隻眼の子 2


 そこからキアランの計算よりはだいぶ早くに、クックたちを乗せた翼獅子号はバルトリアに着いた。

 港についた頃には夜になり、冴え冴えとした月灯りに照らされて、形も大きさも様々な船が港にひしめき合っていた。


 ここ、センテウス国に程近いバルトリア島は、海賊や無法者たちの憩いの場所であり、クックたちの本拠地だった。治安を守る存在がなく、いかがわしい娼館、酒場が立ち並び、夜通し明かりが煌々とついている島である。

 大陸の一部を占めるセンテウスの目と鼻の先に浮かんでいる小島だが、隣接する大国エンドラや海を挟んで睨み合う島国イグノアとの終わりない小競り合いに備える戦力として、クックたち海賊の力も認められているため、バルトリア島には未だ海軍が要塞を作ることもなく、暗黙の了解として野放しにされているのだ。

 言うなれば、この島は海賊たちの楽園だった。

 船を泊めて、桟橋に降り立ったジャニは目を輝かせて街を見渡した。

 騒然とした通りには海の猛者たちが、久々に陸に上がるものの独特なふらついた足取りで行き交っている。

 その中の一人が船から降りてきたクックに気づき、嬉しそうな声を上げた。


「クック船長! 今おかえりで!」

「おぉ、ハンク。久しいな。変わりないか?」

「お陰さまでなんとか暮らしていけてやす。今回の稼ぎはどうでした?」

「まぁそこそこだな。イグノアの商船があっさり捕まった。今回は護衛の軍艦がいなかったから、運が良かったな」

「今イグノアの海軍がめっきり大人しいんで、なんか気味悪いってみんなで噂してまさぁ。ま、あたしらにはありがたいことですがね」


 そう言って、ハンクはほとんど歯がない口でにやっと笑ってみせた。クックも笑ってみせる。そのやりとりを後ろで聞いていたジャニは、かたわらにいたパウロに耳打ちした。


「なぁ、クック船長って実は偉いやつなのか?」

「お前なぁ、今更何言ってるんだ。偉いも何も、クック船長はバルトリア島ではちょっとした英雄だぞ。この島もまわりの小さい諸島も、何度もイグノアやエンドラに襲われたけど、クック船長とその仲間の海賊たちが戦って防いでくれたんだ。島の住民は海賊たちの稼ぎで潤うし、ここはクック船長たちに守られてるんだよ」


 どこか誇らしげなパウロに、ジャニはふーんと生返事をした。その様子にパウロが呆れた顔で付け足す。


「そもそも、“翼獅子のクック”を知らなかったのはお前くらいだぞ。海賊になろうと家を出たくせになんでそんなことも知らないんだ」

「うるさいなぁ、今知ったんだからいいじゃないか」


 その時、クックが桟橋に降りた船員と、まだ甲板で荷を下ろしている船員に向かって声をかけた。


「俺とロンは“カリュプソ亭”に行ってジーナに会ってくる。みんなは好きなように過ごしてくれ。明日の夜船で総会を開く。荷の売却の交渉は、グリッジー、任せたぞ」

「あいよ!」


 クックに指名された小柄な男が、甲板から軽やかに声をあげた。彼の身につけている服は、普通の船員にしては色も柄も派手である。

 グリッジーは船の財務担当で、商売の交渉に長けていた。昔商船に乗って働いていたが、大好きな宝石に目が眩み、持ち逃げしようとして失敗し、この稼業に足を踏み入れたらしい。

 みな、久々の陸に意気揚々と港に降り立っていった。好奇心に輝く顔で街に繰り出そうとしたジャニを、しかしパウロが襟首を掴んで止める。


「ちょっと! 何で止めるんだよ!」

「お前はだーめ。このバルトリア島は無法地帯なんだからな? 小さい子供がうろちょろしていい場所じゃないの」


 嫌だと暴れるジャニを半ば無理矢理引きずって、パウロは船に戻った。





 

 一方、クックとロンは雑然とした街の通りを歩いていき、一軒の酒場の前で立ち止まった。周りの酒場とは比較にならない大きさのその酒場は、外からでも中の喧騒が伺えた。酒場の扉の上には、“カリュプソ”と古めかしい字体で酒場の名前が掲げられている。

 二人は酒場の重い木の扉を押し開けた。

 扉を開けた途端、鼓膜を叩くような騒々しさが二人を包み込んだ。熱気、哄笑、鳴り響く音楽、食器が当たる音、置き損なったグラスが床に落ちて騒々しく割れる音。広い店内には、所狭しと丸テーブルが並べられ、ほぼ空きなく船乗りたちが座り、酒を飲み交わしていた。


「相変わらず繁盛してんなぁ」


 近くを通りかかった給仕係の女性にクックが声をかける。訝しげに彼を振り返った女性は、しかしクックを見た途端甲高い嬌声をあげて走り寄ってきた。


「やだー、クックじゃない! 長いこと見なかったじゃないの、どこ行ってたのよー!」

「久々だな、アンナ。みんな元気か?」

「元気よ! みんな、あんたに会えなくて寂しがってたんだからね! 今回はゆっくりできんの?」

「そうだな、久しぶりにゆっくりしたいところだが、その前にマダム・ジーナに会いたいんだが」

「わかった、今声かけてくるね」


 頰を上気させて、アンナと呼ばれた女性は酒場の二階に繋がる階段を上がって行った。その途中で何人かの給仕仲間に耳打ちすると、その女性たちもぱっとクックの方を振り返り、高い声をあげながら寄り集まってくるので、気がつくとクックたちは女性たちに囲まれていた。


「お前とくるとこうなるから嫌なんだ」


 クックの横でロンは苦い顔をしている。クックはまんざらでもない顔だ。


「まぁ、そう言うなよ」

「クック今晩はどこに泊まるの?」

「もう船はうんざりでしょ? 美味しい夕飯作ってあげるから、私の家に来なよぉ」

「ずるいわよ、抜け駆けしないでよね!」

「私の家に来てよ!」


「こら、あんたたち、お客をほっぽっとくんじゃないよ」


 その時、彼らの頭上からしっとりと艶のある低音の女性の声が響いた。給仕係たちが我に帰ったように階段の上を見上げ、クモの子を散らすように仕事に戻っていく。


「坊や、上がりな」


 階段の上からクックに声をかけたのは、背の高い女性だった。

 豊かな黒髪を結い上げ、深い緑色のゆったりとしたドレスを纏っている。一部の隙なく化粧を施された顔は、深くシワが刻まれていてもなお美しかった。右目の下にぽつりとある泣きぼくろが、なんとも色っぽい。スッと伸びた背筋と、凛とした雰囲気が只者ではないと思わせる。


「ジーナ、三十になる男に坊やはねぇよ」


 クックは憮然とした顔で階段を上がった。その後ろをロンがついていく。ジーナは薄く微笑んで、二階の廊下を奥へと歩いて行った。

 二階にはいくつか個室があり、階下よりは落ち着いた雰囲気だ。ジーナはその個室が並ぶさらに奥に歩いて行き、突き当たりの部屋のドアを開けた。

 中はプライベートな空間らしく、シックな色合いの調度品が並び、真ん中にテーブルと椅子が置いてあった。ジーナは食器棚からグラスを三つ取り出すと、テーブルの上に置いてあったワインボトルを傾けた。深い紅の液体がグラスに注がれる。


「とりあえず、無事の生還に乾杯といこうか」

「じゃぁ、お言葉に甘えて」


 グラスを渡されたクックとロンは、ジーナと三人でグラスを軽く鳴らした。

ジーナは白いのど喉を見せてぐいっとワインを飲み、クックにグラスを差し向けた。


「で、今回はどうだった?」

「あっけなかったな。イグノアの商船を捕まえたんだが、軍艦のお守りもなかったから、ろくに戦わず向こうが降伏した。イグノアの海軍が大人しいって話を聞いたが、なんかあったのか?」

「そうみたいだね、どうやらあのディオン提督が塞ぎ込んでるらしいよ」

「あのたぬき野郎が?」


 クックの嫌そうな顔に、ジーナは声をあげて笑った。


「たぬき野郎も人間さね。孫娘を亡くしたとかなんとか。よほど可愛がっていたみたいだね」

「孫がいたんだな」


 驚いたようにロンがつぶやく。ジーナは肩をすくめて見せた。


「でもまぁ、大人しいのも今だけだろう。そこまでやわなジジィじゃないよあいつも」

「違いねぇ」


 クックは笑い、ワインを飲み干した。「ところで」とロンが真顔でジーナを見やる。


「最近、“人喰い”が動いたという噂はあるか?」

「あぁ、ゲイルか。確証はないが、タナトル海峡でゲイルの船を見たという噂があったみたいだね」


クックとロンは素早く目を見交わした。ジーナが察したように片眉を釣り上げる。


「なんだい? お前たちも見たのかい?」

「それが、ゲイルの船は見てないんだが、タナトル海峡付近で船員は皆殺し、火を放たれた商船を見たんだ」

「戦闘のあとはあまり見られなかった。おそらくあの商船は降伏していたと思うが、関係なくやられたんだろう。そこまでするのは、ゲイルくらいしかいない」


 ジーナは眉をひそめて、顎を指で撫でた。彼女の何か思案するときの癖だった。


「たしかにゲイルの可能性は高いね。病で倒れたっていう噂を聞いてからとんと話をきかないから、死んだかと思ってたんだけどねぇ。今動き出したってことは」


 そこで少し遠くを見る目つきになった。


「あの話が向こうにも伝わったのか」

「なんだその話ってのは」


 クックが話を促す。ジーナはすぐには答えず、クックの空になったグラスにワインを注ぎ、自分のグラスにも注いで、小さく息をついた。


「見つかったんだよ」

「何が」


 ジーナはクックの目を見つめて、にやりと笑った。


「デイヴィッド・グレイの宝箱さ」

「なんだって?!」

「まさか!」


 クックとロンは同時に叫び、思わず顔を見合わせた。ジーナがカラカラと笑う。


「あんたらいい反応だねぇ」

「どこで! どこで見つかったんだ?! いや、それを今持ってるのはどいつだ?!」

「慌てなさんな」


 前のめりになるクックを面白そうに見ながら、ジーナはワインを口に含んだ。

 そしてテーブルの脇に置いてあった地図を掴み、クックたちにも見えるようにテーブルの上に広げた。

 地図には細かい字で色々書き込んであったり、地名に丸がついていたり、ぱっと見には見にくくてただの落書きのように見える。しかしこれが、重要な情報の塊だとクックたちは知っていた。

 ジーナはこの酒場のオーナーであり、凄腕の情報屋なのだ。酒場に来る船乗りたちの話や、街の住人たちからの話が、噂話から海軍の極秘情報までごっそりジーナのもとに集まってくる。


「ここからは、お代をいただくよ」


 ジーナの伸ばした手に、ロンが懐から出した布袋を乗せた。じゃらりと硬貨が重なる音が響く。ジーナは袋の重さを測るように手を上下すると、「少し足りない気もするが、まぁよしみで許してやるかね」と笑って居住まいを正した。


「見つかったのはイグノア近くのカンパーラ島さ。漁師が網にかかったものを見つけたらしい。言い伝え通り、デイヴィッド・グレイと掘られた小さい鍵のかかった箱とのことだ。見つけた漁師はカンパーラ島の領主に届け出た。領主はイグノア海軍に売りつけようとしてる。近々、イグノアに向けた商船がカンパーラの港から出るだろう。船の名はアーノルド号」


 そこでジーナは、目を細めて笑ってみせた。


「ここまでわかれば、手に入れられるかい?」

「当たり前だ! そうとなればのんびりしてらんねぇな、明日の朝に総会を開いて荷造りして明日中に出るぞ、ロン!」


 目を爛々とさせて立ち上がるクックの横で、ロンは何か思案する顔でぶつぶつつぶやいている。


「そうなると、イグノア海軍との戦闘も視野に入れたほうがいいな。砲弾と火薬を多めに仕入れよう」


 表情は変わらないが、頭の中では目まぐるしく思考が錯綜しているようだ。そんな二人を見て、ジーナはどこか懐かしそうな顔をした。


「子供みたいにはしゃいでるね」

「そりゃそうだ! 長い間探し続けてたものがひょっこり現れたんだ!」


 クックは拳を握りしめて大きく息をついた。


「必ず見つけ出してやる、デイヴィッド・グレイの宝を」

「あの人もよく言っていたねぇ」


 ジーナが掠れた声で呟きながら、壁にかけられた巨大な刀剣を遠い目で見つめた。

 クックもその刀剣に目をやり、頷く。

 刀剣の柄には、ボロボロになった赤いバンダナが巻かれていた。少し黒く変色している部分がある。

 クックの脳裏に、その厳つい刀剣を肩に背負い、赤いバンダナをたなびかせる大男の背中が浮かんだ。あの時クックが見上げる男の背中は、広く逞しく、まさか彼がいなくなるなんて想像もしていなかった。

 ジーナがふっと息をつき、険しい目をクックに向けた。


「おそらく、ゲイルもその話を聞きつけたんだろう。あのごうつくばりのエンドラのことだ、ゲイルを差し向けて宝箱を狙うはずだよ。イグノアの海軍もそのうち動く。くれぐれも気をつけるんだよ」

「誰に向かって言ってるんだ? どっちも返り討ちにしてやるさ」


 意気揚々と立ち上がったクックに、ジーナが「あぁそうだ」と声をかけた。


「そういえば、お前のお姫様が家出したけど、いいのかい?」

「どういうことだ」


 クックが硬い声で尋ねる。


「それはこっちが聞きたいよ。あんたあの子と揉めたのかい? 急に舞台に出ないって言い始めて困ってたら、今度は自分の一族に伝わる宝石を探しにいくとか言って、出てっちまったよ。噂ではセンテウスの有名な探検家に身請けされたとか・・・・・・」


 そこまで言って、ジーナはクックの表情を見て口をつぐんだ。


「あいつと俺とは、もうなんの関係もない」


 言い捨てて部屋を出て行くクックを、ロンが慌てて追う。


「おい、クック! すまん、ジーナ。世話になった」


 荒い音を立てて閉まったドアに、ジーナは一人苦笑した。


「なんの関係もないって顔かね、それが」


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