眠る宝箱 2


「ふぅ、夜はちょっと冷えるな」


 皆に夕飯を配り終わり、自分の分のシチューを器に入れて両手に抱えながら、ジャニは甲板に出る階段を上がっていた。

 広間の喧騒が遠ざかり、夜の海の静けさに包まれる。

 甲板から見上げる星空は、冴え冴えとした輝きを放っている。その星空を眺めながら、甲板で一人座ってシチューを食べている人影があった。

 ジャニはその大きな背中を見つけると、迷うことなく近づいて行った。

 そこにいたのはウルドだった。彼は翼獅子号で一番の巨体を誇り、怪力を持つ甲板長である。戦闘時以外はいつも物静かで、たまにしか口を開かない。

 黒く艶やかな肌が夜の闇に溶け込み、甲板にある数少ないランタンがなかったら見つけられなかっただろう。

 足音に気づいたのか、ウルドは振り返ってジャニを見ると、何も言わずに視線を手元に戻した。ジャニはウルドの横に座ると、「いただきます!」と手を合わせてシチューを食べ始めた。

 いつからか、ウルドが甲板で一人夕飯を食べていることに気づいたジャニは、その隣に行って夕飯を食べるようになった。ウルドは特に嫌がらなかったし、ジャニは騒々しい広間よりもこの静かな甲板の方が落ち着くのだった。

 それに、ジャニはこの寡黙な青年が好きだった。

 ジャニの見る限り、ウルドは常に一人だった。

 彼のように夜の闇に紛れてしまうほど肌が黒い船員はいなかったから、余計それが目立っていたのかもしれない。彼は他の船員と馴れ合うのを自分から避けているように見えた。しかしジャニのことは拒むことなく、むしろよく世話を焼いてくれたので、ジャニが懐くのも不思議ではなかった。

 夕飯を食べ終わった二人は特に会話もなく満点の夜空を眺めていたが、ふとジャニが思いついたようにウルドに尋ねた。


「ウルドはさ、デイヴィッド・グレイの宝が見つかったら、何を手に入れる?」


 ウルドはしばらく答えなかった。やがて、ゆっくり首を左右に振った。


「何もいらない」

「え?! なんで?」

「俺は、この船にいられれば、それでいい」


 途切れ途切れに低く答える。ジャニは理解できないというように肩をすくめた。


「ウルドは欲がないなー! デイヴィッド・グレイの宝を手に入れたら、海賊なんかやる必要なくなるんだよ? 一生遊んで暮らせるよ」


 ウルドはそれでも、首を振った。ジャニはふーんと唸って、もうその話題には興味を失ったように甲板にごろりと寝転んだ。


「宝を手に入れたら、船長に恩返ししたい」


 少し間を置いて、ウルドが答えた。うとうとしかけていたジャニははっとして、視線をウルドに向ける。


「そうなんだ。クック船長になんかしてもらったの?」

「あぁ。俺を地獄から救ってくれた。人間として扱ってくれた」


 ウルドの答えに、ジャニはよくわからないという顔をした。


「え、何言ってるんだよ。ウルドは人間だろ?」


 ウルドは驚いたようにジャニを見て、何か言おうとするように口を開いたが、やがて思い直したように微笑んだ。

 どこか、寂しそうな微笑みだった。





 翼獅子号が目指していた海域にたどり着いたのは、それから数日後だった。

 宝箱が見つかったカンパーラ島と、イグノアとの間の航路だ。そこで、宝箱を積んでいるはずのアーノルド号を待ち伏せする手筈である。

 見張りが沖合いに船を見つけたのは、太陽が空の一番高い位置にあがる頃だった。


「おい、船長が呼んでるぞ」


 甲板の掃除をパウロとしていたジャニは、船員の一人にそう声をかけられて驚いたように顔を上げた。パウロが不安そうにジャニを見る。


「お前、なんかやらかしたか?」

「な、なんもやってねーよ!」


 否定しつつも、ジャニも少し不安な面持ちでクックのいる後列甲板に向かった。

 そこには、苦虫を噛み潰したような顔のキアランと、何か思案している風のロンと、望遠鏡を覗き込んでいるクックがいた。


「船長、こんなガキの言うことを信じるんですか? でたらめを言う可能性もありますぞ」


 キアランがジャニをさも汚らしいものを見るような顔で睨みつけてくる。

 クックは望遠鏡から顔を上げると、ジャニに気付いて近くに寄るように手招きした。


「まぁ、信じると言うか、参考までにな」


 そう言って、クックはジャニに持っていた望遠鏡を手渡した。きょとんとした表情のジャニに、水平線上のある一点を指差して見せる。


「あそこをそれで見てみろ」


 言われるがまま、ジャニは望遠鏡を左目に当ててクックが指差す方向を見た。すると、一隻の船が右舷をこちらに向けて航行しているのが見えた。


「船が見える」


 ジャニが言うと、キアランは「そんなことはわかってる!」と苛立ったように声を上げ、クックに窘められた。


「その船のこと、見える限りでいいから教えてくれないか」

「う、うん」


 ジャニは再び望遠鏡を覗き込んだ。

 船は三本マストの中型帆船だった。船体は翼獅子号のようにスマートではなく、ぼってりと横に広い。ジャニは、真ん中のマストの一番上でたなびいている国旗を食い入るように見つめた。


「青い旗が見える」

「柄はどんなのだ?」

「うーんと・・・・・・羽を広げた鳥、かな?」

「よし! イグノアの国旗だ」


 クックがにやっと笑い、キアランはどうだかというように肩を竦めた。ジャニはさらに目を凝らして船の様子を探る。


「船の甲板にはいろんな荷物が積んであるみたい。砲門は・・・・・・片舷で六門」

「軍艦ではなく、商船だろうな。こちらは片舷十六門。戦闘になればあっという間に打ちまかせますな」


 キアランがほくそ笑むが、ロンは首を振った。


「できるだけ戦闘は避けたい。俺たちが狙っているのはあくまでもデイヴィッド・グレイの宝箱だ。戦闘になって宝箱が紛失したら元も子もない。最小限の戦闘で向こうの船に乗り移れれば一番いいな」

「あとは、あの船が御目当ての船かどうかだな」


 無精髭をなでながら、クックが呟く。

 出来る限り目を凝らして船の細部を見ていたジャニは、船尾に文字が書いてあるのを見つけた。


「船のうしろに何か書いてある。アー・・・・・・ノル、ド」


 クックたち三人は思わず目を見張った。キアランが恐る恐るジャニに尋ねる。


「ほ、本当に見えているのか? あんな遠くにある船の名前が?」

「うん。むしろみんな、見えないの?」


 不思議そうな顔でジャニが聞く。キアランはそれには答えず、苛立たしそうに口髭を撫でつけた。


「とにかく、あれが探していた船で間違いなさそうですな」

「そうみたいだな。ジャニ、ありがとう、下がっていいぞ」


 ロンに礼を言われたジャニは嬉しそうに顔をほころばせて、意気揚々とパウロのところに戻っていった。

 クックとロンは顔を見合わせる。


「さて、じゃぁいつも通りの戦法でいくかね。設定はロン、任せたぞ」

「わかった、準備させる」


 阿吽の呼吸で意思の疎通を図ると、二人はそれぞれの方向に歩き出した。

 クックはキアランに航路を指示する。


「あの船の風上から、気づかれないように回り込め。速度はできるだけ落とせよ」

「了解」


 甲板はにわかに慌ただしくなった。

 何事かと辺りを見回していたパウロは、ジャニが後甲板から走って戻ってくるのを見つけてほっと胸を撫で下ろした。しかし、その興奮に輝く顔を見て眉を潜める。


「なんだ、どうしたんだ?」

「船が見つかったんだよ! デイヴィッド・グレイの宝箱を乗せた船が!」

「そういうことか」


 パウロは合点がいった顔でうなずいた。ジャニは目を輝かせて、準備に入り始めた船員たちを見回している。


「これからとうとう海賊らしい戦闘が見られるんだよね!? あの船をガンガン追い詰めて、ドーンッて大砲打ち込んで、ガァーッとみんなで乗り込んで制圧するんでしょう!?」


 擬音語を叫びながらジャニが小さい拳を振り回す。しかしパウロは、なんとも言えない表情で頬をかいた。


「うーん、多分お前が想像してるのとはだいぶ違う感じになると思うぞ」

「え、どういうこと?」


 怪訝そうにジャニが聞き返したとき、ロンから指示を受けた船員が、パウロとジャニに手伝うよう声をかけた。

 彼らは一様に木の樽を抱えて船尾に運ぼうとしていた。ジャニも喜び勇んで樽を持ち上げようとする。


「任せて! 爆薬を運ぶんでしょう?」


 ある程度の重さを覚悟して力一杯樽を持ち上げたジャニは、しかし勢い良く後ろにひっくり返ってしまった。その手から離れた樽が甲板を転がっていく。

 樽の中には何も入っていなかったのだ。


「なんで空の樽を運んでるの?」


 打ち付けた頭をこすりながら苛立たしそうにジャニが尋ねる。空の樽を運んでいる船員は不思議そうな顔で「空じゃないと意味ねぇだろう」と答えた。

 余計にジャニの顔が困惑に歪む。


「いいからとりあえず、言われた通りにしろよ」


 樽を運びながらパウロがそう耳打ちし、ジャニは転がった樽を拾い上げてしぶしぶ船尾に向かった。

 船尾に行くと、船員たちは集めた空の樽をまとめてロープで縛り、その端を最後尾のマストに結びつけて、樽を海に投げ入れた。すると樽が水に抵抗することで、ぐんと船の速度が落ちた。


「こうやってわざと速度を落として近づいて、向こうの警戒心を解くのさ」


 パウロが説明してくれるが、ジャニはやはり解せないという顔をしている。一方では、ロンがテイラーに何か話しかけていた。


「テイラー、頼んでいたものはできてるか?」

「はい、ここにあります」


 テイラーが手に持っていたのは、一辺がテイラーの片腕ほどの大きさの、正方形のキャンバス生地だった。キャンバス生地は何枚もあり、なぜか船体と同じ色が塗られていた。それを見て、ロンは満足そうにうなずいている。


「いい具合だな。これなら遠目に見れば十分騙せる」

「はい、すぐベケットに渡して砲手たちに配りますね」


 テイラーはそういうと、キャンバス生地を胸に抱いて砲列甲板に走っていった。 ロンは今度は、人一人入れそうな衣装ケースを引きずってきたグリッジーと合流し、その中身を検分し始めた。

 衣装ケースの中から出てきたのは、色も装飾もデザインもてんでばらばらな帽子やコートだった。


「これとかはどうです?」

「いや、それは違うな。こっちのほうがいい」


 ファッションショーでもしているかのように二人で帽子やコートを体に当て、ああでもないこうでもないと話し合っている。ジャニの困惑顔はますます深まった。


「何してるの? あれ」

「だから、見てればわかるって」


 やがて服が決まったのか、グリッジーが帽子とコートを持って後列甲板に向かっていった。まだ衣装ケースをあさっていたロンは、目当てのものを見つけたのか、底の方に手を伸ばして一枚の国旗を取り出した。にやりと口の端を上げて笑う。


「これで舞台は整った」


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