終わり、あるいは
一瀬悠
第1話
言葉で人は救えるだろうか。──否。断じて否だ。言葉で人は変わらない。物語で人は変わらない。音楽で人は変わらない。映画で人は変わらない。他人で人は変わらない。……変えられるのは自分だけだ。自分だけが自分を変えられる。そうだとするのなら、目の前で人生を諦めた人がいたらどうすべきなのだろうか。
***
「ってぇな」
座ると同時に走った痛みに顔を顰める。今は放課後で、部活の時間を潰しに屋上に来た。此処は何故か全員、部活強制参加だからな。此処に来るとようやく一息つける気がする。今は涼しくはなってきたがまだ少し暑い時もあるような、境目の季節。まだ夏服を着ている人の方が多いが、俺は冬服を着ている。
ここは桜木市、西校。生徒が500人ほどのそこそこといった規模の高校だ。偏差値は中の上ってところか。生徒が特段頭が悪いわけではないが、素行はお世辞にもいいとは言えない。そしてこの町には、もう一つ東高という高校がある。俺にとっては、単純に通うだけならそっちの方が高いのだ。学力は西より高いがまあ、入れないことはないだろう。──此処にきたのはただ家から少しでも離れたかっただけだ。俺が此処で部活もせずにいるのも、元を辿ればそれが理由だ。表立って嫌われていたり、いじめられているわけではない。ただ、クラスの奴らは少し理由があって俺と接しづらいのだろう。どう接すればいいか分からないが正しいか。まぁ俺にもそう思われている自覚はある。
そんなことを考えながら、ぽちぽちとスマホをいじっていると、階段の方から物音がした。先生だろうか。だとしたら面倒臭い。俺はただでさえ目をつけられていると言うのに、此処は本来立ち入り禁止だからな。と言っても出入り口は階段しかないので先生だった時点で詰みだが。そう半ば諦めていると、静かにドアが開いた。──そこから顔を覗かせたのは見知らぬ女子生徒。知らない顔だったが、先生ではなかったのでひとまず少しホッとしていると、彼女は俺を見て少し目を見開いた。……あの目は、驚きと困惑か?なんでこんなとこに来たのかは知らないが、まぁロクな理由じゃないだろうな。
「えっと…」
俺がじっと見ていると彼女は戸惑いがちに声をかけてきた。その声は澄んでいて綺麗だった。しかし彼女の目は少し濁っていた。何か抱えているものでもあるのだろうか。ただ俺にそれを尋ねる気はない。人には踏み込んでいい距離とタイミングというものがある。その点、俺と彼女は元から知り合いでもなければ、生き別れの兄妹だったなんてオチもない。それにとてもじゃないが他人のプライベートにずけずけと入って行く勇気もない。…まぁなんか目的があって来たようだし、俺は退散するか。
そう思い立ち上がると少し頭を下げて、ポツンと立っている彼女の横を通り過ぎる。すると彼女は「待って」と声をかけてきた。俺は不審に思い振り返ると、
「見なかったことにしてくれない?」
彼女はバツが悪そうにそう言った。──驚いたな。まさか俺に話しかけてくるとは。
「見なかったことって言うと、あー…っと?」
「七原。七原利恵よ、篠崎君」
「悪いな。…それで何をだ?此処に来たことか?それとも、これからしようとしていたことか?」
俺がそう言うと彼女──七原は見るからに顔をこわばらせた。学校の屋上、放課後とくれば万が一があったから鎌かけたが……まさかの当たりか。おいおい、小説じゃあるまいし、笑い事じゃすまねぇぞ。
俺がこう聞いてから10秒ほど経ったが、彼女は何も言わず、黙ったままだった。
「はぁ、俺はお前を止める気もなければ言いふらす気もない。好きにやればいいだろ」
「……あなたは気づいているのでしょう?でも止めないのね。」
やっぱり変わった人、七原はポツリとそう言った。その時の彼女の目は何かを面白がるように細くなっていた。そして、やっぱりと言うことは、俺のことを前から知っていたのだろう。当然良い意味ではないだろうが。
「生きたいのに殺されるの苦しみと、死にたいのに生かされる苦しみは同じものだと知ってるからな。まあひとつ思うのなら人に迷惑かけずにやれとは思うぐらいか」
「…私ってそうしたいわよ。でも無理だったわ」
そう言うと彼女は少し目を伏せた。俺はその様子に少し違和感を覚えつつも口を開いた。
「そうか。まぁ好きにすれば良い。──それより、お前本当にやる気か?」
「……」
俺がそう聞くと、彼女は困ったような笑みを浮かべてはぐらかしだが、その目は揺らいでいなかった。俺はそれを見ると彼女に「もう行っていいか」と言い立ち去ろうとした。すると今度は引き止められることもなく階段を降りることができた。…さて。まだ部活中なわけだが、これからどうしようか。もうスマホをいじる気分でもなくなってしまった。
常識ある人から見れば、俺の今の行動は頭がおかしいのだろう。まぁ狂ってること自体は否定しない。ただ、考えてみて欲しい。生きろ、生きていれば楽しいことは必ずある、なんて言うのは簡単だ。確かに間違ってはいない。──だがそれは幸せだから言えることだ。死にたいと思うやつはそんなこと百も承知だ。生き続ければいつか楽しいこともあるだろう、でもそれまで耐えられなかったら?死ぬということは今の状況から逃げられないからやるのではなく、逃げ出したいからやるんだ。そんな中で、その最終手段さえも奪われたら…俺なら狂っちまうな。ま、これもただの俺の持論だが。みんながみんなそうではないだろう。ただ、七原利恵という女はそうなのではないかと思っただけだ。第一、止めて欲しいやつは誰かに相談するだろ、普通。
とにかく部活の時間が終わるまで一眠りしよう。そう思い階段の下のところで小さくなる。急いで階段を駆け上がる誰かの足音を尻目に、俺は目を閉じた。
ここから少し離れたグラウンドには部活の掛け声が響いていた。気が付かぬ間に遠雷がしている。地面には赤い彼岸花が小さく咲き、風に吹かれていた。
***
終わり、あるいは 一瀬悠 @ichiseyu
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