第6話

 ダンジョン踏破者には莫大な富と『力』が与えられる。


 そして、ダンジョンに再び挑戦する権利を剥奪される。


 ……表向きには。


 一度ダンジョンをクリアした者が別のダンジョンの入り口をくぐろうとした場合、障壁に阻まれるかのように、肉体が見えない何かに弾かれる。


 だが、それはあくまでも「入り口」だけの話であり、ダンジョン踏破者はもれなく、通常の冒険者を遥かに凌ぐ『力』を与えられている。


 押し通れと言わんばかりに。



「──見えてきましたね。第3ダンジョン」

 私の後方に控えたアオトが、両手を双眼鏡のように丸めて目元に当てながら言った。


「アオト君は本当に目がいいな。私にはまだ見えない」

「ま、こっちの世界来る前から自然ばっか見てましたからねー。まあゲーム画面も凝視してましたけど。そして今や不死身の吸血鬼。千里眼もお手の物ってわけです。……タワー型なんで最深部は一番上だとは思いますけど、一応スキャンしときますね」

「よろしく」


 私が頷くと、アオトの気配が瞬時に変わる。冒険者が魔法やスキルを使おうとしているか否かは、たいてい気配で把握することができる。MPとか魔力と表現するのが適切なものは、いわば集中力だ。集中を高めている人間の近くの空気は、自然と研ぎ澄まされる。


「……一番デカい魔力の気配は、やっぱ最上階ですね。上に伸びたダンジョンでもボス部屋が地下とか隠されてるとかいうパターンも考えてたんですが、そういう感じではないかな」

「わかった、ありがとう。一番都合がいい形状だ」


 ダンジョンの内部構造を把握しているうちに、私の目にもダンジョンの姿が明らかになってくる。花耶さんのトップスピードは瞬間移動にも劣らない。


「じゃ、ちょっと行ってくるよ」

「あ、社長、これ」

 愛刀を持って立ち上がった私に、アオトが手を差し出してくる。


「社長は物理最強アタッカーなんで援護とかいらないとは思うんすけど、オレも一応オペで雇われてるんで、オレの話聞くだけでも聞いといてください。今回回収すんの武器じゃなくて生き物だし、社長の圧にビビって逃げられても困りますからね。あと単純にキサキさんに文句言われたくない」

「はは。了解」


 アオトの手から魔石製のイヤホンを受け取り、耳に入れる。


「じゃ、改めて」

 私は竜の背から飛び降りた。イヤホン越しに身体で空気を切る音を聞きながら、空中で居合の構えを取る。精神を研ぎ澄まし、適切なタイミングで鞘から刀を抜き放つ。


「〈一刀寸断〉」


 確かな手応えの直後、眼下に迫ったダンジョンの天井が細切れになり、崩れ落ちる。蓋が綺麗に除去されたダンジョンは、その内部を陽光に晒した。


『ひょえ〜、エグ。社長の技受けたらオレでも死ぬんじゃねぇのかな』


 褒めているのか独り言なのかわからないアオトの感想が、イヤホンから聞こえてくる。


「今さらだけど、中の回収対象が生きてる以上、私が無理やりこじ開けるよりアオト君にコウモリになって隙間から侵入してもらった方が安全だったんじゃないのかな」



 ダンジョン踏破者には莫大な富と『力』が与えられる。


 それは通常の冒険者が扱うものとはかけ離れた特別な能力だ。


 例えばキサキの相棒である花耶さんは巨大な竜と化し、冒険者が束になっても敵わない破壊力と機動性を得た。

 例えばアオトは吸血鬼となり、不死の肉体に加えて変身や透視の能力を得た。


 そして私は、王冠を手に入れた貴島からあの言霊を。

 それ以降、私の刀の切れ味は格段に増した。


 ダンジョン踏破者にダンジョン攻略の資格はない。

 しかしそれは拒絶ではない。

 ダンジョン踏破者に「一からダンジョンを登る」という手順はもはや求められていないのだ。


 いつでも好きなように荒らしていけ。

 取り返せるものなら取り返してみろ。

 私たちはダンジョンから──この異世界から常にそう語りかけられている。

 私にはそう思えてならない。



『ええ〜。まあ、できないことはないですけど。……でもアレですよ、オレ攻撃力皆無のソロプレイヤーなんで、ヒットアンドアウェイでちまちまボスの体力削るのが関の山っていうか。たぶん決着つく頃には夕方とかですけど。……あ、後ろ攻撃来ます』


 着地した瞬間に足元の地面が割れ、下から巨大な植物の蔓が湧き出した。それを炎を纏わせた切っ先を突き立てて床の下から燃やし尽くすと、アオトが言っていたように、先端の尖った蔓が槍のように突き出される。先端を切り落としただけでは意味がなさそうだったので、刀を野球のバットのように横向きに構えて迎え撃った。刃に触れた先から、太い蔓が上下に分かれて両断されていく。

 が、それだけで無力化することはできなかったようで、刃を通過して二股になった蔓が旋回し、再びこちらを背後から貫こうとしていた。蔓のスライスを途中で放棄し、ここは転がって回避する。


「埒が明かないな。斬撃だと再生される」


 こういう時に貴島がいれば、と考えてしまう癖をやめたい。範囲攻撃を含めた属性攻撃はほとんど貴島に任せていた。私も属性攻撃ができないことはないが、そう何回も最大出力で使えるほど相性がいいわけではない。


『花耶さんに一帯焼き払ってもらいますか?』

「いや。さっきから探してるんだけど、この植物以外のモンスターが見当たらない。死体が残ってるわけでもないことを考えると、逃げたか、蔓の波に呑み込まれたか……」

『巻き込み厳禁かぁ……』


 アオトが悩ましげなため息を吐く。ただボスを倒すだけではいけないのが、この仕事の難しいところだ。


「ところで、この植物の種というか根というか……そういう核になりそうな部分ってどこかに隠れていたりする? さっきから見渡す限り蔓と壁なんだよね。こういうモンスターって普通、顔になるような大輪の花とかがあるイメージなんだけど」

『それオレも思って探してたんすけど、』

アオトがそこで言葉を区切り、歯切れ悪く続きを口にした。

『……なんか、箱……宝箱みたいなものってそっちにありませんか』

「宝箱?」

『やっ、すみません。不謹慎だってのはわかってるんですが……』


 宝箱のことを不謹慎だと言いたくなるアオトの気持ちは理解できる。


 ダンジョン踏破者にとって、宝箱は不幸の源泉だ。


 いっぱしの冒険者が宝箱にいい思い出がないなどというのはお笑い種だろうが、貴島もアオトも花耶さんも、ダンジョン最深部のボスモンスターを倒した直後に現れた宝箱を開けて、何かがおかしくなってしまった。


 二人の詳しい経緯は聞いていない。だが少なくとも貴島は、あの王冠を宝箱の中から見つけ出したのだ。お、泰ちゃん見なよ王冠だ。やっぱ王都のダンジョンは趣が少し違うんじゃない?──一言一句鮮明に覚えている。


 そして、私が貴島の背中にかけた言葉も、はっきりと。


『その王冠はお前が持っていろ。貴島志喜には頂点が似合う』


 貴島はそれから、こちらを振り返って照れ臭そうに笑ったはずだ。……柄にもなく、照れ臭そうに。

 もっと堂々と笑っていろよと私は思った。それこそが頂点に相応しい、奔放でみんなから愛される貴島志喜の姿だからだ。そんなに慎ましく笑われてしまったら、特別みたいで参ってしまう。


「みんなの」じゃない貴島志喜がこの世に存在するみたいで、困る。


 そう思った直後に、たぶん、貴島は半分ぐらい、貴島志喜ではなくなった。


 貴島が王冠に触れ、顔色を変えた。

 気づいた時には、私は貴島に突き飛ばされていた。


 王都のダンジョンという名前にも、王城を突き破るように出現したという伝説にもよく似合って、王都のダンジョン最上階には長い階段が存在した。その階段を上った先に、まるで玉座のように佇んでいたのが、例の宝箱だった。


 私は為す術もなく階段を転げ落ちた。当初の私の心境は怒りと困惑が半々といったところだった。異世界だったからいいものの、現世だったら怪我どころではなかったという怒り、もしや自分は利用されたのではないかという困惑。


 大金と力だけが目的だったのではと貴島を疑った。


 だが、そうでないことは言葉を交わすまでもなく理解した。


 私が見上げた遥か頂の貴島は、何かに怯えた目つきをしていた。

 それでいて満足そうな微笑を──引きつったぎこちない笑みを浮かべていた。


 貴島は私を裏切ったのではない、何かの脅威から私を遠ざけた──


 その思考に辿り着いた瞬間に、塔が崩落をはじめた。

 私にはビジネスを始めるに値する大金だけが残され、そして──



『──社長!』

 頬を鋭い痛みが掠った。蔓の攻撃を捌き損ね……かけていた。

『ちょっと、大丈夫ですか⁉︎ 意識あります⁉︎』


 ……アオトの声がする。


「……ああ、そうだった。私が社長なんだったな、今は」


 一度大きく深呼吸し、刀を構え直した。


「ごめん。この辺幻惑系の花粉でも漂ってるのかな、少しトリップしてた」


 いくら千里眼や透視能力を持ったアオトでも、花粉レベルの大きさのものはこの距離で確認できないだろうと高を括っての発言だったが、それ以前の問題だっただろうか。アオトが息を呑む音がかすかにマイクに入っていた。


『……すみません。やっぱ見えてても提案すべきじゃ──』

「それで、その宝箱ってのは、今の私から見て何時の方角?」

『え、いや、でも……』

「平静を失ったのは完全に私の過失だ。申し訳ない。でも、その宝箱が私たちの考えているものであろうがそうでなかろうが、私はそれを見つけ出して必ず開けるよ。何しろ、そこにしか今の私たちには光明がないんだ。テイマーの大事な仲間を見つけられる可能性も、……私たちが失ったものを取り戻すための鍵を見つける可能性も」


 アオトの沈黙が、耳の奥で質量を増した。


「君は新入社員だし、まだ把握しきれていないことの一つだろうけれど、最終ボスの部屋に私たち遺失物担当が駆り出されるのは稀でね。ここまで辿り着いた冒険者の大半は、己の実力が及ばないと肌でわかっても限界まで戦いを続ける。……道中長い苦痛を強いられた。仲間を失った生存者も少なからずいる。そうやってようやく足をかけた最後の試練だ。これに打ち勝てば今までの苦労が全て報われて、その後の人生もきっと輝かしいものになる──彼らはみんな、そう信じて疑わない。いや、そう信じないと保たないんだ、体力も気力も。だから逃げない。死ぬまでね。そうなったらもう、私たちがここに足を踏み入れる機会はない。適用されるのは生命保険だけで、救助も遺品の回収も、うちはやっていない。需要に対して供給が間に合わないから」


 私たちが仕事をするフィールドは、いつだって危険なダンジョンだ。


 一度ダンジョンを踏破して特別な力を与えられようと、幾度の場数を踏もうと、決して仕事が楽になるわけではない。それどころか、この世界の──ダンジョンの悪意の一端に触れた身で、未だ現実を知らずに前向きな夢を抱く冒険者と接し、時にはその亡骸を目の当たりにすることは、ダンジョン終盤の気力勝負よりも心に負担がかかる場合がある。


「……でも、私たちはそもそも、何のためにこの仕事を始めただろう。人助けのためだろうか? ……それも理由の一つではあるだろうね。でもそれ以上に、私たちにはあるはずだ。アオト君、君にも。『御社を志望した理由は──』ってやつだ。君は面接の時に、私の前で言ったね? 私は確かあの時、君にこう質問したはずだ。『イセカイ勇者保険窓口』の『イセカイ』──この言葉の意味を、あなたは知っていますかと。そして君は頷いた」


『──ダンジョンに入りたい。いや、入り続けなきゃいけないんです。あの日失った「生」を取り戻して、元の世界に帰るために』


 私は頷いた。アオトの声は低く、芯が通っていた。


「──さて、これは仕事だけど、千載一遇のチャンスでもあるね。宝箱の正体がわかれば、この世界を紐解く鍵に繋がるかもしれない」

『……今の社長の場所から、だいたい二時の方角です。ちょうど部屋の角になってる、蔓の密集部分、その最奥です』


 見れば、緑に覆われた部屋の中でもとりわけ分厚く、蔓が蠢いている一角があった。蔓の数は多いのにその絡み方は他の場所ほど複雑ではなく、八方に放射状に蔓が伸ばされている。


 つまり、その中心部が蔓の発生源か。


「なるほど。了解」

 あらゆる方向から同時に攻撃を仕掛けてくる蔓を〈一刀寸断〉で千々に切り刻むと、私はその勢いのままに、刀の切っ先を石造りの床に掠めた。足元に散った火花を起爆剤に、刀身に炎を纏わせる。


「──最短で貫くぞ。私に力を貸してくれ」


 自然と口から出てきた言葉は、誰に対して向けたものだっただろうか。

 本当だったら隣にいたはずの、貴島志喜の亡霊か。

 それとも、私と同じように貴島に力を貸したいと願った、姿も掴めぬ精霊か。


 逆手に持ち替え大きく振りかぶった刀身が、いつもより大きく鮮やかに燃えていた。


「飛べ! 〈朱雀焔すざくほむら〉!」


 そう叫んで投擲した愛刀は、烈火の翼を生やし蔓の中枢に突き刺さった。途端に部屋中を覆っていた緑の内部がまばゆい赤色に染まって膨れ、やがて弾けるように霧散する。光の粒子となって空気中に溶けるのは、モンスターを倒した証拠だった。


『すっげ……やりましたね社長!』

 イヤホンから興奮気味のアオトの声が聞こえたかと思うと、塔の上空をホバリングしていた花耶さんが下降し、その背中から声の主が飛び降りてくる。


「ああ……いつもより少し骨が折れたね」

 私はその場で軽く肩と首を回し、全身をじんわりと蝕む脱力感を誤魔化してから歩き出す。


 刀が突き刺さった部屋の隅に残されていたのは、あの時と同じ赤い塗装の宝箱だ。


「……オレが開けますか? オレだったら最悪何起きても死にはしませんけど……」

「いや、その必要はないかも」


 私は宝箱の前で身をかがめ、そこに突き刺さった刀の柄を握った。

「この宝箱、開けるどうこう以前にもう開いてる」


 私の刀がストッパーの役割を果たしているみたいに、宝箱はわずかに口を開けていた。暗くて中は見えないが、少なくとも浦島太郎の玉手箱みたいに、開けた途端に目の前の人間に何かが起こるということはないだろう。貴島の王冠のことを考えても、仮に中に何かが入っていたとしても、不用意に触れなければ害は及ばないはずだ。


 そう判断し、宝箱の上部に手をかけて慎重に押し上げた。

 すると、急に中から何かが飛び出してくる。咄嗟の判断で上半身を横にずらすと、私の後ろで様子を見守っていたアオトが悲鳴をあげた。


「うわっ! なんだこいつ!」


 つられて後ろを振り向くと、黒いローブを纏ったアオトの上で、白い毛玉のような小動物が暴れていた。


「キュアーロップ!」

 私がその小動物の名称を口にすると、アオトが「ええ?」と間の抜けた声をあげる。やがてその小動物を持ち上げて正体を確認したアオトが、「ホントですね……」と声だけで肩を落とした。


「でも、なんでこんなところにキュアーロップが……」

「たぶん、その子が被保険者のテイマーに取り残された仲間なんじゃないかな」


 私は愛刀を宝箱から引き抜きながら答えた。その先端ではヤシの実大の種が串刺しになっており、既に新しい蔓と思しき新芽が生えかけていた。


「ほら、これ見なよ。たぶんさっきの植物モンスターの種だ。宝箱の中から蔓を伸ばして、冒険者たちを攻撃していたんだろう。キュアーロップは近くにいる生物の傷を少しずつ癒す体質を持っているから、たぶん戦闘が始まって真っ先に宝箱の中に連れ去られたんだろうね。それで自分を回復させながら好き放題に攻撃……どうりで蔓の再生が早いし体力の底も見えなかったわけだ」


 それから私は「フレイム」と短く唱え、モンスターの種を焼却した。光の粒子が灰のように風にさらわれて見えなくなる。


「うわ……めっちゃ悪質だな最上階モンスター……」


 アオトが忌々しげにため息をつき、何かに気づいたように声のトーンを上げた。


「それで、なんでさっき社長やけにテンション高かったんです? ウサギお好きなんですか?」

「ああ、好物なんだ。キュアーロップ」


 私が言った途端、アオトが固まる。心なしかウサギを抱く腕に力が入っている。


「……え、ダメですよ食べないでくださいね⁉︎」

「食べない食べない。……まあ、その子がテイマーの仲間じゃない、普通の紛れ込んだ野良ウサギだってなったら話は別かもしれないけど」

「うう……まあオレも狩ったモンスターの肉とか食いますし、そうなったら何も言えないすけど……」


 アオトが腕に抱えたウサギの顔を覗き込む。キュアーロップは何も知らないといった表情で鼻をすんすん動かしていた。額に埋まった緑色の魔石が陽光を反射している。


「冗談だよ。そんなに真に受けないで」

「えっと……キュアーロップが好物ってところから……じゃないですよね」

「それは本当。こっちの世界に来て初めて食べたのがキュアーロップのグリルだったから、思い入れがあるんだろうね。しかも人の奢りだったから、たぶん余計に」

「へぇ。異世界最初の食事にしては、いいもの食べてますね」


 確かに、キュアーロップの肉は高級品とまではいかないにしろ、そこまで流通量は多くない。私たちが転移した集落の近辺では比較的見かけやすい印象だったので、地元料理の感覚で提供されていた可能性はある。


「オレなんか酒場の廃棄必死に貪ってましたよ。わけわかんないまんましばらくゴミ捨て場生活だった」

「それはそれは」


 他人の異世界生活について詳しく聞く機会はなかなかない。私の場合でも貴島がいなかったら言葉すらまともに通じなかったわけで、改めて異世界の厳しさと貴島の特異性を思い知る。


「……まあ、私の場合はそういう約束だったから」

 過去に後ろ髪を引かれる気配を断ち切るべく刀を鞘に収め、私は今の仲間に号令をかける。


「さて、そろそろ引き上げようか。持ち主に返すまでが遺失物捜索課の仕事だ」

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