第四章 誰がためのばしゃら②

 裾に金の刺繍がふんだんに施された桔梗色の衣裳に袖を通したあまねは、静かにその時を待っていた。

──日没が蟲祭りの開始時刻だが、生憎の曇り空だ。目視が難しい以上、定刻になれば担当者が鐘を鳴らすだろう。鐘が鳴れば、儀式が始まる。


「……死ぬ前に、ひかみちゃんに会えるかな──無理か……」


 納屋の中は、朝のうちにすべて片し終えている。よすがとして禁足地に入り見つけた納屋を勝手に使わせてもらっていたが、持ち主には感謝してもし切れない。


「これ、だけは持っててもいいかな……」


 よすがはその身ひとつでえにしの儀に臨めと言われている。悩んだ末、結局は母の描いた紙片を懐に入れた。置いていってどうなるものでもない。周にとっては大切な宝物でも、他の人間にとってはただの紙屑だと云うことくらいは知っている。


「どうせなら、早く始まんないかな」


 首の組紐を指で遊びながら呟いたその時──結び目が、はらりとほどけた。床に落ちるはずの組紐、は、なぜか空に留まった。


「え」


 思わず喉に詰まったような声が出る。え、何、心霊現象?

漂った組紐はやがて、周の髪をくしゃりと巻き込んで一房結った。恐怖のあまり硬直する周の、次いで右の髪にも違う組紐が巻かれ──


「──……」


 それは、その赤橙色の組紐は、ひかみの髪を括っていたもの、で。顔の両側で、揺れる二色の組紐。まるで対。

 そうして脳裏に浮かんだのは、いつでもふたり一緒に行動する、愛らしい双子の姿。

 周は、小さくその名前を呼んだ。


柘榴ざくろちゃん……? 木犀もくせいくん?」


 そして、


「──よすが」


 声とともに見えるようになった、木犀と柘榴の姿。頬にそれぞれ、木犀と柘榴の指が触れる。その暖かさには、ここ数日でも覚えがあった。

 無気力にただ最低限の呼吸をするだけの自分に、寄り添ってくれていた、ふたつの体温。


「──っごめん! ごめんね、そばに、いてくれたんだな……」


 周はゆっくりと腕を伸ばし、ふたりの小さな身体を抱き締めた。


「よすが、私たちのこと見える……?」

「見えるよ」

「……よかった。俺たちは大丈夫だから、泣かないで」


 柘榴は周の顔を覗き込んで、その瞳に自分たちが映っていることを確認して安堵の息を洩らし、木犀は笑って周の頬の涙を拭った。ひかみさんに怒られちゃう、と。


        ◆◆◆


「──じゃあ、ひかみちゃんは無事なんだね? よかった……」


 木犀と柘榴の話を聞いて、周は胸を撫で下ろした。次いで沸いてくるのは、恐怖と希望。死にたくない、生きたい。そんな欲。その欲を持っていいと、望んでいいと、ひかみも木犀も柘榴も言ってくれることが奇跡だと、きちんとわかっている。だからこそ──懐に入れた紙片は、置いていく。またここに必ず、戻るから。


「──少し、足掻いてみるね。いってきます」


 桜や寿喜ことぶきにも会いたいけれど、まだ、少し。もう少し。自身の心に素直に、従おうと思うから。

 周は、柄に鈴の装飾のついた斧を手に取ると立ち上がった。縁の儀で使用する祭具で、昨日蒼弦そうげんの許可を得た村人により届けられた。

(──私だけが逃げ助かるんじゃ意味がない。それじゃあ、この儀式はこれからもずっと続いてしまう。駄目だ、全部、終わらせないと……!)

 きっともうすぐ、鐘が鳴る。外に出れば、森の奥から真白い靄が上がっていることに気がついた。あれは、薄紅染の湖やよすがの墓がある、方角。


「火事……?」

「ううん、焼ける臭いはしないから、火事じゃないよ」


 鼻をひくつかせた木犀を疑う訳では決してないが……不安げな視線の周を見て、木犀は問うた。


「気になる?」

「……うん」

「わかった、じゃあ向こうは俺たちが見てくるよ。確認したら、すぐに後を追うね──気をつけて、あまね」

「あまね、髪可愛いよー!!」


 木犀は柘榴の手を握ると駆け出した。振り返った柘榴がこちらへと大きく手を振って、笑った。


「ふたりも!気をつけて!!」


 心配にはなるが、ここから先は周と一緒にいる方が危険な可能性がある。

──と、小雨が降り始めたかと思えば次いで、儀式の開始を告げる鐘の音が、島中に大きく響いた。

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