隻眼の子 3



 夜が明けた港は、かもめの鳴き交わす声に呼び起こされて、にわかに活気付いてきた様子だ。

 停泊中の船の甲板では、積荷を運ぶもの、甲板のひび割れにまいはだ(ロープの繊維をほぐしたもの)を叩き込んで修復しているものなど、早朝から働いている者が沢山いる。ジャニとパウロも甲板の掃除をしていた。


「ねぇ、総会って何をやるの?」


 ジャニが甲板をブラシで擦りながら、横で同じ作業をしているパウロに問いかけた。パウロが手を動かしながら答える。


「みんなで次にどこに行くか、どこの船を襲うかとかを決めるんだよ」

「え、みんなで決めるの? 船長が決めるんじゃないんだ?」


 驚いた様子のジャニに、パウロも「そうなんだよ、不思議だよな」と相槌を打った。


「それは、この船に乗る全員に決定権があり、平等だからなんだよ」


 二人の会話に参加してきたのは、破れた帆を繕っているテイラーだった。

 テイラーはあだ名で、裁縫が得意で驚く程早いため、そう呼ばれるようになったらしい。眉目秀麗な好青年で、海賊には到底見えない。上等な服を着せたら貴族にも見えそうだ。

 テイラーは明るい色の目を二人に向けた。


「船長やクォーターマスターも、みんなの投票で決めるんだよ。もちろん、船長に不服があったら、選挙のやり直しだってできる。僕らは法に守られていない烏合の衆だからね、まとめてくれる人を選んで、目的を統一しないとバラバラになっちゃうのさ」

「船長がなんでもかんでも決めるのは、商船や海軍さ!」


 テイラーの話に乗っかってきたのは、張り出たお腹がシャツからちょっとはみ出ている赤毛の男だった。

 彼はセバスチャンと呼ばれている。

 暇があれば楽器を奏でて自作の歌を披露する、陽気な男だ。セバスチャンは赤ら顔を寄せて、ジャニとパウロを脅してきた。


「どっちの船もひどいもんだぞ! 商船は船長がやりたい放題、気に食わない船員がいれば死ぬまで鞭打ちの刑にすることもできるし、給料を天引きして自分のもんにすることもできる。

 海軍は規律が厳しすぎる上に給料が安いせいでみんななりたくないもんだから、港にいる元気そうなわけぇ男を誘拐して無理やり入隊させちまうんだよ。入隊したら最後、死ぬまでこき使われるんだからな、地獄だぜ! イグノアの海軍を見てみろ、そんなやつらばっかりだ」


 セバスチャンは大袈裟に身震いしてみせた。


「そんなのと比べたら海賊なんてのはよっぽど気楽で自由な稼業だよな! 行きたいところに行って、稼ぎが入ればがっぽり儲けられるしよ。歌だって歌えるしな」

「セバスチャンは元々商船に乗ってたんだけど、海賊の方が合ってたみたいだね」


 笑いながらテイラーが言うと、セバスチャンは激しく頷いた。


「いやまさに、商船にいたころは地獄だった! 俺はもう少しで殺されそうだったんだからな!」


 セバスチャンが勢いよく両腕を広げた瞬間、お腹に食い込んでいたシャツのボタンがパンっと弾け飛んだ。三人が思わず小さく吹き出すも、本人は気づいていない。


「船長に助けられた時、俺は商船のシュラウド(マストを支えるロープ)に縛りつけられてたんだからな! 飲まず食わずで波と潮風に一日中晒されて、もう死んじまうってところに、船長が助けにきてくれたんだ」

「それはそもそもお前が船で禁止されてる博打をしたから罰せられてたんだろ」


 突然後ろから聞こえた声に、セバスチャンは飛び上がって振り向いた。呆れた顔のクックとロンが並んでるのを見て、セバスチャンは慌てて居住まいを正す。


「せ、船長!」

「あとな、俺はお前を助けにきたんじゃなくてお前が乗ってた船をかっぱらいに来ただけだ」


 びしっとセバスチャンの額を指で弾いて、クックは甲板にいる船員たちを見回した。


「みんな、今すぐ広間に集まってくれ! 総会を開く!」

「あれ、総会は夜じゃぁ」


 尋ねたセバスチャンに、クックは何やら興奮した眼差しを向けた。


「とんでもない情報がはいった」







 それから船内は一気に騒がしくなり、みなぞろぞろと船尾の広間に集まった。

 広間と言っても、船の中だから広さはたかが知れている。いつもみなで集まって夕飯などを食べる、共用の憩いの場である。今はそこに、七十人ほどの船員が詰めかけている。その視線の先には、肘置き付きの椅子にどっかと座ったクックと、その両脇に並ぶロンとキアランがいた。


「では、今から次の目的地を決めるための総会を開く。何か案のある者はいるか」


 一等航海士のキアランが、神経質に口髭をなでつけながら口を開いた。途端に何人かの手が上がる。


「目的地はいいけどよ、とりあえずちょっと休まねぇか? まだ陸を満喫してねぇ」

「それか、イグノアの海軍が大人しいうちに、向こうの貿易船を狙った方がこの前みたく楽に仕事が終わるんじゃねぇかな」

「ピピ島に行ってヴァケーションてのもいいな! 今回の稼ぎでよ!」

「いいな、ピピ島! あそこの女は最高だよな!」


 好き勝手に声を上げて、盛り上がりはじめた船員をクックは微笑しながら眺めていたが、突如音高く肘掛を叩いて「ぬるい!」と一喝した。みんな驚いたようにクックを見る。


「せ、船長、何がです?」

「お前らの目的とはそんなものか? 楽して稼ぎたい? 今回の稼ぎも、楽園で豪遊するにはまだまだだろ。というかそもそも、浪漫がない。海賊なら、ちょこちょこ稼いでなんかないで、どでかいもん狙うべきだ。俺が狙っているのは」


 そこで言葉を切ると、クックはみなの注目が最高潮に達するまで間をもたせ、口を開いた。


「デイヴィッド・グレイの宝だ」


 少しの沈黙が落ちたあと、大多数の船員は笑いの渦にのまれた。セバスチャンが腹を太鼓のように叩きながら爆笑している。


「船長、冗談が過ぎますよ! なんで今いきなりそんな伝説引っ張り出してきたんです?」

「そんなこと言って船長もピピ島行きたいんでしょう!」


 しかし、笑いこけている若い船員とは裏腹に、歳を取った船員たちは不安そうな、訝しげな顔をしている。


「デイヴィッド・グレイは伝説なんかじゃない」


 そう声を上げたのは、最年長者のバジルだった。

 彼は右足の膝から下が義足の、この船のコックだ。禿頭に筋骨隆々とした体の彼は、みなから「じいさん」と呼ばれている海賊歴の一番長い男だった。その年長者の発言に、笑っていた若い船員たちは口をつぐむ。


「奴は実在する海賊だし、奴のアジトには一国を揺るがすほどの宝が積まれていると言い伝えられている。だが、その場所は誰も知らないままだし、手がかりもこの世にはもう残ってない。それはお前もよく知ってるはずだよな、クック」


 訝しげに問いかけるバジルに、クックは我が意を得たりと微笑んだ。


「あぁ、知っている。だが、もしその手がかりがひょっこり姿を現したとしたら?」


 バジルの目が見開かれた。


「本当なのか!? ガセじゃないのか」

「いや、ジーナの情報だから確かだ」


 クックがロンを見ると、ロンは頷いてジーナから聞いた話をみなに伝えた。


「見つかったのは、デイヴィッド・グレイの航海日誌が入った宝箱だ。イグノア近くのカンパーラ島で見つかった。近々、その宝箱を積んだ商船が島からイグノアに出港するらしい。船の名前はアーノルド号。今日にでも船を出せば、イグノアまでの航路で捕まえられるはずだ」

「そうなるとぐずくずしてらんねぇな」


 腕を組みながらバジルが唸る。

 しかし、先程笑った若い船員はみな、ピンときてない顔でクックとバジルの顔を交互に見ている。セバスチャンが彼らを代表するようにおずおずと口を開いた。


「あの〜、そもそも、デイヴィッド・グレイは実在したんですかい? 子供んころ、嵐が来るたびにばあちゃんに『デイヴィッド・グレイの船が来るから、外にでちゃいけないよ、連れてかれちまうからね』って言われたりして、てっきりおとぎ話だと思ってたんですけど」

「『嵐と海を操る海賊』だろ? 俺は残念ながら直接見たことはないが、やつの船に乗っていた船員の話を聞いたことがある」


 バジルの発言に、若い船乗りたちはどよめいた。クックも頷く。


「デイヴィッド・グレイは実在する。やつの船から生還した、たった一人の生き残りがいた。それが、“酒乱のジャン”の異名で有名な海賊、ジャン・ロバンだ。

 そして、ジャンの船に乗っていたのが、カルロス・アルベルト。俺の育ての親であり、以前のバルトリア島の首領だ。カルロスは、ジャンから聞かされたグレイの話を、俺とロンによく話してくれた」


 そしてクックは、伝説とされている男の話を始めた。


「彼の話では、デイヴィッド・グレイは本当に天候と海を操れたらしい。風向きも潮の流れも思い通りにできたから、やつの船に捕まらない船はいなかったと。無名の海賊だったのが、各国に一気にその名を轟かせた。

 グレイはその働きを見込まれて、イグノアの私掠船船長にのし上がった。イグノアは、当時熾烈を極めていたエンドラとの戦いを終わらせるため、グレイにエンドラの貿易船を襲わせた。

 そして、グレイは捕まえたんだ。当時植民地化に精を出していたエンドラが、未開の地だったエストニアから掘り出した大量の金銀、数多の宝石を載せた船をな」


 みな、とりつかれたようにクックの話を聞いている。


「しかし、その宝をどこかに隠した後、グレイの船はひどい嵐に襲われて沈んだ。

 ジャンは命からがらグレイの船から逃げ延びたが、下っ端の船員だったため、宝を隠した場所を知らなかった。唯一の手がかりだったデイヴィッド・グレイの航海日誌を入れた宝箱も、船と共に沈んでしまった。

 宝がどこに隠されたのか誰も知らないまま、長い年月が経った。今じゃもう、伝説として語り継がれるだけになっちまったのさ。だが、その宝箱は実在し、そしてとうとう見つかったんだ。

 宝箱を見つけ、グレイの航海日誌を手に入れたものは、グレイがかつて手に入れた至宝を手にすることができる。一生かかっても使い切ることのできない財宝を」


 クックはそこで、みなの反応を伺うように口を閉じた。室内には先ほどまでなかった熱気があふれていた。みな興奮したような面持ちで、クックが何か言うのを待っている。

 そして、クックが口を開こうとした時だった。船員たちを押し分けて、小さい人影が部屋の真ん中に飛び出してきたのだ。ジャニだった。

 ジャニは異様な熱をその片目にたたえて、クックに問いかけた。


「“セイレーンの涙”もそこにあるの?!」


 途端に、部屋は再び笑いに包まれた。


「おとぎ話とは言ったけどセイレーンまで持ち出してくるなよ!」


 セバスチャンが笑いながらジャニの頭をくしゃっと撫でる。ジャニは彼の手を避けようと後ろに下がったが、船員たちを押し分けてきたパウロに捕まった。


「お前はほんとにもうちょこまかと!お願いだから邪魔するな!」


 思わず皆につられて笑ったロンは、しかし横にいるクックの表情を見て笑みを消した。

 クックが幽霊でも見たような顔をしていたのだ。その目はジャニに釘付けになっている。


「クック、どうした?」

「あ、あぁ」


 ロンが声をかけると、クックは我に帰ったようにジャニから視線を外し、船員たちを見渡した。


「航海日誌には、グレイのアジトの場所の手がかりが書いてあるはずだ。どの国も喉から手が出るほど欲しがっている情報だからな。久々のでかいヤマだ。でかいからこそリスクはあるが、達成した後の報酬は、後悔させない。どうだ?」


 船員たちは最初戸惑っていたが、興奮がじわじわと湧き上がってきたのか、「やるぞ!」「やってみるか!」という声が上がり始めた。

 クックがキアランの方を向く。


「私はそのリスクの方が気になりますがね」


 キアランはそう呟いた後、声を張った。


「次の目的地はカンパーラ島、もしくはその近海。イグノアの商船アーノルド号を捕縛し、その船にあるはずの、デイヴィッド・グレイの宝箱を奪取する。賛成の者、挙手を」


 結果、大多数のものが手を挙げた。


「そうとなれば、今日中に出航するからな。準備を始めろ!」


 クックの号令にみなが活気付いた様子で甲板に上がっていくなか、ジャニがクックに何か言おうと進み出たが、パウロに襟首をつかまれて皆と共に甲板に連れて行かれた。その様子を見ながら、ロンがクックを振り返る。


「そうだ、ジャニはどうする? 今回はさすがに危険すぎるだろう、ジーナに頼んでバルトリア島に置いてもらった方がいいんじゃないか」

「いや、あいつは連れて行く」


 ロンは切れ長の目でじろりとクックを睨んだ。


「あんな小さい子供を連れて行けるような案件じゃないだろう!」

「俺だって連れて行きたくはないけどな」


 クックは何か考え事をするように顎の無精髭をなでている。その目は、どこか遠くに想いを馳せているようだった。


「おそらくあいつは、何がなんでも付いてこようとするぞ」



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