第5話

「はいこちらイセカイ勇者保険窓口、ニグレス支店遺失物捜索課です」


 出し抜けに電話が鳴った。キサキの右手が、見えない速度で受話器を取る。それから一言ふたこと会話を交わしたキサキが、受話器を手で覆いながら私を見た。


「アズマ社長、遺失物捜索依頼です。場所はニグレス第3ダンジョン最深部、至急の対応を要請されています」

「最深部なのに至急?」


 私は既に椅子から立ち上がってロッカーに足を向けていたが、その口で同時に疑問符を紡ぎ出す。


「はい。被保険者のパーティーは最深部でボスとの戦闘に入りましたが、実力が及ばずエスケープオーブを使用して脱出。死者は出ていないようですが、パーティーの中にテイマーがいまして、その味方モンスターが置き去りに……」

「なるほどね……」



 勇者シキが最難関ダンジョン『王都のダンジョン』を踏破して王都を奪還、現国王となったという伝説は、あらゆる冒険者の心に火をつけた。


 純粋にそのスター性、強さに憧れを抱き、後を追おうとする者。

 一攫千金で人生を逆転しようとする者。

 勇者シキと同じように一国の領主を夢見る者。


 あらゆる野望を胸に抱いた冒険者たちが、各地に点在するダンジョンに次々と身を投じる──勇者シキが君臨して以降、世の中には『勇者ブーム』が蔓延していた。


 そんな中一人取り残された私が目をつけたのが、「保険」だ。

 冒険者がダンジョンに身を投じる前に一定の金銭を支払って保険に加入することで、加入者が万が一死亡した場合に、その遺族に対して金銭を支給する。

 あるいは、ダンジョンから緊急離脱した際にダンジョン内に残してきた稀少アイテムを、冒険者の代わりに回収する。

 前者を「生命保険」、後者を「遺失物保険」とし、私たち遺失物捜索課は、ダンジョンに残された被保険者の所持品を回収する役目を担っていた。



「テイマーの大事な『家族』も武器扱いとは……この世界はやっぱり何かがおかしいね」


 遺失物保険を考案した時の着眼点は、転移時の「着の身着のまま」だった。

 この世界には平然と「ワープ」という技術あるいは魔法が浸透しているが、その精度はあまり見上げられたものではない。ワープの対象になるのは、その能力を使用した本人と、使用者が指定した一定数の仲間、そしてその人物が身につけていた衣服のみだ。金銭や持ち物はバッグごと全ロストが基本で、その上にワープ直前まで持っていたはずの剣や盾、アクセサリー類もその場に取り残されてしまう。

 それゆえに、ワープ魔法やその効果を引き起こすアイテムが存在しているにもかかわらず、高額だったり稀少だったりする装備品惜しさに無理をして命を落とす冒険者も少なくない。


 まるで人の執着を食い物にしているようだ、と思う。


 命を守ることだけを考えれば、この世界で生きていくことは存外難しくない。ダンジョンに足を踏み入れても魔法やアイテムを駆使して脱出することができるし、そのために使用する「ワープオーブ」というアイテムは量産が可能で、現物を購入してもそこまで高くつくことはない。冒険をしない人間でも、物資は豊かなので食うに困ることもほとんどないはずだ。


 だが、問題はそれより一歩先にある。


 人々は「普通の生活」以上の何かを求めて、ダンジョンに潜る。

 そして力及ばず踏破を諦めた者は、命以外のあらゆる財産を失う。

 命以外の「大事なもの」を迷宮に残して、新しい普通の日常が目の前に用意される。

 まるで「取りに戻ってこい」と、迷宮が──世界が手招きしているかのようだ。


 だから私たちもまた、この世界から離れることができずにいる。



「この世界は命を軽んじすぎなんですよ」


 アオトが吐き捨てるように言った。小型結晶の端末を片手にぶら下げ、椅子の背もたれに掛けてあった黒いローブをスーツの上から羽織る。大きめに作られたフードを深く被ると、すっぽりと影に覆われて表情すら見えなくなった。


「魔物を殺して強くなる、魔物を殺せば言葉もわかる──そうやってオレたち転移者調子に乗らせて魔物狩らせて、ゲーム感覚でダンジョン踏破でしょ。そんで無事帰れんのかと思えばそうじゃない。力だけ与えて『また来てね〜』って──こんなんなって帰れるわけないでしょうが」


 アオト──転移前の本名は青砥あおとただし。一人でこの世界に転移するも、現世のゲームファンであったことが功を奏し、持ち前のゲーム知識で大型ダンジョンをソロクリア。ダンジョン踏破と同時に得た固有スキル〈不死生体アンデッドボディ〉によって吸血鬼化した。


「オレこれでも元の世界じゃ写真家の卵だったんすよマジで。登山もバリバリやって日の出の写真撮ったりとかして! なのに太陽の光当たったら身体灼けるように熱いとかシャレになんねーんすよもう! それに知ってます⁉︎ 登山ってマジで命がけでぇ! 山で死ぬのとかみんな覚悟の上でやってて仲間の死を目の当たりにするのも人生のうちっていうか命がけの絆っていうかそういうのが──」

「その話前も聞いた〜」


 電話を保留にしたらしきキサキが席を立ち、窓を開けた。麗らかな日差しと乾いた風が、狭い室内の籠った空気を上書きしていく。


「その話フルで聞いてたら終わるの昼頃なんじゃないの? 緊急の案件なんだからもう呼ぶよ? あ、あと社長のことだからすぐ終わらせて帰ってくると思ってますけど、今日久しぶりに味噌カツ食べたくて。昼休み入ったらソッコー大通りのサンド屋さん行こうと思ってるので寄り道せずに帰ってきてくださいね。あそこ人気ですぐ混むんですよ」

「それ圧倒的にキサキさんの都合じゃないですか」

「私の都合でもあるけど花耶かやの都合でもあるの! 二人だって花耶がいなかったら間に合ってない案件とかいっぱいあるんだから、感謝してくださいよ。味噌カツぐらい満足に食べさせてあげてください」

「それは、もちろん」


 私が頷くと、キサキは満足げな微笑を浮かべて頷き返した。

 それからキサキは大きく息を吸い、窓の外に向けて美しい歌声を響かせた。よく通るソプラノが晴天に溶けると、彼方からこちらに向かって迫ってくる影が一つ。

 近づくごとにその巨大さがわかる流麗な身のこなしの生き物は、まさしく花を思わせる薄紅色のドラゴンだ。彼女の名前は高畠たかはた花耶。キサキこと姫野ひめのきさきと共にこの世界に転移してきた彼女は、ダンジョン踏破と同時にドラゴンに姿を変えられた。良くも悪くも目立つその巨体と鱗の美しさゆえ、普段は冒険者も足を踏み入れない山の奥に身を隠している。キサキの歌声〈人魚の旋律セイレンボイス〉による呼びかけはどこにいても聞き分けることができ、私たちの仕事に力を貸してくれている。


「花耶。今日も仕事、手伝ってもらえる? この二人を第3ダンジョンまで。超特急でね」

 小さな窓枠に首だけを突っ込んだ花耶さんが嬉しそうに頷き、二人はいつものようにハグをする。


 私はロッカーを開けて、中に一本だけ立てかけてあった愛刀を手に取った。

 あの頃から一度も変えていない攻撃装備。価格としては中型ドラゴンを一体倒せば購入できるだろう量産品で、名前をサムライブレードという。


「ほんと社長、それ一本でよく戦いきれますよね。その刀、軒並みどこの武器屋でも売ってるの見ますよ」

「熟練度が違うからね」


 アオトの言葉に私は軽く返すが、この世界に熟練度というパラメータはおそらくない。


 だからこれは、数値化できない私の願いで、思い込みだ。

 私の執着そのものだ。


 この刀にこそ、精霊の祝福が宿っているなどと感じるのは。


『泰ちゃん、後で絶対、俺のこと迎えにきて』


 王冠を手にした貴島が、崩れゆく塔の最上階で私を──私の剣を指さしたことなど。


『がんばれ』


 巨大な瓦礫によって分断される直前、微笑をたたえた口がそう動いたように見えたことなどは。


 単なる思い込みで、とんでもない思い上がりなのだろうと思う。

 だが、それが唯一で最大の、私の精神的支柱だった。


「行こう。私たちダンジョン踏破者にできるのは、落としたものを拾い上げることだけだ」


 私は馴染んだ革靴で窓枠を踏みつけ、竜の背中に飛び移る。

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