最終章
XXVIII 天翔る白馬の婚約者さま
第144話
◇ ◇ ◇
鉱物によって繁栄を極めた小国エイロスは、領土崩壊をもって、大国シスボイリーへ吸収されることとなった。
若き大国王は国王夫妻に慈悲を与え、臣下として召し抱える方針をとる。
だが、救助されたラインギル第一王子が身につけていた衣類が問題となり、先に投獄されていたラヒューレ第二王子と共に、議会にかけられる事になった。
第二王子は試作を重ねながら、薬物を混入させた衣服をシスボイリーに売り込もうとしていたという。それが武力国家に対する献上品の一環だとしても、容認して良い類ではなかった。
リュグザが問題にしたのは、正確な効力をラヒューレしか把握出来ない、という点である。
身につける武人が安全かどうか。第三者の目で何一つ確証が出来ない。現にラインギルは、彼の根底が
見方を変えれば、主国に対する属国の叛逆にもなり得る。
第一王子も第二王子も、所詮は王の子だ。全ての責任はエイロス国王にのしかかる。
そんなつもりはなかったと、ラヒューレが父王の立場を弁明しても、後の祭りなのだ。
「…………ご判断は、陛下の御心に委ねます」
事務的な報告を静かに聞いていたライネリカは、停車した馬車の中でそう答えた。
足を組み向かい側に座るリュグザに視線を向ければ、彼は金色の瞳を細めて、微かに笑う。
「俺に全てを任せて良いと?」
「わたしはこれから、全く関係のない場所で平民となる身分です。大国王陛下に意見する立場にございません」
「……なるほど、弁えていらっしゃる」
馬車の車内にいるのは二人だけだ。
外ではキリノスとラジレイシア、そしてアスターが、四頭繋がれた馬の傍で談笑する声がする。
ライネリカは今、荷馬車を手配し連れてくる両親とフィーガスを待っていた。
フィーガスの願いで親子三人は、シスボイリーの属国の中でも一番遠方の国で、密やかに生活する手筈になっている。リュグザが手を回してくれ、住み処は既に用意されているので、後は荷馬車に乗って出発するだけとなっていた。
リュグザとアスターは、別れの挨拶をすべく、理由をつけて宮殿を抜け出してきたのだという。大それた馬車で現れた時は流石に辟易したが、アスターが山ほど宝石類や衣類を積んできたからだった。
ここから先、終の住み処までは長旅となる。先立つものがなければ不安だろうと、彼女が用意したものだ。これを換金しながら進めば良いというが、あまりに多量で思わず閉口したほどである。
「……わたしが陛下に望むことは、アスターの処遇です」
ライネリカは薄い青紫の耳飾りに指先で触れ、目を伏せた。
リュグザは片手の指先を己の顎に添え、無言で続きを促す。
「騎士団長の肩書きが露見してしまった今、彼女の立場は危ういと聞いています。……陛下には彼女を、護って欲しいのです」
アスターは気丈に振る舞っているが、おそらく寂しさが優っているのだろう。心配をかけまいと空回りしている様子が窺える。
ライネリカはずっと、彼女の主君であり続けてきた。絶対的な存在が離れて行く焦燥感は、理解しているつもりだ。そして現状、彼女は皇后の椅子に座っているが、キリノスからシスボイリー内で反発があるとも耳にしている。
ライネリカは両親や兄弟、ベルジャミン王家の血筋を継ぐ親族の未来に、関与するつもりはない。
だがアスターだけは、諦められないのだ。
「アスターは、いい人でしょう? 優しくて、強くて、綺麗で、きっとリュグザ陛下も、ずっと愛せる人だと、わたしは」
「……誤解されているようですが、俺は彼女以外を妻に迎えるつもりはありません」
言葉を重ねるライネリカに、リュグザは肩の力を抜いて苦笑をこぼす。
「アスタロイズ自身も、身の振り方は弁えていると言っていますが……何故そんな話になるのか分かりません。俺の愛する女性は、後にも先にも、彼女しか居ない」
「……陛下」
「大々的に結婚披露宴までして、神の前に誓ったのですよ? 病める時も健やかなるときも、と。……ライネリカ、そんな当たり前を、今さら俺に願わなくともよろしい」
彼は僅かに眉を寄せて片手を振り、話を切り上げると、上体を屈めてライネリカを覗き込んだ。
両手の平を差し出され、ライネリカは躊躇わずその指先に手を重ねる。
「お前の育て親のことは、まぁ、任せておきなさい。アスタロイズの事も心配無用です」
「…………はい」
「ライネリカ。お前はこれから、知らない土地で生きていく事になる。歳を重ねるごとに、フィーガスに会える頻度は減っていくでしょう。……だからこそ、辛い時や苦しい時は、俺たちを頼りなさい」
「それは、でも」
「平民になるからと言ってお前が、『騎士』が忠義を誓った唯一の女神であることも、姉君や兄君と過ごした時間も、何も消える事はないんですよ」
親指の腹が優しく手の甲を撫でた。それは強い抱擁よりもライネリカの胸を打ち、うっすらと瞳に涙の膜が張る。
彼は目尻を緩ませ穏やかに笑った。
「実際に頼るかは別として、頼れる存在を知っているだけでも、苦しみは半減します」
「…………あなたは、わたしに、甘すぎるわ」
「当然でしょう。お前は命と等しく大切な
「……あなたのそういうところ、きらい」
ライネリカが小さく舌を出して悪態をつけば、彼は喉の奥で笑い、片手で少女の鼻を摘まむ。
上体を起こし椅子の背に凭れ、リュグザは長い前髪の間から、心底満足そうにライネリカを見つめた。
赤らんだ鼻を片手で押さえて、涙に震えた呼吸音に気がつかないふりをし、視線を窓に映す。遠くから山道を駆けてくる荷馬車を目にとめ、ライネリカは更に瞳を潤ませた。
外からキリノスが声をかけ、シスボイリー国の馬車の戸を開ける。
ライネリカは揺れに気をつけながら移動しつつ、昇降台の上で足を止めると、改めてリュグザに向き直った。
「……きらいだけど、一番、あなたを信用しているわ」
「…………」
「信用もしているし、信頼もしている。……今までも、これからも、わたしを守ってくれてありがとう。──
ワンピースの裾を軽く持ち上げ、膝を曲げてゆっくりと頭を下げる。
キリノスの手をとり背を向けた時、リュグザの表情は敢えて見なかった。
それもまた、義兄に対する親愛の証しなのだと、ライネリカは信じている。
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