第15話

 フライパンに油をひく。じゅうじゅうと耳に心地良い音を立てている。

 ここにみじん切りにしたニンニクを投入。

 ふわりと舞い上がる湯気には辛味の強いニンニクの香りが混じっている。

「これこれ――」

 隼はくんくんと香りを楽しむ。これだけでも食欲が倍増する。

 だが、料理は始まったばかりだ。

 しばらく炒めてから、用意しておいた鶏肉と玉ねぎを入れる。

 熱によってその能力値を高めるだけ高められたニンニクが、鶏肉と玉ねぎへ受け継がれていく。いや、鶏肉の旨みと、同じ香味野菜の玉ねぎが、互いに味を引き立てる相乗効果を生むのだ。

 隼の心が熱く語っていた。

 あの吸血鬼事件から三日――

 吸血鬼を倒した者はその力を引き継ぐ――とあったが、実際に隼の身体には何の変化もなかった。

 その証拠に、ニンニクは全く平気であった。

 史実どおりではないといえばそれまでだが、他にもどんな兆候も見られていない。

 日中も歩けるし、血を欲しがるなんてことも無かった。

 とにかくニンニクがダメにならなくて良かった――。

 この一言につきた。

 明日は由起子も優も休みなので、ニンニク料理を気兼ねなく出せるのだ。

 それが嬉しかった。

 鶏肉に火が通ったら味付けだ。

 みりんと、塩にこしょう、メインの味はケチャップだ。

 ここから三分ほど炒めると、甘みを伴った香ばしい匂いが迸ってくる。

 優のカロリーなんか気にしない。

 最後にマヨネーズも入れて軽く混ぜれば完成だ。

 彩りにサニレタスを敷いて、その上に盛り付けた。

 つまみにも、おかずにもなる。

 しなしなとなった玉ねぎを味見する。

「旨い!」

 小さくガッツポーズを取った。

 ニンニクの味も問題なし。

 吸血鬼の要素も全くなし。

 流れ水も平気だし、十字架も問題なし。

 心臓を杭で一打ち――すれば死ぬな。確かに――。

 となると――


「『ラグナロク事件』そのものが眉唾なのでは?」

「天城家の情報力をバカにするのか?!」

「でも吸血鬼は倒したし、何か力みたいのは吸収されたけど、全く能力は変わってなかったじゃないか」

「お前がマイナス過ぎたのではないか」

 椎葉の言葉は辛辣だ。

 天城家の息が掛かった病院で健康診断を受けた時の会話だ。

 吸血鬼と戦った次の日だから、一昨日のことになる。

 授業が終わるとすぐに連れ出された。

 やはり波美の前でのことだった。

「とにかく天城家の総力をかけて調べてみるさ」

「そこまでしなくても――」

「いいや。天城家への挑戦とみなし、全力で解決してみせるさ」

 変にプライドが高いことだけは分かった。

 あれだけ隼の本性を出させようとしていたのが嘘みたいに、友好的になっていた。

 健康診断もその一つであった。

「お前を殺せば、その能力は引き継がれるとして、そこまで下がった力では、あたしくらい優秀でも役に立たないだろうな」

 前言撤回。友好的じゃないじゃん――。

 病院の待合室で、隼は椎葉を横目で睨んだ。

 天狗のくせに鼻ぺちゃな横顔は少し赤い。

 多分、吸血鬼から助けてもらったことへの感謝ではあると思う。

 カラス天狗が五人、赤垣とその相棒。天城家の精鋭を奪った吸血鬼。

 隼にとって幸いだったのは、カラス天狗も赤垣も吸血鬼にそれほどのパワーアップをさせなかったということだ。

 カラス天狗は、存在としては妖怪ではあるが、妖怪としての存在ではないと椎葉は語った。詳しい話は天城家の内情らしいので訊けてないのだが、五人ものカラス天狗の命を吸っても、吸血鬼には何のプラスにもならなかったという事実だ。

 そうでなければ、隼がまともに戦えるはずがないのだ。

 そして赤垣も、あかなめの末裔ではあるが、血の濃さは隼と同じくらいだそうだ。

 神社の裏で赤垣の命を吸い、吸血鬼の傷は確かに癒えたが、能力値にそれほどの変動は見えなかった。

 それが隼にとっての幸運。

 そして隼がいたことが、椎葉にとっての幸運だったのかもしれない。

 吸血鬼とまともに戦っていたら、椎葉も危うかったのだ。

 命の危険を救っただけではなく、吸血鬼も倒し、事件を解決したことには表立っての礼はなかった。

 天城家の面目もあるだろうから、隼も気にはしていない。

 その中で、椎葉はやたら接触してくる理由は、本人が礼を言いたかったからかもしれないが、その言葉はいまだに出てこなかった。

「プラスにマイナスをかけたら、マイナスになっちゃうからな」

 言って、椎葉は本気で笑っていた。

 本当に感謝してるんだろうか……?


 その次の日。つまり昨日だ。

 また放課後に連れ去られた。

 またまた波美の眼前であった。

 波美も放課後にならないと声を掛けてこないのだからしょうがない。

 やっと吸血鬼調査隊としての報告することができるかと思いきや、黒塗りの悪人自動車に乗せられてしまった。

 向かったのは天城の屋敷ではなく、街中のオフィスビル三階だった。

 普通の社名が掲げられているが、受付の女性も、デスクに座っていた社員二人も、全員人間ではないのが隼には分かった。

 支店長室のプレートが輝く部屋へと椎葉に続いて入った。

 要は天城家の支部ということだな――隼の柔軟な思考による納得だ。

 椎葉は大きなデスクに座り、その前に置かれた背もたれのないイスへ隼は座らされた。

「ゲストじゃないのか、おれ……」

「聞きたいであろう情報を提供するんだ。もはや対等よ」

 椎葉がクッション多めのイスでふんぞり返った。

「これで対等なのか?」

「まず吸血事件の顛末ね」

 我関せず、椎葉は話を進めた。

「犯人は昨日捕まったようだな」

「ニュースなんか見るんだ」

 妙に感心されたのが隼には不愉快であった。

「天城家お得意の情報操作だろ」

「吸血鬼が犯人でしたとは言えないからな」

「ごもっとも」

 椎葉がデスクに身を乗り出してきた。

「お前、あたしが自ら情報提供に乗り出しているのに、何の感謝もないんだな」

「おれが感謝するとこなのか?」

「当たり前でしょ。あたしはモデル業もしてるのよ。学業と天城家の仕事までこなす忙しい身でありながら、わざわざ時間を作ってやってるというのに」

 もはや命の恩人の欠片もない――隼は小さくため息をついた。

「そういえば、お前はあたしをモデルと知らなかったな」

 まだ根に持っていたようだ。

「良い機会だ。仕事っぷりを見せてやろう」

 本棚へ向かおうとしていたので、隼は止めた。

「それは今度で――」

「む――」

「もし用が済んだのなら帰りたいのだが」

 椎葉は無言でデスクへ戻ると、一枚の紙を机上へ放り出した。

「何だ?」

「レプラコーンが故郷へ着いたってさ」

 紙は絵葉書であった。

 ラタヴィルは即日に天城家の手で強制送還されている。

 行政的にも密入国者だから妥当ではあるが、犯罪者というわけではないので、正規の手続きで入国すれば再来日は出来るらしい。

 隼との別れは、吸血鬼との戦い後、一時間を経過してすぐであった。

 まだ帰りたくないと、多少わがままを言っていたが、天城家の用意した自動車には素直に乗った。

「ジュン。また来て良いか?」

「ああ。今度は日本を案内してやるよ」

「約束だぞ」

 後部座席で見えなくなるまで、ずっと振り向いていたのが印象的であった。

 たった二日の付き合いだったが、ある意味、彼女は戦友であった。

 絆の深さは感じている。

 隼は絵葉書を手に取った。

 緑の多い山間部をバックに、ラタヴィルが笑顔で映っていた。

「良かった。ちゃんと送ってくれたんだ」

「どういう意味だ」

「いや――ほら――途中で海に沈められたりしないかって心配してて――」

「天城家はマフィアじゃないぞ」

 椎葉が呆れ気味に言った。

 冗談と取られたのかもしれないが、隼は本気で心配していた。

 写真の横に文字が添えられている。

『もし吸血鬼が他に見つからなかったら、お婿はジュンで我慢するぞ』

 …………え?

 椎葉が面白そうに隼を見ていた。

「良かったな。結婚出来るぞ」

 意地悪そうな笑みを浮かべて言った。

 ラタヴィルが吸血鬼退治を諦めてないことにも驚きだが、最終手段が隼自身だというのも輪をかけてビックリであった。

(最終目的は結婚なのだろうが、いつからおれが候補になったのだ?)

 『婿』は漢字で書けるのに、その候補者の名前がカタカナであるところが、ラタヴィルらしい。

 彼女の無事を確認したことで、今回の事件は落着したように思えた。


 そこで新しい料理への挑戦であった。

 『吸血鬼にならずに済んだ記念』のニンニク料理は成功した。

 テーブルで待っていた母親と姉の前に皿を運んだ。

 三人揃って舌鼓を打つ。食卓の肴は、最近の隼の交友関係についてであった。

「隼は、この前来てた三人の中で、誰が本命なの?」

「三人って――?」

「千尋ちゃんと、千尋ちゃんの連れて来た子と、ラタヴィルちゃん」

 ラタも入るんだ――?

 これはつまり、先日のブッキングいじりの続きだ。

 当日の晩御飯時で終わったと思っていたのは、隼の油断であった。

「お母さん。優は知ってるよ。千尋ちゃんが連れて来た子」

「へ?」

「あの子は坂本波美ちゃん。なんと、うちの近所の子なのです」

「まあ」

「どこでそんな情報を――」

「千尋ちゃんから」

 だよね――隼は肩を落とした。

「ママは、青い目の孫でも良いなあ」

 お婿候補にはされているが、色々な意味で難しい。隼はそう思っている。

「千尋ちゃんとゴールってのも劇的じゃない?」

 それは絶対にない――口には出さないが、本人不在で話しは進む。

「お姉ちゃん。ママは更なる情報を手に入れたのよ」

「優も知ってるわよー」

「何それ? おれも訊きたい」

 由起子はニヤリと笑った。

「この子には、女子高生モデルのガールフレンドもいるのよ!」

 隼は口のご飯を吹き出しそうになった。

「きゃあー。モテ期襲来ね。神風よ、吹けー」

(蒙古襲来とかけているのかもしれないが、神風はいかんぞ。沈んじゃうぞ)

「そうなの! 最初で最後のチャンスなのよー」

 言いたい放題であった。

 隼は無言で箸を進めることにした。

「ここは優が一肌脱ぐわ」

「ママも協力するわよ」

「いや。余計なことは――」

 無言で放置できないことは、隼には分かっていた。

 勢い任せの二人の方向性は、隼にとって危ういものでしかない。

 止めに入ることにしたが、アルコールも加速し、言論も急速展開。

 もはや隼とは別次元の領域で語る二人を制止することはできなかった。

(しかし天城の情報はどこから?)

 その疑問も、おしゃべりの千尋という答えが余裕で導き出せた。

「でも何か忘れてる気がするわ」

「あれ? 優も……」

 デリカシーではないでしょうか――とは口が裂けても言えない隼であった。

 晩御飯が終了し、片付けていると、玄関のチャイムが鳴った。

 坂本波美であった。

「坂本さん? どうしたの」

「最近忙しそうでお話しできてなかったから――」

 波美はいつもの竹を割った口調ではなく、どこか恥ずかしそうにそう言った。

「あ――と……。じゃあ、上がります?」

 隼が搾り出すように言うと、波美は小さく頷いた。

 由起子と優の、あからさまな好奇の目から守るように、波美と二階へ向かう。

 しまったなあ。ニンニク料理食べちゃったよ――隼の後悔は先には立たない。

「例の吸血事件は解決しちゃったじゃない?」

 階段を上りながら、波美が後ろから声を掛けてくる。

「ああ。犯人が捕まったね」

「話をする間もなかったから、ちょっと残念で――」

 声は怒っているようにも聞こえる。

 調査した結果を話し合い、犯人を推理する予定だったのだ。しかし間に合わなくて、犯人は逮捕された――ってことになっている。

(そりゃあ、怒るか)

 反省はしていた。

 唯一の会話の場として波美が狙っていたのは下校時間であった。それを全て椎葉に邪魔されたのだから。

「天城に強引に連れ回されてたからなあ」

「――どういう関係なの?」

「なんというか――……ビジネス関係?」

 正直に答えてみたが、返事はなかった。ふざけたと思われたかもしれないと、隼は補足の言葉を思案した。

「わたしとしては吸血鬼調査隊をもう少し続けたいんだけど」

 波美から変えてきた話題は、隼にとって願ってもない提案であった。

「おれも――特に問題はないよ……」

 嬉しさを抑えるように、平坦な物言いで答えたつもりであった。

 上擦った声が段上を転がった。

「良かった」

 安心したような響きに、隼の胸がこそばゆくなった。

 波美がどんな表情をしているのか確かめたい――そんな欲求に支配される前に二階へ着いてしまった。

「これからの活動についてお話できるかしら」

「もちろん」

 隼は部屋のドアを開けた。

 波美を伴って中へ入り、電気を点けた時、違和感に気付いた。

(いつもの部屋と違う――)。

 すぐに分かった。

 ベッドが盛り上がっている。

「だ――誰だ?」

「わたしに訊かれても――」

(ごもっとも――)

 隼はそっと近付いたが、たどり着く数歩前で、布団が跳ね上がった。

 背中で波美の小さな悲鳴に気を取られた。

 天城さん――次いで聞こえた波美の呟き。

「え?」

 ベッドへ意識を戻すと、椎葉が身体を起こした所であった。

「ん? 袖篠? やっと帰ってきたのか?」

 椎葉が伸びと欠伸をしながら間の抜けた口調で言った。

「な、な――なんで、お前がここに?」

 寝惚け眼の椎葉は答えない。

「先客がいたのね」

 声はすぐ後ろから。

「わたし、帰るわ」

 振り向いた時には、波美は階段を駆け下りていた。

「坂本さん――」

「また明日!」

 慌てるように玄関を出て行った。

「――明日は日曜日だよ、坂本さん」

 冷静にツッコむ自分がもどかしかった。

 追いかけるべきか、迷っていると、

「ごめーん。天城さんが来てるの、言うの忘れてたー」

「ママもー」

 悪気もない独白の後、二人の笑い声がリビングに響いた。

 酔っ払いには何を言っても始まらない。

 由起子と優が椎葉を知っていた理由は千尋ではなく、今日来ていたからなのだ。

 隼は大きくため息をついた。

 つい数分前に仲良く会話して上っていた階段を寂しく見下ろす。

「追いかけないのかい?」

 部屋から椎葉が声を掛けてきた。

「あんたとの関係が明らかじゃない以上、言い訳できないからな」

 隼は自室へ戻った。

 椎葉はベッドの上に横座りで待っていた。

「お前、恋は上手く出来ないタイプだな」

「――なんでそう言えるんだ」

「追いかけるもんだ。ああいう時は」

「当事者が言うな」

「女の子は待っているもんさ」

「そう……なのか?」

 隼は学習イスへ逆向きに座った。背もたれに腕を置いて、その上に顔を乗せた。

「まず言い訳を考えているところがいかんね」

「本当のことなんか言えるわけないだろ。吸血鬼と一緒に戦った、妖怪の末裔同士なんだ――なんてさ」

「相手に対して誠実であることが大事なんだぞ」

 椎葉の口調は優しかった。

「そういうもんか――」

「ああ。特にあたしに対しては誠実であれ」

「は?」

「妖怪が起こした事件が昨日あったんだ」

「おれに関係あるのか?」

 椎葉が首を傾げた。何言ってるのこいつ――という目で隼を見ている。

「いやいや、疑問に思うことはないだろ。おれは天城家とは手を結ばないと言ったはずだが?」

「天城家とは――だよな」

「嫌な言い方だな……」

「覚えてる?」

 椎葉が身を乗り出してきた。

「坂本邸を前に、あたしは『天城家と組めないのならここから帰れ』と言ったことを」

「帰る間もなく、戦いに巻き込まれたじゃないか」

「でも帰らなかっただろ。あれは同意と受け止められるよね」

「何だよ、その悪徳商法ぶりは」

 椎葉はニヤリと口を歪ませた。

「おれは天城家を信用できない――とも言ったはずだ」

「でも、あたしと一緒なら良いよって口説いたじゃない」

「口説いてない」

 隼は即答した。

「一緒には戦ってくれるんだね」

 ぐ――隼は言葉に詰まった。

 一流の詐欺に遭った気分であった。

「あの時だけの共闘のつもりだったんだが……」

「部下を七人も失い、人手不足の中で事件へ臨んだりして、もしもあたしが命を落とすことになったら、袖篠は少しでも心を痛めてくれるのかしらね」

 椎葉は目頭を押さえているが、どう見ても嘘泣きだ。

 とはいえ、本当に椎葉が怪我をしても目覚めが悪すぎる。

「分かったよ。本当に今回だけだぞ」

「ああ。部下が再編成されるまでのな」

 微妙に条件が変えられている。

「さあ。事件の捜査へ行くぞ」

「今から?」

「犯人は夜動くものだ」

 椎葉はベッドから降りた。ドアへ向かっている。

 行くべきかどうか迷っていると、

「もう一つ、ご褒美をつけてやろう」

 椎葉が切り出した。

「坂本波美の誤解を解いてやるぞ。後腐れ無いようにな」

「本当か?」

 部屋の電気を消して、隼は椎葉へ続いた。

 階段を降りながら、椎葉は言う。

「任せておけ。あたしは口が上手いんだ」

 それは知ってる――隼は心で呟いた。

「今も一人、契約を結んだ所だ」

「――ん?」


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Vampy Party Squeeze Emotion Complex @emocom

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ