第14話

 やられた――隼は正直思っていた。

 獣のように粗野な吸血鬼が、こんな仕掛けをしてくるとは思っていなかった。


 隼と椎葉、そしてラタヴィルは、赤い光の跡を辿った。

 住宅街から道路拡張の工事現場を抜けた。

 足元が舗道から地面へと変わった時から、吸血鬼が何かを企んでいることは想像がついた。

 人気のない方へと誘われている。

 周囲が木々に囲まれた時には、椎葉とラタヴィルも警戒態勢に入っていた。

 どこからかかってきても対応できる自負があった。

 だが、その警戒心が仇となった。

 時間をかけ過ぎたのだ。

 追い詰めたという油断もあったかもしれない。

 赤い痕跡は林から丘のような勾配へ続いていた。

(頂上には寂れた神社があるはず――)

 隼は長い石段と苔生した石の鳥居を思い起こした。

 このまま登ると神社の裏側に出るのだが、丘は林の延長で木々に囲まれていた。

 街灯も民家も少ない人口の光は、やせ細った木々でも充分に遮られている。

 足場も悪い隼たちは不利で、木を使って立体的に攻められる吸血鬼には有利なポイントだ。

 ここで反撃があると誰もが思ったはずだ。

 しかし、隼たちは登りきって頂上へ達していた。

 社殿の背中が見える。

 今登ってきた丘より視界は広く、閉塞感はないのに、他の場所より夜が濃い気がした。

「ジュン――」

 とラタヴィルがある方向へ剣先を向けた。

 それだけで隼も気付いた。

 上弦の月が気を利かせ、僅かな光を落としてきた。

 木にぶら下げられている何かを照らした。

 人間大のものが浮かび上がる。

 いや、人間そのものであった。

「赤垣――」

 椎葉が息を呑んだ。

 ロープで腕を木の枝に、脚を木の幹に結ばれた赤垣がぶら下げられていた。

 様子が見える位置に近付く。

 赤垣は既に生気を吸われ絶命していた。その口元から滴る黒い影は血だ。

 今日の夕方、電波塔で吸血鬼に遭遇し、赤垣はバイクでその後を追った。

 恐らくその時に捕まったのだ。そしてここに吊るされていたのだろう。

 もしもの時のために。

 隼たちに手傷を負わされた今が、その『もしもの時』であった。

 まるで罠を仕掛けたかのように見せ、隼たちを警戒させることで追跡速度を遅くさせた。その間に用意しておいた赤垣で体力を補充する。

 吸血鬼がそんな知性を伴う行動をするとは露とも思わなかった。

 やられた――と隼が思った理由だ。

「くるぞ――!」

 隼は二人に言った。

 椎葉もラタヴィルも構えた。

 隼が言ったほんの数秒後、社殿の上から影が飛んできた。

 散開した三人の間に赤い双眸が落ちてきた。

 地面は抉られ、土煙が舞い上がった。

 夜の風景が掻き消えた。

 しかし元々視界性は低いのだ。恐慌度も低い。

 問題はどこから現れるか――

(いや、違う!)

 隼の一瞬の思考だ。

 身体を先に動かしていた。

 左側――ラタヴィルの方へ。しかし目的はラタヴィルではない。

 可視性限界まで集中し、ラタヴィルの姿を土煙の向こうに見つける。

 剣を構え、近付く影を斬ろうとしている。

 隼はその影の方へ飛びついた。

 細長く柔らかい身体を抱きかかえ、土煙から抜ける。

 影は椎葉であった。

 二人で地面を転がる。

 先読み――これに失敗してさっきは赤垣を失った。

 警戒しすぎて吸血鬼に先手を取られたのだ。

(同じ轍は踏まない!)

 土煙を利用して攻撃してくるという推測に縛られていた。

 吸血鬼は椎葉を掴んでラタヴィルへと押したのだ。

 ラタヴィルはこの近付く影を吸血鬼と誤認し、そのまま剣を振ったのだ。

 危うく同士討ちになるところであった。

 だが、それは隼が阻止した。

 ということは土煙の中に残ったのはラタヴィルと吸血鬼のみ。

「ラタ、剣を振れ! 奴は近くだ!」

 声は届いたか――剣を薙ぎる影が見えた。

 それを肘から上で受ける影――

 やがて土のベール越しではない二人の姿が見えた。

 確かにラタヴィルの剣は吸血鬼を捉えていた。

 しかし彼女の力では押し切れていない。

 吸血鬼が身体を大きく捻った。

 剣ごとラタヴィルは弾き飛ばされ、地面を転がった。

 その時には、既に隼が走っていた。

 臍の下へ気を溜める。走りながら腕を流す。水の型、山の型、そして人を表す拳法の型を腕だけだが構えた。

 高まっていく気を蠕動させる。

 吸血鬼はラタヴィルを弾いた姿勢のままで隼を迎え撃った。

 まず肘打ちが飛んで来た。

 隼はまともには受けない。力では敵うはずがない。右手で押し払うように流す。

 そのまま右手の甲を吸血鬼の右肩口へ付ける。円を描くように捻り、掌を足の踏み込みと共に突き出した。

 吸血鬼は右肩から倒れこむ――はずが、肩を反らせて螺旋の気を同じ方向へと逃がしたのだ。

「かわされた?!」

 吸血鬼は反らせた動きに乗せて、左腕を大きく回してきた。

 攻撃は隼の後頭部を狙っている。

 ちりり――とした刺すような殺気を、隼は身体を倒しながら宙へ飛んでかわした。

 鼻先数センチ上を空気圧が通り過ぎた。

 隼は跳びながらも脚を振り上げた。

 鞭のようにしなった足先が吸血鬼の顔を打った。

 吸血鬼が一歩、二歩と退がった。

 隼は背中から地面へ落ち、同時に跳ね上がって起きた。

 まだ体勢を戻せていない吸血鬼へ、掌で二撃、三撃と打つ。

 さすがに堅い。あくまで筋肉の堅さだが、効いているとは思えなかった。

 吸血鬼の眼が、反撃の意思を浮かべた。

「ジュン、これを!」

 闇の向こうから煌く曲線が飛んで来た。

 隼は手を差し出した。

 柄が手に収まる。

 吸血鬼が一歩前に踏み込んできた。右腕を大きく引いている。

 隼はラタヴィルから受け取った銀刀を両手で握った。

 一歩踏み出す。

 身体を前傾。吸血鬼が突き出す右腕の下へと沈みこむ。

 踏み出した足が地面を強く打つ。

 同時に剣を振り上げる!

 刀身に体重と螺旋の気を乗せて打ち上げた。

 ざん――……

 嫌な感触が柄を持った両手に感じた。

 隼と吸血鬼は交差していた。

 斜め後ろに吸血鬼がいる。

 振り返りながら、今度は剣を突き出した。

 狙いは心臓――セオリー通りなら、ここが吸血鬼の弱点だ。

 しかし剣先は止まっていた。

 吸血鬼が左手で切っ先を握り止めていた。

 右腕の肘から先がないのは、どうやら隼が斬り落としたらしい。赤い光がもれ、拡散していた。

 相手は片手なのに、隼の力を受け付けない。

 それどころか、剣ごと後ろへと押され始めていた。

 その時、背後から刃が突き抜けてきた。

 心臓の辺りだ。

 吸血鬼の向こうにいたのは椎葉であった。

 獣に似た声で吸血鬼が吠えた。

 神社裏を形作る植樹たちが、その咆哮に震えた。

 ごう――と唸って身体を振られ、隼と椎葉は地面を転がった。

 隼は五メートルほど社殿の方へ放られ、背後にいた椎葉は前へと引っ張り出された。

 椎葉はそのまま地面へと倒れこみ、夜気に土煙を混ぜて濁らせた。

 ざりっと土を鳴らし、投げた吸血鬼が彼女の前に立ちはだかる。

 背中から剣が突き出たままだ。

 わずかに心臓を逸れたのだろう。

 椎葉が使った剣は赤垣の日本刀であった。彼が吊るされていた足元に落ちていた物だ。

 刺し口からは紅色の光が立ち上っている。それ以外に剣の存在意義は無いらしく、赤い双眸は椎葉だけを睥睨した。

 上弦の月は雲に隠れ、人工の光さえ届かない神社裏で、瘴気を纏った輪郭がぼんやりと浮き立った。

 食事への歓喜の笑みに口が割れ、二本の犬歯が覗いた。

 今更ながらに吸血鬼ということを認識する。

 その牙は妖怪の末裔の血を狙っていた。

 レプラコーンであるラタヴィルだけではなかった。天狗の血を引く椎葉をも狙っていたのだ。

 椎葉が吸血鬼の意図を察した。

 端正な顔が引き攣っている。

 吸血鬼の左手が椎葉の喉を掴んだ。

 大きく開いた彼女の口は、悲鳴さえ忘れている。

 隼は身体を起こすと、走り出した。

 迷いは――


 『吸血鬼を倒した者は、その吸血鬼の力を手にする』


 ――一瞬であった。

 しかし出遅れは否めない。

 椎葉の口元へ吸血鬼の牙が近付く。

(あと二歩分足りない!)

 吸血鬼の動きが止まった。

 背後にラタヴィルがいた。突き刺さったままの日本刀の柄を掴んでいる。

 そのまま心臓を破壊すれば――という期待はしない。彼女の非力は実証済みだ。

 そしてそれはラタヴィル自身も知っている。

 剣を引き抜いた。

 吸血鬼がのけぞった。

「ジュン!」

「充分だ!」

 二歩分の時間を稼げた。

 練り上げた気を両掌へ集中させる。

 吸血鬼の顔が戻ってくる。目は獲物である椎葉ではなく、迫る隼へ向けられた。

 しかし見えたのは隼の何であろうか。

 既に隼は吸血鬼の内側へ入っていた。

 大地に足を踏みしめる。

 晒された首元を狙い、二つの掌を突き出した。蠕動の力が身体を通り、両腕へ。螺旋をイメージして腕を通し、掌から放出した。

 吸血鬼の身体が二メートルほど浮かび上がったのは、腕力によるものではない。

 手から開放された椎葉も宙へ浮かんでいた。

 吸血鬼は直立で夜の空へ。

 椎葉は支えを失い重力に従い地面へ。

 隼は椎葉を受け止めたが、重みで一緒に倒れこんでしまった。 

 吸血鬼が隼たちの足元に着地した。

 首を変な方向に傾げたままで揺らぎながらも、倒れようとしない。

 座り込んでいたラタヴィルが、地面を何か滑らせてきた。

 目の前で止まったのは赤垣の日本刀だ。

 椎葉を見るが、硬直したまま、まだ復活できていない。

 吸血鬼の揺らぎも収まろうとしている。立ち直ってしまうと、次は追い詰められないかもしれない。

 相手は一度隼の攻撃をかわしている。

(このチャンスしかない!)

 隼は立ち上がりながら、足元の剣を拾った。

 吸血鬼の眼がより紅く光った。

 左腕を上げて剣を受け止めようとした。

 隼は全力で横へぎった。

 僅かな月光が、刃の軌跡を残す。

 吸血鬼の首は両断されていた。防御しようとした左の掌ごと――

 頭は勢い良く曇天の夜空へ飛び、地面で数度バウンドしていった。

 残った身体の方は、まるで刻が止まったように全く動かない。

 ラタヴィルも、椎葉も、隼も同様であった。

 いったいどうなるのか――事態を見守るように動けずにいた。

 自然のみが我関せず営みを果たす。

 風が樹冠をさわさわと揺すり、厚い雲の隙間から月が覗いた。

 強めの光が白く、神社の境内裏へ注がれた。

 月の雫に自分の運命を悟ったのか、突然に吸血鬼の身体が赤く光り始めた。

 身体から切り離されていた頭や、右腕、左手も同じく強く発光していた。

 というより、光そのものになろうとしているようだ。

 そう認識した時には、吸血鬼の存在は消えていた。

 キン――というノイズが、悲鳴のように辺りへ響く。

 耳を塞ぐ間もなかった。

 溢れるような赤い光は、ノイズの消失と共に、唐突に消えた。

 行き先は隼の身体の中だ。

「袖篠――お前……」

 弱々しい椎葉の声が耳に届く。

「分かってる――」

 思った以上に隼の返答も重みを伴っていた。

 吸血鬼を追っていた時に、隼は椎葉とラタヴィルに何度も言ったのだ。

 とどめは絶対にささないからな――と。

 吸血鬼を倒した者が、その能力を受け継ぐ――隼の拒否した理由であり、躊躇した理由だ。

 吸血鬼になるわけにはいかないのだ。

 普通の高校生として生活したかったから。

 普通の人間として生きていきたいから。

 それなのに、椎葉を助けるために、隼は受け入れてしまった――。

 こうして隼は袖引き小僧の末裔でありながら、吸血鬼の血まで引き継いでしまった。

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