の国旗が翻っている。

 砲門はわずか片舷四門ほどで、その甲板には雑多に積荷が置かれていた。

 船員の中には子供と思われる人影もある。そして船首には、派手な紫色のコートを着た男が立っていた。頭には羽付きの豪奢なツバ広帽子もかぶっている。

 グリンヤードは鼻を鳴らして嘲笑った。


「タウルズの洒落もんが」


 タウルズは昔から堅実に貿易をやってきた結果、世界の中継地点として栄えていた。海上の交易を全て事業化し、一回の航海のリスクを最小限に、なおかつ莫大な資金を投資してもらう仕組みを作ったタウルズは、その国の小ささとは裏腹に国力を強めていた。需要が途切れることのない木材を扱う商人は特に羽振りがいい。そうしたタウルズを妬む意味もあって、イグノアの者はタウルズの裕福な商人を伊達者、洒落者とあまりいい意味ではない含みを持たせた用語で呼ぶのであった。

 グリンヤードは船がよく見える右舷の船首に歩いて行った。船が近づいてくるのを待ち、もう一度望遠鏡を目に当てる。

 すると、船首にいた派手な身なりの男もこちらを望遠鏡で覗いているのが見えた。男はこちらに気づいたのか、望遠鏡を覗いたまま軽く帽子を持ち上げて挨拶するそぶりを見せた。


(おや、知り合いだろうか)


 しかし相手は望遠鏡を覗いたままなので顔がわからない。

 グリンヤードは望遠鏡から顔を上げると、向こうの船がもう少し近づくまで待つことにした。彼が知り合いだった場合、何か話しかけてくるかもしれないと思ったのだ。

 向こうの船はやはりのんびり近づいてきた。

 乗組員の顔が望遠鏡なしでもぼんやりと見えるくらいの距離になった時、グリンヤードはふと違和感を感じた。

 その違和感がどこから芽生えたのかはわからない。

 甲板で作業している船員の中に、顔半分を覆うほどの眼帯をつけた子供がいたからかもしれない。

 向こうの船が、そのスッキリとした船体に見合わない奇妙な遅さで近づいてきたからかもしれない。

 船首の紫色のコートを着た男の顔に、全く見覚えがなかったからかもしれない。

 そしてその男がにやりと不敵に笑った瞬間、グリンヤードは自分の顔から血の気が引くのがわかった。


「罠だ! 逃げろ!」


 叫んだが、遅かった。

 向かってきていた船の速度が、突如ぐんと速くなった。

 波飛沫けたててこちらに向かってくる船の舷側には、さっきまで四門しか砲門がなかったのに、ふいに現れた十六門もの砲門が開き、黒光する大砲がこちらを狙っていた。

 先ほどまでのどかな商船を装っていた帆船が、いきなり牙を剥いて襲いかかってきたのだ。

 アーノルド号の船上はパニックに陥った。

 グリンヤードは取り舵を指示したが、気が動転した船員たちは帆桁に登るのもおっかなびっくりで、まともな操帆ができていなかった。


「戦闘準備ー!」


 甲板長が慌てて号令をかけ、船員たちが甲板上の大砲の準備を始める。

 しかし襲ってきた船がこちらに接舷しようと近づいてくると、その備えている大砲の圧倒的な多さに船員たちは震え上がって、砲弾を取り落としてしまう有様だった。

 船員の一人が、船のメインマストの上に掲げられた旗を指差して叫んだ。


「翼獅子のクックだ!」

「まさか」


 グリンヤードは言葉を失ってその旗を見上げた。

 さっきまでタウルズの国旗がかかっていたところに、今は全く違う旗が翻っている。

 真っ赤な旗に、白抜きの翼を広げた獅子の絵柄。それは噂に聞いていた、この海域で名を馳せた海賊、クック・ドノヴァン率いる翼獅子号の旗だった。

 空を切り裂いて、錨付きの縄が船内に投げ込まれ、船のヘリをがっちり抱え込んだ。

 翼獅子号がぶつからんばかりに接舷してくる。

 グリンヤードは、震える手で腰の剣を抜き構えた。他の船員たちもそれにならって戦闘態勢に入るが、腰が引けている。

 それもそのはず、アーノルド号は大して軍備もない商船で、乗組員は戦闘訓練もろくにされていない平水夫である。鮮やかに接舷攻撃を繰り出してきた海賊に、太刀打ちすることなどできなかった。

 船首にいた派手なコートの男が、勢い良くコートと帽子を脱ぎ捨てて腰の剣を抜き放った。

 彼の額に巻かれた赤いバンダナが風にたなびく。


「全員、突撃!」


 彼の鬨の声に、海賊船から続々と武装した男たちが乗り込んできた。

 一番先頭を走るのは両手に斧を持った熊のような漆黒の肌の巨漢だ。その姿を見た途端、ほとんどの船員は顔色を変えて船内に逃げ込んでしまった。

 取り残されたグリンヤードは、あっという間に四方八方を海賊に囲まれて、へなへなと崩れ落ちた。


「わ、私を殺すのか!?」

「お前の命なんかに興味はねぇよ」


 赤いバンダナの男は笑いながらそう言って、グリンヤードを引っ張り起こした。その肩を引き寄せて、耳元で囁く。


「俺が欲しいのは、お偉いさんがお前に託したものだ」

「な、なんでも渡しますから!」


 こうして、アーノルド号はあっけなく翼獅子号に捕縛されたのだった。





 ジャニは思い切り膨れ面をしていた。

 その横にいるパウロは、ジャニを盗み見てため息をつく。

 今二人は、翼獅子号に留まって見張りの役をしていた。他のほとんどの船員は、アーノルド号に乗り移って積荷の移し替えをしている。

 みな、あっさり目的の船を捕縛できたことに意気揚々としている。浮かない顔をしているのはジャニだけだった。


「いい加減その顔やめろよな」


 パウロが痺れを切らしたようにジャニを叱る。ジャニは「だって」と溜まっていたものを吐き出すように話し出した。


「思ってたのと全然違ったんだもん!」


 確かにロンの作戦は完璧だった。

 ロンはカンパーラ島に出入りしている船の情報を把握していた。出入りの多いタウルズの商船になりすまし、クックにこれ見よがしに派手な服を着せた。あのコートや帽子、タウルズの国旗はグリッジーが今まで捕縛した船から押収したものだという。

 そしてロンがテイラーに頼んでいた船と同じ色に塗られたキャンバス生地は、綺麗に砲門を隠し、敵の目を欺いてくれた。

 あとは船尾から垂らしていた樽を切り離し、全速力でアーノルド号に接舷する。近づいたところで砲門の覆いを取り去れば、向こうは一気に戦意を喪失するというわけだ。


「すごい戦いがみれると思ったのに」


 不服そうにジャニがいう。パウロは呆れたようにジャニを見下ろした。


「お前なぁ、ロンさんのすごさを全然わかってない! いいか、俺たちはできるだけ戦闘を避けないといけないんだ。向こうの船は戦利品だから、傷つけたくない。こっちの船員も怪我したら戦力の喪失だ。なるべく交戦を避けて、最速で船を落とせるのが一番なんだからな」


 パウロはどこか夢見るような顔でつぶやいた。


「いつか俺も、ロンさんみたいに頭のいいクォーターマスターになりたいな」

「じゃぁ俺は船長になる!」

「あれ、船長にはならないんじゃなかったのか?」


 パウロがからかうと、ジャニは頬を赤くした。


「だ、だってやっぱり、かっこよかったから」

「まぁでもとにかく、たいした戦闘にならなくてよかったよ。俺は正直、戦うのなんかまっぴらごめんだ」


 他の船員に聞こえないように小声でそう言って、パウロは肩をすくめて見せた。しかし返事がないので横を見ると、ジャニは海のどこか一点をじっと注視していた。パウロも同じところを見てみるが、これといって変わったところはない。


「何見てるんだ?」

「いや、いまあそこに」


 何か気になるように首を傾げていたが、突然ジャニは縄梯子に飛びついて登り始めた。慌てて止めようとするパウロの手をかいくぐって、ジャニはメインマストの上に登っていく。


「多分上の方からのが見えると思うから! 大丈夫だって、俺は落ちたりしない!」


 ジャニの自信に満ちた声が降ってくる。

 パウロは苦々しげな顔で「どうだか」とつぶやいた。

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