第2話
どうしてあんな悲劇を生んだのか……
油断。いや、やはり驕りだったのだ――ユニスは、いまではそう思う。
事件は決して珍しいものではなかった。彼女がこれまでに経験してきた事件と比べてもとくに変わりはない。それがどうしてあんなことになってしまったのか。
その事件にユニスが駆り出されたのは、十二月も終わろうとする朝だった。
見知らぬ惑星に降り立ったときの感慨というのはこういうものなのかもしれない――現場に降り立ったとき、ユニスがまず思ったのはそんな感想だった。
タクシーのラジオから流れるニュースを聞きながら、ユニスは現場に向かっていた。ニュースは今日も『覚醒都市』で起きた殺人事件を伝えている。その中では、ここ最近頻発している〈能力者〉事件についても取り上げていた。そして〈能力者〉に対して怒りと不満をもらす都市の声もついでに――それを聞きながら、ユニスは内心、これから向かう事件に〈能力者〉がかかわっていないことを願っていた。
もっとも、かかわっているのだとするのならば必ず事件は解決させるという意思も忘れてはいない。そしてそれは的中することになるのだが――
時間外労働(オーバータイムワーク)の経費としては落ちない領収書を受け取ってタクシーを降りたユニスは、現場を目の当たりにして、少しばかりのあいだその光景に見惚れたのだった。
昨夜たまたま、仕事帰りに路上販売でレイ・ブラッドベリの『火星年代記』のペーパーバックを見つけたものだからつい大枚叩いて買って、寝不足になるとわかりながらも夜中まで読み耽ってしまったから、ユニスはそんな印象を抱いたのかもしれない。
だが、普段からビルに囲まれた『覚醒都市』で生活している住人としては、見渡すかぎりなにもない、黒土が剥き出しの平野と、その先に広がる山と森の自然を目の当たりにしたら、そう抱くのも仕方ないのかもしれない。
「ナオミさん、ここって一応『覚醒都市』なんですよね」
「ええそうよ。ここも歴とした『覚醒都市』よ」
『覚醒都市』の外れ、まだ開発が進んでいない未開発地区だ。
さて――とはいえ、ユニスもいつまでも見惚れていたわけではない。今日もよくはねた寝癖をそのままに、彼女は泥濘んだ黒土に足を踏み入れた。なだらかな傾斜を少し下り、平地になって数歩進んだどころに待っていた見慣れた顔ぶれに、ユニスは挨拶したのだった。
「おはようございます」
諏訪にトバの二人が、すでに現場に到着していた。タクシーを降りた際にちょうど鉢合わせになったナオミには、すでに挨拶は済ませてある。
四人の刑事が顔を揃えたところで、諏訪をリーダーにさっそく捜査が始まった。
第一発見者は巡回中の警察官だった。時間はいまから一時間半前の、朝六時頃。昨夜降った小雨が日の出前には上がり、そのおかげで照射霧が発生する中、警ら隊が黒土にうつ伏せで倒れている人を見つけた。駆け寄った警察官は、それが十代の若い女性であることと、すでに事切れていることを知った。
あとのことはお決まりの工程が踏まれた。捜査一課が駆けつけ、鑑識が調査。その過程で反応が検知され、四課の出動。
「十七歳か」
屈んで遺体を検分していたユニスは、少女の年齢を思い出すと、冷たい風に背筋を撫でられたような気がした
「ユニスと同い年の子だね」とナオミが心中を察するように言った。
名前は三上カホ、都市第三高校に通う高校二年の十七歳。
「まさか自分と同じ年齢の子が殺されて、その遺体を見ることになるなんて――」
「ショックか?」そばにいた諏訪が聞いた。
「いえ、ショックってほどじゃありません。こういう日もいずれ来るんだろうなとは思っていましたから。ただそれが、思いの外早かったので、ちょっと戸惑ったくらいです」
「勘弁しろよ。捜査に支障を来すなよ」トバが呆れたように言った。
「ご心配いなく。捜査はちゃんとやります。そういうトバさんこそしっかり遺体を確認しないとだめですよ」
「……わ、わかってる」
そういうと、トバは膝を折って、遺体に顔を寄せた。
しかし、そこに実際に遺体があるわけではない。検屍を終えた遺体は、今頃解剖作業が行われているはずだ。つまり四課の面々が見ているのは拡張現実(AR)が生み出した偽りの遺体だ。しかし偽りでもその見た目は本物と遜色ない。
解剖の結果はまだあがってきていないが、検屍の結果はすでに報告書に挙げられている。
その報告にこそ、この事件の謎であり、そして〈能力者〉の関与を匂わせている。
「さて、遺体の検分はこれくらいにして、この遺体がいったいどこから、どうやって落とされたのか考えてみましょうか」
ナオミのその言葉を合図に、諏訪とトバ、そしてユニスは遺体から目を逸した。
少女は頭部をはじめとした全身を打撲、首や手首、足の骨は折れ、内臓にも損傷が窺えた。こうした遺体の状態はある場合の遺体と酷似していた。高所から飛び降りた転落死の遺体だ。
少女は高所から転落して死亡したと検屍では考えられたのだった。
ところが現場は、見渡すかぎりのなにもない黒土だった。建物はもちろんこと、電柱一本立っていない。
こうしたことから、一課では、少女はどこかべつの場所で一旦突き落とされるか、自殺したかして死亡したあと、この場所まで運ばれて遺棄されたと推察した。
だが、遺体にできた死斑には動かされた形跡は一切なかった。なにより遺体があった現場には、少女の足跡以外、発見者の警察官の足跡しか残されていなかった。
少女はこの場所で亡くなったとしか考えられない。さらに足跡から、少女は自分からこの場所に来たことにも疑いはなかった。これにはちゃんとした証言者もいて、タクシー運転手が少女をこの現場まで送ったと証言したのである。車載カメラの分析も行われ、先程――ちょうどユニスが現場に到着したときに映像とともに報告書が送られてきた。それで間違いなく少女は、自分の足で現場にやってきたと証明されたのである。
よって少女は、なにもない、黒土剥き出しの平原で転落死したのはどうやら間違いなさそうだった。
「この子はいったい、どこから落ちてきたのかしらね」
ナオミが空を見上げながらそう呟いたのにつられて、ユニスも空に目を向けた。雨上がりの空は、抜けるような青色をしていた。
困惑するナオミたちを始めとして四課の面々は、この事件が難航することだろう――当初はそんな思いがあった。
「そういえば」ユニスは言った。「能力反応はどこで検知されたんです?」
「あそこよ」
ナオミが道路のほうを指差した。
そこはちょうど遺体があった場所と一直線上に位置していた。要するに〈能力者〉は、なだらかな傾斜の上ったところの道路から、まっすぐに見下ろすかたちで能力を使ったということだ。現場に被害者以外の足跡がないのも、これで納得できる。犯人は黒土に足を踏み込まず、道路上で犯行に出たということだ。
もちろん、そこにいた〈能力者〉が、すなわち事件に関与しているとはかぎらないが、このような場所にふらふらと人が歩くわけがなく、ましてや遺体とは真正面に位置する場所。あの場にいた〈能力者〉が能力でもって被害者をなんらかの方法で転落死させた――そう考えるのが自然であり、四課としてはそうした推察のもと捜査していた。
では、その能力とはなにか――
議論の口火を切ったのは、トバだった。
「それはあれだろ、当然空から降ってきたんだろ」
「どうやって空から降らせたっていうの?」ナオミが当然の疑問を投げかける。
「人を空に飛ばせばいいだろ」
「だから、どうやって?」
「そんなの、なんかあるだろ、ほら人が空を飛ぶ能力ってやつ」
「いわゆる人が空を飛ぶという能力というのはなかったと思います」ユニスは考えながら言った。
「雨宮に確認を取る」
諏訪がそう言って雨宮に連絡を取ると、まもなくメガネに結果が表示された。
《該当者なし》
「能力でも人は空を飛べないのか」トバががっかりしたように言った。
「空は飛べませんが、人を空に飛ばす方法ならいくつかありますけど」ユニスは言った。
「それだそれ。で、どんなだ」
「簡単なところでいえば、念力でしょうか。物体を浮かすように人を浮かすことはできます。あとは質量を操作する〈能力者〉。害者を羽のように軽くさせれば。――あとは電磁気。もっと原始的な方法なら風を巻き起こして、空中まで飛ばすなんて方法もあります」
「なんだ色々あるじゃないか。さっそくそれらの〈能力者〉を調べよう」
「ですが――電磁気で人を飛ばすとなると、害者の身体に電気を流し込むことになりますので、人を飛ばすほどの電気が流れたとしたら、それだけで害者は感電死します。ですから、この可能性はないかと。あと風を巻き起こす場合にしても、人を飛ばすだけでならまだしも、空高くまで巻き上げるほどとなると、それなりの規模と風力が必要になります。当然現場には土が巻き上げられるなど痕跡というか被害が残るはずですが……足跡が残っていることから考えると、その可能背も低いかと」
「しかし可能性としてはあるんだろ?」とトバが言う。
「まあ、可能性だけの話なら」
「質量を操作する〈能力者〉はどうなの?」とナオミが聞く。
「それについては、現場になにか痕跡を残すこはないと思いますのでやろうと思えばできるかと。あと念力も」
「よしじゃあとりあえず、可能性のある〈能力者〉はひとり残らず捜査対象として調べよう」
そう言うと、トバは雨宮に連絡を入れた。
そのあいだにナオミは報告書に目を通し、ユニスは――改めて現場に目を向けていた。とくに遺体が発見された場所と、足跡を注視した。
「なにか気になるのか?」
ユニスは顔を上げた。諏訪がそばに立っていた。
「この足跡と遺体の距離なんですが、ちょっと気になりまして」
「ああ、それか」
「気づいてました?」
「少し、距離があるとは思っていた」
最後の足跡と倒れていた被害者の爪先までには二メートルばかりの距離があった。もし被害者が倒れただけなら足跡は爪先のすぐうしろに来なければならないはずである。ところが、そのあいだに距離があるということは、被害者は最後の一歩を大股で歩いたか、もしくはなにかを飛び越えるようにジャンプしたことになる。
だが、そうなるとさらに不思議なことが起こり、倒れている被害者の足元に足跡はないのだ。つまり、大股にせよ、ジャンプしたにせよ、足で着地したからには被害者の足元には足跡が残るはずなのだが、それがない。となると――
「害者は最後に足跡が残るこの場所から倒れていた場所まで、飛び込むように倒れたってことになります」
「そうなるな」諏訪も屈み込んで足跡と遺体を見ながら、頷いた。「つまり、この最後の足跡の場所でなにかがあったと考えられるわけか」
「ええ」
「足跡の場所で空中に飛ばされ、そして遺体がある場所に落下した――」
「そういうことになりますね……」
「……なにか不満そうだな」
「不満といいますか、質量を操作して害者を空中まで浮かせたとしても、当然その場でずっと留まっているってことはないと思うんです。手を離れた風船を想像してもらえればわかりやすいと思います。ですが、遺体は足跡と一直線上にあります。害者はその場で浮いたあと、またその場に落ちてきたということになります。一応、足跡と遺体のあいだには二メートルほどの距離がありますが……」
「念力ならその問題はないだろ」
「念力については、そもそも問題がありまして。念力はものを動かす力であって、ものを浮かすことに長けているわけではありません。もしそれが可能なら自分を念力を浮かせて自由に空を飛ぶことができる。もちろん念力で人を浮かすことはできますが、転落死させられるほど浮かせるかどうか疑問があります。もちろん私の知らないところでものすごい〈能力者〉が覚醒したのかもしれませんから、完全に否定はできませんが――」
「ではそれ以外になにか方法があるのか? 害者を転落死させる方法が?」
ユニスが考えようとしたとき、トバが声をかけてきた。
「二分後に〈能力者〉をまとめたリストが送られてくるそうです」
きっちり二分後、雨宮からリストアップされた〈能力者〉名簿が送られてきた。
その数は少なかった。それもそうだろう、人を巻き上げるだけの風を起こしたり、質量を操作したり、念力で人を浮かせる〈能力者〉なんて、そうはいない。
「これなら今日明日で回れますね」トバが言った。
ユニスはリストアップされた容疑者の経歴に目を通した。いずれも男で、年齢こそばらばらだが、歳を重ねている。一番若くても三十代だった。
ユニスは、眉を顰めた。
それからいま一度、現場を見渡した。
なにもない黒土の平野。雨に泥濘んだ地面。土……
ユニスが現場を見回していると、ナオミが三人の輪に加わった。
「どうやら遺留品の持ち主がわかったそうよ」
「遺留品?」
真帆ユニスの事件譚訪 花散流 @natuiro-midori
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