隻眼の子 4
(最近のクックはおかしい)
珍しく苛立った様子で、ロンが甲板への階段を上がって行く。先ほどまでクックと口論していたので、その怒りが収まっていなかった。
(あんな小さい子供を連れて行くなんて、何を考えているんだ)
てっきり、クックはジャニをジーナに頼んでバルトリア島に置いていくと思っていた。しかし、クックはジャニを連れて行くの一点張りで、ロンがいくら言っても頑として聞き入れようとしなかった。理由を聞いても語らず、
「さっきジャニが言ってた、“セイレーン”がどうとかってのが関係あるのか?」
そう聞いたときだけ、彼の視線が揺らいだ。だが結局、
「ガキのおとぎ話に興味はない」
と吐き捨てた。
「そんなにあいつを連れて行きたくないならお前からあいつに話せよ。だけど、あのガキのことだ。この船が出航するときにこっそり乗り込むなんてこともしかねないぞ」
クックにそう言われたので、ロンは今船内でジャニを探しているところだった。見つけたらジャニを説得して、バルトリア島に残るよう言うつもりだった。しかし、船内のどこを探してもジャニがいない。
ロンは積荷を運んでいる船員たちに声をかけた。
「ジャニを見なかったか?」
「あいつなら、バジルと市場に買い出しに行きましたよ」
「そうか、ありがとう」
ロンは二人が帰るのを待つことにして、出航の準備を始めた。しかし胸中のクックへの苛立ちはまだ消えていなかった。
(そうだ、クックはここ最近確かにおかしい。多分二年くらい前からだ)
ロンの知っている以前のクックは、ロンに隠し事をするようなことはなかった。幼なじみ同然に育った相棒である。先ほどの会話で、彼が何か隠しているのをロンは感づいていた。でも、その内容まではわからない。
クックがそういう態度をするようになったのが、ロンの記憶だと二年前くらいからだった。
それまであけすけな笑顔を見せていたクックの笑顔が、あまり見れなくなった。時々、海のはるか先を見ながら、陰りのある顔をすることがあった。おそらく、その頃からだったろうか、クックがデイヴィッド・グレイの宝に執着するようになったのは。デイヴィッド・グレイについてあらゆる情報を集めだしたのだ。
だからこそ、ジーナの情報はクックを燃え上がらせたのだろう。あんなに生き生きとした彼を、ロンは久しぶりに見たと思った。
(彼女のことだってそうだ)
ロンの苛立ちは募って行く。脳裏に、一人の女性の姿が浮かんでいた。
漆黒の髪を波打たせ、褐色の肌に煌びやかな踊り子の衣装を身につけた、赤褐色の瞳の美しい女性を。長い睫毛に縁取られた彼女の大きな目は、いつもクックを追っていた。そしてクックも、ロンが見たことのない優しい目で、彼女を見つめていたはずだった。
それも、二年前から突然おかしくなった。クックが彼女を拒絶したのだ。そんなことありえないと思うくらい、二人は惹かれあっていたはずなのに。
(ルーベルはどこにいってしまったんだろう)
ジーナから聞いた話を思い出しながら、ロンはかつてクックが誰よりも大切にしていた女性を想った。ちくりと、自分の胸のどこかが痛んだ気がした。
「ジャニ、ちょっといいかい」
バジルと食料の買い出しから戻ったジャニは、ロンに声をかけられた。
いつも能面のように表情を変えない彼だが、今日はなんだか怖い顔をしている。何か怒られるのかと一抹の不安を抱えながら、ジャニはロンの目の前に進み出た。
ロンはジャニを連れて誰もいない医務室に行くと、ジャニを治療台に座らせ、目線を合わせて自分も椅子に座った。
「お前と会ってから、そろそろ二ヶ月になるな」
ロンは少し目元を和らげて言った。ジャニはキョトンとした顔をする。
「何か怒ってるんじゃないの?」
「え? いや、怒ってなんかいないさ。ちょっと、話しておかなきゃいけないと思ってな」
説教ではないとわかり安堵した様子のジャニを、何か思案する顔でロンはじっと見つめていたが、やがて、いいにくそうに口を開いた。
「この二ヶ月間、お前はよく働いてくれた。根性なしの分からずやだったらとっくに船から放り出しているが、お前は歳のわりによく気がつくし、物覚えがいい。バジルも、お前が厨房のあれこれを手伝ってくれるようになって助かってると言っていたぞ」
ジャニの顔がぱあっと明るくなった。ロンは微笑み、「だから」と言葉を続ける。
「お前ならどこでもうまくやっていけるだろう。バルトリア島の酒場に知り合いがいるんだ。その人に頼んで、お前の面倒を見てもらおうかと・・・・・・」
「いやだ!」
突然、ジャニが腹から出すような大声をあげてロンを驚かせた。毛を逆立てた小動物のようにジャニが怒っている。
「俺のこと船から追い出したいわけ? 絶対いやだからね!」
「いや、追い出したいわけじゃないんだ。わかってくれ」
ロンは困ったような顔でため息をついた。
「お前がこの船にいた間、戦闘になったことがないからわからないと思うけど、船上の戦いは熾烈だぞ?
砲弾が当たったら体なんて一瞬で吹き飛ぶ。周りは血の海だ。船上で切り合いにでもなったら、お前が無事で済むはずない。
それに今回は長旅になると思うが、最悪漂流でもしたら地獄だぞ。水も食い物もなくなる、血を吐いて死ぬ奴が山ほど出る。この仕事は、いつも危険と隣り合わせだ。本来お前みたいな子供を船に乗せたりなんてしない」
ジャニは唇をぎゅっと噛んで黙っている。ロンは少し胸が痛んだ。
「クックに助けてもらった命だ、無駄にして欲しくないんだよ。お前みたいな利口な子なら、海賊になんかならなくても、もっと堅実で実りのある仕事に就けるさ。
海賊は社会のあぶれ者、ならず者だ。海軍に捕まったら縛り首、そうでなくとも戦いに負けたら無残な死に方をするだけだ。わかってくれ、ジャニ。お前が心配だからこそ、海賊になって欲しくないんだよ」
ロンが心から自分を心配しているのが伝わったのか、ジャニは下を向いて黙っていた。しかしやがて顔を上げると、「それでも」と強い意志の光を片目に宿らせてロンを見た。
「それでも、俺は海賊になりたいんだ。ロンが言ってくれたことはわかる。危険な仕事だってことも。でも、俺はどうしても手に入れたい宝があるんだ。普通の船乗りには到底手に入れられない宝なんだ」
「それはなんなんだ?」
ジャニの熱意に興味を惹かれてロンが尋ねると、ジャニはその透き通った青い瞳に何か揺るぎない想いを秘めて、力強く答えた。
「“セイレーンの涙”だよ」
ロンは目を見開いた。先ほどクックが表情を変えた言葉だ。ジャニがふざけて言ったのかと思ったが、その表情は真剣そのものだ。
「“セイレーンの涙”は、デイヴィッド・グレイのアジトにあるって言い伝えがあるんだ。だから、どうしても今回の旅について行きたいんだ! だって、今まで全く手がかりがなかったのに、デイヴィッド・グレイの宝箱が見つかったんだよ! これでついていかなかったら、一生後悔する!」
「待て待て、その、セイレーンというのは、あの夜の海に現れて美しい歌声で船乗りをおびき出し、溺れさせて食うっていう、伝説の化け物のことであってるか?」
確認のためにロンが問うと、ジャニはうなずいて、一部だけ否定した。
「セイレーンは伝説なんかじゃないよ。本当にいるんだ」
「・・・・・・まぁ、嵐を操る海賊がいたくらいだ、そんな化け物がいても不思議じゃないな」
本気で信じてはいないのが見え見えの顔で、ロンはうなずいた。
「で、“セイレーンの涙”っていうのはなんなんだ?」
「どんな“呪い”も解くことができるんだ」
またジャニから飛び出てきた非現実的な言葉に、ロンはため息をついた。こういうところはちゃんと年相応なのか、ジャニには空想癖があるらしい。しかし、ジャニは変わらず真剣そのものの表情でロンに訴えた。
「俺は、“セイレーンの涙”が欲しいんだ。他の財宝には興味ない」
「それを手に入れてどうするんだ?」
「俺にかかってる呪いを解く」
「呪い・・・・・・?」
「呪いによって奪われた、俺の右目を取り返す」
ロンは言葉もなくジャニを見つめた。思わずその小さな顔半分を覆う眼帯を見てしまう。ジャニの言う呪いがどうとかは信じられなかったが、右目がないという言葉にはっとしたのだ。
前から気になっていたが、ジャニの眼帯はどういった目的のものだろうと思っていた。いかにも海賊らしい装飾だが、そのためだけにしているにしては、ジャニは片方の視力がない状況に慣れすぎていた。
そのためロンは、ジャニはもともと右目が見えないのだと推測していた。生まれながらに右目の視力がないか、怪我をしたか。
(それを、ジャニは右目がないと解釈しているのだろうか。そして誰に吹き込まれたか知らないが、自分の目が見えないのを、呪いだと思っているのだろうか。そう、信じたいのだろうか)
呪いが解ければ、目が見えるようになると。ロンは胸を突かれる思いがした。
こんな小さな子が、自分の運命に逆らおうと、危険な航海に出ようとしている。
そんなおとぎ話は嘘だと、言ってしまうことは簡単だが、ジャニはきっと聞かないだろう。自分で本当にそれが嘘かどうか、確かめようとするだろう。ジャニのこちらを見つめる真摯な青い瞳が、なによりもそれを語っている。
再び深いため息をついたロンの背中から、突然低い声が聞こえてきた。
「ロン。俺たちが船に乗ると決めたのも、そのガキと大して変わらん歳だったんじゃないのか」
「クック、いたのか」
診療室のドアが開き、クックが顔を出した。少し緊張した面持ちのジャニを一瞥して、ロンを見る。
「自分で自分の行動を決められるようになったら立派な大人だ。確かに戦闘には向かねぇだろうが、
そこまで言うと、クックはジャニの目の前に歩み寄った。ジャニが身を固くしてクックを見上げる。クックは獅子のように鋭い眼差しで、ジャニを射抜いた。
「お前を守ってくれる奴はいない。お前が探している宝なんか、見つからないかもしれない。死ぬかもしれない。それでも行くか?」
素っ気ない問いだった。優しさのかけらもない。しかしジャニはぐっと目に力を込めて、彼を見返した。
「それでも、行きたい」
クックの口元が、ふと緩んだ気がした。
「ロン、諦めろ。こいつは恐ろしく頑固だ」
クックは踵を返して、診療室を出て行った。喜色満面のジャニを見て、「しかし
お前はーー」と何か言いかけたロンは、結局最後のため息をついてとうとう折れた。
「わかったわかった、お前には負けた! 連れて行く」
「やったー!」
「その代わり! 今日からビシビシ叩き込んでやるからな! まずは」
ロンは両の手を開いてジャニにつきつけた。
「十個あるこの船の掟を覚えること!」
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