隻眼の子 5




 所変わって、ジャニは翼獅子号の広間にいた。

 両脇には偉そうに腕組みして踏ん反り返っているグリッジーと、所在なげに立っているパウロがいる。

 ロンは自分で掟を教えたそうだったが、立場上出港前にやることが山積みだったので、その役目はグリッジーに引き継がれた。

 この小男は身長が他の船員に比べてだいぶ小さく、力もないので重い積荷を積み込んだりの力作業ができない。よって一番手が空いていると判断され、ここに呼ばれたのである。

「なんでこんなガキの相手をしなきゃいけないんだ」とその顔に書いてあったが、ロンに頼まれたら嫌とは言えず、しぶしぶジャニに掟を教える流れとなった。パウロはジャニが逃げ出さないようにお目付役である。


「じゃぁ今からそいつを隅から隅まで覚えろ! 暗唱しろ!」


 グリッジーが指し示した、ジャニの目の前の机の上には、びっしりと文字が連なっている大判の紙が置いてあった。

 この船の掟が書かれた紙である。その文字の多さにジャニがうんざりした顔をしてると、グリッジーがやれやれといった様子で口を開いた。


「あーそうだ、お前みたいなガキンチョが文字が読めるはずがなかったな、失敬した。パウロ、代わりに読んでやれ」

「いや、俺読めるよ」


 しかしジャニがこともなげにいうと、グリッジーもパウロも驚いたように目を見開いた。


「な、なんでお前、文字が読めるんだ? 学のない子供のくせに」

「知らない、忘れた。とりあえずこれ読めばいいんだよね?」


 ジャニはすらすらと掟を音読し始めた。


「一、船員には全員に投票権がある。役職につく船員は全員が投票して決める。また、その役職を罷免させたい場合も全員の投票で決める。

 二、船員は、報酬の授与にあたり一覧に載った順番で公平に与えられる。しかしその者が貴金属、財、宝石や金銭を私財として隠匿した場合には、その罰は無人島置き去りである」


 そこまで読んで、ジャニは首を傾げた。


「これはどういう意味なの?」

「それはな、どんなお宝もちょろまかしちゃいけねぇってこった。

 全部均等にみなで分け合わないと争いが起こるだろう? この船に乗り合わせている限り、運命共同体だからな。襲った船に綺麗な宝石がごろごろしてても、小指の先ほどのちっさなやつをこっそりポケットに入れて知らんぷりすんのはダメってこった。無人島に島流しさ。どんな品物だろうと、収穫品は全部換金して均等に分配するんだ」


 一番それをやってしまいそうな男であるグリッジーが偉そうに説明する姿に笑いを堪えつつ、ジャニは続きを読み始めた。


「三、金をかけてのトランプやサイコロ博打を禁ずる。

 四、照明やロウソクは夜八時に消すものとする。船員の誰かがその時間以降にまだ飲み続けたいと望むのであれば、甲板で行うべし・・・・・・なんか、思ってた海賊のイメージと全然違うなぁ」


 ジャニは思わず呟いていた。ジャニが想像していた海賊達は、いつも夜遅くまで酒を飲んでどんちゃん騒ぎをして、博打の勝敗に口論して殴り合っていた。そう正直に打ち明けると、グリッジーは馬鹿にしたように笑い、パウロは苦笑した。


「俺も同じように考えてたんだ。でも考えてみれば当たり前なんだよな。海賊って何が一番大事だと思う?」


 パウロに聞かれ、ジャニはうーんと考えた後、「戦いに勝つこと?」と答えると、パウロは首を振った。


「もちろんそれも大事だけど、一番は“船”さ。この船がなければ、そもそも戦いに行くこともできないだろう?」

「あ、そっか」

「“船”が一番大事だとすると、船が燃えたり破損したら一番困るわけだよな。だから消灯時間は早めだし、乱闘騒ぎで船が壊されるのを防ぐためにケンカのもとになりやすい博打は禁止なんだ。特に、船が燃えたら一瞬だから、ロウソクを使う場所は気をつけないといけない。火遊びなんかしたら船からほっぽり出されるからな? 気を付けろよ」


 パウロに釘を刺され、ジャニは神妙な顔でうなずいた。


「五、武器、ピストル、刀は綺麗にしていつでも使用可能にしておくこと。

 六、女性は船に乗るべからず・・・・・・なんで女はダメなの?」


 ジャニに聞かれ、グリッジーとパウロは顔を見合わせた。「そりゃぁ」とグリッジーが口を開き、もごもごと答える。


「女が船にいたら争いが起きるからだろ」

「なんで争いが起きるの?」


 困惑顔のジャニに、グリッジーは苛立った様子で「うるせぇ!てめぇもでかくなったらわかるだろうよ、とりあえずそう覚えとけ!」と怒鳴って無理やり黙らせた。パウロは横で笑いを堪えるような顔をしている。ジャニは訝しげな顔をしつつも続きを読み上げる。


「七、船から逃亡したり、戦闘中に持ち場を離れたりすれば、無人島置き去りの罰を与える」

「そう、それは肝に命じておけよ。てめぇらみたいなガキでもその掟に反したら皆と等しく罰を受けるからな。甘ったれるんじゃねーぞ」


 グリッジーはパウロとジャニを交互に指差して、もともと目つきの悪い目を細めた。


「お前らの戦闘時の持ち場は後で連れて行って教えるからな。続きを読め」

「八、船上では殴り合いは禁じる。争いは岸で、剣と拳銃をもって解決するものとする」

「それも、さっき言ったように船を壊されるのを防ぐための掟だな」

「たかが喧嘩なのに、剣とか銃を使うの? 死んじゃうんじゃない?」

「そりゃ死ぬこともあるさ。だが、自分の尊厳を侵されたと憤慨したやつは、例え死ぬことになろうと決闘しないと気が済まないのさ。己の正しさを証明できるのはいつの世も力だけだからな」


 ジャニは呆れたように肩をすくめ、「大人って馬鹿みてぇ」と呟いてパウロに後ろ頭をはたかれた。グリッジーが早く続きを読めとせかす。


「九、職務において腕や脚を失ったりした場合には、公共のストックからその度合いに応じた金額を受け取るものとする。

 十、船長とクォーターマスターは獲物の取り分二人分を受け取る。一等航海士と砲手は一人半分、他の船員は一人分を受け取る・・・・・・なぁんだ、船長ってわりともらえる量少ないんだな。たった二人分だなんて」


 頭の後ろで腕を組みながらジャニが意外そうに声を上げる。


「まぁな。しかも船内の家具とか備品は船長が自腹で買わないといけないからな。そうなると俺たちの給料と大して変わらんくらいだろうな」

「しかも下手なことしたらみんなの投票ですぐ船長辞めさせられるかもだし、戦闘には真先に飛び込んでいかないといけないし、給料も安いなんて、船長って大変だな。なりたくないや」

「間違ってもおめぇがなれることはないだろうけどな!」


 グリッジーはひとしきり笑ってから、「でもな」と遠くを見ながら口を開いた。


「時々いるんだよ。生まれながらに人を引っ張っていく運命を課せられた奴ってのがな。お前のいう通り、みなに信頼されて、いつどんな状況になっても適格な判断でみなを守り、戦うのは簡単なことじゃない。だがそれができるやつがこの船にはいる。そして、そいつも自分にはその役目しかないとわかっているのさ」


 そう言って、グリッジーは誇らしげに笑った。


「さて! 掟は全部理解したか? ちゃんと覚えたな?」

 ジャニが頷くと、グリッジーは「じゃぁここにサインしろ」と掟が書かれた紙を裏返した。そこにはこれからの航海に参加する船員達の名前が列記されていた。その最後に、ジャニも自分の名前を羽ペンで書き込む。


「よし、じゃぁ、あとはお前達の戦闘場所の確認だな」


 三人は広間を出て階段を降り、日の光がかけらも入ってこない仄暗い弾薬準備室におりていった。船倉の通路は暗くじめじめとしていて、ランタンを持っていないと足元もおぼつかない。


「お前らの戦闘時の役割は、通称、火薬補充係パウダーモンキーだ。

 大砲用の弾薬をこの部屋まで取りに来て、湿らせないように最速で、なおかつ最大限の注意を払って砲手に届けるまでが仕事だ。大砲の近くに弾薬をいくつも置いておけないからな。その都度取りに行かないといけないから、戦闘が始まったらお前たちはひっきりなしにここに降りることになる」


 グリッジーがランタンを持って先導しながら、二人に弾薬準備室までの道を教える。

 三人が行き着いた準備室の入り口には、湿らせた暗幕の分厚いカーテンがかかっていた。日の光に慣れてしまった三人の目には、黒幕をめくって中を覗き込んでも室内の様子はわからない。

 グリッジーはその深い闇が降りる部屋に「おい、もぐら!」と声をかけた。

 のそりと物音がして、ぼうと二つの光が近くで灯った。と思ったらそれが人間の目で、じろりと自分の方を見ていることに気づいたジャニは、小さく声を上げて後ろに飛びのいた。


「おい、小さいの。準備室のまわりで下手な動きをするんじゃない。蹴つまづいたのが原因でこの船が吹っ飛ぶ可能性もあるんだからな」


 野太い声でジャニを叱りながら、黒幕をくぐって管理室を出てきたのは、中肉中背の男だった。

 わずかな火花や静電気などを防ぐためにフェルトの靴を履いている。ひどい猫背なのは、狭い部屋の中で身をかがめていることが多いせいだろうか。頭には黒いバンダナを目元まで引き下ろして巻き、髭は綺麗に剃られているが、煤で真っ黒に汚れていて表情がまるでわからない。バンダナの陰に見える両眼だけがギラギラと鋭く光っていた。


 もぐら、というのは彼のあだ名なのだろう。


この船には自分の名前を名乗らず、あだ名で通している船員が結構いる。自然と仕事場の特色などであだ名がつくが、この薄暗い洞窟のような弾薬準備室にこもっている男のあだ名としては確かにもぐらが妥当かもしれない。


「もぐら、すまない。新人なんだ、許してやってくれ。こいつらが新しい火薬補充係パウダーモンキーだ。可愛がってやってくれよ」


グリッジーが二人を紹介すると、もぐらはただ二人をじろりと横目で見てすぐ顔を逸らした。

 そのまま無言で階段を降りて、準備室の下の階にある弾薬庫へと消えていく。

グリッジーはもぐらの雰囲気に圧倒された様子のパウロとジャニに肩をすくめて見せた。


「実際のモグラのがまだしゃべるかもな」


 次いで、三人は大砲が並ぶ砲列甲板に上がっていった。

 そこでは、大砲が航海の際、勝手に動いて誰かを押しつぶしたりしないように、大砲隊員達がロープでしっかりと砲台を固定していた。

 この翼獅子号には、左舷と右舷合わせて三十二門の大砲が備えられている。

 大砲が並ぶ砲列甲板を見て回りながら、グリッジーは弾薬を持ってきた際、どの通路やはしごを通ればいいか教えてくれた。なんだかんだ、面倒見のいい男である。


「お、ベケット!」


 グリッジーが、大砲隊員たちに何か指示をしている様子の男に声をかけた。

 呼ばれた男が顔を上げる。

 トライコーン・ハット(広いツバの三方を上に折り曲げた帽子)を被り、首襟のつまった服をきっちり着ている様子はどこか海軍の下士官を思わせる。

 ジャニもこの船に乗っている間、何回か彼を見かけたことがあったが、話したことはなかった。いつも砲列甲板を歩き回り、火薬が落ちたりしてないか、神経質に掃除をしていたイメージがある。


「こいつが砲術長のベケットだ。もともとイグノア海軍で砲術長をやってたんだ。こいつの測距能力はすごいぞ、魔法でも使ってるみてぇに狙いに直撃するんだからな。ちょっとこだわりが強くてめんどくせぇけど、戦闘には欠かせないやつさ」


 グリッジーがベケットを紹介する。ベケットは表情の読み取れない顔でジャニとパウロを見下ろしていたが、ふと口を開いた。


「もぐらにはもう会ったか?」

「え、あ、はい。さっき」


 おずおずとパウロが答える。ベケットはふむ、とつぶやくと、


「じゃぁ、もし戦闘時もぐらが弾薬を出し渋ったら、打ち合いに競り負けて船が沈む際、最初に溺死するのは船倉にいるお前だと伝えてくれ」


 冷たい声で言い放ち、さっとその場を立ち去ってしまった。呆気にとられた顔のパウロとジャニに、グリッジーは苦笑して見せる。


「ベケットともぐらは仲が悪いんだよなぁ。ああ見えてベケットは戦闘となると悪い霊でも憑いたように打ちまくるから、弾薬が足りないともぐらを催促して、もぐらはもぐらで残りの弾薬を管理しねぇといけないから出し渋るっていう争いが起きるのよ。ま、本人たちの職場は離れているから直に話すことはないんだが、火薬補充係パウダーモンキーが伝令代わりになってそれぞれから怒鳴られるって感じだな。お前らも頑張れよ」


 そんなことを言われてやる気が出るはずもない。今からその様子を想像して、ジャニとパウロは深いため息をついた。


「よし、教えることはここまでだ! あとは実戦で経験を積むんだな。これでお前も、正式なこの船のメンバーだ」


 グリッジーがジャニの背中をバシンと叩いた。その衝撃でジャニははっと目を見開き、頬を高揚させてグリッジーを振り返った。グリッジーは照れ隠しのように腕を組んでそっぽを向いている。


「船長とクォーターマスターが乗船を許可して、掟の紙にサインした以上、契約は成立だからな。今後ガキだからって容赦しねぇぞ! しっかり働けよ」

「うん、ありがとう! 俺、頑張るよ!」


 ジャニは高鳴る鼓動を抑えられなかった。これから、冒険が始まる。待ちに待った宝を探しに。夢にまで見た海賊船に乗って、海賊の卵となって。


「いかりをあげろー!」

「帆をはれー!」


 飛び交う号令と、船員たちが甲板をひっきりなしに走り回る足音。いかりをロープで引き上げる船員たちの掛け声。マストにとまっていたカモメたちが慌てて飛び立ち、鳴き交わす声。波音までもが、湧き上がるようにジャニの胸に差し迫ってきた。

 全ての音が、風が、匂いが、この旅の始まりを祝福しているように思える。

 船員たちが帆桁に上り、端の方から広げていったマストが、風を受けて大きく膨らんでいく。それと一緒に、自分の胸も膨らんでいるような気分をジャニは味わっていた。

 船が動き出す。

 ぐんぐんと港が遠のいていく。

 緩やかな湾を抜けると、そこにはただひたすら青い世界が広がっていた。

 ジャニは水平線の先に想いを馳せた。

 この先どんなことが起こっても、自分はきっとそれを乗り越えて、願いを叶えるのだと。

 幼さゆえの希望を携えて、ジャニを乗せた翼獅子号は、バルトリア島を出航したのだった。




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