眠る宝箱 1


「おい、芋の用意はできたか?!」

「あともうちょっと!」

「早くしろ! もう次入れるぞ!」


 船の厨房では、バジルとジャニが戦場のような忙しさで夕飯を作っていた。

 ジャニは小刀を片手に高速で芋の皮むきをしている。手元には綺麗に皮を剥かれた芋が山積みになっていた。

 なんせ、七十人ほどの船員の食事を二人だけで作るのである。量も膨大だが手順が少しでも滞ると時間通りに食事を配給できない。まさに時間との勝負なのだ。

 バジルはジャニの身長ほどもある大鍋を相手に奮闘している。ぐつぐつと煮立っている鍋の中に次々と具材を放り込んでは、オールくらいあるへらで焦げ付かないようにかき混ぜている。かなりの力仕事のようで、その禿頭には血管と汗が浮き出ていた。


「お待たせ!」


 ジャニが皮むきを終え、芋を鍋に投入した。芋の重さも加わり、バジルの腕の筋肉がぐっと盛り上がる。


「次、肉の準備!」

「了解っ」


 バジルの指示にジャニは素早く反応して、塊で用意されていた肉を手際よく切り分けていく。そしてその肉も鍋の中に放り込んだ。とろみのある鍋の中身からは食欲をそそる匂いが漂ってきている。

 その匂いに誘われたかのように、厨房にふらっとセバスチャンが現れた。


「おっ! 今日はじいさん特製シチューか! こりゃぁ楽しみだ」


 鍋の中身を覗き込みながら、セバスチャンがよだれを垂らさんばかりの顔をしている。


「つまみ食いしたらメシ抜きだからな」


 バジルがやや息を荒くしながら釘を刺す。セバスチャンは心外だというように肩をすくめて、そそくさと厨房を出て行った。


「あいつはつまみ食い常習犯だからな、よく見張っとけよ」


 バジルはジャニにそう言いながら、ふぅと一息ついて額の汗を拭った。匙でシチューの味見をして、棚にある大量の瓶の中身を代わる代わる鍋の中に入れていく。

 ジャニは魅せられたようにその背中を見つめていた。

 この数ヶ月でバジルの調理する様子も見慣れたが、すごい集中力で料理を作り上げていく過程は毎日眺めていても飽きない。自分の納得する味を追求するその姿は、まさに誠実に生きることと向き合っているように思えて、ジャニは密かにバジルを尊敬していた。

 何よりも、彼の料理は絶品だった。


「俺もバジルみたいに料理上手くなりたいな」


 剥いた皮やゴミが散らかる床をほうきではきながらジャニが言う。それにバジルは苦笑してみせた。


「俺だって最初から料理がうまかったわけじゃないさ。皮剥きすらやったことがなかったからな」

「そうなの?」

「そうさ。こんな足になってからだからな、俺が料理するようになったのは」


 そう言いながら、義足を軽く持ち上げて見せる。


「それまでは甲板長として前線で戦ってたからな。まぁ今でも戦闘には自信はあるが、この足だと縄梯子を登ったりなんだりはさすがに厳しいから、仕事の持ち場を変えてもらったわけよ。最初はまずい飯しか作れなくてみんなにブーブー言われるし、厨房はクソ暑いし嫌でしょうがなかったんだが、料理が上手いことできたときにな、みんなに褒められたらそう悪いもんじゃねぇなって思ってよ」


 バジルは照れたようにへへっと笑った。


「やっぱうまい飯が出た方が士気も上がるしな。コックってのも割と重要な仕事なんだよな」

「重要だよ! バジルがいなかったら大変だ」


 ジャニは心から言った。

 船旅の食事は、もちろん味も重要だが、何よりも食材の持ちと分量を考えながら作るのが難しい。

 次の港で食材を調達するまで、この船に積まれた食料だけでどうにかやりくりしなきゃいけない。なおかつ、船の中だと食材はすぐに腐るのだ。

 今は出航したばかりだからこうやって野菜もふんだんに使えているが、そのうち使えなくなってしまうので、いい頃合いで塩漬けにしたりしなければいけない。

 船乗り経験の長いバジルだからこそ、その采配が行き渡っているのだ。コックが無能だったら船旅は成功しない。


「さて、そろそろ配膳しないと、飢えた獣どもが暴れ出すな。ジャニ、用意してやれ」


 バジルが親指を向けた方を見ると、厨房の入り口で配給用の器を握りしめて中の様子を伺う船員たちがいた。

 もちろん一番前にいるのはセバスチャンだ。

 ジャニはその必死な顔に思わず笑って、食事を配給する際の鐘を鳴らした。翼獅子号全体に夕飯の合図が鳴り響く。


「ご飯ができたよー! みんな順番に並んで」

「一番乗りだ! 大盛りで頼むぜ!」


 厨房に駆け込んできたセバスチャンが勢い良く器をジャニに突き出す。ジャニは器を受け取りながらため息をついた。


「だからいつも言ってるじゃん、配る量は均等にしないとみんなに行き渡らないかもだから大盛りは受け付けられないって! おかわりなら大丈夫だから後で来て」

「くそ、ちびのくせに生意気な」


 悔しそうにつぶやくが、ジャニの後ろで腕を組んで睨みをきかせているバジルを見て、セバスチャンはシチューが注がれた器を受け取りしぶしぶ広間に戻っていった。

 広間には船員たちが続々と集まってきていた。

 船長室で航路の確認をしていたクックとキアランも姿を見せる。通常、船長は船長室でもう少し豪華な食事を食べる船も多いが、クックはみなと肩を並べて同じ食事を食べるのが好きだった。


「お前も一緒に食べないか」


 器にシチューをよそってもらったキアランにクックが声をかけるが、彼はいつもどおり固辞して自室に引き上げていった。肩をすくめるクックに、医務室から戻ったロンが声をかける。


「またふられたのか」

「あいつはほんと、つれないよなぁ」

「しょうがないさ。キアランはお前みたいにざっくばらんな性格じゃないんだ。まぁお国柄もあるかもしれないがな」

「確かにな。イグノア出身の奴らはなんかプライド高いよな」


 二人はそう言って笑いながら、ジャニから夕飯を受け取り、船窓の近くの席に座った。

 この船の乗員は、みな出身地が多岐にわたっていた。センテウスの出身のものが多いが、敵国のイグノアや、センテウスからは遠く離れた国からの移民もいる。この船はいろんな国であぶれたものの溜まり場のようになっていた。

 イグノア出身の者は、船大工のメイソンや、イグノア海軍に勤めていたが問題を起こして追放されたベケットなどがいる。

 キアランはイグノアの商船に勤める航海士だったが、船長と揉め事を起こして追われる身となり、バルトリア島に逃げてきた。そこでクックと知り合ったのだった。


「うまい! やっぱりバジルのシチューは最高だな」


 舌鼓を打つクックに、ロンも頷く。船窓から見える夜の海は凪いでいる。波がある日は火を使えないので、今日のように海が静かな日に食べる温かい食事は貴重なものだった。


「お二方、一緒に飲みましょうぜ!」


 三人分のジョッキにラム酒を並々と注いで、グリッジーが二人の横に座ってきた。三人で飲んでいると、やがて他の船員たちも自然とその周りに集まってきて、賑やかな宴が始まった。基本的に楽しく飲み騒ぐのが大好きな船員たちなのだ。


「よし、いっちょ歌いますか!」


 盛り上がってきたところで、セバスチャンが広間の壁にかけてあったギターを取り外し、陽気な音楽を奏で始めた。みな大喜びで歓声をあげたり指笛を吹いたりしている。

 セバスチャンはギターを爪弾きながら伸びやかな声で、皆が知っている船乗りの歌を歌い始めた。



いかりをあげろ 帆をあげろ

海が俺らを呼んでいる

港のあの子にゃ悪いけれども

やめられないのさ船乗りは

ほれそーれ そーれ そーれ

海が俺らを呼んでいる


 

みな大合唱しながら、ジョッキを掲げてセバスチャンのギターの音色に体を揺らしている。その光景を微笑ましく眺めながら、ロンは微かな既視感を覚えていた。

(そういえば、あの奇怪な晩にも、セバスチャンがこの歌を歌っていた)

 ロンは二年ほど前の、ある夜のことを思い出していた。





 あれは、今まで足を伸ばしたことのないエストニア近辺の海域に繰り出し、想定外のお宝を積んだ船を捕獲することができて、バルトリア島までの帰路で宴会を開いていた日だった。

 通常は夜八時頃には消灯して見張りを残してみな下甲板で就寝するのだが、その日は喜びもあって気が緩んでしまっていた。

 いつもより多めの酒が振る舞われ、広間で飲めや歌えやの大騒ぎをしていた。今と同じ歌をみんなで大合唱していたのを覚えている。

 ロンの横でクックも上機嫌で歌っていたが、一人だけ並外れた音程の外し方をしていた。天性の音痴なのだ。ロンはその歌声に笑っていた。

 バジルが腕を振るってくれたご馳走もあらかた船員たちの腹におさまり、宴もたけなわという頃だった。

 どこからか、美しい音色が聞こえた気がした。


「なんだ?」


 口に運びかけたジョッキをふと止めて、クックが訝しげに船窓の外を見た。ロンも音の出所をさぐるようにあたりを見回す。

 繊細な弦楽器の音のようにも聞こえるそれは、ぐいっと意識を持っていくような感じがした。酔った頭が揺すられるというか、芳しい美女に頬を撫でられたような、そんな落ち着かない気分になったのだ。

 まわりの船員たちもどうやら様子がおかしかった。

 皆の目の焦点が合わなくなり、夢遊病者のように広間をふらふらと出ていくものが続出し始めた。


「おい、お前らどうしたんだよ!」


 慌てたようなクックの声を最後に、ロンの意識もそこでフェイドアウトする。

 やはり頭の芯をとろけさせるような快感が、あの不思議な音と共に全身を包み込んだのを覚えている。

 次に意識を取り戻したときには、なぜかロンは甲板に転がっていた。

 心なしか全身が湿っているような気がする。

 二日酔いのような頭痛に顔をしかめながら起き上がると、まわりには同じように甲板に転がる船員たちがいた。高いびきをかいて寝ている者もいれば、なんの夢を見ているのか、となりで転がっている船員に抱きついて背中に接吻している者もいる。


「なんだこれは・・・・・・」


 異様な光景に、ロンはまだ覚醒しきらない頭でぼんやり座り込んでいたが、ふとあることに気付いて勢いよく立ち上がった。

 見張りをしていた船員も、舵取りをしていたはずの船員も同じように甲板に転がっていることに気がついたのだ。今この船を操縦している者が誰もいないということだ。

 しかもいつのまにか夜は明けて、太陽がだいぶ高い位置に来ている。一晩中この船が漂流していたとなると一大事だと背筋が薄寒くなったが、後甲板に上がったロンはほっと胸を撫で下ろした。

 舵を握るクックを見つけたのだ。クックは舵にもたれかかるような体制で、どこか遠くをぼんやり眺めながら操縦していた。


「すまん、クック。昨日の記憶があんまりないんだが、なぜかみんな寝てたみたいだな。昨日飲んだ酒がよくなかったのか・・・・・・」


 そこまで言いかけて、ロンはクックの様子がおかしいことに気づいて顔色を変えた。


「お前、どうしたんだその足?!」


 クックの右腿の中程から、おびただしい量の血が甲板に滴り落ち、血溜まりを作っていたのだ。

 自分で応急処置をしたのか、右腿の付け根に額に巻いていたバンダナをきつくしめていたが、それでも出血は止められなかったようだ。

 右足に体重をかけられないせいでクックの体は前傾して舵にもたれかかるように立っていた。

 慌ててクックに駆け寄ると、彼の顔色は青ざめ、ほぼ意識がないようだった。


「やっと起きたか。あとは頼んだ」


 それだけ言うと、クックの体がぐらりと傾いて倒れそうになり、ロンがすんでのところで受け止めた。

 クックの体は汗ばんでいて、熱があるようだった。ロンは慌てて周りに転がっている船員たちを叩き起こし、クックを医務室に運んだ。

 幸い、クックの右足の傷は急所を外していて浅かったので、足を切り落としたりする必要はなく、何針か縫うことで治療することができた。

 クックはその後半日ほど寝続けていた。

 その間、他の船員達に何があったか聞いてみたが、みなロンと同じようにいきなり記憶が途切れているようだった。ロンが聞いた不思議な声のような音のようなものを聞いたと言う者もいれば、何も聞こえなかったと言う者もいて、あれは皆で飲んでいた酒に何か不純物でも混ざってて、集団で悪酔いでもしたんじゃないかという話に落ち着いた。

 やがて熱も下がり、目を覚ましたクックにロンが何があったか尋ねると、クックはしばらく黙っていたが、


「周りの奴が寝ちまって、俺も意識がなくなりそうになったから、意識を保つために自分で自分の足を刺した。痛みでなんとか寝ずに済んだから、一人で船を操作したんだからな。お前ら、俺を拝んでもいいくらいだ」


そう憮然と答えた。


「役立たずですまなかった」


 ロンが素直に謝ると、クックは照れたようにロンに背を向け、寝たふりをしていた。




(今考えると、やっぱりあの夜の出来事はおかしい)


 当時を振り返りながら、ロンはその時感じた釈然としない気分を思い出していた。

 皆で悪酔いしたにしても、クック以外全員意識がないのはおかしい。しかも、クックなど昔から大酒飲みだし、何度も相当な二日酔いに襲われたことはあるはずだ。

 自分の足を刺してまで意識を保たないといけないくらいの状態に、酒の力だけでなるのだろうか。

 あの夜のことをクックがあまり話したがらないのもあり、ロンはずっとその話題を避けてきた。だが考えてみれば、彼はあの夜から何かがおかしくなったように感じる。


「ロン、どうした」


 ロンの視線に気づき、クックが怪訝そうに尋ねる。ロンははっと我に帰り、笑って見せた。


「いや、なんでもない」

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