第7話
結論から言うと、キュアーロップは被保険者の元へ無事に帰った。最上階に残されていたパーティーメンバーの装備も、破壊されていないものはできるだけ回収し、持ち主の元へと返還した。
私たちが最上階でモンスターと戦闘している間もキサキがしっかり対応してくれていたのだろう、満身創痍であるはずの冒険者たちの表情は、心なしか穏やかだった。〈人魚の旋律〉は聞いた者の任意の感情を増幅させることができる。その効果は電話口でも同様だ。
「いや〜、思いがけず攻略しちゃいましたね。ニグレス第3ダンジョン」
ダンジョンから事務所への帰り、花耶さんの背中の上でアオトが言った。
「でも宝箱の中身はアレだし、金は一銭も出ないし、なーんか腑に落ちないんすよねー」
うんと伸びをしながら、のんびりと弛緩した声でそう続けるアオトに対し、私は正直な見解を口にする。
「いや、あれは攻略したとは見なされていないんじゃないかな」
「え、マジすか⁉︎ ボス倒したのに⁉︎」
「うん。だって攻略したならダンジョンは跡形もなく消え去るはずだけど、あのダンジョンは残ったままだし。それに宝箱が出現するのは普通、ボスモンスターを倒した後だ。今回もボスを倒して宝箱の姿が露わになったけど、倒す前からアオト君の透視で確認できている時点で、私たちの求めている宝箱とは少し性質が違うように思う。私がダンジョンで宝箱を見たのは最初の一回きりだし、そうじゃない出現方法があってもおかしくないとは思っていたけど、この感じだと宝箱の出現パターンは全ダンジョン共通と見ても問題はないのかもしれない」
「でも、だったらあのボスを倒した時点でもう一個宝箱が出てくるべきなんじゃないですか?」
「そうならなかったってことは、今回の戦闘はダンジョン踏破にはカウントされてないってことなんじゃないかな」
そもそも、ダンジョン踏破者は新しいダンジョンに真正面から入ることを許されていないのだ。いつでもダンジョンに押し入ることができるだけの力は与えられているが、正式な入り口からの挑戦自体は拒否されている。ダンジョンの途中から踏み入ってボスを倒してクリア扱いされるなら、長い迷宮の意味がない。
「
本来は入れない場所からダンジョンに踏み入り、本来は持ち得ない強力な力でボスを蹂躙する。それで更なる力と大金が手に入ってしまったら、ダンジョン踏破者があまりにも有利すぎる。
それはこの世界としても、面白くない展開だろう。
この世界は人を留まらせたいのだ。だから人の大事なものを奪い、この世界に縛りつける。
執着という枷を利用して。
そのおかげで、セリヌンティウスになることも吝かではなかった私は、今やメロスの役割を背負わされている。王となった友人を助け出すために、目的地も知れぬまま世界中を走らされている。
「アオト君には言っていなかったけど、私は最初のダンジョンを踏破してからこの会社を作るまでに、だいたい十箇所ぐらいのダンジョンのボスを倒して回った。今回みたいに壁や天井を切り刻んで」
王都のダンジョンが崩壊し、意識を失った私が目を覚ますと、既に王都は再興されていた。……これだけ聞けばあまりにも長い間眠っていたように聞こえるだろうが、最後の記憶から日付は一日しかずれていなかった。年を跨いだわけでもない。
たったの一晩で壊滅した王都は復興し、当たり前のように人が住み、多くの物資が流通していた。シキという王の名は常識として認知され、人々の記憶に定着し、世の中はすっかり勇者ブームになっていた。私は王都に限りなく近いフィールド上に、大量の金貨や宝飾品と一緒に転がされていた。狐に化かされた思いがした。
だが、私を化かしたのは狐ではないのだ。貴島でもない。
あれを現実のものにしたのはおそらく──あの王冠だった。
だとしたら、貴島が手に入れた『力』であり巨万の富は、あの王冠そのものだ。
人間の精神を乗っ取り、世界を書き換える能力──それを備えたマジックアイテム。
そうとしか考えられなかった。だから私は、王冠に対抗できるだけの力を持ったマジックアイテムを求めて、数々のダンジョンを荒らし回った。あの頃が一番必死で、分別がなく、見る者が見れば修羅と映っただろう。
だが、宝箱が再び私の前に姿を現すことは、一度としてなかった。
それからしばらくして、会社を設立した。時間と、人手が必要になると思ったからだ。
長期戦になる覚悟をした。
その覚悟の上で私は、社長として前線に出ているのだ。仕事としてダンジョンに入る。入り続け、いつか必ずこの世界の謎を解く。
貴島を世界から奪い返す。
その思いでここにいる。
「……だから、宝箱と聞いた時は動揺したね。でもおそらくあの箱自体、モンスターの一部だろう。中に残っていた種を焼却してから、部屋に残った遺失物を回収して、地上に戻ろうとした頃にはもう跡形もなくなっていた。たぶんあの蔓植物は、ミミック系のモンスターだったんだ」
「…………そんなのって、」
「まあ、まだ全ての情報が確定したわけじゃないから。もしかしたらずっとハズレばっかり引き続けてるだけで、宝箱を落とすダンジョンがどこかにあるのかもしれないし。そうじゃなくても、まあ、昔よりずっと動きやすくなった。遺失物捜索課全ての社員がダンジョン踏破者でできているわけでもないし、いつか社員が王冠と同等のアイテムを見つけてくれるって可能性もある」
皮肉なことに、長期戦になる覚悟はずっと前から固めている。
そして、これは必然なのだろうが、この世界の生活環境は現代日本とさして変わらないのだ。
暦は12ヶ月365日で、一日は24時間。時計の数字は12まで。
趣を感じるほど四季ははっきりしていないが、夜は明け、日が沈む。
そして当たり前のように醤油や味噌やマヨネーズがあり、スマホやパソコンの代替品がある。環境さえ整っていればいつでもどこでもゲームができる。防具に混じってスーツがある。
ゆっくりしていけと言われている。世界がそう語りかけている。
だが、私は一刻も早くここから抜け出したい。
あの男を先に見出したのは、私だ。
「……あの、王城には、…………シキ国王には、会いに行かれたんですか」
「ああ。行った」
自分で訊いておきながら、アオトからは私の返答を恐れる気配がした。私はその可笑しさに軽く肩を揺らした。
「あいつ、この世界に転移してきた時に真っ先に妹の結婚式に出れるかどうかを心配していたのに、妹なんて知らないと言っていた」
案外、貴島志喜に妹なんて本当にいないのではないか、とも思う。
貴島に帰りたい理由があるとわかれば、私は貴島のスケジュールに間に合わせるためだけに、元の世界に帰る方法を必死で模索しただろう。結果としては間に合わなかったが、あの時の私は、貴島がああ言ったから夜の森の中を無策に動き回ったのだ。戦略としては間違っていない。
貴島はこの世界が内包する悪意に気づいていて、私をこの世界から帰したかったのかもしれない。
まあそうは言っても、単にあの王冠に操られていた、という可能性の方がよほど高いだろう。ダンジョンと同じ要領で侵入した玉座の貴島は、恐ろしいほど虚ろな目をしていた。私は少し、貴島志喜という人間に夢を見すぎている。
「その……連れ出せなかった、んですよね。無理やりにでも」
「残念ながらね」
私は慣れた調子で肩をすくめる。
「一言ふたこと言葉を交わして、急激に眠くなった。気づいた時にはまた、王都とフィールドの境だ」
まだ奪還には充分でない、ということなのだろう。色々な準備が。
殺されなかっただけマシだ。止めを刺さずに王都の外に放置したのは──などと都合のいい希望を組み立てようとしてしまう前に、思考を捨てる。
「まあ、いい生活をしているようで何よりだったよ。城内の構造なんて全然わからなくて偶然厨房を経由したけど、高級な食材ばかり並んでいた。あいつも痩せてなかったし、ちゃんと食べてるんだろう」
「なんか社長、おかんみたいなこと言いますね」
耐えきれないといった風に、アオトがくつくつと喉を鳴らした。それから一つ息をついて、言う。
「──オレ、頑張ります。今までずっとソロでやってきて、今さらチームなんてって思うところも正直ありました。オレはオレの目的を果たすために動く、それだけだって。でも、みんながオレと同じだけの──もしかしたらそれ以上の思い持ってるんだってわかったから、安心して全員のために命張れます。頑張ります。……みんなが、最善の形で元の世界に帰れるように」
青砥忠は自由で限りある人生のために。
姫野妃は苦楽を共にした友人の──高畠花耶の元の姿を取り戻すために。
そして私は──東屋泰誓は、無二の友人を世界の頂点から引き摺り下ろすために。
「うん──ありがとう。頼もしいよ」
全ての転移者が、この世界に残した忘れ物を取り戻せるように。
この世界と、戦う。
新たな仲間と共に。
「さ、もうすぐ昼休みだ。早く戻らないとキサキ君にどやされる」
「あー、オレも今日味噌カツ食い行こうかな〜。キサキさんの話聞いてたらなんか気分になってきた」
「その店、私も一緒に行っていいかな?」
「え、もしかして社長の奢りですか⁉︎」
「まあ、たまには社長らしいところを見せておかないといけないしね」
「よっしゃラッキー! ゴチになります、アズマ社長!」
現金な部下の歓声に苦笑していると、遥か彼方に王城の一角が見えた。
私はそこに変わらず鎮座しているであろう、人質となった友人に言う。
「がんばるからな、志喜」
必ずお前を迎えに行くから。
その時はどうか、特別みたいに笑ってくれ。
イセカイ勇者保険窓口遺失物捜索課 蓼川藍 @AItadekawa
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