断章③ はじまり


【──視界がひどく、ぼやけていた。

 ふらふらと左右に揺れながらゆっくりと岬を目指して、岬の先端でおもむろに足を止める。

 快晴の空を仰ぎ──「すまない……」絞り出した声は掠れ、聞けたものではなかった。


「約束を、守れなかった」


 蒼弦そうげんの腕の中には、木犀もくせい柘榴ざくろの遺体がある。羽織りで大切にくるまれているふたりの表情は穏やかで、けれど土気色の肌は痛々しい。固く閉ざされた瞼はぴくりとも動かない。

──ふたりの骸をゆっくりと、頭上に掲げる。


「強い子どもたちだった。病に負けないよう、最後まで諦めなかったな。誇りだ、俺の」


 声が震える。足元の青い小花を踏んで散らしてしまっているが、気づく余裕もない。


「……褒めて、やってくれ」


 まるでその言葉に応えるように雲がどこからか流れてきて、やがて柔らかく暖かい雨が降り始めた。日の光をそのまま雨粒にしたかのような、暖かさ。──やめてくれ、俺には優しくしなくていい、そんな資格はない。

 緩く頭を振るう蒼弦を余所に、集落では歓声が上がっていた。一月ぶりの降雨──誰も知る術はなかったけれど、双子が病魔に犯されているその時、手鞠てまりも天で病に臥せっていたのだ。病気になるはずのない龍神が。それはひとの子を、孕んだ故か。

 龍神が病に臥せっていたその間、島に雨が降ることはなかった。子どもたちが命を落とし、蒼弦の言葉に応えた手鞠の涙が久方ぶりの雨を大地にもたらす。

 だからそれは、確かに必然ではあったのだけど──


『蒼弦様が、雨を呼んでくれたのか……!?』

『自分の子どもを贄にしたのか……』

『龍神様はひとの子を求めるのだな。儀式として、継いでいかなくては』


 その光景を見た村人たちが言うような、事実はなかった。そこにあったのは、親子の情愛だけ、だったのに。

 当時すでに村長むらおさであった蒼弦に向けられる、畏怖と尊敬、感謝と恐怖。

──少しずつ、島の空気が変わり始める。

 蒼弦はそれらの言葉に、何ら反応を返すことはなかった。最早何もかもがどうでもよく、文字通り世界は色を失っていた。

 それ以降、村人たちは日照りが続くことにすぐに不安を覚えるようになったようだった。村人たちはしきりに龍神に贄を捧げることを提案する。

 馬鹿なことをと無視していれば──村長の命令だとのたまって勝手にひとりふたり子どもを殺す村人が現れた。それでも雨が降らないとわかった村人がその後にした行為は──


『墓を──荒らしたのか……?』


 墓を荒らし、木犀と柘榴の骨を取り出して何をしようと云うのか。


『ち■う、■の■■■! ■■を!!』


 何か、を話していた気がしたが、ひとでないものの言葉なんてわからない。これはひとの皮を被った化け物なのだろう。墓荒らしに加担した村人を手近にあった斧で斬り捨て、白く軽い骨の子どもたちを丁寧にかき集めながら、蒼弦は気づくのだ。

──放っておけばまた、この子たちの墓が荒らされるかもしれない。骨が盗まれるかもしれない。今回はたまたま気づいたものの、海にでも捨てられていたら?

 寒気がする。それはすぐに怒りに変わり、ふざけるな、触るな、ふざけるな、お前らが、誰も、触るな、約束した、守ると──


 


『今後、えにしの儀を執り行うことにした──子どもの名は……よすがにでもするか。誰を捧げるかはこちらで指定する。異論は認めない』


 ざわめく集落の空気を気に止めることもなく背を向ける。望んだのは、お前らだろう。二度と、木犀と柘榴に触れるな。


──そうして蒼弦は修羅となった。


 贄を求める血生臭い龍神伝承が島を包む。蒼弦が血の涙を流していることに誰ひとり気づくことはなく、ただただ時は進んでいく】

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