後編

普段は使わない何かを使った気がする。それは愛想か、表情筋か……いや。何か他の物じゃないだろうか。色々あるが……筋肉以外を任務で酷使したのは初めてだ。バラエティーではないだけ、いくらかマシではあるのかもしれないが。


「ありがとうございます。お疲れ様でした!」


腰を折ってお辞儀をする優魔を横目で見ながら、俺も頭を下げる。だが、収録後で混雑した通路でそんなことをしていては全く先に進めない。もう、先に戻っていようか……。


「すみません、僕らはこの後まだ別件が入っていて。ね、大使?」

「そう、だな」


声を掛けられていた優魔を残していこうとしたのがバレたか。隣からの圧が強い。さっきまでの立ち往生が嘘のように、楽屋へと押し込まれるように入れられた。仕方なく、大人しく扉を閉める。


「笑顔が足りてないんじゃないかなあ、笑顔がさ。というか動揺しすぎだよ」


重たい頭で、スタジオでのことを思い出す。楽屋の端から端、天井から床まで眺める。自分としては……思い当たるところしかない、かもしれない。だが、


「ダメだ」


デビューしてみて実感をした。やはりこれは、俺には向いていない。


「そうだね……トークのときのはまずかったな。全然、トークになってないし。あと顔が問題」


こんなときまで良い笑顔浮かべながら毒舌吐きやがって……。そんなに俺をからかうのは楽しいのだろうか。二重人格かよ……。そう思っても、反論する気すらなかった。自分の表情筋がここまでの硬さとは知らなかった。まさかピクリとも動かないだなんて、そんなことがあるのだろうか。まあ今回は良いことでもあるのだが。


「自覚は……ある。だが、あそこまで、愛想を振りまかなくても良いんじゃないか」

「次の仕事に繋がらないのは困るでしょう。それに」


ずっといつもと同じように見えていた優魔の笑顔は、目を細めたことでいくらか違って見えた。もう俺には、からかっているのか、真剣なのかなんて分からない。


「僕、少しでも楽しくなりそうなことには、手を抜かないって決めているんだ」


だが、それだけは分かった。というより、知っていた。そういうところが理解できないし、真似できないから困るんだ。そもそも、優魔と違って、俺はまず話すこと自体が苦手なのだ。その上で話して良いこと、話すべきこと、話してはいけないことを考え、あまつさえ面白く聞こえるように話すだなんて……。


「ダメだ」


さっきも頭に浮かんできたのは言えないことばかりだったのだ。口を開けばうっかり話してはいけないことまで口から出てしまいそうだ。


「とりあえず、善処はする。だがこれ以上ボロを出したら元も子もない。俺は最低限しか話さない方が良い」


この話はとりあえず終わりだ、と目配せをしてみる。だがやはり、いかにも納得いかないと言わんばかりの表情を浮かべた優魔には、大げさに溜息を吐かれた。


「僕にばかり喋れって? 大使はアイドルとしての自覚がないな」

「俺がアイドルをするのは任務のためだ」


なにより、そうでないといけないのだから。自分はそんなに何でも間でもできるほど器用ではないのだ。


「僕は良いと思うけど。アイドル」


少なくとも俺は向いてないと思う。アイドル。


『二人ともお疲れ様』


頭に浮かんだ言葉は、急に繋がった通信によって発することなく消えた。そこで会話が途切れたからだろう。聞きなれた声は、そのまま何事もなかったかのように語り出した。それよりも、どこから聞いていたんだろうか。


「兄さん」

「ご無沙汰してます、大輝さん」

『うん。今回の件、良い具合に周知されているみたいだよ。満天プロからのスカウトは偶然だが、ある意味チャンスだ。戦闘をしなくても悪霊の魂を成仏できるようになれば、新人でも効率的な魂の回収が可能になる。ぜひ引き続き頑張ってほしい』


まさか兄さん、さっきの会話を聞いていて、わざとこのタイミングで入ってきたんじゃない、よな?


「勿論です。お任せください」

「善処します」

「大使はそれじゃあ足りないよ」

「その話はもう良いだろ……」


『二人とも。明日もあるから喧嘩はほどほどにね。あと優魔』

「はい」

『大使のフォローよろしくね』


どうやら全て聞かれていたと思った方が良さそうだ。兄さんに言われたとあれば、もう腹を括るしかないか……。


「俺も頑張ります、兄さん」

『うん』

「お兄さんからの指令には従順なのになぁ」


優魔が呆れたように俺を見ていたが、今回も無視しておくことにしよう。どちらにしろ大変なことにはなるんだろうけれど。




ジェットコースターを始めとする、多くのアトラクション。そして人々のはしゃぐ声が辺りに満ちている。多少離れていても届く声は、目の前の広場にできた特設ステージの脇にいてもよく聞こえてきた。


「今日もよろしくお願いします」

「よろしく、お願いします」


昨日のスタジオにもいたスタッフなのだろうか。楽しそうに話している優魔は、また食事会の誘いでも受けているらしかった。昨日は断ったんだから、今日も断った方が良いと思うが。実際、誘われにくくなった方が、今後も色々と楽だろうし。だが、


「断り過ぎは良くない。それに」


行くよね?と言わんばかりの押しの強い笑顔で促されれば、昨日の兄さんの言葉が会った手前、もうここは頷くしかない。でも今回は撮影だけではないのだから、あまりこうしている時間は……


「なんか人集まってない? 何かの撮影なのかな?」

「あれ、昨日の生放送に出てたs-terra(ステラ)の大使と優魔!?」


スタッフや撮影機材が集まっているのが珍しかったのだろう、集まってきた一団の中からそんな声が聞こえた。一瞬、つい癖で人混みの中に霊を探してしまう。


「人間か、い!?」

「嬉しいな。見てくれたんですね」


こいつ、人の背中を抓りながら逆の手でファンに手を振るとか器用かよ……確かに今のは俺が悪いかもしれないけれど。というか、あまりそういった対応をしている暇はないんじゃないだろうか。ああ、でも黄色い歓声が凄くて口を挟む暇もない。どう切り抜ける気なん、


「ぅわ!?」

「ああ、大使が看板倒しちゃったみたい。お騒がせしてすみません。ああ、そろそろ準備しなくちゃ。残念だけど、失礼しますね」


前後に引っ張られて、正直気持ちが悪い。倒しちゃったなんて、完全に嘘だ。立ち去る理由にして、俺のこと使ったな……。昨日からこいつに遊ばれている気がする。


「おい、優」

「その顔、あんまり悪霊以外に曝したくない」

「悪かったな。いつもこんな顔だ」

「じゃあ善処して」

「嫌味か。お前。もう一つの任務を忘れたのか?」

「覚えてるよ。近くに大きめの反応がある。あ。ちょっと待って、こっち」


好き勝手する優魔に、遊びじゃないんだと釘をさしてみる。はずだったのだが、優魔に引きずられたままでは効果などあったものではなかった。


「わ、おい」


しかし、俺を振り回している間に目当ての物を見つけたようだ。優魔に腕を引かれながら、準備中のスタッフたちから離れていく。人間の数には事欠かない、賑わっている遊園地の中の片隅。アトラクションからも離れた位置に、4歳くらいの子供の霊が一人でうずくまって泣いていた。


「大丈夫?」


声を掛けた優魔の声にも、反応する様子がない。いや。そうではない。これは、


「待て、優魔」

「分かってる」

「ダメだ、もうその子は」

「そんなことない。まだ、」


俺の手を振り払った優魔の叫びと同時に、空気が重くなった。


「まずい!」

「うえっ……うわあぁあああああアアアアア!」


泣き出した子供の叫び声が、禍々しい咆哮となって鼓膜を揺らした。急に天候が荒れ始め、巻き起こった突風が体中を突き刺した。何より、体中から禍々しいオーラを垂れ流すように、凄まじい臭気を放ち出す。


「くそっ」

「どうして任せてくれなかったの」

「手遅れじゃないか。なりかけだ」

「ちょっと、どうするつもり」

「本来の任務を全うするだけだ」


子供に近づこうとした体が、腕を掴んで引き留められた。優魔はかなり強い力で掴んでいるのだろう。だからといって止まるわけにはいかない。


「つまらないこと言わないで」

「優先順位がある。指令が出ている任務が最優先。それ以外は後回しだ」


そうする、べきなんだから。


「そういうやり方、好きじゃない」


俺と目があった途端、優魔が俺の腕を突き飛ばした。睨んでいるようにも笑っているようにも見える表情が離れていく。引っ張られていた腕は逆方向に放られ、たまらずその場でたたらを踏んだ。


「『調律の奏(クランルス)』」

「お、い!」


優魔の口から、音が世界へと侵食していく。包むように、走馬灯のように、俺と子供の周囲を取り巻いた。途端に体中から力が抜けて、立っていられなくなる。頭の中には不思議な音楽が大音量で鳴り響き、目の前がぶれる程だ。


「さいあくだ」


歌声が終わるとともに、頭痛から解放された。子供は落ち着いたようで、船を漕いでいる。くそ、俺を止めるために、思いっきり能力使いやがった。


「僕はちゃんと心得ているから安心しなよ」


体がだるくて今にも崩れ落ちそうだ。これのどこが手加減しているっていうんだ、この野郎!と一言くらいは言いたかったが、口は力なく開いただけだった。


「加減は君のためじゃないけどね」

「おまえ、な」

「歌のレッスンが大いに役に立ったよ」


目の前で子供を抱き上げ軽口を叩いた優魔の表情は、俺に向けた途端に剣を帯びる。


「この子が何をしたって言うの」

「任務、だからだ」

「その考え、僕は好きじゃないね」


厳しい口調で、目が座っている優魔は久しぶりだった。だが、その目はどこか俺を探っているようにも見えた。


「一番重要なのはそこだろう」

「大使は任務のために任務をするの?」


答えを間違えただろうか。犬歯を剝き出しにして怒る優魔に食い殺されそうだ。優魔の突き刺すような視線に、息が一瞬止まる。だが、このままただ詰問されている訳にも行かない。


「天使や悪魔にとって、任務の遂行こそが何よりも重要だ」


大きく息を吸って口に出したはずだった。だが、自分の予想よりも大きい声で出た俺の言葉は、予想よりも弱々しかった。


「君の能力は持ち腐れだね」

「何?」

「今朝もさっきも、使いどころはあったのに」

「俺が任務で手を抜いてるとでも?」

「どうとでも取ればいい」


背中を向けた優魔が、少し離れた人混みの方へと戻っていく。それが、話が終わる合図だった。


「僕は使うよ。本当に必要なら、いつどんなときどうなろうとね」


顔だけ向けて睨んできた優魔に、何も言い返せなかった。それどころか、燃えるような優魔の瞳に射貫かれて、息がつまった。




アイドルの仕事とはいえ、任務は任務だ。幾ら口論をしたとはいえ、この後のことを考えれば優魔を放置する訳にも行かなかった。黙って前を歩く優魔は、こちらをまるで見ようとはせず霊の子供と手をつなぎ、連れ立って歩いている。しかし、一人の子供の霊の面倒を見ている時間はない。どうするつもりなんだろうか。でも。何かあったとしたら。俺が。


「いたいの?」


俺がじっと見ていたことがバレたのだろう。見上げてきた丸い瞳は、先程の力の暴走が無かったかのように澄んでいた。


「いたくは、ない」


笑顔になった子供に、何を言うべきか分からない。もう俺の唇は動かなかった。だが以前、優魔が言っていたことが、ふと頭に浮かんだ。笑顔か……それなら。ゆっくりと顔を上げ、なるべく穏やかに聞こえるように声を絞り出してみる。


「なあ」

「なあに?」

「お前は、痛くないか」

「どうして?」

「それは、」


結局、それしか聞けなかった。子供の霊が親と一緒にいないことは、どういうことか分かっていたから。


「元気なら、おにーちゃんが遊んでくれるってさ」

「え」


今なんて言った? 黙っていた優魔が突然何を思ったのか、何を言ったのか、全く理解できなかった。


「ほんとう!?」

「おい、」

「まだ時間あるし、スタッフさんには僕から言っておくよ」

「何を」

「そうだな、面白いことかな」

「ゆ」


問い返そうとしても優魔は目すら合わせず、俺と子供を置いていってしまった。


「おにーちゃん?」


その子のワクワクした顔を見て、何だか肩の力が抜けた。今くらいは、何も考えずに自由に振舞って良いのかもしれない。


「しっかり捕まっていろ。『解放の鎖(リベロマキナ)』」


この能力を使うのは久しぶりだ。魔法陣から無数に現れた鎖を、天に高く放った。近くにあった看板に、鎖を巻き付けて高く飛んでみた。


「おにーちゃん、ありがとう」


暫くして二人分会ったはずの重みはあっという間に一人分になって、腕の中には温かさと言葉だけが残っていた。

優魔の歌声が、辺りを包む。しかし先程の前後不覚になるような不快なものではなく、それは美しい讃美歌だった。


「悪魔の癖に」


つい笑ってしまう。だって、その前に聴かされた歌と違って、まるで天使のような歌声じゃないか。




少し派手にやり過ぎた。いつもは注意する側だから、何を言われるかと少しだけ心配だ。


「僕たちs-terra(ステラ)のライブが特設ステージで行われるので、ぜひいらしてくださいね」


抜かりなく後始末をしてくれるのはありがたいが、元々は優魔がきっかけだから説明は頼みたいところではある。優魔を囲むようにできていた人だかりには、女性が多く集まっていた。その中の女性の一人と目が会う。


「よろしく」


今度は前よりも自然に笑えた気がする――と思ったときには、その女性は隣に立っていた女性に肩を担がれて行った。何か不味いことをしてしまっただろうか……。


「結局、あんまり笑わない方が良いかもね」

「なんでそうなるんだ」

「色々事情があるんだよ」


そんなすぐに何でもできるようにはならないでしょ、なんて言われてしまえばそれ以上追及するのも気が引けた。


「俺は、中途半端だな」

「それどころじゃないよ」


そんなにはっきり言われるのはやっぱり癪だが、優魔の言葉は分かる。いまだにアイドルというガラでもないと思っている。だけどやってみたら、思っていたほど嫌なものでもないかもしれない。


「ダメじゃあないでしょ」

「そうだな」


隣を歩く優魔は、珍しく真顔だった。


「遊園地のアトラクションには劣るかもしれないけど」


昔にも似たようなことをしたからって、天使の能力をアトラクション呼ばわりはどうかと思うが。


「元々お前が言い出したからやったんじゃないか」

「何事も多い方が色々と良いんじゃない?」

「そう言ったって、悪魔の癖にその選曲はどうなんだ」

「その前の曲の方が好みだったの?」

「悪魔め」


もう二度とあれは聞きたくない。


「君こそ看板の使い方、間違ってるんじゃない?」

「使い道は、いくつもあって良いんだろう?」


少しだけ目を丸くした優魔の顔を見て、自然と口元が緩んでしまう。


「かもね」


それにつられるように笑った優魔の顔は、今朝よりも穏やかに見えた。


「時間ギリギリだね。大使は天使の割りにはガサツだから、一緒に謝ってあげるよ」

「優魔は悪魔にしては貧弱だから、俺が大人しく怒られるとするか」


今だったら、昨日よりも少しだけ上手くアイドルをやれる気がした。




『よろしくお願いします』

「よろしくね。あれ」


スタッフの一人が声を上げた。俺の顔を見て驚いたようにみえたから、衣装などにおかしいところがあったのだろうか。何となく腕の辺りを見回していると、違う違うと言いながら手を振られた。


「大使くん、何か良いことでもあった?」


人から分かるくらいには、少しは切り替えができたのだろうか。


「良かったら、この後の打ち上げで聞かせてよ」

「ぜひ」


この前のスタジオの収録でも会ったその人を改めてみると、人のよさそうな笑顔を浮かべていた。


「場所はどこでも、やることはそう変わらないからね」

「そうだな」

『本日のゲストは、生放送で電撃デビューを果たしたアイドル「s-terra(ステラ)」の二人です!』


少しだけ自然と頬が緩んだのが分かって、光と歓声の中へと飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「摩天楼の星(ステラ)」 陸原アズマ @ijohsha_s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ